EP04-伍:想いの泪と秘めた怒りと


 サイボーグ。


 人体を切り刻み、その内部構造を変えて、制作者にとって都合のいいような存在を造り出す行為。造り変えられる側のことなど二の次となる禁忌きんき。科学を学び尊ぶ者にとって、おおよそ看過してはいけない悪には違いない。


 それでも私はその罪過に手を伸ばした。


 理由の半分は、同居していた男が助けてほしいと叫んだから。だがもう半分は、私自身の強欲さだったのかもしれない。


 助けたい、などという善意ではないのは確かだった。自らが設計した〈実験体〉としての力を存分に振るう男を間近に見続けてきたからこそ。今度こそ自分の手で創り出したい、そう心のどこかで思っていたのかもしれない。そう考えるとしっくりくる。


 理想としてきた「宇宙空間でも生存可能な人類」をこの手で創り出したいという欲求。そういうものに突き動かされていたと今なら思える。


 後悔先に立たず。そんな言葉が浮かんだのは、目覚めた彼の敵意と言葉を目の当たりにした後だった。




信太郎しんたろうはどこだ⁉」




 仄暗ほのぐらい施術室に見えたのは、叫ぶ少年の姿。


 死の淵から生還こそしたものの、改造されてからまだ二十四時間と経っていないはずで。神経と脳との接続調整も終わっていないから、ろくに動くこともできないはずなのに。


 だが現実には、震えながらも立ち上がる少年がそこにいて。


 彼をこんな場所に連れてきた男の胸倉を掴んでいた。


「オレなんか助ける必要、なかったのに……」


 無理な動きがたたったのか、ずるずると重力に引きられていく少年は、むしろ何かにすがりつくようですらあった。その瞳には薄く光るしずくが溜まっていく。


 ああ、私は彼に残酷なことをしてしまったらしい。そう悟った時には、もう遅かった。


 結局その日、彼はそのまま死んだように眠ってしまって。財布に入っていた学生証から調べた彼の事情。それを知って愕然がくぜんとしたのを今もはっきりと覚えている。


 まだ五歳の頃に両親と事故で死別し、同時に笑顔さえも失ってしまった少年。それが、私が改造施術の被験者にしてしまった南野みなみの光一こういちという人間だった。


 あかつきという家は、割と裕福な家庭で。そこに落ち着いた彼にとって、連れ去られた信太郎くんは便宜上の兄らしい。


 おおよそ天才肌だった信太郎くんは、成績優秀でスポーツ万能だったことも確認できた。どこの〈組織〉が狙ってもおかしくないスペック。


 そしてたまたま一緒にいた南野光一という少年は、連中に選ばれなかったために殺されかけた。


 最悪なのは、二人が襲われた日のもう一つの事件。彼らの住まう曙家が火事に遭ったという一件だった。


 最も可能性が高いのは、信太郎くんを連れて行った〈組織〉が不要とみなしたその家族を抹殺したという線。いないはずの息子たちの死体もでっち上げられていたのだから、ほぼ確実だろう。


 改造から二日。私の地下研究室で、施術用の台に腰かけた彼がそのすべてを聞いた時。


「なんで……オレを助けたんですか」


 ぽつりとこぼれだした言葉に、私は息を詰まらせた。


 両親をうしなっているのは私も同じだし、施設にいたことがある経験も共通する。それでも彼にとって、あの家族は特別だったのだろう。そう思えるほど、集めたデータの中に在った曙信太郎という少年の瞳は輝いていた。


 対比するように、彼の瞳からは一切の光は視えなくて。


「殺してやる……」


 不意に聞こえた声に、背筋が凍りそうだった。殺意という言葉さえ生ぬるく感じるほどの、静かな憤怒ふんぬ。もし改造された身体と脳が完全にシンクロしていたなら、あの瞬間に私は死んでいたかもしれない。


 だが。


「お前さん、名前なんて言ったっけ?」


「……」


 鋭い視線が、彼を助けた男に向かう。


 ほとんど赤色に近い茶髪はぼさぼさで、暑くてもレザージャケットを欠かさない男。記憶喪失のせいで名前を知らないから、私は「お前」とか「バカ」とか、いろいろと呼んでいたが、この一瞬だけは本物の馬鹿野郎かと思ったものだった。


「南野光一か。うん、良い名前だな、少年。おれは好きだぜ♪」


 調べるのに借りていた学生証を、私のデスクから拾い上げて笑う。その瞬間さえも殺意を向けられているのがわかっているくせに。それでも笑顔を崩さない男に、私は内心冷や冷やしていた。


「おれを恨みたきゃ、好きなだけ恨めばいい。なんなら、おれを殺してくれていいぜ?」


「……?」


 いぶかしんでいるのが伝わる視線。それが殺意から「理解できないものに対する視線」にすり替わったことはわかる。だが、それだけでしかない。私には、少年にとって何の救いにもなっていないように思えた。


