EP03-漆:極限解放の空中戦


 梅雨空をかき消すほどの光。


 標高二百メートルのホテル、その一角から放り出されたまま落下する。


「それでは、さようなら。贋作がんさくの赤マフラーくん」


 器用にも海老エビのように身体をらし、オレの仮面を蹴り飛ばすのは白マントの怪人……〈ネクロ〉。


 加速しながら落ちていくしかないオレの視界には、マントをハンググライダーのように広げて滑空する白い敵の姿。


 冗談じゃない。


SPIDERスパイダー


 左手を伸ばす。そこから射出された〈クモの糸〉をホテルの壁面に突き立てて。


「ほう? それは前の戦闘では使ってこなかったタイプですね」


 こいつに構っている時間はない。腕から伸びる命綱を頼りに、建物の側面にひざをつく。あとは上まで駆けるだけだ。


 急がなければいけない。〈クモ〉を通して聞こえたあの様子では、寺嶋てらしま姫澄きすみはもう理性も倫理観も消えていた。完全に〈獣化〉しているとしか考えられない。


 どちらにしろ、早くたおさなければ、手遅れになるかもしれない。


 いいや、まだだ。たとえ移動していたとしても、さっきの場所から戻れば追い付ける可能性は残っている。なら、どうにかしてあの部屋から追跡するしかない。出入口でわめいている警察官たちに邪魔されれば、その分だけ彼女を見つけるのが遅れてしまう。


 そこで初めてオーナーとの連絡が途絶えていることに気付く。そうか、〈ネクロ〉が近くにいると通信障害が起こるというわけだ。ふざけやがって。


 絶対に諦めてなどやるものか。たとえ支援がなくとも、駆け上がってやる。


「おっと、勝手な真似はしないでもらいたいですね!」


 頭上に白い槍を多数検知。そんな攻撃にいちいちと対処して足を止める時間的な余裕はない。


HOPPERホッパー


 跳躍ちょうやく。背中に感じるのは、槍が壁に刺さったことを知らせる空気の振動だけ。


SPIDERスパイダー


 改めて命綱を張りなおし、進む。これを繰り返すしかない。〈バッタ〉の跳躍力だけでは追い付けず、されどオレには空を飛べる機構など存在しないのだから。


「どうしました? この間みたいに攻撃してこないのですか?」


 耳を貸すな。今はこいつより、寺嶋姫澄だ。


 あんな姿にされたうえに精神まで壊されたままなんて、死んだあいつに顔向けできない。あのバカが「好きかもしれない」なんて言った女の子だったんだぞ。お互いにその気持ちがあっただろうに、結局は言えずに終わった二人だったとしても。


「もしかして、あの子たちのファンでしたか? なら、ここで手を引くのが本物のファンかと思いますけれどねぇ」


 今度はさっきよりも数段速い銃弾。散弾銃でも出してきたのか。流石さすがかわしきれないと、勝手に舌打ちしてしまう。


MANTISマンティス


 鎌鼬かまいたちのごとき連撃を右足から見舞う。


 けれど、進むことを止めるわけにはいかない。左腕の綱はウィンチの要領で、自動で引き揚げさせる。


「本物のファンなら、愛し合っている二人は祝福するものでしょう?」


「……⁉」


 しまった。先回りを許してしまった。もう遊びは不要だと言いたげに滑空装置もマントに戻して。オレの目的地である穴の真下、その壁面に立っている。


 重力操作の能力か、それとも足に細工がされているのか。原理は知らないが、そういう物理法則を簡単に無視できる程度には〈獣核ゲノム・コア〉の制御にけているということだな。


