EP04-玖:虹架ける死神
地獄のような戦況。
最初から勝ち目なんてないはずで。止めなければいけなかったのに、私は彼を行かせてしまったことを、こんなにも後悔していたのに。
だが、この目に映るものは現実ではないのかもしれない。
『
「何だって……?」
涙でぐちゃぐちゃになった瞳に飛び込んだのは『解放』の二文字。コンピュータに搭載した人工知能が、私の漏らした声を『今の言葉を
奴隷など地位の低い状態からの『解放』を示す単語。
「おい、少年……その姿は、いったい何からの〈解放〉なんだい……?」
画面の向こうに見えるのは、まるで
燃やし尽くされたはずの血赤のマフラーが風に
こちらで確認できるだけでも、彼の武装は再構築されている。だが〈
それなのに、その静かな
なんだ、この状態。今までの〈獣化〉してきた〈実験体〉たちとは明らかに違う。
『それが君の〈獣〉としての姿なのー? なんか思ってたのと違うなー?』
いや、不利な状況は何も変わっていない。
敵は四体。〈スポンサー〉寄りの赤い悪魔と、その支配下にある三体。おまけに
『ま、いっか! じゃあ、第三ラウンドも張り切って……へ?』
『
敵の声が不自然に揺らいだ理由に息を呑む。
気付けば多脚を伸ばす背が見える。つまり、一瞬でそこに到達したというわけで。
『
首を掴まれた敵に、向き直る間など与えない。射出された形状記憶合金と雷撃が
有り得ないことだ。いくら至近距離でも、こんな威力が出せる設計なんてしていない。しかもあれだけの強度を誇る敵なら、その胴体と首から上を分断するなど不可能のはず。
だが現実にはどうだ。捕らえられていた笹瀬川先生の奪回に成功し、数字の上での不利が、この一瞬で軽減されている。
担ぎ上げた私の恩師を連れて、ほぼ地面と平行に
『うわー、やるね! どこにそんな力を隠してたのか、教えてもらわなきゃっ‼』
いけない、もうすぐそこまで敵の鎌が迫っている。この位置取り、避けたらそのまま鋭利な刃が二人を引き裂きかねない。
『
振り下ろされた二つの武器を、極大の
烈風とでも呼べばいいのか。二メートル近い〈実験体〉の身体を斬り伏せてしまったこの一撃は、砂煙を巻き上げるほどの高威力。
やはり設計上では再現不能なはずのそれだ。第一、〈獣化〉しているなら、先生を助けて戻るなんて行動はできないはず。何か私の理解を超える現象が起きているというのか。
「っ⁉ 少年、前からくるぞ‼」
叫んだ私より敵の方が速い。あの毒液を流し込む細剣が、天然の煙幕を
『
待っていたかのように鳴り響いたのは、必殺の槍を抜いた音。極大の武装が、突き出されるレイピアの先端と激突する。
火花が散るのは一瞬で。敵の武器を突き崩す一撃が、そのまま
『すごいや! よし、ここからは耐久レースで……あれ、リンクできない……? 僕ちゃんのナノマシンが動いて……ない?』
不可思議なことに、あの悪魔が
そこで初めて気付けた。私の造った以上の力を発揮する死神は、敵の〈コア・リンクシステム〉とやらの弱点を見抜いていると。
あの〈リトロ〉と名乗る敵が言う通りなら、奴が生成するナノマシンを媒介に死亡した彼らの身体に埋め込まれた〈
つまり、その無線通信を可能にする微粒子サイズのナノマシンさえ砕いてしまえば、システムは停止し彼らは物言わぬ死体に戻る。
「でも、どうやって奴のナノマシンの位置を特定している……?」
度重なる改修でも、そんなものを組み込める余地などなかった。今までだって、そんな能力を見せたことは皆無だ。一年前と同じ位置だったとしても、正確に打たねば止められないのはさっきの復活で証明されているはずで。ダメだ、理解が追い付かない。
そんな疑問への答えはなく。代わりに死神は、ただ悪魔に向き直る。
『ふーん、なるほどねー。これが赤マフラー二代目の力ってわけだ?
