EP03-捌:半壊の死神


 監視カメラ。


 この発明をこんなにありがたいと思ったことは、生まれて初めてかもしれない。基本的にこのアジトから動かない私だが、まさか二回も通信障害で情報を遮断されるとは思わなかった。


 これでも一つの〈組織〉を持つオーナーとして、モニターの前でも部下の状況が逐一ちくいちわかるシステムをもっと大事にするべきだと、今は切実に思う。


 白マントの怪人との空中戦を演じていることは、警察の無線を盗聴して理解していた。だが会話ができない以上、こちらから止めることもできない。


 おそらく通信を遮断しているのは〈ネクロ〉の能力か何かで。なら、奴と距離を取るまでは、どっちにしても連絡は不可能だろう。


 そう思って、ホテル内の監視カメラを根こそぎハッキングしてやった。寺嶋てらしま姫澄きすみ……、いや、哀れな〈実験体〉の行方だけは把握しておきたかったからもある。彼が白マントを振り切ってくれさえすれば、ルートを案内できるかもしれない。


 そんな楽観的な思考を、今は少しだけ呪う。


「ひどい……なんてもんじゃないだろう、これ」


 地獄絵図。それ以外の表現方法を、私は知らない。


 従業員も客も、誰であっても関係ない純粋な殺戮。ただ逃げ惑う少女を捕まえるためだけに行われる蛮行。


 行うのは、まるで神話に出てくる化物を模したような〈実験体〉。


 頭には無数の蛇……それをかたどった光線銃。制御システムらしい装置がバイザーとなって、脳に当たる部分のほとんどを包み隠している。身体をおおう赤紫のうろこや、金の翼までもが怪物らしさを際立たせて。


『セラちゃん……どこにいるの……大丈夫よ……痛くなんかしないわ……ふふふ』


 ここまで来たら、もう助けようもない。


 おそらく寺嶋姫澄という〈素体〉が持つ適合係数が高すぎる。〈獣化〉してなお意味のある言葉を介しているのがその証拠で。


『いったい、どうなってるんだ。おい、君も早く逃げ……⁉』


『邪魔』


『は……ぁあ⁉』


 まただ。逃げ遅れたホテルマンが一人、脳天を撃ち抜かれて。そうして天井で光る蛍光灯まで吹き飛ばされる。電球は壊れ、廊下はさらに暗さを増していく。


 あのビーム、髪の毛だった部分に接合したナノマシンから撃ち出しているのか。あんな高威力、頭蓋骨ずがいこつに反動があるに決まっているはずなのに。それを無抵抗な人間ごときを相手に何度も無駄に撃てるわけがない。


 つまり、それだけナノマシンを使う効率がいいシステム構築がなされているのか。もしくは、使い捨ての〈実験体〉なのか。いや、あるいはほとんど死体のような肉体のまま運用されているせいで、痛みを感知できない可能性さえある。


 しかし同性愛とは、〈獣核(ゲノム・コア)〉の嗜好に彼女が毒されたのか、彼女は元々そうなのか。恋愛なんてものに縁がなかった私には判断がつかないが。されど、両親さえも手に掛けてもなお止まらない虐殺を、彼女は愛のためだと誤解しているのは違いない。


『キスミさん、もうやめてください‼』


 近くに隠れていたのだろうか。なんてバカな子だ。逃げなければどうなるかなど、ここまでの犠牲で気付けるだろうに。


 いや、ここまで犠牲を出したからこそ、止めたいのか。


『セラちゃん……良かった。どこに行ったのかって、心配、したのよ?』


 対する殺戮者は、バイザーの下に見せる口元をゆがませて、笑う。それがどういう意味の心配かなど、考えたくもないが。


『こんなことするの、キスミさんらしくないです!』


『私らしく、ない?』


 涙ながらに、しかしぐな瞳は、やはり宝石のようで。


『ワタシにこんなにステキな居場所をくれたのは、キスミさんです! 学校でも変な人だって思われて、友達もできなくて、困っていたワタシを変えてくれたのはキスミさんなんです!』


『ええ。知っているわ。でも、あなたはもっと素敵というだけの話じゃない。腐った人たちとは違う。キラキラとした瞳も、ふわふわとした居心地も、ドキドキさせてくれる人柄も、全部、セラちゃんの魅力よ……』


