EP04-陸:喪失の追憶


 腐臭がする。


 巨大なゴミ処理場。その分別のために設けられた地下施設は、さびれた雰囲気に包まれていた。もう何年も稼働していないのかと錯覚する。


 様々な技術の集うこの〈革新都市〉は、昼夜問わず多くの廃棄物が出ている。ほとんどはここで完全にスクラップにされる運命だとしても、きっと誰かの夢や希望のかたまりだったはずで。今となっては、その存在自体を忘れているのではないかと聞きたくなるほど静かなものだった。


『少年、次の角を右へ行ってくれ』


『承知しました』


 暗がりの中、声を出さずに頭の中だけでメッセージを送り返す。最初こそ難しかったが、やってみれば何とかなるものだ。師匠との特訓の合間にも練習はしていたが、頭がパンクしそうな作業で。それでも結局は無事に済んでいるのは、この改造された身体ゆえだな。


 この身体で進むのは、広大な地下世界。細心の注意を払いながらも、ひたすらに進む。ここを根城にした〈組織〉に報復をするために。


『それにしても名前通りにアジトがこんな場所なんて、ひどい皮肉だね……』


 玲瓏れいろうなオーナーの声に乗った薄汚い〈組織〉の情報が聞こえる。その名は『UNDERアンダー-WORLDワールド』。


 初めて知った時はどこのロックバンドかと思ったが。考えてみれば、人が寄り付かない場所なら隠れ家にうってつけで。この名前も含めて、当然の帰結と言えるかもしれない。


 こんな場所で〈実験〉を行う悪党ども。考えるだけで反吐へどが出そうになるが、今はそいつらに一泡を吹かせるための作戦中だ。


 信太郎しんたろうが連れ去られたあのトンネルは、このアジトへ繋がる通路の一つだったらしい。そこを強引に突破する師匠がおとりになってくれている間に、オレは連れ去られた犠牲者たちが監禁されている場所を見つけ出す。


 もし可能であれば生存者を連れ出して、ここから逃がす。苦労して集めてきた〈素体〉がいなくなれば、どれだけ〈獣核ゲノム・コア〉があっても意味はない。


 目ぼしい場所を一つずつ確認しながら、この作戦の成功だけを考える。


『少年……次はそこの扉だ。すぐにロックを解除する』


 天才科学者でハッカーなんて、映画の中だけにしかいないと思っていたが。あの美人なオーナーが、敵のセキュリティを攪乱かくらんしてくれるおかげで、ここまで進んでこられた。


 今もまた自動でドアが開く。廊下よりも暗い室内への侵入に合わせて、改造された眼球に内蔵された暗視スコープが作動する。ヘルメット越しにもきちんと役目を果たす身体を、しかしすぐに呪うことになった。


「嘘、だろ……」


 視えてしまった現実に、思わず言葉がれてしまう。潜入したアジトでは敵に捕捉されかねないから絶対に声を出すなと言われていたのに。


 だが、もうそんなことは気にもならなくて。


 その部屋にただようのは、血のにおい。横たわる数えきれないほどの身体。人間だったはずの何かの、残骸ざんがい


 その中央。クモの巣をすように張り巡らされた鎖に繋がれる誰かがいて。まるで聖書に出てくるはりつけにされた救世主か何かのようで。


 だらりと垂れてしまった顔で表情は視えなくとも、その髪色も雰囲気も十年以上の時を共に過ごしたオレが間違えるわけもなく。


 気付けばオレは小刻みに震えていた。あふれる涙も、止められないまま。


「信太郎ッ‼」


 生きていてくれた。ただそれだけで込み上げるものがあって。


 これだけの死を前にして、なんて身勝手なのか。


 心のどこかで声がしたのに。それでも、オレは駆けていた。


「今、助けてやるからな」


 手首を縛る鈍色に手を掛けた、そのとき。


「その声、もしかして、光一こういち……?」


「気が付いたか? もう大丈夫だ。さあ、一緒に帰るぞ」


「待って……周りに、誰かいる、でしょ……?」


 言葉の意味するところを考えて周囲を警戒する。しかし敵影らしいものは感知できない。


「ボク……、どうしてか、今、目が見えなくて……」


「信太郎?」


 嫌な予感が胸を刺す。まさか、そんなはずない。


「ねぇ、光一。悲鳴が聞こえたんだ。ここから出してって……助けてって……」


 加速する予感が、現実味を帯び始める。施術後、〈実験体〉は何らかの身体機能がうまく働かないことがあるらしい。オレの場合は味覚だが、聴覚や視覚なども充分に考えらえるわけで。それはつまり……。