四対一という圧倒的に不利な状況が
『じゃ、タイマンだねっ‼』
『
飛び掛かってくる勢いは、ほとんどジェット噴射の様相。対する死神も同じ速度でぶつかっていく。
「互角……なのか?」
動体視力が追い付いてこなくても、なんとか状況から理解していく。
相手の鋭い爪が迫っても、決して引けを取らない速度での防御。逆にそこから一転しての攻撃に、敵もガードを余儀なくされている。
それを互いに高速で、空中でもお構いなしに叩きつけ合っているわけか。
『肉弾戦だけなら〈ネクロ〉より強いかもね……でも!』
やっとの思いで距離を取ったとみるや否や。
『ばばーん‼』
噴射された勢いとその色を見て、絶句する。
青色の炎。間違いなく超高熱の火炎だ。あんなものを喰らったら。
『
避けるためにか、跳び上がる。が、そんなもの敵が角度を変えれば無意味だ。むしろ、空中で身動きが取れないのでは直撃するだけ。
『
二つ同時の極限解放。先月の〈ネクロ〉との対決で使ったという裏技。あれほどやるなと言った私だが、これ以上の最適解を思いつけない。
『そんなの……あり⁉』
『はぁッ‼』
惜しい。これをぶつけてさえいれば、勝てたかもしれないのに。
『すごい……すごいよ‼ 君を連れ帰れば〈ホロウ〉も大喜びするかも‼ そしたら、たくさん解剖されちゃうね‼ すっごく
劣勢に立たされたはずなのに、嬉々として叫ぶ道化師。
口にした名は、こいつ同様の〈スポンサー〉側で幹部クラスか、
『じゃあ、こっちもとっておき、出すね?』
奴の左手に光が集中する。
もしかして、さっき〈
「なんだ、これ……まるで微粒子サイズの〈
ナノマシンを生成する装置であるはずの〈コア〉、それと同じ材質をしたナノサイズの何かだと機械が叫ぶ。
待て。この地球上に存在しないはずのそれを、あいつは自力で生み出せるとでも。それなら〈ゲノム・チルドレン〉というのは、〈
『いっけー‼』
光がはじける。あの左手を震源にして進んでいく虹色の波紋。
瞬間、少年の視界が揺らぐ。その先には、逃げることもできずに目を見開く二人。この戦場に似つかわしくない老人と幼女。
『ぐぅ……⁉』
両手を交差させただけのガード。彼の背中には、私が諦めようとした二つの命があるのは明らかで。徐々に押されていく身体が、不安げな顔をしていた彼らに近づいていく。
『あれ、守るの? てことは、やっぱり
やはり狙いは私か。くそ。いつかバレるかもしれないと思っていたが、こんな危険な奴に目を付けられていたとは、最低で最悪もいいところだ。
死んだはずの科学者が設計した技術。それをベースにした〈実験体〉が戦い続ければ、
今一番に苦しいのは、彼だとわかっているのに。
『ぐ……ぁ⁉』
耐えきれずに死神の腕が弾かれる。守られた二人の眼前に転がった身体。その両手の装備が、熱で焼き切られたように煙を上げて。
あれが〈実験体〉を強制的に暴走させてきた技というだけでなく、純粋に〈
これ以上に喰らったら危険だ。ただでさえ今の彼がどんな理屈でこの膨大なナノマシンを制御しているのかもわからない状況なのに。
『
後ろで聞こえた声。振り返った少年の視点から見えるのは、頭から血を流しながら目を閉じてしまっている少女。そしてそれを揺さぶる必死の形相の祖父。
まさか、今の攻撃の余波を受けたのか。もしあれが〈
『あれー、死んじゃった? あはははは! ぶっざまー♪』
あれだけの技を使っていながら、まだ余裕があるのか。あの子の死を喜んで悪魔が
『だから言ったのに。食べちゃいなよって。惜しいことしたねぇ~、せっかくの〈当たり〉だったのに。僕ちゃんに勝てるかもしれないアビリティだったかもよ?』
いや、待て。この街の人間で〈実験体〉を造らせる理由が、まさかそこにあるのか。
『この世には、たまーに〈獣〉の力を目覚めさせる資質を備えた人間が生まれるんだって。それが〈当たり〉。ほら、ケーキみたいな匂いがしてたでしょ? それが証拠♪』
ゆっくりと近づきながら、また左手に光を集約してくるのが見える。
ダメだ。あのオーロラの光はこちらのナノマシンを破壊できる。あと一度でも受けたら、きっと止められない。
『それとも今からでも食べてみる? 完全に死んでなきゃ効果あるかもしれないし。ほら、左眼が〈当たり〉の部分だったから、ワンチャンあるかもよー?』
