EP03-拾:梅雨空の向こう側


 しとしと、ぴちゃぴちゃ。


 ずっと降り続いている雨に、少しだけ嫌気がさす。まるで誰かに責められているようで。


 いや、わかっている。オレが悪いことくらい。いくら言い訳を並べても、あの後輩の死はまぬがれようがなかった。


 そもそも死んでいた少女だったのなら、あの終わり方こそ救いになったのではないか。オーナーには、そう言われてしまった。


 今までのオレの在り方として、それは間違いなくどこかで思っていることだ。輪廻りんねを外れ〈獣核ゲノム・コア〉によって縛り上げられた誰かのたましいを、せめてその円環に戻す。たとえ誰に望まれていない身勝手なエゴイズムだとしても。それがオレの在り方だから。


 あの悪魔のような敵……〈ネクロ〉の言葉が真実なら。殺された彼女は、死体になってもまだ使い道があるとされた。そんな理由だけで、怪物の身体を得ながら、元の生活に放り込まれてしまったと。あるいは自ら舞い戻ったのかもしれないが。


 いいや、違う。戻るという選択肢以外は見えなかったはず。聞いた話ではあるが、両親が敷いたレールしか歩いてこなかったのが、あの寺嶋てらしま姫澄きすみという少女だ。


 彼女が何を望んだか、正確なことはオレには言えない。だが少なくとも、それは孤独などではないはずで。だから知らない科学者たちのモルモットではなく、元の寺嶋姫澄として戻ろうとしたのだろう。


 それでも、そんな自分すら怖かったのかもしれない。それこそ、どうして自分が狂っていくのかもわからずに眠れない夜さえ、想像にかたくない。


 オレにも経験がある話だ。眠っている途中に、自分の声で目を覚ます。誰かを殺せと叫ぶ、オレ自身の声で……。


 基本的に〈獣核ゲノム・コア〉に精神を侵食されるこの〈獣化〉という現象は、ゆっくりとでも着実に進行し、誰にも止められない。肉体と〈獣核ゲノム・コア〉が結合している限り、永遠に。だからそんな夢も、本当に闇の底へと堕ちる前触れではないかと思ってしまう。


 心を落ち着かせる行動をとることで、ほんの少しだけその不安が和らぐことはあるが、その苦痛を消すことだけは不可能だ。


 オレの場合はこうしてコーヒーをれることで安らげる。この香りだけは変わらないでいてくれるから。それが人工物でしかないこの身体の、その拡張された嗅覚の起こす錯覚だと知っていても。人間でいた頃の「優しい」を表現する唯一の方法は、これしかない。


 あの子には、何かあったのだろうか。小さくてもいい。幸せを感じられる瞬間。それがオレたち〈実験体〉という生き物を、人のまま踏ん張らせてくれるとは知らなくても。


 いや、それがあの惨劇の答えかもしれない。


「恋心……か」


 きっとあの娘に、在学中に良くしてくれた先輩である信太郎しんたろうへの気持ちはあったはずで。だが卒業するまでに、あいつは別の誰かを見ていた。きっとそれだけのことなのだろう。


 けれど彼女にとっては、そんな簡単に割り切れるものではなかったという話で。そして、それに近い笑顔を持つ少女に救いを求めてしまったのなら。


 やはりどうすることもできなかった。


 少なくとも、自らの笑顔を作ることもできないオレには……。


『次のニュースです。三日前、黒銀プリンセスホテルにて起こった大規模テロ事件。死者は二十七人に上り、怪我人も含めると被害者は百人を超えるという見解を警察が発表しました。関係者への取材によりますと、今後はテロリストへの警戒体制を見直す方針を……』


 テレビ画面に映された事件現場。彼女とその両親を含めて二十七人の死者の名が並ぶ。それなら彼女は、オレが来るまでに二十六人もの人間を殺害したことになるのか。


 現場に残された彼女の遺体について騒ぎになっていないことを考えれば、おそらく警察内部に潜む〈スポンサー〉側の人間が情報を握り潰したのだろう。


 あの時、〈ハチ〉で殺してさえいれば、猛毒で一気に腐敗させることもできただろうが。どうしても、彼女の顔に槍を突き立てたくなかった。女優やモデルとして活動できるほどに整っていた顔だから、というよりも。