「ねぇ……ボクはいいから……まだ生きている人を、助けてあげて……」


「バカ野郎、お前だってまだ生きてるだろうが⁉」


「わかるんだ……ボク……もう……」


「ッ⁉」


 うつむいていた顔がゆっくり上がって。瞬間、オレは言葉を失った。


 誰よりも助けたかった男の顔に浮かんだのは、傷痕きずあと


「信太郎……まさか、お前も……⁉」


 腹には黒いベルト。その中央に輝くエメラルドグリーンの鉱物は、おそらく〈獣核ゲノム・コア〉。オレの赤色のものとは違うが、きっと同じ性質を持った悪魔の力。それを生み出す源泉。


「光一……お願い……」


 今にも消えてしまいそうな声が、その白くなってしまった瞳が、この胸に刺さる。


「泣いている人たちを……笑顔に……」


 遅すぎたのか。オレが呑気のんきにしていた間に、こいつはずっと泣いていたっていうのか。誰かが切り刻まれる声を聞きながら、助けを求める声に応えられない自分を呪いながら。自分だってこんな目に遭っていたというのに。


 それでもまだ、誰かのためにと言えるのか……。


 許せない。こんなことをする連中は、一人残らず……。


『少年、後ろだ‼』


「ッ⁉」


 脳内に響いた声と同時に、右肩を刺したのは激しい痛み。この数日間に鍛えられた身体が何とか回避行動を取っても、毒が注入されたのは間違いなくて。


 コンマ一秒でも遅ければ致死量の毒を受けていたことよりも。まったく気付かないうちに背後を取られていたことよりも。


「お前……、あの時の……!」


 目の前の敵が憎かった。この黄色と黒のストライプ。忘れるわけもない。信太郎を連れ去った〈実験体〉で。


 人質を助けられる最大のチャンスに現れたこの仇敵きゅうてきに、ドス黒い感情が渦巻いて。


 瞬間、地面が消える。ふわりとした浮遊感の後に来るのは当然、落下による負荷。転げまわりたくなるほどの痛みだが、それでも何とか体勢を立て直す。


「なんだ、ここは……」


 オレ一人だけを通過させた落とし穴の先には、大きな空洞だけが広がっていた。まるでテレビで見た西洋の城、そのダンスホールといった見栄みばえで。


 天井のシャンデリアから降り注ぐ青白い光が不気味にその空間を照らしていく。




「ねぇねぇー、君も〈アンチ〉なのー?」




 この場に似つかわしくない声がした。子どものように中性的な音域。しかし、その響きがはらむのは、温かな血の通う人間とは思えないほどの異質さ。


「赤マフラーっていつも単独で行動するって聞いてたのに、まさか前線に出てくる協力者がいたとはねー」


 シャンデリアの上から飛び降りてきたのは、ピエロの仮面をした誰か。十メートル近くある天井から何の苦も無く着地を成功させるのは道化師だからか。


 いや、そんなわけがない。


「お前が……〈スポンサー〉なのか?」


「え、僕ちゃんは〈ゲノム・チルドレン〉だけど? 知ってて来たんじゃないの?」


 ゲノム・チルドレン。何を言っているのかわからない。もしかして何かの暗号か。


 だが、一つだけ確かなことはある。こいつは、ただの人間なんかじゃない。


「お前が〈組織〉を動かして、あんな〈実験〉を進めさせているのか?」


「えー? 赤マフラーと同じタイミングで乗り込んできたから、てっきり僕ちゃんを殺しに来た〈アンチ〉だと思ったのになぁ……つまんねー」


 細い指を鳴らすのが見えた。そこから伝わる音の波紋が、どうしてか胸を締め付ける。


 不意に、背中を刺すような殺気を感じて、思わず横へんだ。


 さっきまで立っていた場所には、両腕に鋭利な刃物を備えた怪物。見覚えがある。オレを殺したカマキリの〈実験体〉と同じ姿。


 思わず歯噛みする。師匠が倒して間もなく、新しいのを造り出したのか。クソッタレ。