「ただな、殺すと言ったからには責任もってやれよ?」


 まるで表情を変えずに告げる言葉に、心臓が止まりかけた。おそらく、それは施術台にいた少年も同じだったようで。


「どうした、殺すんだろ? なら覚悟を見せてみな」


 瞬間。


 息を呑む間もなく飛び掛かったのは、改造されて時間の経過が足りない身体をまだ操れるはずもなかった少年。


 同時に、襲われた側が不敵な笑みを一切として崩すことなく、その強襲を制圧するのも一瞬だった。


「ぐ、ぅ……⁉」


「そんなもんかい?」


 床に組み伏せられて、抜け出そうとすればするほどに苦しむ少年は憎しみに顔がゆがみ。


 対して、ジャケットのほこりを払いながら飄々ひょうひょうとしたままの男が浮かべるのは微笑びしょう


「わかるものか……あんたなんかに、オレの気持ちがわかってたまるか‼」


 そこからは幾度となく咆哮ほうこう。それが徐々に、嗚咽おえつ慟哭どうこくへと変わっていく。


 どれだけ親友に助けられたかという想い。寂しいと思う暇も与えてくれないほど、たくさんもらった温かな時間の大切さ。いつだって泣いている誰かの味方になりたいと口にした彼の勇気と正義感への秘かな憧憬どうけい


 何より。


「あいつがいてくれたから……誰かの笑顔を見ていたいと思えたのに……」


 自分がもう二度と笑えないかもしれないほど、心に傷を負った少年が。しかしその笑顔を浮かべる人々をねたむでも嫌うでもなく。


 ただ、その尊さを守りたいと願っていた。


「オレじゃなくて……あいつが、助かれば良かったのに……」


 改造された身体から流れるのは、生物本来の純正な涙でないと知っていても。それは確かに、見ているこちらまでもらい泣きしてしまうほどに透明で美しいしずくで。


 その軌跡を映すほお……人工皮膚に透けて浮かび上がっていたのは、傷痕きずあと


 改造された身体を励起れいきさせた影響だとわかっていても、その原因である私には、とても消しようのない大きな傷に見えてしまって。


 彼を生かすべきじゃなかった。見殺しにしておけば、こんなに苦しい運命を知ることもなかったはずなのに。


 それなのに。


「お前、最高!」


 男は声を上げて笑った。


「自分じゃなくて誰かが笑顔になるなら良い……か。少年、最高じゃねぇか!」


 そのとき視えたのは。ふとした瞬間にしか視られない、こいつの瞳の向こう側。笑顔という仮面に隠した本心。


「なあ、少年? 誰かの笑顔のために、その誰かを殺せるか?」


 笑っているのは、顔だけ。見ればそこにも、少年と同じような痕が浮かんでいるのが見えて。それが爆発寸前の感情をこらえているときに現れるものだと知ったのは、いつからだったか。


 顔で笑って心で怒る。こいつは、そういう男だった。


 その表情と雰囲気から、言わんとすることは伝わったのか。少年は生唾を飲み込んで、ただ同じ傷痕を持つ男を見つめていた。


輪廻りんねってあるだろ? ほら、仏教の考え方。死んだら来世があるよってアレだ」


 少年の目の色が変わるのが見えて。それだけで、彼にとって特別な思い入れのある単語だったのかもしれないと邪推はできた。


「けど、こいつは……〈獣核ゲノム・コア〉はそれを許してくれない」


 上着のファスナーを下ろして見せた腹部。そこに現れたベルトに埋め込まれた赤い輝きに、ぐな視線がくぎ付けになっていく。


「殺した〈実験体〉に埋め込まれた〈コア〉を壊すと、いつも、ぽぅっと透明な珠が空に飛んでいくのが視えるのさ。それ、なんだと思う?」


「……たましい?」


「気が合うね。おれもそう思う。でも前にさ、砕かれなかった〈コア〉を回収されちまったことがあってね。そいつの魂、その中に取り残されているのが視えちまった」


「それって……」


「幻覚かもしれねぇ。おれは改造される前の記憶もないし、その改造も不完全らしいから、眼球か脳髄のうずいか、どっか悪くしているのかもなぁ」


 このお姉さんが言うにはねぇ、なんて肩をすくめて。どこか売れないコメディアンのような仕草はシュールに映った。


 それでも、当事者たちしか理解しえない孤独や恐怖が少年にも伝わったのか、敵対心で強張こわばっていた表情は徐々に氷解していく。


「たださ。空に還っていく人の顔は、いつも清々しいほど笑っていやがるんだよ」


「それは……解放されたから?」


「かもしれんし、違うのかもしれねぇ。ただ言えるのは、〈獣核ゲノム・コア〉を組み込まれた人間には自由なんてないってこと」


 仄暗い色が、男の瞳を占拠する。それは静かに燃える怒りのほのお。少なくともあの日の私にはそう思えて。


「だから、おれは殺す。正しい選択じゃないとしても」


「その人たちを……〈実験体〉にされた人たちを、助けるために……?」


「別に助けてるつもりはねぇよ。ただ、こいつに誓ったからな」


 小さく首を振った男がふところから取り出したのは、血赤のマフラー。いつも戦闘時にまとうそれを、私も不思議に思っていた。どうしてそんな無駄なものを巻いているのかと。


「おれさ、初めて人前で変身した時、こいつを首に引っ掛けてたんだわ」


「え?」


「寒かったんだよなぁ、冬場だったし。でな、変わり果てたおれの姿を見たチビちゃんがこう呼んだのさ。赤い外套がいとうの悪魔、って」


「それって、この街で昔から語り継がれている物語ですか。東北のナマハゲみたいな、子どもに良い子にしていろと言い聞かせるための、大して意味もないような……」


「そう。でも調べたら、二十数年前にもいたんだってよ」


 この街に隕石が落下した事件のせいで、たくさんの技術者が流入した過去。その折に裏のビジネスの気配を感じてか現れたヤクザだのマフィアだのテロ集団だの。そんな悪党連中におびやかされた誰かが言い始めたといううわさ