「綺麗な顔のまま送ってやりたい……か」


 なんて傲慢ごうまんだろうか。


 彼女の命を絶って、その未来を奪ったというのに。


 オレが寺嶋姫澄を〈実験体〉であると感じたのは、初めて彼女がここを訪れた日。そこからオーナーに調査を頼んでみたが、流石に〈ネクロ〉の隠蔽工作を見破るまでに時間がかかった。結局、あのイベント当日まで手が出せなかったというのが経緯で。


 もし直感を信じて動いていたら、ここまでの犠牲はなくて済んだだろうか。少なくとも、数の上では二十七が一になっていた、という意味で。


 だが先に手を下していたとしても、きっとあの銀髪少女は傷ついた。


 おそらく、彼女は今も部屋で泣いているのではないか。あの純粋のかたまりみたいな笑顔は、もう見られないかもしれない。ファンには悪いが、それがこの無力な死神の限界だ。


 やはりオレには、誰かを救う力なんて、ない。


 ふと。力なくではあるが、来客を告げる鐘が鳴った。


「いらっしゃいませ」


「こんにちは……ニンジャさん」


 驚いたオレに、銀髪の少女が微笑ほほえみかける。以前にここへ来た時と同じような制服姿で。しかしどこかセーターがくたびれて見えるのは、オレの錯覚だろうか。


武仲たけなか様……」


「セラ、って呼んでください」


 思っていた以上には元気な声に、口をつぐむ。泣きらした跡は目の周りを覆っていて、とても大丈夫そうには見えない。


 だが、少し困ったようなその微笑びしょうは、どうしてか、とても美しく見えた。


「名探偵さん、まだ来ていませんか? 約束しているのですが」


「え……探偵さん、ですか?」


 思わず聞き返してしまった。表情を変えずにうなずく彼女に、オレはどう映っているのか。


 いや、確かにオーナーからは死んだっぽいとは聞いていた。この「っぽい」の部分が曖昧あいまいだとは思っていたが、いや、まさか。


「セラさーん‼」


「あ、名探偵さん!」


 騒々しくドアを開ける音に、流石さすがに肝が冷えた。嘘だろ。


「い……らっしゃいませ」


「やぁ~バイト少年くん! お、このコーヒーの良い香り! いや、三日も飲まないと流石に死ぬよね、うん!」


 生きている。頭に包帯をしているし、どこか左肩をいたわるような動き方だが、確かにこの男、生きているぞ。


 単純に考えよう。奇跡的な確率で致命傷を避けただけだ。それとも実は不死身なのか。


「あの時は、命懸けで守っていただいて、ありがとうございました! まさに、ぎゃふんと言わされました‼」


「いやいやセラさん、そんなの当然のことですよぉ。それよか、また吾輩の武勇伝が増えちゃいましたなぁ~。題して『橋端はしば三平さんぺい、決死の三日間』! こんなの、どうですかねぇ?」


 なんだ、この男は。平気な顔で雑談をしている。


 おそらく三日間は病院にいたのだろうが。それでも〈実験体〉の高エネルギーの収束ビームを喰らって生きているなんて。だが〈獣核ゲノム・コア〉を持っているようにも見えない。そもそも、その存在さえ知らなそうなのだが。


「おーい、少年~? コーヒーは~?」


「少々お待ちください」


 考えてもわからないことだ。そもそも生きているなら、まあ良かったということにしておこう。不自然だが、おそらくこの男はこういう運勢を持って生まれたに違いない。いや、悪運の間違いか。


「探偵料です……どうぞ!」


 札束の入った封筒を渡されて、流石の探偵も狼狽ろうばいしている。コーヒーを持ってきて間近で見ても、ちょっと多くはないかと心配になるレベルだ。


「いやしかし、寺嶋さんのことは、お気の毒でしたな……」


「オキノドク……あ! おクやみ申し上げます」


 どうも日本語のレパートリーの中に該当するものを探しての返答らしい。お悔やみを申し上げられたのは、むしろそちらだろうが。


「まあ、もし吾輩の力が必要なときはいつでもご連絡を。では」


 どういうわけか、探偵は席を立つ。重苦しい雰囲気になるのを感じたのか、それともただ傷が痛んだだけなのか。去っていく後ろ姿からだけでは、判断がつかない。


 ただ彼女がコーヒーカップを見つめる姿を、キッチンで見ているしかないオレは……。


「あの」


「はい」


 コーヒーカップを持ったまま、カウンター席にやってきた少女。


 この娘に、何を言ってやれるというのだろう。大切な先輩を殺したオレのような男が。彼女はそうと知らずとも。


 いったい、何を言えばいい……。


「キスミさんとは、先輩後輩だったのですよね?」


「ええ、一応は」


 かれたことだけに答える。それ以外に、どう口を開けばいいのかもわからない。


「キスミさんのこと、好きでしたか?」


「……」


 返答に困窮こんきゅうする。


 オレが彼女を好きだったか、なんて。それは、たぶん恋愛感情というものはないはずだ。まず相手がこちらを嫌っていたわけだし。オレにとっても、信太郎とくっつけばいいな、くらいにしか思わなかったから。