「おっと、そっちにいるのはー、誰でしょー?」


「ッ⁉」


 避けた先には、影がもう一つ。背中から突き出した四本の脚、その形状からして蜘蛛くもの〈実験体〉だと推測できたときにはもう遅かった。


「ぐ……⁉」


 その口から吐き出された鋼鉄の糸がオレの身体を絡めとる。仰向あおむけに倒れたまま、抜け出すことも叶わないなんて。このワイヤーには電気でも走っているのか。それともさっき注入された毒が効き始めているのか。


 身体の自由が利かない。念のためにと装備していた防弾チョッキが重たく感じるほどで。


 そこで初めてオーナーとの連絡もつかなくなっていることに気付く。ここが深すぎる地下だからか、それとも今の状態が原因なのかもわからない。


「いやー、でも赤マフラーも大したことなかったなー。あんな簡単な罠にかかっちゃうなんてねー。もっと面白い相手かと思って期待してたのに……がっかりー」


 近づいてきたピエロ野郎を、必死ににらみつける。


 あの師匠がやられるわけがない。こいつの言っていることはハッタリだ。


「嘘だと思ってるー? いいよ、教えてあげる。使えない〈素体〉の体内に爆弾を仕込んでみたんだ。赤マフラーが侵入してきたルートに突き当たるように放り出したら、あいつ近づいて行って……」


 手の動作だけで爆発を示す道化師、その仮面の下からのぞく瞳が、わらう。


 ダメだ、口車に乗せられるな。連絡を取ればわかる。そうすれば師匠がやられていないことなど、はっきりするはずだ。それでも脳から送信する呼びかけに、師匠やオーナーからの応答がない。


 その停滞する現実が余計に焦りと冷や汗になって、込み上げる不安は止まらない。


 あの人が死ぬものか。殺されても死ななさそうなほどに強いことなど、この数日間の訓練で身に染みている。攻撃をかわし、いなし、威力を殺したうえで反撃する男。軽口を叩きながら劣勢をくつがえす不死身の男だと聞いたじゃないか。


 それなのに、どうしてオレはこんなにも……。


「今ねー、僕ちゃんのこことリンクした奴が発見したみたい。うわー、ぶっざまー!」


 指で頭をつつく仕草で、視覚的な情報を他の〈実験体〉と共有しているらしいことは容易に読み取れて。


「あれ、逃げようとしてる。りすぐりの十体を相手に逃げ切れるわけないのにねー?」


 想像したくもない光景が脳裏をよぎる。傷を負った師匠が、連絡もつかないオレを探して動き回って。おまけに敵は多い。その包囲網をくぐっていこうとするならば、どれだけの苦しい戦局になるか。


 道理で、重火器で武装した戦闘員が見当たらないわけだ。このアジトには、一体でもそれを優に超えた戦力を保有する〈実験体〉が、十三体も揃っていたのだから。


「どうして、こんな残酷なことを……⁉」


 漏れ出したオレの声。怒声にもなれない、弱々しい批判。


 そんなものに耳を傾けた道化師は、大きく指を振った。


「これが残酷? この程度が? ふふ、冗談じゃないよ。僕たちが受けた残酷に比べれば、まだまだ、ぜーんぜん、足りないよ」


 笑っているのは上辺の言葉だけ。その奥に感じるのは、深い憎悪。誰かれ構わず取って食いかねないほどの、覆しようのないほど大きな敵意。


「あーあ、それにしても使えない〈素体〉ばっかだよね。今回はハズレかなー? 〈スポンサー〉が欲しがってる〈当たり〉もいなかったしさー」


 抑揚のない声でつむがれる、あまりに身勝手な落胆の言葉。こいつは、その意味を本当に理解しているのか。


 拉致監禁した相手が想定していたものではなかったなどという不遜ふそんを。そのせいで自分が不利益をこうむったなどという傲慢ごうまんを。他人の幸せを踏みにじっておきながら、それをさも当然のようにしている、その罪過ざいかを。


