EP03-肆:白い不安


 戦闘ログの解析、完了。


 過去のデータとの照合でも九割が合致するという結果だ。口ぶりからしても、まず間違いない。


 嘘だと言ってほしい。


 これも〈獣核ゲノム・コア〉の力、なんて言われても信用できないぞ。あれだけの犠牲を払ってまで討ったのに、たった一年で完治どころか強化されて戻ってきた、ということになる。


 いや、これこそが〈スポンサー〉のなせるわざ、ということなのか。


 それなら余計に彼には伝えたくない。


 ただでさえ私と少年は薄氷の上を歩いている。いつ〈スポンサー〉に刺客を差し向けられて抹殺されるともわからないのに。


 たおしたはずの相手が平然と帰ってくるなんて……。




「オーナー、コーヒーをお持ちしました」


 タイミングが良いのか悪いのか。少年が来てしまった。


 どうする。告げるべきか。


 けれど彼が「逃げない」と言ってしまうことは容易に想像ができる。特に〈スポンサー〉絡みの敵だということは、接敵した彼自身がその耳で聞いたことで。説得の仕方を間違えば、きっと無策でも戦うに決まっている。


 それだけはダメだ。あのバカが勝てるかどうかの相手だぞ。今の少年が戦いを挑むなら、それこそ死を覚悟したくらいじゃ足りないんだ。


「なあ少年。店の後始末とか、もういいのかい?」


「もう終えていますが? 何か気になることでも?」


「いや、別に……」


 ダメだ、これはもう完全に見抜かれている。そもそも、この南野みなみの光一こういちという少年がここまで生き残ってきたのは、ひとえにこの洞察力のおかげだ。私が何に不安を感じているかなど、とっくにお見通しだろう。


 一口、差し出されたコーヒーをすする。ああ、いつもなら美味しいのだが、流石さすがに罪悪感で味がわからない。


「オーナー。例の白マントですが、何かわかりましたか?」


 もう逃れられない。言うしかない。


 コーヒーカップから口を離すタイミングで、溜め息を一つだけ。よし、言うぞ。


「少年、もうわかっているかもしれないが、口に出して言うよ。あのバカが……君の師匠が、やっとの思いでたおした敵。それがあの白マント……〈ネクロ〉だ」


「ネクロ……?」


 反芻はんすうされた名に、ただうなずく。


「そうだ。『死』を意味する名を持つ〈実験体〉。今までの敵とは、格が違う」


「戦ったからわかります。あいつは、生かしておいてはいけないたぐいの敵です」


「なぜ、そう思う?」


「戦いを……たのしんでいる」


 無表情の中に見せる、その色は何だろう。恐怖という感情だけではない。もっと熱を帯びたものが宿っている。怒りや憎しみに近い黒いほむらが。


 いけない。戦う気だ。それも殺しあって、相手が死ぬのを確認するまで辞めないところまで徹底的に、容赦なく。


「いいかい、少年。〈ネクロ〉とは戦うな」


何故なぜですか?」


「さっきも言っただろう。格が違う。〈バッタ〉しかなかった師匠より君の方が武装は多いかもしれない。けれど、それだけで勝てないのは君もわかっているんじゃないか?」


「……」


 押し黙った彼が何を考えているのか。それこそ今度こそ倒す手立てを考えていたのに、それを根から否定されたような気分なのかもしれない。


 けれど、そうでもしなければ。君は、負ける。無惨に、殺されてしまう。


「もっと奴の情報を集めないといけない。それまで戦闘はしないようにしてくれ」


「もし遭遇した場合は?」


「全力で逃げてくれ。バイクが破損しようと構わない。君の生存を優先するんだ」


「承服しかねます」


 あっさりと否定してくる。


 射貫くような瞳、その漆黒の渦に呑み込まれそうになる。だがダメだ。ここで私が折れたら、今度はこの少年があの怪物の餌食えじきになる。


 だから禁じ手を使おう。


「少年、覚えているかい? 去年の七夕のことを」


「オレが忘れられるとでも?」


 視線が鋭さを増すのがわかる。きっと私のようなひねくれ者でなければ、にらまれただけで失神してしまうぞ。


 それでも声が震えぬように、淡々と言葉を連ねることに集中する。


「お互い、絶対に忘れえぬ事件さ。君は育ての家族も、数少ない友人も、そして親友さえうしなった。だけど私も〈スポンサー〉に立ち向かえるヒーローを喪った。君も、あのバカがどれだけ強かったか、わかっているだろう?」


