EP04-肆:別離と邂逅の追憶


信太郎しんたろう、本当にこんなところで目撃されたのか?」


 一年前の六月、その終わり頃。


 ようやく梅雨明けを感じられるような、綺麗な月の夜だった。けれどオレの心はうんざりとした気持ちだけで。


光一こういちも聞き込みしたでしょ? あの二人を見たって人が、ここだって言っていたじゃないか! もうここが最後の頼みなんだよ⁉」


 対して、家族同然に育った親友は憤慨ふんがいする。


 友と認識した相手は誰かれ構わず大切にするという困った男。それがあかつき信太郎しんたろうという奴だ。


 オレを育ててくれた曙家の嫡男ちゃくなんであり、便宜上はオレの兄。生年月日が完全に一致していることや、言動がどことなく子どもっぽいせいで、兄と思ったことは一度もないが。


「しかし、こんな薄気味悪い場所で見かけたってのが、もう怪談話じみてるだろ。本当に信用できるのか」


 今はもう使われなくなったトンネルの入口。月明かりが照らしてくれるからライトもけていないが、空洞の闇は入ったものを逃がすまいと漆黒を極めているようで。


「だから心配なんだよ! まことくんも、葉音はおんさんも!」


「まあ、二人とも夜遊びするような人じゃないのは認めるが……」


 思い出す二人の顔は確かに純朴じゅんぼくという言葉が似合う。


 一人は細身でノッポな優男やさおとこで、いかにも押しに弱そうだが育ちの良さを感じた。もう一人は引っ込み思案の女子、そばかすを気にしていたのかよく鏡を見ていたことを覚えている。


「ボク、悪い予感がするんだ。二人は何か困っているのかもしれない……」


「ここで止まっていてもらちが明かないのは確か、か……」


 手元に明かりを用意して。二人歩調を合わせて暗闇を押しのけて進んでいく。


 ことの発端は、六月初めから姿を消した友人たちのうわさだった。


 岡切おかきりまことと、葉音はおん智那ちな。大学オリエンテーションで知り合った彼らは、真面目という言葉がよく似合う人たちで。


 しかし、二人は突然に姿を消した。バイト先にも連絡がないという話を聞いて、信太郎のお節介な正義感に火が点いてしまったという次第で。


 学生であっても「消えた」ように見なくなるのは、この街ではさほど珍しくもない。あまりにも多くの技術者が集まった〈革新都市〉こそ、この黒銀くろかねという街だ。人の出入りは絶えず、中学校時代など転入生も転校生もざらにいた。


「ここ、何にもないね……」


「やっぱりここじゃないんだろ。ほら、行き止まりだ。流石さすがに今日はもう帰るぞ」


 朝から晩まで聞き込みなんて慣れないことを続けていたせいかオレは疲れていた。


 本来なら人探しは警察の仕事だろうが、親類からの捜索願が出されていない以上は探せないと突っぱねられて。


 それでも何かしたいと言い張るこいつに、オレは仕方なく付き合っていたに過ぎない。バカでお人好しなこいつが、変なことに巻き込まれないように。


「ちょっと待って光一。あそこ、誰かいる……」


 ライトを信太郎の視線の方へ向ける。だが、視界に人のような影などなく。ただの古臭いこけやらカビやらがこびりつく壁だけ。確か事故か何かで封鎖されたと聞いたが、もう随分ずいぶんと前の話だったはず。


「おい、誰もいないぞ?」


「いるってば。ほら、あそこ。光一だって、見えるでしょ?」


 不思議そうにこちらを見る親友の大きな瞳は、しかし不機嫌なオレを映しているだけで。


「あのな、信太郎? こんなところでふざけるな。こっちは疲れて……」


「ねえ……何か、聞こえるよ……なんだろう、これ……」


「おい、いい加減にしろ」


 気付けば信太郎の腕を強く掴んでいた。


 悪い冗談だと思った。夏の暑さが始まったから、てっきり肝試しのようなドッキリでも仕掛けているつもりなのだと。こんな時に不謹慎だと思わないのか、そう問いただしてやろうと力を込めた。


 だが、信太郎の反応はまったく別だった。


「ねえ……なにこれ……怖い……怖いよ……」


「信太郎?」


 掴んだ手から、信太郎の震えが伝わって。やっと冗談なんかじゃないと気付いたとき。


「……行かなきゃ……」


「は? おい、信太郎……どこに?」


 掴まれたままだというのに、構わず相方は歩き出した。その先には壁しかないのに。何が見えているのかも理解できないオレは、ただ直感に任せて親友の腕を引き寄せる。


「おい⁉ しっかりしろ、信太郎‼」


「……ゲノムの子……運命の者……選ばれし王……審判の日……」


「何言ってる、帰るぞ……おい、信太郎‼」


「……五月蠅うるさい……」


 突き飛ばされて、オレの手は振りほどかれた。


 十年以上も一緒に暮らしてきて、こんなにも強い拒絶をされたのは初めてで。


 その時、あいつの瞳が赤く光って見えたのは、どうしてだったのか。


「処分……処分……処分‼」


「⁉」


 起き上がったばかりの身体に、鋭い刺激が走る。背中だ。肩甲骨けんこうこつの下を、嫌な違和感が侵食していって。


「処分‼」


「……ぁッ⁉」


 トンネル特有の弧を描く壁。そこに打ち付けられたことしか、わからなくて。この場にオレたち以外の誰かがいて、自分が襲われたのだという意味を理解するまで時間が掛かりすぎた。