「僕の〈コア・リンクシステム〉に接続して動けているのは、合計で十三体。残りは使えないゴミばっかり。もう、どうせ殺処分するんだし、せめて面白おかしく死んでくれないと割に合わないよねー」


 何だと。まさかあいつも……信太郎をも殺すと言ったのか。


 自分だって苦しいはずなのに、それでも誰かの笑顔のためにと願ったオレの親友までも、生きるに値しないゴミだと言いやがったのか。


「……さない」


「え、なにー? なんか言ったー?」


 もう、無理だ。こんなもの、耐えられるわけがない。


 沸き起こる感情に呑まれるまま、オレは拳を握って。


「お前だけは、許さない……!」


 毒素だろうが電磁波だろうが、関係ない。こんな悪夢に黙って殺されるくらいなら。


「ミッションコード……」


 口にしたのは師匠とオーナーから禁じられた、言葉。人間をてて、悪魔に成り下がることを決める呪文。


 そうだとしても、口に出す。出さねばならない。


「変身……‼」


 稲妻が駆け巡るのを感じた。ベルトに埋め込まれた〈獣核ゲノム・コア〉が散布するナノマシンが、腕を、脚を、胴を、脳を、心までも、それまでのオレとは違うものへ変えていく。


「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 励起れいきした身体が、声の限りに叫ぶ。


 怒りに任せた激情の咆哮ほうこうを。涙の代わりにあふれ出す殺意の濁流だくりゅうを。


HOPPERホッパー


 拘束を無理矢理に引き裂いて、び上がる。ナノマシンが張り付いたことで強化された網膜が自動で敵に照準を合わせていく。


「りゃぁッ‼」


 天井を蹴り飛ばしての急転直下。まずは蜘蛛くもの〈実験体〉、その頭蓋ずがいめがけて拳を叩きつける。


 直前で口を開いていたように見えたが、もう関係ない。こちらを止めようとしたなら、あまりにも遅過ぎる。


 敵が吐き出そうとしていたものが血反吐ちへどと一緒に宙を舞うのを視界の端に感じながら。この眼球は次の獲物に狙いを定めていた。


「へー? 君は〈アンチ〉じゃなくて〈実験体〉の方だったってわけだ? いいね、おもしろーい‼」


「命令受信……処分!」


 ターゲットに被さるように飛び込んでくる深緑の肉体。両腕を振り上げる動作は、取り付けられた刃を展開するためのものか。


 だが、遅い。


HOPPERホッパー


 武器を振り下ろす間も与えずに、がら空きの胴体にタックルを叩きこむ。床を転がった敵を蹴り付けて、再び跳ぶ。


――殺してやる。


 頭の中を占めるのは、たったそれだけの思考。いいや、殺意という名の本能。


「おっとっとー♪」


 苦しげもなく跳びはねる敵に、拳を振りかざす。空を切ろうが地面をえぐろうが、止まってやる理由にはならない。


「ほらほら、二対一だよー? どうするー?」


 背後と真横から、潰したはずの〈実験体〉たちが飛び掛かってくるのを感じる。鋭利な二対の刃と、動きを封じる鋼鉄のワイヤー。


「ッ……!」


 バク転の要領で跳び上がって、こちらを捕縛しようと飛んできた鎖をかわす。


 狙っていた獲物を見失った糸が、味方に向かう。それを断ち切るカマキリの斬撃。見れば蜘蛛の方がこちらに照準を合わせ直している。


 これ以上、こんな連中に邪魔されると面倒だ。二体とも潰してやる。直感的に決断し、ベルト横のボタンに手を掛ける。


「邪魔だ……!」


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 敵が危険を察知し、顔を上げた瞬間には手遅れ。そのおぞましいカマキリの仮面に炸裂したのは、かかと落とし。その反発を利用しての錐揉きりもみ回転ジャンプ。