 それは、直接の殴り合いとなればこちらに勝ち目は薄いという意味でもあって。


 それでも、ここまで来た以上は。


HOPPERホッパー


 やるしかない。び上がって、先手を打つ蹴り。間違いなく読まれている一手だとしても、ここで止まるわけにはいかない。


「おや?」


 身体をらして繰り出す無理な姿勢の攻撃も、難なく盾で阻まれる。だが関係ない。今度は右足を突きつけていくだけだ。


MANTISマンティス


 ナノマシンが生み出す二対の刃が、頑強な防護に傷をつけていく。が、それでも突破はできない。


「まったく無意味な攻撃だなぁ。君よりも寺嶋姫澄の方が良い素体でしたかね?」


 ダメだ、耳を貸してはいけない。オレをあおって、その無様をたのしもうというだけだ。


可哀想かわいそうですよね、彼女。先月、ちょっとした手違いで命を奪ってしまったのですが、なんと〈獣核ゲノム・コア〉の適性が相当に高かったみたいでして」


 なんだと。


 いや、聞くな。連撃は緩めず、攻め続けろ。今は〈カマキリ〉の刃をおいて他にこの均衡きんこうを守る手立てはない。


「冷凍保存した死体寸前の人間を〈獣核ゲノム・コア〉と適合させる実験で、見事に彼女は生還を果たしました! けれど彼女、生き返ったことを嬉しがらなかったのですよ。どうしてだと思いますか?」


 嘘だ。そんなはずない。


 少なくともオレたちが在学していた頃は、芸能活動が忙しいなりにも、笑えていたんだ。オレが知る限り、ファンを大事にして、学校でも信太郎しんたろうのような先輩に可愛がられて。


 いや待て。それはつまり……。


「生きていたって、自分を愛してくれる人間なんていない、と。親からは商品としてしか見られず。周りの人間は芸能人という記号しか見えていないんだ、とも」


 力の制御を間違いそうになる。こいつの口を何としても引き裂いてやりたい気持ちを、抑えつけなければ。


 勝負は一点、狙える場所はそこしかない。感情に任せるな。不用意な消耗は自殺行為だ。


「極めつけに、通じ合っていると思っていた先輩さえ、知らない女と笑い合っていたそうです。ああ、なんて可哀想に!」


 単純な話だった。やはり寺嶋姫澄は無理をしていたわけで。


 当たり前か。弱音を吐きたくても、そんな場所はどこにもない状態だったのだろう。両親が彼女に対して、娘としてよりも商品価値だけを求めていたなら、きっと泣き言など口にできなかったはずで。


 ずっと不思議だった。高校時代、よく彼女は二つも年上の信太郎とばかり昼食を取りたがっていたことが。だから彼女には信太郎への恋慕があると勝手に思っていた。


 今思えば、きっとそれだけではなかったのだろう。信太郎の分けへだてなく誰にでも向ける、あの笑顔。そんなものを求めていたのだとしたら、オレたちの卒業を彼女はどれだけ悩んだのだろうか。


 それこそ、あの誰も来ない屋上での小さな昼食会だけが、あの娘の癒しだったのなら。モデルでも役者でもない、一人の少女でいられる大切な時間であったとしたのなら。


「心の優しい少女。親や周囲の人間たちの期待に応えなければ、と懸命に耐えている彼女は痛ましかったですね?」


 こいつが、それを言うのか。聞けば多くの人間を〈実験体〉にし、中には〈獣化〉を促進させては、失敗作と切り捨ててきたという男が。その殺戮さえも愉しんだ、この悪魔が。


「だから教えてあげたんですよ。そんなつまらないことより、たった一人、愛を誓える相手を得ればいいのだと」


 何てことだろう。


 あの娘が一番に欲していたかもしれない答えを、こいつが言ってしまったなんて。それが、あのセラフィーナという少女へのゆがんだ愛情にすり替わったというのなら。


「ほら、右足がお留守になっていますよ?」


 一瞬の隙。


 奴の語りと〈実験体〉にされた後輩にせた思いが作った隙。そこへ、つまりは戦闘に集中できていなかったオレへ容赦なく振り下ろされたのは、白い剣先。


 身体を回したが、避けきれずに一撃が右足にかすった。もうここまで来たなら、次はかわせない。


 なら、仕方ない。賭けに出るほかないだろう。


「まさか、自ら死を選ぶ気ですか……?」


 命綱を自ら断つ。自由落下に任せて落ちていくが、これでいい。


 強引に身体を丸めて、回転させる。調整しろ、できないわけがない。この状況下でも、マシンはちゃんとオレを認識して、こちらに来てくれている。


 そうだ。この身体は、どんな軍隊にだって負けないと太鼓判を押されたもので。


 同時に、師匠が命懸けの戦いで掴んできたデータと、そのたましいの結晶なのだから。


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 マシンが後輪を回転させて上を向く。そこを、左足で強引に蹴り上げて。


