EP03-陸:裏表ランウェイ


 ブライダル・ドレス・フェア。


 標高二百メートルにもなるこの黒銀くろかねプリンセスホテル、その最上階で行われるイベント。母親が願い、父親が実現させたもよおし。もちろんお互いの思惑があって、利害が一致しているに過ぎないのだろうけれど。


 私にとっては、作り物の笑顔で乗り切る仕事の一つでしかなくて。


「キスミさん? もしかして、ご病気、つらいですか……?」


 顔をのぞき込まれて、我に返った。


「セラちゃん。大丈夫よ。それより出番、近いでしょ? あなたの笑顔でみんなを元気にしてほしいの。私も含めて、ね?」


 こんなありきたりな言葉も真摯しんしに受け止めてくれている。そう思えるような愛らしい表情を浮かべてうなずいてくれるこの子が、愛おしい。


 武仲たけなかセラフィーナ……セラちゃん。


 学校の後輩で、私がスカウトしたモデルで、そして何より……。


「わかりました! みなさんに笑顔と元気をお届けしてきます!」


 可愛く敬礼の真似をして、ステージに進んでいく。


 背中を大胆に開けた黒いウェディングドレスが、美しいことと言ったらない。薄いレースは妖艶ようえんに、白銀の首飾りは彼女の髪色に合わせてきらめいて。赤い髪飾りはセラちゃんのお気に入りの一品。


 いまだに白以外のウェディングドレスなんて邪道と言われることもあるけれど。日本だって白以外の色として、赤や黒を使ったものを花嫁衣裳としてきたことがある。


 フィンランドと日本のハーフである彼女がその伝統も重んじてくれて。そうしてこの色を選んだことまで含めて、尊い。


 ランウェイに立てば、もう立派なプロの顔を見せてくれる。普段の和やかな笑顔と比較すればするほど、引き込まれてしまうほどに。


(キスミちゃんの浮かべる本物の笑顔、それが一番に大事なんじゃないかな?)


 フラッシュバックするのは、記憶の向こうにいる誰か。陽だまりみたいに温かな、そんな笑顔が見え隠れするのは何故なぜだろう。


 知らないひとの、はずなのに。


「セラちゃーん‼」「こっちみてー‼」「かわいいー‼」


 会場内に響く観客の声に、現実へと引き戻される。まただ、最近こんなことばかり。プロなんだから、しっかりしなくちゃいけないのに。


 もうじき私の番が回ってくる。私が十代最後の演者なんだから、きっちりと締めなくてはいけない。そうして小休憩を挟んでからの二十代以降の部が成功するように、この前半の部を華々しく終えること。つまり、次にバトンを渡すのが仕事だ。


 鏡に映った自分の姿を見つめてみる。白地のドレスに金の装飾をあしらった一着。母親が作りたいと願い続けた夢の一作だ。


 さあ、行こう。このステージを終えれば、私は解放されるのだから。


姫澄きすみちゃーん‼」「すてきー‼」「さいこうー‼」


 思い思いに叫ぶ観客たちを見渡しながら、ランウェイを進む。


 感情を遮断しろ。何も考えるな。今の私はただの人形。美しいドレスをより映えさせるための人形なのだから。


 必要とされる顔はわかっている。どんな表情でも、照明のタイミングに合わせて変えていけばいいだけ。時には天使になりきって、時には小悪魔を装って。決められたポーズを、決められたタイミングで行う。