『いいえ! ワタシ一人じゃ何もできなかった。キスミさんが、ワタシを変えようとしてくれたから。だから変わりたいって思えたんです! アナタみたいになりたいって‼』


『え……』


 純粋な憧れと歪んでしまった愛情の交錯。


 監視カメラから見える解像度の低い映像でもわかるほど、寺嶋姫澄という少女は震えていた。




――まだかすかにでも残っているのか。人間でありたいという想いが。




『その娘に近付くんじゃねぇ、テロリスト‼』


 刹那せつな、スピーカーを壊すほどの怒号が響く。


 声からして、まず間違いない。喫茶店にやってきた、大神おおがみ正仁まさひととかいうあの若手刑事だ。


『セラさん、大丈夫ですかい⁉』


『名探偵さん!』


 依頼人のところには、ヘッポコ探偵。こんな場面で登場するとは意外だ。おそらく楽屋にも戻らずに消えてしまった少女を探し回って走ったのだろう。見るからに汗びっしょりで、肩で息をしているような有様だ。


『両手を上げて膝をつけ‼』


 震えたままの哀れな少女の背後に、銃を持った刑事の姿が確認できた。こちらは流石さすがに冷静な構えだが、遠目からでも鬼のような形相がわかる。


『待ってください、その人は……きゃ⁉』


『ぴぎゃぁあああああああああああああああああ⁉』


 一筋の光が探偵を射貫いた。あの衝撃音は壁に叩きつけられた音だろうか。監視カメラのフレームの外だから確証はないが、おそらくもう命はないだろう。それでも依頼人の少女が尻もちをついただけで済んでいるのは、撃った側の配慮か。


『て、てめぇ……がぁっ⁉』


 近づいた刑事の首を、蛇のようなビーム掃射装置の一つで締め上げる。かなり背丈の差がある相手さえ、こうも簡単に持ち上げるその姿。やはり〈獣核ゲノム・コア〉との相性が相当に高い証拠だ。


『ほら、セラちゃん。これでわかるでしょう? 私には、あなたしかいない』


『キスミさん……やめて、くださ……お願い、だから……』


『本当の私を受け入れてくれるのは、セラちゃんだけだから……』


 殺されかける刑事は、拳銃で何度も発砲する。が、何の意味もない。いかに至近距離でも〈獣核ゲノム・コア〉によって強化されたナノマシンは、そんなもの弾き返してしまう。


『てめぇが、姫澄なわけ、ねぇだろ……!』


 だが刑事は諦めていないようだった。必死に爪を立てながら、絞り出すように叫ぶ。


『薄汚いテロリストのくせに……姫澄を語るんじゃねぇ! そんな仮面で素顔を隠さなきゃ、自分の意見も主張できない弱いお前らと、あの子を一緒にするな‼』


 残酷な話だった。これが本当に偽物を相手にした発言なら、なんと頼もしい声だっただろう。けれど、その〈実験体〉にされたのは紛れもなく寺嶋姫澄という少女本人で。


『俺は警察官だ! この街の市民はみんな守る! そして、お前らみたいな悪党は、この手で捕まえてみせる‼』


 信じてほしかった相手の一人が、こうして自らを悪と断じる痛みが、どれほどか。もう戻れないところにいるとしても、きっと彼女は……。


『正仁さんは、ちょっと痛めつけるだけで終わりにしようと思ったけれど。もう要らない』


『ぁが……っ⁉』


 縛り上げる力が段違いのものになったことに驚いたのか。それとも、本物の寺嶋姫澄と同じ呼び方で名を告げられたことに驚愕きょうがくしているのか。男は天井に向けて音もない叫びをあげる。


