EP03-伍:笑顔と違和感


 ヒーロー。


 そう呼ばれていた人の記録を脳内で反芻はんすうする。


 一年前、この身体になったオレを鍛えてくれた男の動きは、やはり贋作がんさくでしかない自分のものとは違っていた。


 彼をうしなったすぐ後ではこんな風には見られなかっただろう。なんというか、彼の視点になってものを見るということ自体が新鮮だ。


 攻撃をかわす際も、相手の防御をすり抜ける時も、彼は足に装備した〈バッタ〉と、それと結合した自分の身体をよく知ったうえで使いこなしていた。オレのような力業ちからわざだけでないのは明白で、少しだけ悔しくなる。


 さらには、攻撃を打ち込むときの力の入れ方。きっとオレ以上のものだったはずだ。それは映像上の敵が見せるった動きからも見て取れた。


 こんなにもしたたかで、それ以上に優しいヒーローは、きっともうこの街には現れない。〈実験体〉としての戦闘力だけでもなければ、自由人としての人間愛だけでもない。どちらも備えたたましいが、彼を英雄にしていたのに。


『そんなもんかい?』


 脳内に響く声は、閲覧していたデータ内に残された音声か。それとも、オレの中に残っていた短くも苦しい修行の期間で刻まれた記憶の断片か。


「師匠……」


 客のない午後の喫茶店で、思わずつぶやいてしまって。そんな口をぎゅっと引き結ぶ。


 すがりたくなる。そんな弱さをどうにか仕舞い込んで、コーヒーをれる手だけを動かす。けれどもこれを飲む彼女は、ずっとオレを恨んでいるのだろう。


 あの日、オレがいなければ、喪うことはなかったんだ。彼女の愛したヒーローを。


 だから最期まで守ると決めたのに。だからこそ彼の遺志を継いで、あのマフラーをまとって戦ってきたのに。


 白マントの怪人……〈ネクロ〉。師匠の戦闘データの中での動きと、前回の戦闘での速さが違っていた。おそらく復活に合わせて調整したのだろう。師匠を倒すために。


 わかっている。今の動きでは奴に追い付けないことも。オレには師匠のような、戦いの中にあっても見せる遊び心など持ち合わせていないことも。


 そういう理由で「戦うな」と言われていることさえも。


 しかしおそらく、近いうちに再び対峙たいじすることになるだろう。そんな予感だけが心の内でうごめいていて。それゆえに焦っている自分がいるのもわかっていて。


 ならば次に戦う時までに攻略法を編み出すしかない。勝てずに逃げることになったとしても、生き残るすべを増やす必要がある。


 ああ、梅雨の時期は嫌いだ。ずっと降り続く雨粒を見ないように、今はコーヒーに集中しよう。ずっと深い漆黒。そこに波紋を穿うがしずくを落として。一滴ずつ、丁寧に。


「こんにちはっ!」


 来店を告げる鈴の音と調和するように、美しい声が響き渡る。


「いらっしゃいませ」


 出入口に目をやれば、昨日の妖精じみた銀髪が見える。今日も学校帰りなのか、りゅうめい高校の制服姿だ。


「ぎゃふん! やっぱりここの香りは、ステキですね~」


 なんともほんわかした声に、どこか安堵するのはどうしてか。いや、きっと〈ネクロ〉の標的の一人であるはずの彼女が、今も無事だと認識できるからだ。


 まだ死んでいない。それだけで充分。


「セラちゃんの言っていた通り、素敵なお店ね……え?」


 依頼人の後ろから現れたもう一人の少女。彼女の驚く表情に、オレの視線も動かせなくなった。


南野みなみの……先輩?」


 流れるような黒髪と対比して、透き通るような白い肌。小柄だが、決して主張をおこたらない存在感。夏用制服でさえ着崩したりはしない真面目なところも、あの頃のままで。


 寺嶋てらしま姫澄きすみはそこにいた。


「キスミさん、ニンジャさんとお知り合いですか?」


 互いに何も言えずにいるのを不思議に思ったのか、青い瞳の少女が問いかける。


 それで我に返ったらしい後輩は、あの頃なら絶対に向けなかったような笑顔をこちらに向けて。


南野みなみの光一こういち先輩、ですよね? ごめんなさい。こんなところで会えるなんて思わなくて、驚いてしまって」


「オレも驚きました。まさか貴女あなたのような有名人がこんなところに来るなんて。オレが在学中の頃から女優やモデルのお仕事もしているとうかがっていましたから……」


「敬語なんて使わないでくださいよ。私のほうが後輩なんですから」


「いえ。今は店員とお客様です。そうは参りません」


 もちろんそれだけが理由ではないのだが。しかし、この笑顔には違和感を拭えない。何故なぜかは、自分でも説明できないが。


「じゃあ、もしかしてあかつき先輩も一緒ですか?」