 ああ、快感が近づいてくるのがわかる。もうすぐ私の願いが叶う。全部、残らず、叶うんだから。


 歓声を背に受けながら、ステージを後にする。観客には休憩時間で、スタッフはひっきりなしに動き続けるこのタイミング。


「キスミさん、お疲れ様でした! やっぱりキスミさんは衣装の着こなしがステキです!」


「セラちゃん、ありがとう。けど、やっぱりセラちゃんの方が素敵だわ。その黒い花嫁衣裳でも、あなたの清純さはまったく壊されていない……むしろより引き立っていたもの」


「キスミさんの方がすごいです! 先月はご病気で入院もされたのに、もうランウェイに立っていて! 誰よりも努力しているキスミさんだからこそ、ですね!」


 どうして彼女はこんなにも素敵なのかしら。無垢むくで、純粋で、けがれなど一切ない。


 だから、その滑らかな手を引いて。


「さあセラちゃん、こっちよ。最後は特別な衣装を着てもらうから」


「え? 打ち合わせでは、そんな話……」


「ふふふ、サプライズなの」


「?」


 きょとんとした表情も、可愛い。楽屋を通り過ぎていく間もきょろきょろと周りを見ているのは、もしかして人の気配がなくなっていくのが不安なのかしら。けれど大丈夫。すぐにあなたは喜んでくれるわ。


 一見すると何もない白タイル張りの壁を、そっと押す。それに反応して自動扉が音もなく口を開けた。


「わあ、ニンジャの隠し通路みたいですね!」


「さ、入って」


「暗いですね。もしかしてニンジャの花嫁衣裳でも隠してあるんですか……キスミさん?」


「ねえ、セラちゃん。ここ、何のために作られた部屋だと思う?」


 彼女を招き入れた瞬間、扉が閉まる。真っ暗な闇の中で、ムーディな紫色の薄明かりが部屋の中を照らし出して。


「セラちゃん、何を驚いているの?」


 固まっている彼女は、小刻みに震えてしまっている。もしかしてベッドに倒れている生ゴミのことかな。自業自得だと思うけれど、セラちゃんは優しいものね。


「だって、キスミさんの、お父さんとお母さんが……」


 赤黒くなったシーツの上で仲良く丸まっている生ゴミを見つめて、彼女は両手で口をおおってしまった。ああ、そうよね。


「ごめんなさい、それ……くさいわよね。私ね、もう嗅覚が治らないかもしれないって言われているものだから。あんまり気にならなくて、失念していたわ」


「何を、言ってる、ですか……?」


「本当はセラちゃんのご両親も呼びたかったのだけれど。でもお二人は今、海外でしょう? だからこんな生ゴミでも仕方なく、ね?」


「それ、どういう……?」


 声がかすれているのがわかる。そんなに喜んでくれているなんて、嬉しいな。


 けれど、どうして震えてばかりいるのかわからない。もしかして、寒いのかしら。フィンランドで生活していた時期が長いと聞いていたのだけれど。梅雨のジメジメした感じには慣れないってことかしら。


 そうでもないとこの震え方は、幽霊を見ておびえているみたいじゃない。


「キスミ、さん……?」


 やっとこっちを見てくれた。大きく開いた瞳も、手の端からのぞくぷるぷるとした唇も、何もかもが尊くて大切で。私の宝物。


「私、セラちゃんが大好きよ」


「え……?」


 やっと口にできた愛の告白に、セラちゃんたら驚いているのかしら。なんて愛らしいの。できるなら、ずっと見つめていたいくらい。


「セラちゃん。本当の私を見てくれたのは、あなただけだった」


「……⁉」


 抱擁ほうようする。私より少しだけ高い背は、けれどびくりと大きくって。まるで捨てられたばかりの子犬のようで愛おしい。


「そんなあなたと一つになりたい。そのために、今日まで我慢してきたのよ。ずっと、ずっとね……」


 妖精のような顔を見たくて、そのまま唇を重ねたくて。手は腰に回したまま、向き直る。ああ、やっぱり美しい。けれど少し怯えたような表情のままだわ。


 ええ、きっと怖いのね。もしかしたら初めての恋のお相手が私なのかもしれない。それなら、なんて素敵なことなのかしら。


 特に私が好きなのは、この宝石みたいに綺麗な瞳。本当にどこまでも青く澄み渡っていて。けれど、そこに映る私の眼は。


――とてもみにくかった。


(君がもたもたしていると、セラフィーナちゃんはもらってしまうよ?)