 もうこの装備がどうなろうが知ったことではない。無理矢理にでも、跳ぶ。


 確か標高二百メートルだったな。一度で足りないなら、何度でも蹴り飛ばすまで。


SPIDERスパイダー


 ビルの壁を蹴っては、伸ばしたワイヤーに沿って跳び上がるジグザグとした動きが残像を残す。そうしてジャンプを繰り返す左足は燃えるように熱くなっていって。


「ノロマめ! その程度の動き、撃ち抜けないとでも!」


 弾丸が舞い、オレの肩を貫く。だが、そんなものは気にもしない。


 大切なのは、届くこと。たとえこいつを倒せなくとも、構わない。


 一番は、その向こうで泣いているあの少女のもとに、駆けつけることだから。


「これはどうですかね!」


 身体を回転させて、降ってくる大きな槍をかわし。そのまま重力に逆らう勢いのまま、奴よりも高くへ上がる。


 脳内で鳴り響くアラートは、左足の限界を告げていて。オレの胸で騒ぐ怒りも、充分にこの脚を覆いつくしている。


「はぁぁぁっ‼」


 気づけば勝手に叫んでいた。そのまま両方の足を突き出し、重力に身をゆだねて。


贋作がんさくの分際で、本物の真似事とはね‼」


 マントの下からは無数の武器。剣も槍も銃もあるのだろう。その全てがホテルをライトアップする光に反射して、騒々しい。


「無様に死にたまえ‼」


 射出された白い武装の数々が、オレだけを狙って飛んでくる。あれら全てが師匠に勝つために用意されたものか。


 なら、お前の負けだ。


MANTISマンティス……Exterminationエクスターミネイション


「は……?」


 腰からの回転を加えながら。右足の装甲から飛び出す鎌鼬かまいたちで嵐を生み出す。


 どんなに数を増やそうが関係ない。物量にしか頼ることのできない攻撃なんて、すべてぎ払って進むだけ。


 いくつの武器がオレの身体をかすめようとも。止まってやる気なんてない。


 最後の悪足掻わるあがきの盾を突き出した〈ネクロ〉。


 そちらが盾なら、こちらはほこだ。お前らの悪意をぶち抜いて壊す、そんなドリルになってやるだけ。


「そんな、馬鹿な⁉ こんな贋作ごときの攻撃で、この盾に、ひびが……⁉」


「オレは確かに本物じゃない」


「⁉」


「だがな……あの人のたましいだけは、ここにある」


 盾を貫いて生まれる爆風が、マフラーをなびかせる。


 そう、誓いの血赤がこの眼に見えている限り。


 オレはもう、止まらない。


「覚えていたまえよ、贋作……いや二代目の赤マフラー‼」


 衝突の反動に吹き飛ばされて元の部屋に戻ってきたことを認識した瞬間、外から聞こえた苦々しい声。どうやら盾が壊れただけで、本体は討てなかったらしい。


 だが、外を見ればハンググライダーで逃げていく〈ネクロ〉の影だけ。どうも、あちらも想定外の反撃に、ここは退くべきと判断らしい。


 それならそれでいい。今は、優先するべきことがある。


「寺嶋……」


 行かなければ。暴走してしまった後輩も、何も知らない無垢むくな少女も、このままにはできない。


 ボロボロの両足が悲鳴を上げているのがわかる。無理もない。装備の限界を無視して同時展開し、おまけに二つとも極限解放をしたのだから。


 だが、それでも。


 走り出す。




 あの娘には、伝えなければいけないことがあるから。

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