 助けは来ない。その現実が、否応なしに純粋無垢な少女の胸を締め付けている。声はなくとも、口の動きだけで何かを告げているのがわかる。




――た、す、け、て。




WASPワスプ


 その音がした瞬間、こちらの通信システムも復旧する。まったく、君ってやつは。


『⁉』


 直撃を避けるために人質を放り出した〈実験体〉は、狭い廊下で一回転。


 銀の槍が空を切りながらも。死ぬ寸前で意識を失ったらしい男は、その戦士の胸の中に抱かれていた。


『また邪魔するの……⁉』


『言っただろう、終止符ピリオドだと』


 そっと若手刑事を床に下ろし、赤いマフラーをなびかせて、立ち上がったのは。


『お前を殺す……!』


 傷だらけの姿でも、確固たる意志だけで立つ……ヒーロー。


『余計なこと……しないでっ!』


 光線が銀の仮面を狙う。いつものように軽快なステップでかわす……と思ったが、彼はえて槍で防御し、前へ進んだ。


 妙だと思えてならない。何というか、彼らしくないぞ。


「っ⁉ 嘘だろ……」


 通信が回復したことで彼の現状もわかるようになった。そこで見たデータには息を呑むしかなくて。


「少年⁉ 両足の装備、いったいどうした……⁉」


 おそらくどちらかの出力を極限まで解放した状態で、もう片方にも同じように無理を強要したらしい。おかげでどちらも半壊状態。これ以上はどちらも使うことは不可能だ。


 システムの構成上、二つの装備を同時に極限解放することは、理論的にはできる。だが、それによって彼に掛かる負担はすさまじいものであり。そんな荒業あらわざで〈ネクロ〉による猛攻をしのいできたのだとしたら、もう彼はとっくに限界のはずで……。


「即刻、撤退しろ! これは命令だ‼」


 返事は、ない。


 誰か嘘だと言ってくれ。切り札たる〈カマキリ〉も、補助の要たる〈バッタ〉さえも機能しないのに、なお戦うなんて。自殺行為どころか、全員を道連れにすることになるぞ。そのくらい、君だってわかっているんじゃないのか。