 脳裏に響く声がわずらわしくて。彼女の瞳に映る私が顔をしかめる。


「あなたを誰にも渡さない。そうよ、私が守ってあげるの。だから一つになる。結婚するの。そうして一生を添い遂げれば、もう何も怖くない。ね、セラちゃん?」


 口にした瞬間、こんなに心地の良いことはないと思った。


 もう昔の自分じゃない。あのゴミ共の言いなりになることも、このベッドで汚い豚どもの相手をする必要もない。


(ミッションコード……変身)


 頭の中で声がする。ああ、きっと〈ネクロ〉だわ。そうよ、今日は生まれ変わった私の晴れ舞台。だから来てくれると言っていたもの。


 髪が重力を退けるのを感じる。あの生ゴミが思い描いた汚い欲望の権化たる衣装を引き裂いて、私は美しい身体へと変わっていって。頭を覆うバイザーが少しだけ窮屈だけれど、おかげでセラちゃんがもっとよく見えるのだから文句はない。


「キスミさん……が、怪人? ウソ、ですよね……?」


「大丈夫。痛くなんかしないから……。さ、セラちゃん」


 口を開けて、キスするように顔を近づけて。


SPIDERスパイダー


「ッ⁉」


 口の中に汚物が混じる。ピリピリとしびれるような感覚が舌を伝って、脳を刺激する。


「ミッションコード……変身」


MANTISマンティス


 絶対に開かないようにセットしたはずの扉が、嵐でも飛んできたかのような轟音に吹き飛ばされる。


 そこには銀の装備をまとった黒い影が立っていて。


「何なのよ……あなた」


終止符ピリオドだ……」


 特徴的な赤いマフラーがなびいている。そんな仮面の死神は、私をにらんでいるようで。


「お前を……殺――」


「それはもう飽きましたよ、贋作がんさくの赤マフラーくん‼」


 ベッドの下から、聞き間違うはずもないあの人の声。私を生まれ変わらせてくれた神様の声だわ。


「まさか……〈ネクロ〉⁉」


「名前までご存じとは嬉しいですねぇ。けれど、せっかくの結婚式だ。邪魔しないでもらいましょうか?」


 目にも止まらぬ速さとはこのことね。白いマントを纏った〈ネクロ〉が、乱入者に強烈なタックル。そのまま小窓ごと壁を突き破って、外へ飛び出した。


 上空二百メートルから落下する赤と白。けれど私は知っているの。私の神様はこんな程度じゃ死なない。ほら、マントがハンググライダーのように展開して、あの邪魔者を蹴落としてしまったわ。


 恋する二人の仲を裂こうとしたのだもの。当然の報いだわ。


「さ、セラちゃん……セラちゃん?」


 振り返ると、そこには誰もいなかった。


 まさか、そんなこと、あるわけない。


「逃げ、た……?」


 胸にこみ上げるのは、何だろう。この気持ちは、いったい。


 いいや、違う。きっと彼女はマリッジブルー……いきなり結婚なんて早すぎたのね。けれど駄目だめ。ぐずぐずしていられない。〈ネクロ〉がセラちゃんを欲しいと思ったら、私の力じゃ止められないもの。神様には誰も逆らえない。


 この部屋を出るには、唯一の出入り口である扉を通るか、あるいは壊された壁の向こうにいくしかない。もちろんセラちゃんはまだ私と一つになっていないから、空の上になんて行けないはずで。


 なら答えは一つ。


「鬼ごっこ。いいわよ、たっぷり楽しみましょう」


 ホテルの中に私は戻る。警備の人間だろうが、警察官だろうが、いっそ名探偵だろうが、関係ない。


 みんな殺して、進むだけ。


「セラちゃん……ふふふ」

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