EP03-弐:黒銀の新米刑事


 黒銀くろかね


 日本という極東の島国。その地方都市でしかないくせに、多くの先端技術が集い賑わう〈革新都市〉。


 俺が生まれ育った場所で、守るべき世界そのもの。それがこの黒銀という街だ。


 しかし、最近はに落ちない事件が多すぎる。刑事になってそれがよくわかるようになってきた。


 まず前からずっと言われていた「人が消える」といううわさ。もちろん、人が出入りすることがそもそも多い街だ。まるで誰かが忽然こつぜんと消えてしまったようにこの街を去ることだって別に有り得ないことじゃない。


 それに最近になって異様に増えた「怪物騒ぎ」。これはサイバー課がぼやいていたことだが。ほとんどガセネタや合成写真らしいが、そういうものを見たという書き込みが増えつつあるんだとか。


 元々この土地には「赤い外套がいとうの悪魔」だとか「海からの死神」だとか、そういう子どもが危ないところに行かないようにするための言い伝えじみた妖怪がいくつかいる。


 いや、もしかしたら。そうした伝承を盾にするつもりで、あのテロリストは血のように赤いマフラーをしていたのか。だとしたら、最低だ。身勝手に多くの人を爆破したのは、伝説の悪魔のたたりだなんて冗談じゃない。


 俺が一番に嫌いなのは、そういう連中だ。


 自分たちの意見や考えを押し付けるために、他人を傷つけていいと思っていやがる最低な人間たち。いや、もう人間なんて呼びたくない。そいつらは犯罪者の中でも下の下。できるなら全員逮捕して、刑務所に放り込んでやりたいくらいだ。


「おいマサ、どうした? そんな怖い顔して」


水早みはやさん、おはようございます」


 背中に聞こえたのは、尊敬すべき先輩の声。


 水早みはや亮介りょうすけさん。この黒銀警察署のベテラン刑事で、俺の教育係でもある。もう五十代だっていうのに、爽やかな印象は昔と全然変わらなくて。それこそ今でも署の内外でハンサムだねって声が聞こえるくらいだ。


「さては、また嫌な事件に怒りの炎を燃やしていたんだな? まあ、その正義感がマサのいいところだけど、なっ♪」


 この人が笑っている顔を見る度に、本当に和む。どうしてこの人が刑事になったのか、不思議なくらいだ。


「しかし相変わらず早いなお前さん。朝が強いにもほどがあるぜ」


「いえ。警察官として市民を守るためには、このくらいじゃないと」


「それもお前さんのめられるべき勤勉さだけどな。たまにはガス抜きしないと、駄目だめだぜ?」


「いえ。先月のような非道なテロ事件もありましたし……」


太合たいごう総合病院の一件か。あれは本当に、酷い事件だったな」


 入院患者五〇人、医者や看護師、見舞客。合わせて百人近い死傷者を出したテロ事件。その総合病院は、寝たきりで特に意識の回復が見込めない状態になった患者ばかりを集めた別館がある。


 いや。「あった」とするのが正しい。先月、そこは爆破されてしまったからだ。


 街でも五本の指に入るほどの大きい病院だったこと。さらにそのセキュリティにハッキングをした経緯がまだ不明なこと。そこまでしていて、何一つとして犯行声明も出していないこと。何もかも面白くないことだらけだ。


 そして俺が最も腑に落ちないのは、捕まった主犯格について。


 摂取すれば運動能力を飛躍的に高めることができる危険な薬物の中毒者だった。もちろん効果は一時的なものだが、なんでも潜在的な能力を引き出せるのだとか。パンチもキックもジャンプでさえも、超人と呼べるレベルにまで引き上げてしまうらしい。


 代償として、精神が壊れていくのだとか。「神に選ばれたのは自分だ」とか「神のゆるしを請わない人間は滅びる」とか、事情聴取ではそんなことしか言わなかったらしい。


 許せない。そんな身勝手なことで、それだけ多くの人を殺したんだという罪の意識すらないなんてことが。それで不起訴になるということも、俺には理解できない。


 それにこの事件のために、哀れな思いをしているだろう少女がいる。あの現場からの唯一の生存者だ。テロリストがあの爆破から彼女だけを連れて逃げ出してきたとき、誰もが目を疑った。


 きっと人質にしようとしたのだろう。まだ中学生になったばかりの非力な少女だ。抱えたまま逃げ切れると思ったに違いない。けれど思った以上の包囲網が敷かれていたことや、少女の家族が来ていたこともあって、連れて逃げるのが難しいと判断したようだった。


 非道だ。人間のやることとは思えない。


「まあ、不幸中の幸いは被害者の女の子……広井ひろい彩萌あやめちゃん、だっけ。あの子が何も覚えていないこと、なのかもなぁ」


「それは……」


「彼女はあのテロの現場である病院に、寝たきりの母親の見舞いに来ていたらしいじゃないか。もしかしたら、母親の死ぬ瞬間を見ていたかもしれないだろう。なら、そんな悲しい記憶なんか、ない方がいいのかもしれない」


 確かに、とうなずく。


 助けられた少女を診察した医者の話だと、事件の記憶はすっぽりと抜け落ちているのだとか。おそらく強いショックを受けて、心の防衛本能が働いたのだとも。事情聴取をした同僚は困っていたが、俺もそれでよかったと思う。