あの白くなっていた眼。連中に狙われるような代物だったなんて。生まれたばかりの頃にはなかったそれが、二年前の両親の死後から発症したと情報にあった。
まさか〈実験体〉にされた母親の死の後にこの症状が現れたのは、偶然じゃないのか。神様の気紛れ、いいや皮肉だとでも……。
『もう、何も奪わせない……』
『ん?』
その小さな
死神は再び顔を上げて、
『
『
『
一度に三つの武装が、
モチーフにした生物を
『そんな時間稼ぎで、何ができるのかなー? あ、もしかして食べる覚悟できた? なら捕食シーンが観たいよー‼』
左手を守りながらも、昆虫たちの舞を踊るように
何をやっている、少年。君は今、何をして……あ。
『へ……バイクっ⁉』
空洞に轟くのはエンジン音。敵の注意を
『なぁーんてね? そんなの避けられないわけないじゃん!』
右手で車体を押して、アクロバティックに
そろそろ光もさっきと同じほどの大きさまで収束している。くそ、万事休すか。
『
敵の頭上へ、死神が
あの攻撃を先生たちから逸らすためか。それとも最後の
そんな私のマイナス思考を、彼は裏切っていく。
『
『
『
嘘だろ。切り離していた武装三つで同時に極限解放だと。
『んあ……え、なにこれ⁉』
驚くべきはその三つが虹色に光り出したこと。
ワイヤーが造り出す蜘蛛の巣が敵の全身に行き渡り。二対の鎌が動きを封じられた奴のベルトを挟み込む。そうして、黒光りするバックル中央部に針が突き刺さる。
『な……んだ、これぇ……痛い、痛い……! この、離れろよぉ……、っぁ⁉』
『
最後の最後に、四番目の極限解放の音がする。
敵に張り付いた〈クモ〉の眼から見えるのは。
絶望に怒りを燃やし、それでも
『はぁッ‼』
『あ……りえないぃぃぃぃぃいぃいいいいぃいいいぃッ⁉』
叩き込むのは、虹の光を帯びた一閃。
こんな地獄を創り出し、誰かの希望を踏み
『ぎゃあぁあああああああああああああああああああああああああああ⁉』
爆裂が場内の暗がりを
もはやボロボロの床に追い打ちをかけるような地割れを引き起こすのは、変わり果てた道化師の
「勝った……のか」
知らずに涙が
『キャハ……キャハハハ! それで、勝ったつもりじゃないよねぇ……!』
嘘だろ。
その声に、顔が強張るのを禁じ得ない。四つの武装を同時に極限解放して、それで死なないなんて。どんな設計をすればそんな身体を造れるって言うんだ。
『ギャハハハ! 僕ちゃんたち〈ゲノム・チルドレン〉は死なない! 生まれたときから持っている〈
唇を噛むしかない。確かに私たちは〈
しかし、悪魔の笑い声を聞きながらも少年は動かない。そうだ、彼はもう限界のはずだ。モニターで見る彼の内部は既に危険ランプが点滅しっぱなしで。これ以上の戦闘を続けられるわけもない。
『まあ、今回は引いてあげるよ。僕ちゃんもそこそこ身体が痛いしね?』
どろどろと溶けていく赤い皮膚を引き
『坂上愛は生きているのがわかったんだ。この街に生きている以上、〈スポンサー〉が本気で探せばすぐに見つかる。だから次に会うときは、もっと
『次なんてない』
鋭い声が、悪魔の言葉を
『あ……うぁ……⁉ なんだよ、これぇ……身体が、中から、壊れ……⁉』
『なに、これ……⁉ 僕の中に、ナノマシン……? は、がぁ……ぅぁがぁあ⁉』
不自然なまでに関節が曲がり、立つこともままならずに倒れ伏すその顔は、火傷で
『言ったはずだ』
『っぁ……⁉』
『
荒々しい獣すら飼いならす王者のようなその声は小さな波となって。
『ぃゃ……いやだぁあああああああああああああああああああああああああ⁉』
断末魔。それを発する悪魔が灰のように消えていく。
まるで幻想のような一瞬。だが間違いなく、これまで〈スポンサー〉側の敵に苦しめられてきた彼にとって、大きな価値を持つ一瞬。
「少年……良かった……」
『罪滅ぼしのつもりか……⁉』
ハッとして、再度モニターを確認する。
声の主は、孫娘を横たえた祖父。私にとって、人生を変えてくれた恩師。同時に、私の研究に巻き込んでしまった犠牲者。
『坂上、見ているんだろ⁉ 娘夫婦を殺したのも、お前の造ったサイボーグか⁉』
否定などできない。先に仕掛けてきたのはあちらだとしても、それすら〈スポンサー〉側が仕組んだことだろう。何より、私の描いた設計図を基に作られた男が、先生の娘さんを手に掛けたのは、変えようもない事実だ。
