EP03-参:依頼人は妖精のごとく

 梅雨空は今日も晴れない。


 開店の時からずっと降り続けている。もう午後四時を回ろうとしているのに、これでは客足も遠のいて仕方がない。いや、そもそも客なんてほとんど来ないのだが。


 正直、昨夜の戦闘は危なかった。一歩間違えば死んでいる程度には。


 それでも生きている自分自身を呪いたくなるのは傲慢ごうまんなのだろうか。


 腹に傷を負いながら、海に逃げ込んで。そんな状況でもこの身体はまだ停止しなかった。オートコントロールで動いていたマシンのところまで、ほんの数分で泳いでいったらしい。ほとんど無意識だったが、こうして生きている以上、それが事実ということになる。


 結果として夜が明ける前には帰ってこられた。通信不良と、その間に行った戦闘によるダメージへの調整にそれなりに時間を食ったが、まあ、良しとするしかない。おかげで地下研究室のオーナーは今も仮眠中だろう。


 そんなこんなで、少し慌ただしい開店準備になってしまった。


 こんな日まで店を開ける必要はない、なんてオーナーは言っていたが。そんな気遣いをされる立場ではない。どうせ、そう簡単には死ねないのだから。


 そういえば、昨夜の〈実験体〉について話した後から、オーナーの様子がおかしかった。


 思えば、あの白マントの口ぶり。師匠と何度も戦闘をしているのも、〈スポンサー〉寄りの一体なのも、間違いない。ひょっとすると、奴なら知っているのだろうか。オレたちが求める〈スポンサー〉の正体、というものを。


南野みなみの光一こういちか。うん、良い名前だな、少年。おれは好きだぜ♪)


 どうしてだろう。初めて師匠がオレの名を呼んだときのことを思い出す。あの人の見せる笑顔と共に。


 彼こそが本物だ。そんなことは、わかっている。赤いマフラーをなびかせて戦うこの街のヒーロー。一番に泣きたい状況でも、決して笑顔を絶やさなかった男。


 両親の死と共に笑顔を失ったオレのような弱者さえ救って。親友を取り戻そうと怒りに身をゆだねたオレに、戦う技とその意味を教えてくれて。


 そうして、あの七夕の夜。オレに全てを託して死んでしまった……本物の英雄。




「やあ、バイト少年。コーヒーを頼むよ! 二つ、ね‼」


 ドアを開け放つと同時に聞こえるはずの鈴の音。それすらかき消す勢いで叫ぶ声は、数少ない常連客のものだった。


 チェックがらでベージュのスーツ姿。これ見よがしに浮かべる笑みが鬱陶うっとうしくも、それさえアイデンティティな迷探偵。しかし傘まで同じ柄というのは、どうなんだ。


「いらっしゃいませ。お仕事、ですか」


「そうさ、吾輩わがはいの出番なのさ。難事件は、この名探偵☆橋端はしば三平さんぺいにお任せあれってね!」


 したり顔で堂々と店の中へと進むこの探偵の、その後ろから、おずおずと入ってくる影。そこにいる相手にオレの瞳はきつけられる。


 肩にはふわりと三つ編みでまとめられた銀色の髪。白人種特有の肌をほんのりと染める桃色は化粧か本人の血行の良さか。サファイアでも埋め込んでいるのではないかと錯覚するほどの美しい瞳は、きらきらと輝いて。


 きっちりとした白の半袖ブラウスの上からは、ミントグリーンのサマーセーター。長く美しい脚線を見せる下半身には、薄いグレーのスカート。それは、あまりに見慣れた私立竜明りゅうめい高校の夏服だった。


 ああ、そうか。この少女はオレにとって高校の後輩、ということになるらしい。


「ぎゃふん!」


 ちょっと待て。なんだ、今の声は。


 北欧あたりの外国語が飛んできそうな口を、彼女は両手で抑えてみせる。


「はっ⁉ スミマセン。とてもステキなお店だったので、ついクセが……」


 どうやらおめの言葉だったらしい。ほおがより赤みを増しているから、照れているのだろうか。


 だとしても、「ぎゃふん」ってなんだ。「Oops《ウップス》」とか、そういう驚いたときのリアクションとでも受け止めればいいのか。


 それにしても、日本人のオレが聞いてもほとんど違和感がない日本語を話している気がする。ということは、彼女はハーフだろうか。もしくは日本暮らしが長い外国人か。


「では改めて、探偵の橋端三平です。えっと、武仲たけなかさん?」


「はい、武仲セラフィーナと申します! セラって呼んでください」


 苗字がタケナカなら、どうも前者のようだった。


 しかし、こんな少女がどんな事件を依頼するというのだろう。見るからに元気だし、困っている内容の想像ができない。それもわざわざこんな胡散臭うさんくさい探偵に依頼する、というのが気掛かりでならない。