「……」


 うつむく少年は、口をつぐむ。


 ああ、すまない。君にとってこの質問は古傷をえぐるような行為だろうとも。かつての罪を糾弾して黙らせる卑劣な手段だ。むしろ私のほうが罪状は多いというのにね。


 けれど、君を守るためにはこうするしかない。わかってくれ、なんて口が裂けても言えないけれども。


「君の師匠ですら二重三重の対策をして、ようやく勝った相手だ。それを踏まえて復活したと考えるのが妥当だとうだろう。なら、君の取るべき行動は決まっているのではないか?」


「……承知しました」


 無機質で機械的な返答。心の中で燃え上がっていた炎を無理矢理に沈めたような声。


「安心してくれ。代わりに依頼人ちゃんの言っていたイベントのことは調べておいたし、奴の狙いもなんとなく見えているんだ」


「!」


 いい食いつき具合だ。ふふ、いつもこうして素直なら可愛いものだが。まあ、男の子ってものは、こういう感じで仕方ないらしい。


「これを見てくれ」


 キーボードを叩き、イベントについて集めた様々な情報を提示する。これくらいしか、実際に戦う彼のためにできることがないのは歯痒はがゆいが、それが私の役目だから仕方ない。


「イベントは六月最後の日曜日を使って行われる。構成も至極単純さ」


 各企業や芸能事務所からの出場者が、各々の新作ウェディングドレスを身に着けて舞台に上がる。そこで簡単なポーズでアピールしていくだけの簡素なもの。だが出演者は決まって芸能界での知名度が向上するという話だ。


「主催者は、黒銀くろかねの資産家の一人……寺嶋てらしま番輔ばんすけ?」


「ああ。主に芸能界で絶大な影響力を持っている人間だ。ゆえにイベントに出るということ自体、この街の芸能人にとって大きな意味があるというわけさ。何しろ放送局を丸まる一つ牛耳ぎゅうじっている人間のお気に入りになれば、それだけ評価は違ってくるからね」


 簡単な補足を言い終えて気づく。少年の様子が変だ。どういうわけか、その名前をずっと凝視している。あまり人に頓着とんちゃくする子だとは思ってこなかったが。


「寺嶋……。まさかな」


「なんだい、知り合いに同じ苗字の子でもいるのかい?」


「いえ。高校の後輩に、こんな苗字のがいたな、と」


「そういえばこの男、まだ学生の娘がいるそうだぞ? 確か、君の出身校であるりゅうめい高校のはずだが? ほら、この娘だ」


「……」


 画面を操作して、その娘の家族写真を見せてやる。


 父親というより祖父のような年の差の男は、成金趣味なのか、金をあしらった高そうなスーツ姿だ。母親は高名なデザイナーだからなのか、それとも夫より相当に若いからなのか、露出の多い派手な服装が目に痛々しい。


 対して娘は地味にすら見える。これぞ清楚せいそな女子高生といった具合で、男受けしそうな制服姿。しかし笑顔は間違いなく芸能人のそれだ。テレビのバラエティなどにはうとい私でもわかる。この少女に愛をささやかれれば、たいていの男は手玉に取られてしまうだろう。たとえそれが嘘だとわかっていても、きっとあらがえまい。