『あんなに、科学は人を幸せにするためにと教えてきたのに……』
先生の涙なんて見たことがなかった。いつだって正しくて、
今、その恩人を泣かせているのは、かつて涙を拭ってもらった側であるはずの……私。
『なあ、あんた……俺たちを守るように坂上に命令されたのか? こんなボロボロになってまで、あんな恐ろしい奴と戦って……!』
悔しそうな顔で歩み寄る姿が、
それでもこっちが泣きたくなる程度には残酷な現実だと思う。ごめんなさいと言うことさえ、今の私には許されない。あの悪魔から救い出せても、それを誇ることなど、到底できなかった。
『なんてことだ……すまねぇ。俺には何も返せるもんがない。本当なら坂上に、あんたをそんな姿にした奴に、土下座させてでも謝らせなきゃならんが、それも叶わない……』
そっと孫を壁に預けて。手拭いで彼女の頭を止血する。そうして二つ結びの髪を撫でて、こちらへ向き直ると。
先生は、両手を地面につけて額を
目を背けたくなる。けれど、背けちゃいけない。少なくとも、私だけは……。
『割には合わないかもしれんが、あんたの気が済むまで殴ってくれ。あんたをそんな姿にした女を育てたのは、他でもないこの俺だ。少なくとも、あんたに通せる〈筋〉は、もうこれしかない……』
ああ、この人はそういう人だった。いつだって筋を通すことが大切だと教えてくれて。
人間は社会を形成する生き物だからこそ、相手に信頼されることが一番だと。そうした小さな心の支え合い。その
どこか絵空事だと思ってきたその言葉が、今ならわかる。大切な人と繋ぐ手の温かさを、それを失う痛みまでもを知ってしまった、今なら……。
『おじいちゃん……』
強化された聴覚器官が拾い上げたのは、小さな口から漏れ出した声の波紋。それは彼女に背を向けていたはずの祖父にも届いたらしく。
『翡翠……?』
『いかないで……』
寝言だろうか。しかし、閉じたままの眼からも涙の
その指は、まるで親を探して
『はっ⁉ おい、待ってくれ……この子だけはやめてくれ⁉』
気付けば死神は老体の横に立ち、しかし視線は孫娘に向いている。たった一人残された孫娘だけは殺さないでくれと
その太い腕を、そっと小さな指へと
『手放すな……本当に大切なら』
告げる言葉は、死神としての声ではなかった。きっと、幾度となく失い続けた少年の声。この場所で大切な人たちを救えなかった、自らの弱さを呪った少年の想いそのもの。
『あんた……?』
『この子から最後の肉親を奪うことが筋だと……そんなものが正義だと言うのなら、オレは悪でいい』
驚いた顔で見つめてくる先生を置いて、死神は離れていく。主の帰還を待っていた愛機に
『ま、待ってくれ⁉』
ハンドルに掛けた手が止まる。
『教えてくれ。こんな目に遭うって知っていてその身を差し出したのか? こんな戦いに身を投じるだけの見返りが、あんたにはあるのか? あの子は……坂上愛は、あんたを苦しめているだけじゃないのか?』
あくまで無理矢理に改造された彼を想って声を絞り出しているのか。
ごめんなさい、先生。私はあなたの教えを一つとして守れちゃいない。幸せを与えるどころか、彼の優しさに付け込んで、何の見返りもない戦いを押し付けているのだから。
罰せられるなら、それは死神になってくれた彼じゃない。そうなることを強要した私だ。
『そんな名前は知らない』
彼の言葉で、まだ本名を伝えていなかったことに気付く。だが今までの状況で私の名前など察しがついているだろう。それでも君は、そう言ってくれるのか。
『それに……見返りならある』
『いったい、どんな……?』
『かつて……誰かが笑っているなら、それだけで戦えると言った男がいた』
それが誰か、言われなくてもわかる。一年前、その場所で命を散らした英雄。私の技術によって名前も記憶も奪われ苦しんだ、最初の犠牲者。
ああ、そうだった。あいつは君に言っていた。笑っていてほしい誰かが笑ってくれるなら、ダークヒーローでもいいんだと。
そんなバカな言葉が、胸を締め付けるのはなぜだろう。
『オレも……それだけでいい』
マシンが風を巻き起こし、それが去り行く死神のマフラーを揺らす。発進した彼の背中に届いたものは……。
『おじいちゃんのにおいだ……ふふ♪』
安心しきった誰かの
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