EP04~七夕に架かる虹~

EP04-零:血赤の悪夢


 まぶたを開く。


 まだ空は真っ黒で。それでも大きな物音がして、起きてしまった。


 明日も学校があるのに。こんな夜遅くに目覚めるのは、まだ小学校に入学してから三ヶ月の少女にとって、初めての経験だった。


 部屋を出て、くらな家の中を歩く。下の階のリビングに、きっと両親がいるはずだ。けれど、一階にもあかりは見えない。もう寝てしまったのだろうか。


 お水を飲んでから戻ろう。そう思って階段を下りていく。こんなに暗いとオバケが出るのではないかと怖くなってしまう。


 風が吹いた。


 変だと思うのは当然で。両親が戸締りを忘れたことは一度もない。いくら夏場で暑いといっても、外からは雨の音がする。


「おかあさん……?」


 リビングに足を踏み入れると、暗がりの中に母の後ろ姿。どうして電気をけていないのかも、なぜ網戸まで開いているのかも、わからなかった。


「……」


 雷鳴が映し出した母親の眼は、赤く。大きく見開かれた瞳には涙。口元は野獣のように鋭い牙が生えていて。


 鈍く、嫌な音がした。それが床に落ちた父親……その亡骸なきがらだと気付くよりも先に。


「……⁉」


 咄嗟とっさに小さな手で顔をおおう。左目が痛くてたまらない。触れられてもいないのに、どうしてだろう。まるで火の中に放り込まれたような恐ろしさで。


「おかあ、さん……」


 流れ出したのは果たして涙だったのか、それとも血だったのか。


 ただ苦しくて手を伸ばす。


 それでも指先にいるはずの相手の表情は、いつも通りの温かなそれには戻ってくれず。むしろ野獣のようにき出しの歯がさらに鋭く変わっていくのが見えただけで。


 ただただ、怖かった。


HOPPERホッパー


 開いた窓から一陣の風が吹き抜ける。


 瞬間、母親が悲鳴にもならない叫びをあげて視界から消えてしまって。それが蹴り飛ばされたのだと知るのは、もっと後のこと。


 その一瞬に見えたのは、血のように赤いマフラー。黒い身体に赤い手足。頭に至っては黒光りするヘルメットのよう。しかし雷鳴に反射して見えたのは、大きく丸い真紅の眼。


「だれ……?」


 思わずいてしまった。おとぎ話に出てくる、悪い子を食べてしまうという悪魔なのかもしれないのに。


 だが黒と赤の侵入者は、少女の前にひざをついて。


「通りすがりのダークヒーローだ。覚えなくていい」


 そう言って、笑う。力強い男の声で。


 どうしてだろう。仮面の奥底に、太陽のように激しく、それでいて月のように優しいあかりが見えた気がした。




 ああ、記憶が闇の中へと沈んでいく。


 これはただ夢で垣間見るだけの、起きたら忘れてしまう一瞬。


 そう、とても曖昧あいまいで不確かな、悪夢でしかなかったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る