 で、現在は高校三年生。つまり、昨年の三月に竜明高校を卒業したこの少年が在学中に出会っていても特に不思議はないわけで。


「もしかして少年、この寺嶋ちゃんは、君の初恋の相手とか?」


「むしろ敵対視されていたことだけは記憶に残っています」


「敵対視?」


「彼女は信太郎しんたろうを……親友のことを慕っていたようで。けれど、あいつは鈍感でしたから」


 ああ、そういうことか。少年の親友くんは笑顔の絶えない美少年だったらしい。ということは後輩女子である寺嶋嬢には「憧れの先輩」と映ったわけだ。そして、その先輩が気にしているのはこの不愛想な親友、とくれば。


「じゃあ、顔見知りか。情報を聞き出せるかも……って、少年?」


「できれば会いたくはないですが」


「残念なお知らせだ。彼女も出演者の一人だよ」


 もう嫌悪感を隠すことさえできないでいる。それほどまでに嫌か。


「どうも君たちが卒業した後に、本格的に芸能活動をしているらしいよ。母親もデザイナーだし、まあ順当な進路だろうね」


「成績、悪くなかったのに……」


 おや、思ったよりも残念そうだ。もしかしたら、本当は気があったのか。確かに小柄だし、守ってあげたいと思う男は多そうなものだが。


「ところで、〈ネクロ〉の狙いとは?」


 鋭い視線が飛んできた。どうも私の邪推に気付いているらしい。


「ああ。実は奴の趣味しゅみ嗜好しこうはかなりゆがんでいてね。どういう手段を用いているのかはわからないが、〈実験体〉を強制的に〈獣化〉させる。で、その暴れまわる様を観察。そして、それを」


たのしんでいる」


 少年が引き継いだ言葉に、肯定の意を込めてうなずく。


 また彼の瞳の中に炎がちらついているのが視えてしまった。怒りと憎しみに燃え上がり、同時にそれを抑えつける理性のほのおが。


「観察対象の〈実験体〉が攻撃するだろう人間に、事前に犯行予告を送り付ける。これも奴らしい気まぐれの一つだ。そしておそらく、ここ数日の食人衝動に駆られた〈獣核ゲノム・コア〉も奴の仕業と考えれば……」


「あの少女を〈実験体〉に喰わせる瞬間を観て、愉しもうとしている……?」


 ぎゅっと拳を握る少年は、やはり湧き上がる憤怒ふんぬに耐えている。許せない敵の嗜好と、狂わされる〈実験体〉。そこに傷つけられるだろう少女たちの絶望の表情でも思い描いたのか。


 だが、その優しさが命取りになりかねない。


「逆に言えば、だ。あの少女を〈クモ〉でマークし、君が会場付近にいればいい。奴は基本的には〈実験体〉を観察するのが役目みたいだから、君と〈実験体〉との戦闘には直接の干渉はしてこないはずだ」


「師匠の時はそうだった、と?」


「ああ。確定したものではないが、奴が戦闘中に乱入してきたことは一度もない」


 もちろん保証はない。そもそも奴の思考を読み切ることなど、私にできるものか。


 だが、この少年が奴との無謀な戦闘をしないよう言い聞かせるには、優先順位をわかってもらうしかない。


「わかりました。あくまであの依頼人を襲う〈実験体〉の排除。今回はそれに専念します」


 司令塔である私が弱気になっていることも、もう見抜いたうえで言っていることは明白だった。ああ、それこそが君がヒーローを継がされた理由だろうね。


 誰かを思いやる優しさがあるかどうか。単なる殺戮兵器じゃ絶対に持ちえない心。強大な力を制御し、救われない誰かの未来を変えられるたましいの在り方。


 少なくとも私はそう思う。甘いと言われても、これだけはゆずることができない。譲っては、いけないんだ。たとえどれだけ君に苦しみを強いるとしても。


「それはそれとして……オーナー」


「ん?」


「閲覧したいデータがあるのですが」


 神妙な顔つきで迫られる。私は何を所望されるのか。できるなら喫茶店の売上とかそんなものならいいのだが。



「師匠のこれまでの戦闘データをすべて。特に映像のものは必ず」

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