 あまりの速度に対応しきれなかったのか、視線を右往左往させていた八本脚がようやくこちらを捕捉した。


「消えろ……!」


 その顔面に、武装を積んだこの左足がめり込んでいく。〈バッタ〉の跳躍力ちょうやくりょく、それを生み出す反発力が、今度こそ糸を吐き出すばかりの頭蓋骨を吹き飛ばす。


「うわ、すごーい! てかさ、よく気付いたね? 〈コア・リンクシステム〉が〈実験体〉の脳に埋め込まれた僕ちゃんのナノマシンで作動しているって」


御託ごたくはいい……次はお前だ」


 痙攣けいれんしながら地に伏せる二体が、もう起き上がってこないことは確認するまでもない。


「じゃあ、次はこの子とも遊んであげてねー?」


「⁉」


 不意に天井から気配を感じる。見上げた先には、黒と黄色の〈実験体〉。すかさず身をひるがえすと、そいつが手にするレイピアがさっきまでオレのいた地面を穿うがって。


 だが、あふれ出した毒液に溶かされるコンクリートよりも、この感情の方がどろりとした心地だった。


「お前……‼」


「命令受信……刺ス、殺ス……刺殺!」


 細剣を構え直すかたきが発するのは、まるで機械のように生気のない声。女のものであること以外、わからない。いや、わかろうともしなかった。


――殺してやる。


 まただ。脳裏を声が占拠する。しかし、それにあらがう気など起きず。むしろ、その感情を正しいとさえ思えた。


HOPPERホッパー


 距離を詰める。そんな毒など恐れるに足りないと、突き出された剣先を掴んで。軌道を変えられた装備に気を取られている相手を、右脚で思い切り蹴り飛ばす。


「おわー、バイオレンスー♪ いいぞ、もっとやれー!」


 苛立いらだちを覚えて振り返れば、道化が面白おかしく笑う声。吹き飛んだはち女がどうなったのかなど、もう考えもせずに。


「今度こそ……‼」


 拳を握る。今のオレは、もう人間ではないのだから。たとえ化物と呼ばれようとも構わない。ただ、邪魔をする敵を殺す「殺戮兵器」となるだけ。


 すべては、この悪夢を造り出した悪魔を叩き潰すために。


「刺殺……!」


「ッ……⁉」


 右肩に痛み。それが蜂を模した〈実験体〉が起こした決死の反撃だと気付いた時には、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。


――殺してやる。


 左手が右肩に刺さった武器を引き抜いて、そのまま力の限りに放り投げる。毒が流れ込でいるとわかっているはずなのに、おののく相手のか細い首を右手で締め上げて。そのまま勢いと重力に任せて地面に叩き落とした。


 そうして腹の上にまたがって。


「お前のせいで……あいつは……信太郎は……‼」


 殴る。殴る。殴る。


 抵抗しようとしたのか、手足がばたついたのは感じたが。オレの腕は止まらなかった。執拗しつようなまでに殴りつけるうちに、相手は何の抵抗もしなくなっていく。


「殺してやる……殺してやる! お前らなんか、一人残らず、殺してやる‼」


 蜂の意匠を帯びた仮面が、割れる。


 中から現れた顔を視認した途端、振り上げていた拳が、止まった。


「はおん……さん……?」


 くるりとウェーブのかかった黒髪も、ほおに点在するそばかすにも見覚えがあった。親友が探そうと言った、六月になってから姿が見えなくなったという友人。


 葉音はおん智那ちなは、そこにいた。


「刺……殺……」


「なんで……君まで……」


 口にしてから気付く。何のことはない、順当な話。


 行方不明になった人間は、〈組織〉にとって〈実験〉の材料。いなくなった時点で、連中の手で〈実験体〉にされることは決まっていて。


 何も不思議なことなどない、至極当然の話だった。


「オレは……何を……」


 震え出したこの拳にしたたる赤黒いもの。鋼鉄より硬くなった拳で打ち続けられた少女のうつろな瞳が、訴えかけてくる。




――殺すの?