「血のような赤色をしたマフラーをなびかせて、それをまとった男が戦っていたんだと。それも不当に傷つけられる誰かに救いの手を差し伸べるため……らしいぜ?」


「そんな都市伝説みたいな話……」


「確かにさ、実態もない虚構かもしれねぇやな」


 けどなぁと一息置いた男は、珍しく切なげに笑って。


「泣きたいほど苦しんだ誰かが願ったのかもしれんぜ。神様も仏様も、正義の味方さえ来ないとしても。せめてダークヒーローにならなれるかもしれねぇって。なら誰かを救いたいという願いだけは嘘じゃないって思いたいね」


「そんなの……幻想だ」


「だからこそ、受け継ぎたいじゃん? そういう名前もない誰かの想いってやつを、さ?」


 赤い外套がいとうの悪魔。その話に本物がいるかは私もこいつも知らない。


 けれど、もし本当にいてくれたなら。こいつと同じような気持ちだったのか。


「それにさ、おれが殺される側の痛みを背負ってやるだけが救いじゃない。そいつらが殺したくなかった誰かの笑顔も……奪われずに済むかもしれねぇ」


「笑顔……」


 小さくつぶやいた少年は、何かを迷っている様子で。何を考えているのか、察しがついてしまうのは、一年間も一緒に戦ってきたバカな〈実験体〉の影響かもしれない。


「お前はどうする?」


 自分で床に叩きつけておきながら、しかし男はその手を差し伸べた。


「もし、その親友くんのかたきが取りたいなら、おれが手を貸すぜ? ま、ダークヒーローの薄汚い手だけどな♪」


 ジョークのつもりか、それとも本気か。けれども、傷ついた少年には充分すぎる強い腕だったのだろう。


「オレに誰かを助けられるとは思いません。でも、信太郎の分くらいは、仕返しをしないと収まらない」


「へへっ、良い返事だ♪」


 真顔の少年と、心の底から楽しげな男。対照的なのに、しかし手を取り合った二人はどこか充足した顔に見えて。


「そういえば、何とお呼びすればいいですか? 通りすがりのダークヒーロー……では、あまりに長いと思うのですが?」


「適当でいいぜ? どうせバカとかこいつとか、そんな風にしか呼ばれてないし」


 事実ではあるが、呼んでいる相手にそう説明されると、なんだか私が悪いみたいに聞こえる。いや、現実的に考えれば、全部こいつが悪い。こいつ実際にバカだもの。


「というか、どうしてダークヒーローなんて名乗るんですか?」


「だってカッコいいじゃん?」


 ちょっと落胆したような表情が見える。うん、わかる。こいつはそういうことをさらっと言えるバカなんだ。


「そんな理由で……?」


「いいんだよ、おれはダークヒーローで! 代わりに、笑っていてほしい誰かが笑っていられるんなら……おれは、それだけでいい」


 嬉しさ半分、儚さ半分。そんな色合いの笑顔。


 そんなものを見ただけで、ちょっとだけ苛立いらだつ心を感じる。なんで私はこいつとずっと一緒にいるのか。その理由のほとんどが、きっとこの顔にあるんだ。


 私の創り出した技術の初めての犠牲者。それを使って誰かを殺し、そして助ける大馬鹿野郎。ただ放っておけないだけだと思っていたのに。


 もしかして、これが恋愛未満の感情、というやつか。今まで研究一本だった私が初めて知った、誰かを大切だと想うこと。


 だから私は、こいつから目を離せないのだろうか……。


「では……師匠とお呼びします」


 ひとしきり考え込んだ挙句に出した少年の答え。思わず吹き出しそうになった私の前で、呼ばれた側は嬉しそうにびはねて、その肩を叩く。


「おう、我が弟子!」


 笑顔という仮面に、悪への怒り、そして死にゆく者たちへの安らぎを願う心を隠す男と。


 失くしてしまった笑顔に憧れ、それを浮かべる人のためにうれい、奪われた親友のために戦いたいと願った少年と。


 その奇妙な師弟関係が始まった瞬間は、互いに傷ついた心が生み出したエゴのかたまりで。しかしそれは結果として誰かの笑顔を救うかもしれない決断でもあった。


 私の生み出した技術の犠牲者たちは、どちらも傷ついている自分より傷つけられる誰かのことばかり見ている。文字通りのバカで。


 そんな二人がずっと一緒に戦っていけたらいいのにと思った私が、きっと一番のバカだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る