「嫌い、でしたか?」


「いいえ」


 違うと気づいて、そう答える。この娘が言っているのは、おそらく恋愛ではなく、人間的にどう思ったかだろう。つまり「LOVEラヴ」ではなく「LIKEライク」の話だ。


「オレには彼女への愛情と呼べるものはありませんでしたが。彼女を気に掛けていた男とよく一緒にいたもので。彼女が出ていた雑誌やテレビはよく目にしていました」


「気にかけていた男……キスミさんのこと、好きな人でしたか?」


「……」


 わかっている。彼女の訊きたいことは、恋愛対象者ではなく、ファンかどうかだろう。何を勝手なことを考えているのか。バカかオレは。


「きっと好きだったと。少なくとも、あいつは彼女を大切に思っていましたよ……」


「……!」


 ぎゅっと結んだ両手を、口に押し当てている。泣くのを、こらえるように。


「武仲……セラ様。すみません、もしつらいのでしたら……」


「いいえ! 嬉しいんです!」


「え……」


「ちゃんといました! ワタシだけじゃない。キスミさんのこと、認めてくれていた人!」


 そのフレーズが、まるで矢のように胸に刺さる。


 まさか、この少女は聞いていたのか。あの時のオレと寺嶋姫澄の会話を。


「キスミさん、怖い姿になったとき言っていました。誰も認めてくれなかった、と。理解してくれていたのはワタシだけだった、と。でも、そんなことないって思って……」


 ああ、この少女はどこまでぐなのか。オレが葬った彼女は、そんな思いやりを持ったこの後輩に助けてほしかったのかもしれない。


 吐き出しきれないほどの悩みも、こらえ切れないほどの不安も。すべて真摯しんしに受け止めてくれると、信じたかったのか。


「ワタシ、フィンランドにいた頃は、あんまり明るくなくて、友達も少なくて。こっちに来たら余計にわかってもらえないことばっかりで。そんなとき、いつも輝いているキスミさんの姿を見て、とてもあこがれていたんです」


 きっとこの少女の涙は枯れることを知らないのだろう。赤い目元に、また小さなしずくが溜まり始めていた。


「そんなキスミさんが、ワタシをスカウトしてくれて。お仕事は大変なことばかりでしたけど、頑張れたんです。いつもキスミさんが近くにいてくれたから」


「そう、でしたか」


 なんとなく、わかる気がする。いつも隣にいてくれる奴がいるだけで、変わるものがあるということ。失って初めてそれに気付いたバカなオレと違って、この娘はずっとそれに感謝して頑張っていたのか。


「だからあのとき、ホテルでたくさんの人を傷つける姿が、すごくイヤで。どんなことからも逃げないで立ち向かうキスミさんに戻ってほしくて、ワタシ、勇気を出して……」


 そのとき、この少女が勇気を出せなければ。きっとオレは追い付くのが遅れただろう。下手をすれば、今オレの目の前にこの少女はいなかったかもしれない。


「でも、もうワタシの声、届かなかった……」


「それは……」


 何か言いかけて、口が勝手に止まる。


 言ってはいけない。〈獣核ゲノム・コア〉のことも〈実験体〉のことも、伝えるべきじゃない。これ以上、こんな悪夢に巻き込むわけにはいかない。伝えたところで、救いなんてないんだ。


 オレが何を言おうとも、寺嶋姫澄はもう帰ってこないのだから。


「だけどワタシが、助けて、って祈ったら……ちゃんと来てくれましたよ」


「刑事さん、ですか? それとも探偵さん?」


「いいえ。赤いマフラーをした、正義のニンジャさんが!」


 彼女の瞳に反射するオレの顔は、滑稽こっけいだった。ポカンと開けた口も、泣きたいのか笑いたいのか判然としない表情も。


 何より、とっくに枯れ果てたはずの涙のようなものが見えて。


「本当ですよ? ワタシ、あの刑事さんが殺されそうになったそのとき、願っていました。刑事さんと……キスミさんを助けてって。そうしたら、本当に来てくれたんです。パパが言っていた赤マフラーのニンジャさん」