「違う……そんなつもりじゃ……君を、殺したくなんか……!」


 弁明など何の意味も持たないのに。どんなに声を張り上げようとも、いくら顔を背けようとも。


 こうして彼女を傷つけたオレに、言い訳なんてできるわけもないのだから。


「あーあ、そういうの、つまんないよー」


「⁉」


 振り返った瞬間には、もう遅かった。肩を掴まれ放り投げられる。地面に背を打ち付けられた瞬間、痛覚が戻ってくる。ダメだ、早く態勢を立て直さなければ。


 そんな思考をさえぎって、立ち上がる間もなく足蹴にされた身体が、悲鳴を上げた。


「このベルトのが〈獣核ゲノム・コア〉かなー? よし、じゃあ、いってみようー!」


 ピエロの左手が淡い光を放つ。虹色のそれはまるで炎のように揺らめいて。しかしその輝きが、身体に埋め込まれた〈獣核ゲノム・コア〉へと押し当てられた瞬間。


「ぅ……ぁがっ……ぁあああああああああああああああああああああああああッ⁉」


 神経を焼き切られるような痛み。それは脳髄のうずいへと渡って、この思考をも燃やし尽くそうとして。叫んでも痛みは軽減などできるわけもなく。


 ただただ、望まない殺意だけが増幅していくのがわかった。


 ああ、きっとこれは罰だ。師匠たちの言いつけを守らずに禁じ手を使ったから。泣いている誰かを助けてほしいと願った親友の想いをも踏み付けて、憎悪と殺意に呑み込まれたから。


 そんな愚かなオレへの、罰。


「ほらほらー、苦しいなら我慢しないでいいんだよー? もう思いっきり〈獣化〉しちゃいなよー? 暴れたいんでしょ? 殺したいんでしょ? なんなら誰かを食べちゃってもいいんだよー?」


 聞こえてくる言葉が、ダイレクトに脳を痛めつける。


――殺したい。


 そんなこと、望んでいないはずなのに。


――殺したい。


 違うと叫びたいのに。


――殺したい。


 ダメだ、もう……オレは……オレでなくなる……。




「ライジング旋風キィーック‼」




 聞こえた声で、我に返る。こんな場違いな技名を叫ぶのは、この街でただ一人。


「え、ウソ、赤マフラー⁉ あの状況で生きてるとか、ヤバーい⁉」


 驚いているのか喜んでいるのか、道化師は立ち上がってその姿を探す。その真横に降ってきたのは、肉塊にくかい。おそらくは〈実験体〉だったのだろう何か。


「えー⁉ そりゃ遠隔操作だったけど……、ってマジで⁉ 十体とも〈獣核ゲノム・コア〉ごと割られてるじゃん……、うわっとっ⁉」


 敵が退すさる。ぼやけた視界に飛び込んできたのは、赤いマフラーを巻く真紅の死神。


「そんなもんかい、ピエロちゃん?」


 混濁こんだくする脳でも理解できた。劣勢をくつがえした師匠が来てくれたのだと。この悪党を討つために。そして傷つけられた誰かの無念を晴らすために。


 だが、次第に焦点が合わさっていくにつれて、見たくないものまで視えてしまった。


「師匠……⁉」


 脚の武装は瓦解がかい寸前で。両腕のひじ、その機械化された部分から火花が散っている。仮面はところどころひびが入って。指先からは、赤い液体がしたたり落ちていく。ベルトに至っては半壊して、崩れかかっていて。


「あれあれ? もうボロボロじゃーん! ねぇ、そんな状態で戦えるのー?」


「おいおい、ピエロのくせにそれでジョークのつもりかい。今からお前も叩き潰してやろうってんだ。尻尾しっぽ巻いて逃げるなら今のうちだぜ?」


 ハッタリだ。もう戦える状態じゃない。そんなの誰の目にも明らかなのに、言葉だけが虚勢を張っている。


「ふーん。まー、本人がそう言うなら、いっか?」


 えつに浸ったような声が、空間を支配するのを感じながら。師匠の仮面の下からは、生唾なまつばを飲み込む音だけが聞こえていた。


「ミッションコード、変っ身!」


 一瞬にして黒い炎が道化師を包む。その中から現れるのは、さっきとは打って変わっての三メートル近い巨躯きょく。昆虫とも恐竜とも取れない怪物の姿はいびつで。その顔には細長い触覚が二本と、赤い瞳。泥のような体色が、太く長い尾の先まで浸透し。あふれ出す蒸気が、その肉体の高温を伝えてくる。