 きっと怖い思いをしたはずだ。あんなテロリストに母親を目の前で殺されていたのなら、トラウマで一生立ち直れないくらいの傷にだってなりえる。そんな悪魔のことを忘れて、今はもう学校にも通えているのが一番いいに決まっている。


「俺にできることが何かあったなら良かったんですが……。せめてあの娘さんにとって、この街が嫌な記憶しかない場所じゃないことを願うしかないのが、歯がゆいっていうか」


「お前さんはよくやったよ。あの現場に居合わせた警察官の中で、真っ先にテロリストに銃を向けたんだ。絶対に悪を許さないという意思が伝わったからこそ、あいつは彼女を解放したのかもしれんぜ」


「だと、いいんですけどね……」


 こんなことしか言えないのは、やっぱり辛い。


 あのテロリストを殴ってやりたい気持ちだってある。もちろん法律がそれを許さない以上は、警察官である俺はそんなことをするわけにはいかないが。


「マサ。お前さんは、親父さん譲りの良い刑事になれる。それだけは忘れんな」


「水早さん……」


「二十五年前、この街に隕石が落ちたってんで、多くの研究者やら企業やらが押し寄せた。宇宙ステーションの一つが甚大じんだいな被害も出したやつでよ。そんな時から、悪党もわんさか現れるようになったこの街を守ったのは、間違いなくお前の親父さんだ」


 昔から聞いてきた話だったが、何度聞いても身が引き締まる。


 そう、この街が〈革新都市〉とまで呼ばれるようになったのは、そういう過去の悪意から市民を守り抜いた正義があってこそ。その一人が、死んだ俺の親父……大神おおがみ義仁よしひとだった。


「まだ俺も若かったからさ。ほとんど何もできないってボヤいたこともある。けど、そんなときこそ、お前の親父さんは言ってくれたもんだ。『俺らが踏ん張っている姿そのものが犯罪への抑止だ』ってな。わかるかい、街を守るために頑張っている人間の姿こそが、犯罪者が最も恐れることってわけだ」


「はい。父はいつも言っていました。だからこそ警察官はその使命を常に忘れちゃいけない、とも」


「時代錯誤って言われても、俺らが忘れちゃいけねえことさ。この街の刑事のほとんどが、親父さんにそれを教わったんだ」


 うなずく俺の顔は、にやけているだろうか。昔からずっと、自慢の父親だったから。たとえ帰ってくるのがどんなに遅い時間でも。休みの日に遊園地に連れて行ってくれなくたって、良かった。


 俺にとって、あの人は正義のヒーローだったから。


「だからこそマサ、お前さんがこうして刑事になってくれて嬉しいんだ」


「俺のほうこそ、水早さんと組めるなんて光栄です」


 この人は長く親父とバディを組んでいた人だ。同時に、親父の最期を看取った人でもある。


「嬉しいこと言ってくれるねぇ。そういや、お前さん、いい人はいないのかい?」


「え? いい人って……」


「ほら、結婚したい相手、とかさ」


「いやいや、いませんよ!」


 あまりに突然の話題に、俺は狼狽ろうばいするしかない。そもそも、そういった話は苦手だ。小さいころから警察官になることをずっと目標にしてきたし、学生時代からそんな話とは無縁だったから。


 何より、俺は顔が怖いとよく言われて。女と話すこと自体、ほとんどない。


大神おおがみ正仁まさひと。二十五歳。ちょいと笑うことが少ないが、それ以外は良い男だってのにねぇ」


「そんなことありませんよ。からかわないで下さい」


「そうかい? 警察学校だって主席くらいの成績だったろ?」


「主席は早乙女さおとめですよ。早乙女さおとめ歩生明あるふぁ……」


 自分で言っておきながらではあるが、この名前を口にするだけで嫌な気分になる。あのいけ好かない眼鏡野郎。でもその実力は折り紙付きで、今も署長の懐刀ふところがたななんて呼び声もある。気に入らないが、同じ警察官。同じ署の刑事だ。


「ああ、アメリカ帰りの坊ちゃんか。いや、確かにあっちはずっと笑ってるけどねぇ、俺はお前さんのほうが愛嬌あいきょうあると思ってんだけどなぁ」


「だから、からかわないで下さいってば!」


 こんなデスクでの雑談も、まだ平和な証拠、ということなんだろうか。少なくとも、酷い時代を守り抜いたこの先輩にとっては。


「そういや、昨日のストーカー被害をどうにかしてくれって来た女の子なんか、お前にぞっこんだったじゃないか」


「いや、まだ高校生でしたし。ほら、竜明りゅうめい高校の制服で」


「でも外国人だからなのかねぇ、大人っぽく見えたけどなぁ」


「いや、体つきはともかく。むしろ精神年齢は子どもって感じの女の子だったと思いますよ。ワタシに見覚えはありませんか、なんてかれた時は本当にどうしたもんかと……」


「ははは、モテモテだ♪」


「冗談じゃないですってば!」


「悪かったよ、冗談さ。でもお前さんが結婚するときは、親父さんの代わりにスピーチでも何でもするからさ。それだけ覚えておいてくれや」


「水早さん……」


 こうして笑う姿だけで、やはりこの先達の懐の深さを感じる。


 俺はこんな良い刑事に、後輩から尊敬されるような刑事に、なれるんだろうか。いや、なりたい。早く一人前になって、この人に何でも任せてもらえるように。


 そしていつかは、親父のような警察官に。


「さ、今日もちょいと気張って働こうや。愛すべきこの街のために、な」


「はい!」


 それが俺の、大神正仁の目標だ。

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