 訊きたいことは山ほどあるのに、口が動かない。なんで震えているんだ、オレは。


「二十五年前、宇宙研究のお仕事をしていたパパは、悪い人たちに狙われて危なかったことがあるって聞きました。もうダメだって思ったそのとき、赤いマフラーのニンジャさんが助けてくれたんだって」


 それは師匠が活動するより前の話か。ああ、そうだ、本人が言っていたじゃないか。


 昔、この街でうわさになった義賊がいたと。「赤い外套がいとうの悪魔」というこの地域の古くからの伝承を逆手にとって、影から悪党どもを討つ誰か。名も知れぬ死刑人。


(だからこそ、受け継ぎたいじゃん? そういう名前もない誰かの想いってやつを、さ?)


 あの人がオレに託してくれたもの。その始まりの誰かが、救い求める者を助けたことで繋がった命。


 その戦いの証明が、こうして座っている。オレの目の前で、オレが淹れたコーヒーを飲みながら。オレに向かって、小さな微笑を浮かべたまま。


「しかしセラ様、その……、赤マフラーは彼女を殺したのでしょう? なら、それを正義とは呼べないのではないでしょうか?」


「もちろんワタシは、キスミさんに死んでほしくなかったです。でも、あの最期の笑顔と、あのニンジャさんの背中が、ずっと気になってしまって。この三日間、何度も何度も考えました……」


 真剣。その言葉が本当によく似合う少女だと思う。


 あんな残酷な場面から生還したのだから、殺戮者を恨めばいいだけ。それで少しでも心が救われるなら、それでいいのに。


 なのに、その続きが聞きたいと思ってしまう。何を考え、どんな答えに至ったのかを。


「このお店に入った時、この優しいコーヒーの香りを感じて、気付いたんです」


「気付いた、とは?」


「キスミさんはきっと、独りきりではどうしようもない闇の中にいたんだって。だけど、助けてって言えなくなってしまって。そしてたくさんの人を傷つけてしまったんだって」


「だから、赤マフラーが止めに来た?」


 うなずく彼女が、ふと見せた表情に、思わず見入ってしまう。嬉しいのに、悲しいような。切なくて、それでいて激しいような、不思議な視線。


「あのニンジャさんは、泣いてくれました」


 指が強張るのを感じて、必死に表情を殺そうと努力する。動揺を見せるな。きっとこの少女はオレがその赤マフラーだと気付いていない。気付かせては、いけない。これ以上、この優しい少女を地獄に引き入れるな。