「へぇ……ザコキャラばっかのアジトで、最後の大ボスはエイリアンときたもんか」


 満身創痍まんしんそういのはずの師匠はそれでも笑う。


 そこからは地獄絵図のような戦闘。ほとんど師匠の防戦一方。


 右手や口から火炎放射を繰り出す敵。その圧倒的な攻撃力を持つ怪物へ果敢に向かいながら、しかし決定打らしい一撃も放てず。避けては攻めようと近づいて、それで反撃されてまた避けて。そんなことの繰り返しが続く。


『バイクに乗れ!』


 脳がメッセージを受信する。そこでようやく気付いた。師匠はただ闇雲に戦っていたわけではなく、あの化物をオレから引き離すための行動だったと。


 刹那せつな、師匠の愛機がこの戦場に飛び込んで。


HOPPERホッパー


 残された力のすべてをつぎ込んで、ぶ。強引に操縦席を占拠し、ハンドルを握る。注入された毒のせいで右腕はもうまともに動かないが、構うものか。しびれていようが、掴んでさえいればいい。


「うわぁあああああああああああああああああ‼」


「はぁー⁉」


 当惑した声を出す敵にバイクで突っ込む。モンスターマシンの加速がこの身をひねり潰さんばかりの重圧を与えてくる。しかしそれは同時に、敵への衝撃も相当なものとなる証だ。


「んん……もー! 邪魔すんなよ‼」


「な……⁉」


 駄々だだをこねる子どものような叫びと共にマシンをはじき返し、敵は上空へと跳び上がる。この威力でひるませることさえできないなんて。


「上出来だぜ……少年!」


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 声と同時、頭上の光がさえぎられて。そこに視線を向けた敵の瞳が見開かれたような錯覚。


「うぉりゃぁああああああああああああああああああああああああ‼」


「あがぁああああああああああああああああああああああああっぁ⁉」


 宙を踊る赤いマフラー。怪物の腹部を貫く真っ赤な左足。


 壁まで吹き飛ばされた怪獣と、着地もままならずに倒れ伏した死神。


「師匠……、ッ⁉」


 マシンが勝手に起動を再開する。ダメだ、師匠を連れていかなければ。早くオーナーのところに戻って、手当てを……。


『来るんじゃねぇ……!』


 震えながら立ち上がる彼は、振り返ることもなく脳波で信号を送ってくる。


『悪ぃな。お前さんとは、ここでお別れだ』


 この暴れ馬と同じように、師匠まで壊れてしまったのか。


 しかしその瞬間、視界の向こうで何かが動くのが見えた。そこはさっきまで戦っていた相手が倒れているはずの場所で。


 まさか、生きているのか。あの一撃を喰らって、まだ……。


『少年、オーナーのとこへ行け。おれはこいつらとかなきゃなんねぇ』


 不意に、悟ってしまった。


 師匠の〈獣核ゲノム・コア〉が、今までとは違う波動を放っている。


 修行ではなく実戦だから……ではない。きっと壊れかけたベルトで無茶をしたせいだ。それが押し止めていた〈獣化〉を引き起こそうとしている。


『安心しな。ちゃんと自爆装置があるからよ』


『ダメです……師匠がいなくなったら、オーナーはどうするんです? 〈スポンサー〉を追い詰めるのは? 誰が、この街を救うんですか……⁉』


 会話が途切れる。それが師匠の意識がなくなったのを意味するのか、それとも答えを探しているだけなのかも、わからなくて。


「ギャハハハ! ねぇ、赤マフラーくーん? それで勝ったつもりー? 君たちみたいなザコが、僕を殺せるわけがない! こんなの、すぐに治っちゃうもんねー! やれるなら攻撃してきてもいいよー? 代わりに、回復したら数億倍返しだけどー‼」