「バイト少年くん、コーヒーはまだかな?」


「ただいまお持ちします」


 くだらない詮索せんさくは辞めることにして、コーヒーをれるため手を動かす。


 そもそも竜明高校は交換留学の制度があったはずだから、外国籍の生徒がいようが不思議はない。少なくともオレの在学していた頃に見た資料にはそう書いてあった。卒業してからまだ一年と三ヶ月しか経っていないので、変わっているということもないだろう。


「お待たせいたしました」


 店の奥のテーブルに座る二人に、軽く頭を下げつつ。淡い湯気で香りを運ぶコーヒーを出した。


「ぎゃふん……!」


 まただ。この少女、本当に高校生だろうか。顔立ちの整い方からして人形のようですらあり、おかげで年齢は定かでない。だが、初めてコーヒーというものを見た子どものような食いつき具合だ。


「アナタはもしかして、〈バリスタ〉ですか?」


「いいえ、ただのアルバイトです」


「ただのアルバイト……!」


 なんだ。何に感銘を受けているんだ。そんなキラキラした瞳でこっちを見る理由がわからない。


 とにかくきびすを返して厨房に戻る。考えるのも馬鹿らしくなってきた。元からこういう不思議な子、ということだろうか。いや、もう、そういうことにしておこう。


 きっと飼い犬でも探してくれとか、そんな程度の事件に違いない。どう見ても〈実験体〉と関わるような雰囲気はない。あの口から怪物だの怪人だのという単語でも飛んでこない限り、有り得ないだろう。


「おほん。それで武仲さ……いや、セラさん」


 わざわざ言い直した理由が気になって、ついカウンター越しに二人を見やる。少女の顔が、悲しげな表情から一転して、またさっきまでのニコニコ笑顔に戻っていく瞬間だった。


 どうも呼び方が気になるらしい。


「是非ともこの名探偵に依頼したいというメールでしたが……どのような難事件で?」


「実は、白いマントのカイジンを見つけてほしいんです」


 真剣な表情を見せる少女に、オレの視線は釘付けになった。それこそ、昨夜にマントの怪人と対決した記憶がフラッシュバックする。


「怪人……ですかい?」


「これ、見てもらえませんか?」


 彼女が学生カバンから取り出したのは、携帯端末。そこに映し出されるのは、写真か。新聞の文字をくりぬいて組み合わせたそれから連想されるのは、脅迫状。


 ミルクを持っていくフリで、そっと近づく。


「なになに……『花嫁衣裳の祭典、そこに立ってはいけない。もし来るなら、白いマントの怪人が美しい君を食い殺すだろう』……? なんのこっちゃ?」


 オレにも聞こえるほどの声で探偵が音読し始めてしまう。本当にこの男は探偵なのかと不安にもなるが、おかげで手間は省けた。


「ワタシ、雑誌の読者モデルをしています。今月末にはこのイベントに出るんです」


 ちょうどよくオレがミルクの小瓶を置いた瞬間に、端末の画面がちらりと見えた。これで充分だ。オレの視覚情報は自動でオーナーのパソコンに共有される。話が〈実験体〉絡みと判断できたら、情報確認を頼めばいい。


「ブライダル・ドレス・フェア……? ああ、毎年ホテルでやっているあれですな。若手の女優やアイドルなんかに、新作の花嫁衣裳を着てもらうってイベント! 斬新な衣装が飛び出すってこの時期どこにでもポスター貼ってある、あれですかい?」


「そうなんです! ワタシもすっごく楽しみにしていて!」


 聞いたことがある名前だった。それこそ高校時代にクラスメイトたちが騒いでいたもよおしだったと記憶している。高名なデザイナーのドレスだとか、それを着る女性の美しさだとか。そのイベントで成功する者は知名度が増していくらしい、とも。