「背中で語るって言葉がありますよね。ワタシ、ちょっと難しくて意味がわからなかったんです。でも、あの人の背中を見て、納得しました」


「背中、ですか」


「あの背中、泣いていたんです」


 何を言っているのか、理解できない。


 そんなわけないと、エプロンのすそを掴むこの手が叫んでいる。


 オレが泣いていたわけがない。「殺戮兵器」のなりそこないの、このオレが。


「あの場所にいた誰よりも、泣いてくれたんです」


 何故なぜだ。どうして彼女はそんなことを、口にできる。


「死なないでほしい、って。殺したくなんかないんだ、って」


 それは紛れもなく、無理矢理に心を抑えつけて殺してきたはずの感情で。


「でも、止めるにはそれしかないから……、ごめんね、って」


 言葉になどしないでくれ。


 救われちゃいけない。報いを受けるその時まで。


「だから、ワタシは笑っていようと思っているんです。キスミさんがいなくなって、たくさんの人が泣いていますから」


 どうして、そんなに美しい軌跡を描いたほおにまで、そんな笑顔の光を灯せるのか。


 たった三日だぞ。大事な先輩を喪ったんだろう。悲しみを乗り越えるなんて、できているわけがない。目の前で大切な人を奪われた苦痛なら誰よりわかっているつもりだ。


 弱いのはオレというだけなのか。それとも彼女が強すぎるだけなのか。どっちだ。


 いや、どっちでもいい。


 そんなことより、どうして、君はそんな闇の中で、笑っていようとするんだ。


「センエツながら、ワタシ、みんなに笑顔を届けたいんです!」


 まるで心の中の問いに答えるがごとく。彼女はなお、笑った。まだ透明な光の粒を、その宝玉のような瞳にたたえたまま。その気高さと美しさで、どこまでも可憐に、純情に。


 笑っていた。


「それなら……もしもここに、その赤マフラーが現れたら、何と伝えますか?」


「……!」


 驚いている。いや彼女よりも、口にしてしまったオレが。バカな問いかけだ。きっと無言か、あっても頓狂とんきょうな答えが返ってくるに決まっている。


 そもそも何を期待しているんだ。最初から答えなんてあるわけがないだろうに。


 しかし彼女は、そっと口を開いて言葉をつむぎだす。


「ありがとう、って」


 息が、詰まる。


「それと、アナタ一人を悪者にしてしまって、ごめんなさい、って」


 もう何も話せないほど、のどの奥から何かが込み上げてくる。


「いつか、アナタにも笑顔になってほしいです、って」


 その上目遣いの仕草が、どうしてかすんで見えるのか。きっと窓の向こう、梅雨空が明けて太陽が顔を出したせいだ。その光が反射して、この目に痛いほどだから。


 この少女に、恋をしてしまうのもわかる気がした。


 あいつと……信太郎と同じだ。このだまりの笑顔は。ただそばにいる誰かを幸せにする、そんな優しさに満ちた光。


 彼女はこんなにも人の善性を信じている。だからこそ信太郎と同じように、どんな相手にも分けへだてなく注ぐ日光のような笑顔でいられるのだと思う。


 世間様が呼ばなくても、血赤のマフラーを巻いた死神は自らを悪と信じている。オレがやっていることは、警察の言う通り立派な殺戮で、エゴイズムにゆがんだテロ行為だ。


 誰が言ってくれなくても、オレが悪。それでいい。


 ただ、それでも。


(いいんだよ、おれはダークヒーローで! 代わりに、笑っていてほしい誰かが笑っていられるんなら……おれは、それだけでいい)


 師匠の声がする。


 一年前、オレのせいで死んだ、この街の英雄。常に笑顔で誰かを救い、報われない誰かへのとむらいまで笑顔を添えた……本物のヒーロー。


 オレにはなれない。あんな風に強くはいられない。そう諦めてなお、憧れ続ける男の笑顔が、彼女の笑顔と重なり始めて。


「最後に、キスミさんのこと覚えていてくれますか、って……」


 この少女が、笑っていてくれるなら。


 きっとそれは、オレにとっても救いで。


「忘れません。少なくともオレは……絶対に」


 何よりこの街に残った、小さな希望。宝石のようにキラキラと輝く、明日への道標。


貴女あなたが、笑っていてくれるなら……」


 そう信じるしかない。いいや、信じたい。


 勝手にあふれ出した言葉が、彼女にはどう届いたのか。両手で口を覆う彼女は。


「ニンジャさんの笑顔……、ぎゃふん! ですよ!」


「え……」


 知らぬ間に、口角が上がっていたらしい。


 笑えないはずの自分。親しい人たちを一人も守れなかった弱者。一年前からずっと変わらず「殺戮兵器」の紛い物。本物のダークヒーローの、その贋作がんさくにさえなれない無様な男。


 そんなオレが。


 笑っても、いいのだろうか。


「ああ⁉ さっきの笑顔、もう一度お願いします! 写真に収めたいです‼」


「では代わりに、コーヒーをもう一杯。探偵さんのツケにしておきます」


 そっと伏せた顔は、今、どうなっているのか。


 見ることは叶わないが、きっとそれでいいのだろう。




 いつか必ずオレは報いを受けるだろう。それだけの数、命の輝きを奪ってきたのだから。


 死ななくても良かったはずの人間は守れず。死なないで欲しかった相手をも殺し続けて。それでもこの街を食い物にしている悪に、まだ手が届かないオレに。


 いずれ審判の日は訪れる。絵に描いたような閻魔えんま大王だいおう様の前で罪状を並べられ、それで地獄の底に落ちるとしても、異論はない。反論できる立場ではないし、言うつもりもない。


 けれど、その代わりと言っては何だが……どうか。


 輪廻に戻った者たちの来世とやらが、少しでも優しく平穏でありますように。


 そこに。




「ふふふ、やっぱりここのコーヒーは美味しいです。ぎゃふん!」




この陽だまりの笑顔がずっときらめいていますように。


Fin

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