 不思議な笑みを張り付けたまま、きょろきょろと辺りを見回す少女。その瞳は何も疑っていない。まだあいつが……あかつき信太郎しんたろうが生きていると思ったままだ。


「卒業する前、いつも一緒でしたものね。曙先輩なんか、本当に楽しそうに笑っていて」


 知るはずもない。いいや、知りたくもない現実を、突き付けるしかないのか。


「よく委員会の関係でご一緒しましたけど、南野先輩の話ばっかりしてたんですよ?」


 なつかしそうな表情の裏に、どれだけオレへの敵意を隠しているのかなど、想像するまでもなく。


「お弁当はいつも光一が作ってくれるんだぁとか。光一の淹れるコーヒーはすごく美味しいからいつかお店が開けるよぉとか」


 たとえどんなに落胆するとしても。その笑顔が曇ろうとも。


「信太郎は、もう……」




「ハロー、みんなの名探偵☆橋端はしば三平さんぺいですよ!」




 大仰おおぎょうにドアを開いたせいで、オレの声は鈴の音に連れ去られてしまう。もちろんこの場にいる全員が、そんなものより闖入者ちんにゅうしゃを気にしているわけだが。


「いらっしゃいませ」


「名探偵さん!」


「……え? この人が?」


 流石さすがの女優様もあの笑顔を保てなかった。いや、保てないで眉間みけんにシワを寄せていることに、オレはどこかほっとした気持ちになる。


「おや、そちらのお嬢さん……あれ、どこかでお会いしませんでした?」


「いいえ、存じ上げません」


 満面の営業スマイルで、くだらないナンパが打ち破られる。


「キスミさんです! ワタシの学校の先輩で、モデルのお仕事を教えてくれた事務所の先輩でもあるんですよ!」


 今度は嘘のない純粋な笑みを浮かべる依頼人による紹介だ。なるほど、彼女がモデル業を始めた理由が何となくわかった。寺嶋姫澄が誘ったと考えると合点がいく。記憶に違いがなければ、信太郎も一度誘われているはずだ。


「そうでしたか! なるほど、じゃあ今度のイベントにも出られるんですな」


「ええ、両親が進めているイベントですし、モデルとしてのお仕事でもありますので」


「ご両親?」


「改めまして。寺嶋姫澄と申します。寺嶋プロダクション所属のモデルをしています」


 その名前を聞いて、迷探偵もようやく理解できたらしい。この営業スマイルの少女が、標的にされているイベントを主催した人間の娘であると。


「いやぁ~、こいつは失敬! 吾輩としたことが!」


「わがはい……?」


 どうやら一人称からも不穏さを感じ取ってくれたらしい。流石に営業スマイルを崩すようなことにはなっていないが。少しだけ、笑顔が引きっているように見える。


「名探偵さん、怪人の正体はつかめましたか⁉ もうタイホしちゃいましたか⁉」


「え~っと、それがですなぁ……」


 歯切れの悪い探偵。それを真剣に見つめる依頼人。そんな二人をただ見せられるオレと後輩。なんだ、これ。あと探偵に逮捕する権限はないぞ。


「実は、いくら調べても、白マントの怪人の正体がわからんのです……」


「な……なんと⁉ 名探偵でも探り当てられないなんて……ぎゃふん⁉」


 だからその口癖は何なんだ。


「セラちゃん。また出てるわよ?」


「はわぁ⁉ スミマセン、つい……」


 どうやら寺嶋姫澄にとって、この武仲たけなかセラフィーナ嬢は手のかかる後輩らしい。学年も一つか二つ下なのだろう。


 それにしても、多少は困ったようにしながらも、絶対に笑顔を崩さないのが不思議だ。女優としてのプライドというものなのか。


「しかしセラさん。安心してくださいね。この名探偵、橋端三平……イベント会場を警備します! もう、命を懸けてもあなたを守っちゃいますから!」


「本当ですか? ならば鬼に金棒、天狗てんぐにゴボウ、ワタシに希望ときたもんです‼」


 早口言葉、ではない。なんというか、語呂の良さだけで選んだような文句がさらさらと並んでいたことだけしかわからない。


「セラちゃん、また古い映画を観たのね。しかも自分流にアレンジまでして……後で事務所の人に言っておかなきゃ。変な映画を見せないように、って」


「大変そうですね……」


「でも、そこが可愛いところでもあるんですけれどね。ふふ」


 この笑顔に宿る違和感の正体が、ちらりと顔を出した気がした。が、掴む前に消えてしまう。言いようのないこの感覚。知りたいと思う反面、知りたくないと叫ぶ自分がいる。不可思議なものだ。


 戸惑いがちな鈴の音がして振り返る。どうにも今日は来客が多い日らしい。


「いらっしゃいませ」


 無事に言い終えた瞬間に気付く。この男、先月の事件で真っ先にオレに銃を突きつけた警官だ。もっとも、あの時のオレは赤マフラーと呼ばれているテロリストの姿で。こんな喫茶店のアルバイトと同一人物だと見抜けるわけもないだろうが。