『どうしたの? さっきから守ってばかりじゃない‼』


 もう〈ハチ〉だって長くは保てない。


 しびれを切らしてか、光線を放つ蛇たちの波状攻撃が循環速度を増していく。連続の高威力ビームに、槍はもう瓦解がかいし始めていて。


『なんで……どうして死なないのよ⁉』


 それでも彼は歩を緩めない。その姿に後退あとずさる蛇姫に、詰め寄るために。


『死になさい……死になさいよ……死んでってば‼』


 集中砲火が、遂に右腕を焼いた。槍は壊されて実体を保てずに崩壊する。だらりと垂れる右腕の回復には、数分はかかるだろう。この盤上で、それを待っている余裕はない。


 ああ、君はそこまでして罪滅ぼしがしたいのか。その身を焦がす怒りの方が熱いのだとでも、言わんばかりに。


『……ぁ、あぁ、ああぁあああああああああああああああっ⁉』


 どうやらエネルギーを使いすぎたらしい。頭を抱えて膝から崩れる姿は、怪物というより、悩める少女そのもので。


 明滅する照明の下にいるのは、二体の哀れな〈実験体〉のみ。


『何でよ……? 私が間違っているなら、どうして誰も止めてくれなかったの⁉』


 死神の足が止まる。もうこれ以上近づく必要がないからなのか、それとも彼女の叫びを聞かなければならないと思ったからなのか。


『私は間違ってなんかないのに……。人に評価されることは正しいこと。そう思ってきたから、こんなになるまで続けて。必死に頑張ってきたのに‼』


 その悲鳴が、怪物とも少女とも違って聞こえるのは何故なぜだろう。倒れた拍子にひび割れたバイザーからのぞく瞳は、大粒のしずくを溜め込んでいて。


『それなのに、誰もわかってくれない……私のこと、誰も認めてくれない‼』


『あいつは、認めていたよ』


『え……』


 顔が上がった。たぶん、その声に反応したのだろう。


 死神の仮面、その中から聞こえてきたのは。


 きっと彼女にとって、優しい先輩のものだったのだろうから。


『卒業してからも、君の出ていた雑誌やテレビを、あいつはよく見ていた。いつもの調子の、あの笑顔で』


『ぇ……知らない……そんなひと、知ら、ない……』


『大丈夫だ。きっとあいつは、天国でも君のことを見ているだろうから』


 膝をついて、耳元でささやくのは。少年か、死神か。


 君は、それでいいのか。たとえ〈実験体〉でも、殺害するのを躊躇ためらってきたのだろう。それが、誰より大切な親友を想っていた少女に手を掛けるなんて……。


『君だけを悪者にはさせない……むしろ悪党は、オレだけいい』


 そっと左手を、少女の額に相当する場所に置く。


 もう彼に残された武装は一つしかない。ああ、そうか。確かに〈クモ〉の殺傷能力は低くても、ゼロ距離で極限解放をすれば、ほうむってやれる。


SPIDERスパイダー……Exterminationエクスターミネイション


 痛むだろう右手で腰のボタンを押し込んだのがわかる。


 瞬時に左前腕部から射出される糸がバイザーを覆って。流れ出す電撃が蛇たちを内側から焼き殺し。そうして彼女を捕えていた仮面が、割れる。


 そこから現れた綺麗な顔は、どうしてか、笑っていた。瞳から流れる赤いなみださえも、美しく感じられるほどに。


『しん、たろ……せん、ぱ、い……』


 つぶやいた言葉に、少年の手が震えるのがモニター越しにも伝わって。


『君の罪は、オレが背負う。だからもう、眠れ……』


 そっと紅の涙を拭って、まぶたに手を掛ける。出来上がったのは、優しい寝顔。やっと悪意と絶望から逃れられたような、安らかな表情だった。


 良かったなんて、とても言えない。けれど、これ以上の地獄に行かずに済んだと信じるしか私にはできない。


 私がこんな思いなら、彼はあのボロボロの仮面の下でどんな顔をしているのか、想像するだけでもつらくなる。


『おい、てめぇ……‼』


 廊下に響いた怒号が、私たちを現実へ引き戻す。


『その娘に……姫澄に……何をしたぁ⁉』


 小さく首を動かした彼の視線の先、さっきまで倒れていた若手刑事が銃を構えている。どうやら気絶していたところから回復したらしい。しかし立ち上がる力さえないからなのか、寝転がったまま。だがその瞳には、深い怒りと悲しみの炎がちらついている。


『まだ高校生で、モデルも頑張ってて……、その子にはなぁ、未来があったんだぞ⁉』


『……』


 無言。気力もほとんど失せるほどの死闘だったことは間違いないが、それ以上に彼が言い返さない理由を、この男は知らない。


 言っても伝わらないほどの悪が跋扈ばっこしている。それすら知らないで、警察官を名乗っている今のこの男には、どうあっても理解できないだろう。


『そのマフラー、ヒーローのつもりか⁉ 身勝手な正義でこんな事件を起こしておいて、結局は誰も救わないてめえみたいな悪党を、俺は絶対に許さない‼』


 弾丸が仮面に当たって。しかしかえる小さな鉄のかたまりは、天井の照明を壊すだけ。


『なんとか言えよ……なぁ、言えよ‼』


 何度も放たれる銃弾が、そこら中にね返る。弾切れしてもトリガーを引き続ける男のほおには、透明な軌跡が残されているのが見えて。


『待てよ……、逃げるのか⁉』


 死神が、そっと立ち上がる。


 我に返ってモニターを確認してみれば。もう彼の〈獣核ゲノム・コア〉も限界だ。これ以上は本当に彼の理性が吹っ飛びかねない。


 マシンの音に混じってパトカーのサイレンがうるさいな。ここらが引き揚げ時か。


 こちらでハッキングしたシステムを使って、ホテル中のスプリンクラーを作動させる。噴き出した霧に隠れるように、死神はその場を立ち去っていく。


『待て……待てよっ⁉ 俺は絶対に許さない! 必ずお前を捕まえるからなぁっ‼』


 むせび泣くような声を背に受けながら、しかし決して振り返ることはなく、彼は進む。


 外に待っていたのは、パトカーの群れと大勢の警官たち。その物量の荒波を、無線通信で自動走行してきたマシンに飛び乗って振り切っていく。


『な、んだ……こいつ⁉』


『うわ、とんでもなく速いぞ⁉』


『う、撃て! とにかく、あのテロリストを逃がすな‼』


 こちらのナビゲーションがあるとはいっても、これだけの追手にまるで動じない運転技術。あの師匠バカの腕前を知っているからこそ、来る日も来る日も磨いてきたのか。


 きっと君は今、私を恨んでいるのだろうね。


 あの七夕の日に、君を選ばなければ、こんな残酷な運命を辿たどることはなかったから。


 許せとは言えない。けれど、あの少女や刑事だけでも救えたことを、君がいつか受け入れてくれるなら、どんなにいいだろう。


 君は間違いなく人の命を救ったというのに。一人でも多くを救ったという事実を、その正義を、誇ったっていいはずなのに。




(おいおい、オーナー様よぅ。そんなもんかい?)




 耳元で声がした。けれど、研究室には私のほかには誰もいなくて。


 ああ。なんで、いなくなったんだよ。あの子を戦いに引き込むことを決めたくせに、勝手に死ぬなんて。ひどい契約違反だ。生きていたならとんでもない金額の慰謝料を請求するところだぞ。


 もしお前が生きていたなら、二人でこの痛みを分け合うことだってできただろうに。


「私だけじゃ、壊れていく彼を支えられないだろ……バカ」


 モニターの前でつぶやいた声は、しかし誰にも届かなかった。

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