 どくどくと背筋からあふれてくる熱が、自分の血だと気付いたとき。


「逃げろ……信太郎ッ‼」


 反響する叫びは、しかし虚しく消えていく。


 あいつが進む先には、確かに誰かがいた。警戒色を思わせる黒と黄色のストライプ。視えたその身体のラインは女らしい起伏で。


「何だ、あいつ……?」


 鉄の味がする口は、そんなことをつぶやいていた。鋭利な刃物で刺されたことで逆流した血液が口内にあふれても、気にもならないほどの異様な光景。


 目を疑うのも無理はなかった。信太郎を手招いていたのは、はちと人間を掛け合わせたような怪物だったのだから。


「〈ホロウ〉様ノ為、連レテ行ク……」


 夢遊病者のようになってしまった親友の手を取った女は、そのまま幽霊のように壁の中へと消えていく。


「待て……信太郎ッ⁉」


「処分……失敗?」


 この場に似合わない、妙に愛嬌あいきょうのある不気味な声を辿たどって、ようやく襲撃者を視認する。そこでまた思考が揺らいだ。いや、揺らぐなというのが無理な話だった。


「こいつも、さっきの奴の仲間……なのか?」


 まるでカマキリのような姿。無機質に大きな眼が、こちらを見つめていて。


 その二つの手に備えられているのがかまだと理解したのは、その刃先から液体がしたたっているのが見えた瞬間で。あんなに大きな武器で背中を刺されたのだとわかった途端、一気に寒気が押し寄せて。


 それなのに、またそれを振り回して襲い掛かってくる姿が見えているのに。身体は上手く動いてはくれなくて。


「くそっ……⁉」


 必死に足を動かして逃げようと試みる。だが傷ついた背中が、その止めない痛みが、身体を動かせという脳からの指令を邪魔してくる。おまけに、段差に足元を取られて転倒してしまうという無様さで。


「処分……処分……処分‼」


 じたばたと抵抗するが、罠にかかった野獣同然に捕まって。握り潰さんばかりの力で首を締めあげられながら、馬乗りになったそいつをただ見つめるしかなくて。


「……ッ⁉」


 一突ひとつきだった。心臓があるはずの左胸に、鎌が突き立てられる。


「悲鳴……処分……絶叫……処分……何故……処分……」


 意味も知らずに反射的に繰り出されるかのような言葉の羅列。


 処分、か。ならオレは要らないものとして殺されるってことで。


 それなら信太郎は生き残れると信じさせてくれ。どうか、あいつだけは生かしてほしい。


 両親と共に自らの笑顔をも失くしたオレなんかよりも。あいつの方がきっと、たくさんの人を笑顔にしてくれるはずだから……。




「ミッションコード……変身っ‼」




 モーターバイクのエンジンから暴れるような轟音。


 不意に、のしかかっていた重みが消える。トンネル内に飛び込んできた誰かが、襲撃者を蹴り飛ばしたらしい。そのことに考えが至る前に見えたのは……。


――血のように赤いマフラーを揺らす怪人。


「何者……処分対象?」


「おれ? 通りすがりのダークヒーローさ」


 飄々ひょうひょうとする、というのはこういう仕草を言うのか。こちらは今にも死んでしまいそうだというのに、その姿から目が離せなくて。


「処分……処分……処分‼」


 そこからはあまりにも呆気あっけないもので。


 鋭利な鎌など怖気もせずに、マフラーをなびかせてかわしていく姿。むしろ敵の足首を掴んで引きり出す動き。シルエットは細く見えるが、膂力りょりょくだけは猛獣さえ超えているのかもしれない。


HOPPERホッパー


 まるで高速移動でもしているのかと見紛みまがうほどの、跳躍ちょうやく。壁から天井、そこからさらに壁へと跳び続ける。まるでな稲光のようで。


 同時に、その動きに翻弄ほんろうされる怪物はといえば、ただ壁に打ち付けられるだけ。


「ほんじゃ、そろそろ決めるぜ?」


 唐突に宙から地面へ放り出されたカマキリの怪人。よろける身体を何とか起こそうとしているが、どうも先の攻撃で中身のどこかが壊れてしまったらしい。もうフラフラだ。


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 不思議な音と共に、着地したばかりの乱入者が跳び上がる。その拳が赤く光っていたのは、炎か雷か、あるいは別の何かだったのか。


「波動集中……回避不能……⁉」


「スクリュウー爆裂パァーンチ‼」


 急転直下する悪魔の放つ紅い拳。三半規管をやられたようによろめく怪人にとって、もはやかわせる速度などとっくに超えた暴風。


 直撃。鎌の付いた腕など粉々に砕いた閃光は、もはや美しく。闇の中でさえ輝くその紅い腕が、怪物を撃ち伏せて。


「処分……処……分……助……ケ……」


「あぁ、きな。お前を縛る〈コア〉は、砕いてやったからよ」


「ア、リ……ガ……トウ」


 泥のように消えていく敵を見送るように、そのまま動かなかい。


 ほんの数瞬の後、その死神がオレに振り返った。


「おい、お前さん……生きてんのか?」


 動くこともままならないオレに掛けられたらしい声は、どこかなつかしく聞こえた。まるで小さい頃にテレビの中で見た英雄のよう。仲間たちと力を合わせて悪を倒し、不当に傷つけられる人々を救う存在。


――ああ、この赤いマフラー。信太郎が大好きだった正義の味方みたいだ。


「しん、たろ……」


 あの時、信太郎を助けてほしいと言いかけて。手を伸ばしたところまでは覚えている。けれど、そこから先の意識はなくなって。




 それが師匠とオレの出会い。


 この地獄に一石を投じようとした人との、邂逅かいこうの瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る