 そもそも、男はオレになど目もくれずに歩を進めていく。


「姫澄」


正仁まさひとさん」


 女優にしてモデル、そして街の金持ちのお嬢様に声をかけている。親しい間柄のようだが、なんだか妹を見る兄、という雰囲気だ。


「どちらさんで?」


 当然の質問が迷探偵から漏れる。長身でスーツ越しにも良い体格とわかる男からの鋭い視線が、そのちっぽけな探偵を射貫く。


「こういうものだが?」


「け、刑事⁉ なんで、警察が来るんですかい⁉」


 突き出されたのは、黒い身分証。まさしく刑事ドラマでしかお目にかかったことはない物品。本当に懐から出てくるのを見るのは初めてだった。


「両親が昔から懇意こんいにしていた刑事さんがいまして。その息子さんなんです。私も子どもの頃からお世話になっていて」


 ニコニコとした作り笑顔で説明されても、探偵は目を開閉するばかり。まるで話が呑み込めていない様子だった。


「俺たち警察がイベント会場の警備をすることになってな。んで、そっちの被害者が使えそうにない探偵を雇ったらしいって話を聞いて見に来たら……本当にダメそうな男だな」


「な、ななな、なんですとぉぉぉぉぉ⁉」


 叫ぶ姿からして、「こんなに使えない探偵です」とアピールしているようなものだった。


「だだだ、だいたいねぇ⁉ お前さんみたいな若造に何ができるってんだい⁉」


「少なくとも、黒銀くろかね警察署は複数の犯行予告があることを確認している。だから会場の警備は俺たちが万全の状態で行うんだよ」


 焦燥感がにじむ探偵の顔に、若手刑事の顔がくっつく寸前まで迫る。もう額をこすり付けられそうな勢いだ。


「この街に蔓延はびこる悪党どもは、片っ端から俺の手で捕まえてやる……!」


 その瞳には炎が視えた。怒りや憎しみ、そして人を守ろうとするが故にさかる正義という名のほのおが。


「ふん! お若い刑事さん? なら、どちらが先に犯人を捕まえるか、勝負しますかい?」


「何ぃ……?」


「吾輩が勝ったら、探偵料はあんたから頂戴ちょうだいしますぜ? 高給取り様なら、そのくらい払えるでしょう? モデルとはいえ女子高生から金をとるのは忍びないと思っていたんでい!」


 嘘だな。というか、どうして江戸っ子口調になっているんだ。


「いいだろう。その代わり、こっちが犯人を押さえたら、二度と彼女たちに近づくなよ? 姫澄は可愛い妹分で、この街の善良な市民だ。あんたみたいな薄汚い探偵紛いが近寄るなんて間違ってんだよ」


「ななななな、なんですとー⁉ くぅ……、いいですとも! そっちも約束、忘れんじゃないですよーだっ!」


 探偵と刑事。その中間で、困ったように二人を交互に見やるハーフの少女。


 これが普通の事件なら、どう足掻あがいても結果は見えている。それに女子高生とこのおっさんがお近づきになるというのも、なんとなく気持ちが良いものでもない。是非とも若手刑事には頑張ってもらいたいものだと思う。


 もちろん、白マントの怪人……〈ネクロ〉を捕まえるのは無理な話だろうが。


「ふふふ」


 やっと座った四人もの客。その人数分のコーヒーをテーブルに並べているとき。

聞こえたのは、寺嶋姫澄の微笑ほほえむ声。


 そのはずなのに。少女の声に混ざったものが、聞こえてしまった。


「あら、南野先輩、どうかしましたか?」


「……いえ、何も」


「?」


 そういうことか。


 ちらついていた違和感の正体が視えた気がした。できることなら知りたくなかったが。しかしそれなら辻褄つじつまは合う。合ってしまう。


「ぎゃふん! やっぱりこのコーヒーは最高です! キスミさんも、ぜひ飲んでみてください!」


「あ、ごめんなさい。私、お医者様から刺激物は取らないようにと言われているのよ」


「そっか。姫澄、先月はちょっと入院していたんだもんな。まだ通院もしているんだろ? 何ならイベントも無理して出る必要はないんだぞ?」


「ありがとう、正仁さん。けれど私はプロとして、自分の仕事を投げ出したりはしないわ」


 自信にあふれた微笑みをたたえて、彼女は心配してくれる人間たちをうなずかせる。


 嘘だろ。仮に、オレの予感が的中しているとしたら。


 いや、まだ確証はない。昨日からあまり休息をとっていないせいで、オレの方に何らかの支障が出ているだけという可能性もある。


 いや、そうであってくれ。頼む。よりにもよって彼女だなんて、信じたくない。


「いけない。私、この後お仕事があるので。今日はこれで失礼しますね」


「俺が送っていこう。えっと、セラさん、だっけ? 君も一緒に行くか?」


「はい、お願いいたします! キスミさんのお仕事、見学したいです!」


「セラさん! 吾輩が必ずあなたをお守りしますからね! イベント当日のためにも、聞き込みに行かねば! ではでは~!」


 それぞれが店を後にしていく。


 残されたオレの胸中には、小さなとげ。けれど、まだ可能性でしかない。だからすぐさまメッセージを飛ばす。


『オーナー、〈ネクロ〉の手がかりを掴んだかもしれません』

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