 下品な声がこだまする。本当にあれだけの威力を受けても、まだ回復できるのか。だとしたら、もうどうやっても……。


「最後だから教えておいてやるよ……」


 脳波ではない、声帯を通した音の波が届く。それが意味するものは、敵への通告か。


「赤マフラーが必ず〈スポンサー〉を追い詰める。お前らがどれだけ強かろうが、どんな〈実験〉をしてようが、関係ねぇ……」


 待て。これは敵に向けた警告か。いや、そうじゃない。


「誰にも消せないたましいなら……ここにある」


 これは弱すぎる弟子に向けての……オレへの言葉。


 そう思えた刹那せつな、マシンが出口を目指して急発進する。おそらく、師匠の命令を忠実に遂行しているに過ぎないのだろう。しかしオレにはこの愛機が、彼の意思を尊重しているような気さえして。


 瞬間、背後の景色は爆発が生み出した炎の海におぼれていく。師匠の〈獣核ゲノム・コア〉を破壊するための装置が作動した証拠か。あるいは敵が仕掛けておいた爆薬が誘爆でも起こしたか。


 ひらりと、視界に映ったものをまだ動く左手が掴んでいた。


「あ……」


 血赤のマフラー。この街で自由を奪われた人々を想い、とむらいのために戦った男の象徴。込められた想いのすべてが、そこにはあって。


 慟哭どうこくは、エンジンの轟音とアジトの崩れ落ちる音にき消されていく……。





『少年! おい、しっかりしろ、少年‼』


 耳鳴りのような誰かの声に、重たいまぶたをゆっくり開く。


「ここは……」


 雨の中、砂浜に投げ出されたらしい。


 どういう経緯だったかをぼやけた脳で確認していく。確か祖父を探しているという少女、笹瀬川ささせがわ翡翠ひすいが店に来て。それでオーナーが見つけた灯台を目指して、バイクを走らせて。辿たどり着いた場所で、襲撃を受けた。そこで反響していたのは、誰かのわらい声で……。


「ピエロ……!」


 思い出すのは、道化師の仮面をつけた敵。〈スポンサー〉に近しいと思われる〈実験体〉で、一年前に師匠が自爆してまで道連れにしたはずの強敵。


『少年、撤退しろ』


 頭に響く声は、オーナーのものにすり替わる。


 そうだ、あの笹瀬川翡翠という少女は、オーナーの恩師の孫娘だと言っていた。待て、ならどうして撤退なんて。


 動きを止められたあの時、無意識に彼女に付かせていたらしい〈クモ〉からのデータを受信する。良かった、まだ彼女の生体反応を検知できる。


 生きている。


「オーナー……、笹瀬川博士とお孫さんを、助けに……」


『さっき見ただろ……あいつは一年前、君の師匠が相打ちにしたはずの敵だ。〈ネクロ〉のように復元したのか、それとも死んでいなかったのか……。どちらにしろ、これは罠に違いない。笹瀬川先生のことは……諦める』


「ダメです」


『君にそれを決定する権利はない! この〈組織〉のオーナーは私だ‼』


 怒号の意味を、オレは知っている。


 もう失いたくないのだと。オレが行っても勝てないと、殺されてしまうからと。

だが……だからこそ。これ以上、彼女から奪わせてはいけない。


「行きます」


『わからないのか⁉ あの強力な毒素の除去に君はナノマシンを大量に消費した。変身はできても、十全な状態では戦えない……勝てないんだよ‼』


「このエゴを貫かないなら、死んだほうがマシです」


 脳波の向こう側で、息を呑む声。それに重なるように愛機が自動操縦で駆けてくる音。一緒に来てくれるか。師匠を見殺しにしたオレに尽くしてくれるなんて、律儀りちぎな奴だ。


 またがったマシンの上で、そっとふところを確認する。


 あの七夕に遺してもらった大切なもの。二度と自らの〈獣〉に踊らされずに戦うための、誓いの証。



「師匠……あなたのたましいは、まだここにありますか……?」

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