 なるほど売り出し中の雑誌モデルなら、確かに大きなチャンスになるのだろう。だが、さっきまでの明るさとは打って変わって、彼女の表情は曇りを見せる。


「けれど、なんだか怖いんです。本当に悪いことが起きるような気がして……」


「まあ、そうでしょうとも。先月なんか、あのいけ好かない赤マフラーのテロリストに、病院が爆破されていますからなぁ……。まあ、そいつはもう警察に捕まっていると聞きますが、危ない事件があったことに変わりはありません!」


 今ここに、そのテロリストがいると言ったらどうなるだろうか。


 いや、まず信じまい。実際に爆破を引き起こしたのが誰であれ、数えて百近い死人を出した悪党がこんな喫茶店のアルバイトなどと。


 実際に捕まったのは〈スポンサー〉側が適当に見繕みつくろった誰かだ。それをきっかけに違法薬物の密売ルートを摘発したというニュースがあったことからしても、間違いない。


 先月の〈実験体〉絡みの大きな事件で起きた市民の不安。その犯人を検挙し、おまけに他の犯罪者たちも捕まえた、というニュースを流すこと。これで市民の頭の中には、事件を終わったもの、という解釈が生まれるという寸法だ。


 もっとも、この推論は師匠とオーナーの受け売りだ。しかし、納得できる話でもある。そうでもなければ、いかにこの黒銀くろかねの街が〈革新都市〉と呼ばれるほど発展の中にあっても、人間の出入りが減らないはずもない。警察の力が存在するように見せながら、その裏では彼らに止められるわけもない悪意が進行する。


 そんなこの街の現状に、自然と拳が握られる。追い詰めなければならない。こんな悪夢を蔓延まんえんさせる〈組織〉たちも。それを支援する元凶……〈スポンサー〉も。


 それがたとえエゴイズムのかたまりで、誰のための正義でなかったとしても。


「しかし安心してもらっていいですぞ。なんたって吾輩、名探偵ですから!」


「はい! よろしくお願いします‼」


 胸を叩いて安請け合いする迷探偵と、にっこりとうなずく純粋な少女。


 ああ、あの娘の笑顔。どことなく、あいつに似ている気がする。


 脳裏を過ぎるのは遠い日の記憶。純真で無垢むくな子どもの、柔らかなだまり色の笑顔。いつか世界中のみんなを笑顔にしたいと笑っていた、親友の姿。


「きっとこのイベントを成功させれば、皆さんを笑顔にできると思うのです! 名探偵のオチカラで守ってください!」


 自分に言われたわけではないことなど、理解しているはずなのに。どうしてか、この少女の言葉に、胸が痛くなる。


「はっはっはっはぁ! この橋端三平、白マントだろうが赤マフラーだろうが、必ずや尻尾を捕まえて、イベントはお守りしますからね‼」


「ぎゃふん!」


 とにかくこの少女をマークしていれば、あの髑髏どくろの〈実験体〉に出くわすかもしれない。服にでも〈クモ〉を忍ばせることにしよう。


 戸棚に手を向ける動作で誤魔化ごまかして、左手から極小の〈クモ〉を放つ。


 オレの持つ四種の武装の中で最も広範囲で操ることができる目であり耳であり、そして戦いの中では最大のサポーター。単体での攻撃性能では他の三種に及ばないが、情報収集においてこんなに秀でたものはない。


「このコーヒー……ぎゃふん! です‼」


 セーターに付着した瞬間。目標の少女が急に立ち上がったものだから、肝を冷やす。が、当然のように〈クモ〉はセーターの内側へと隠れてくれた。内心でほっと胸を撫で下ろす。


「ぎゃふんって、このコーヒーがですかい?」


「はい! とっても美味しいです! 苦みや酸味は損なわず、けれど後味はスッキリ! これはやはり、あの方は〈バリスタ〉なのでは⁉」


 振り向かれてぎょっとする。なんだ、その瞳は。キラキラさせるな、やめてくれ。こっちの目に毒だ。


「その静かながらもリリしいタタズまい……、もしかしてニンジャさんなのでは⁉」


「違います」


 一応の否定だけして、背を向ける。作り笑顔さえできないオレには、これが精一杯だ。


「背中で語るオトコの中のオトコ! ですね⁉」


 溜め息を漏らす。後ろから「吾輩のほうが男の中の男ですぞ」などという声がするのを聞きながら。


 あの白マントもさることながら、今回は厳しい事件になりそうな予感がある。

とにかく、この妖精のように自由な娘さんは、ちょっと苦手だ。

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