EP03-壱:本物を知る者


 宵闇よいやみを、雨粒に反射するヘッドライトの光が切り裂く。


 港と都市の融合したこの街に反響するのは、エンジンの音。この街の名になぞらえたような漆黒のマシンが、銀の装甲をまとう死神であるオレを乗せて、駆ける。


 狙うのは、野獣のごとき四本足で逃走する〈実験体〉。敵とみなした〈組織〉のアジトで追い詰めたが、まさかここまで逃げ足に特化しているとは思わなかった。


 だが逃がしはしない。こいつが何人も食い荒らしたことはわかっている。おそらく野放しにすればもっと多くの人間を殺して喰らうだろう。


SPIDERスパイダー


 左腕から飛ばす〈クモの巣〉が、奴の足を絡めとる。バイクで引きっても、こいつは死なないだろう。いや、死にたくても死ねないはずで。


 だから。


HOPPERホッパー


 マシンを自動操縦モードに切り替えて、オレはぶ。地上から数十メートル離れた空中まで連れ出された人間大の野獣に狙いを定めていく。


WASPワスプ


 右腕装甲から伸びる槍にナノマシンの力が充填じゅうてんされていくのを感じながら。腰の回転で左手を引き、右手を突き出す。当然のように引き寄せられる敵には、槍の穂から逃れるすべなどなく。


 血飛沫ちしぶきを浴びながら。絶命にあらがおうと必死なその〈獣〉の顔を目に焼き付けながら。


WASPワスプ……Exterminationエクスターミネイション


 ベルト右腰のボタンに手を掛けた。


 直後に耳にしたのは、猛毒を流し込まれた相手の断末魔。殺戮者を呪う悲鳴だけだ。


 瞬間の爆発。あおられて地面へ叩き落されたオレは無様に転がる。幸運だったのは、近くに誰もいなかったことか。


 港を一望できる人気のデートスポット然とした広場なのだが。いや、もう深夜なのだと思い至る。今夜も割と長丁場だったわけだ。


 こんな地獄は、あと何度繰り返せば終わるのか。


 いや、ひょっとしたら。この街がなくならない限り、終わりなど来ないのではないかと不安になる。


 誰かの研究に資金投資をするフリをして〈実験〉を続ける連中がいて。〈獣核ゲノム・コア〉というオーバーテクノロジーのかたまりに魅了された者たちが人の道を外れていく。


 そうして〈出資者スポンサー〉は、ただその成果である〈実験体〉が暴れ回っても知らぬ存ぜぬで。いや、むしろ楽しんですらいるのだろう。どんな化物が生まれたか、と。


 その元凶たる〈スポンサー〉を追い詰めることが現状の最終目標だが、これだけ多くの〈実験体〉がいるのなら、あるいは……。


 もういくら倒しても、同じなのではあるまいか。


『少年、お疲れ様』


 脳内に響く女性の声。オレの命の恩人で、〈実験体〉としてのオレの〈オーナー〉。


 そうだ、オレはこの人がいる限り、戦いをやめるわけにはいかない。あの日、この街からヒーローを奪ってしまったオレが。その一番に近くにいた彼女を、絶望させるわけにはいかない。


『しかし人食い型が立て続けに現れるとは思わなかったよ。六月に入って、もう四体だ。しかも、どれも〈組織〉の支配から切り離された野良ノラと言っていい状態。今回のアジトも、構成員のほとんどが喰われていた以上、これ以上は調べられないし……』


 オレの心情など知りようはずもない彼女の、その的確な考察にはうなずくしかなかった。もう六月も中旬で、梅雨空にうんざりしているところだというのに。食人衝動に駆られたような〈実験体〉を何体もほうむ羽目はめになった。


 残念なことは、どの〈実験体〉もオレと対峙する前に、この街の誰かを食った後だったというのが現実だったという話で。


 結局、オレには誰も守れるわけがないと突き付けられているようだ。


『すまない、疲れているだろう。警察が来る前に……退……て……れ……』


 唐突にノイズが混じる。故障だろうか。改造された身体とはいえ、流石さすがに自身の脳内をのぞき見ることはできない以上、すぐに帰るべきだな。


 瞬間。背中に刺さるような視線。そして――。


HOPPERホッパー


 ジャンプでかわす。一秒でも判断が遅れていたら、今頃あの地面に刺さっている白い槍だか剣だかで致命傷だった。


 武器が飛んできた方角を見据えると、そこにはバイクにまたがった影。


 白いマントをまと髑髏どくろ。つまりは本物の――〈死神〉。




「久しぶり、ですね」




 声。聞き覚えのない声だ。男とも女ともつかない。変声装置でも使っているのか。梅雨にかすむ音に、違和感が宿る。


 なんだ、こいつの楽しげな声に混じる何かは……。


「驚きましたよ。貴方あなたかた贋作がんさくがいるのかと思っていたら……その戦い方。武装こそアップグレードしているようですが、本物でしたね」


 違和感の正体がわかった途端、言葉の内容なんて頭に入ってこなくなった。ただ、本能が告げている。


――逃げろ。


「おや、どうしてまだ生きているのか、って感じですか?」


 バイクから降りてくる姿が、オレなどよりも余程〈死神〉らしくて。


「貴方にあそこまでやられた時はどうしたものかと思ったのですが。そこはほら、天才に対する〈スポンサー〉の寵愛ちょうあいというのがありまして」


 その一単語だけで、わかる。こいつは〈スポンサー〉に繋がる〈実験体〉で。

何より、この街を汚す敵だ。


WASPワスプ


 気づけば、勝手に足が動いていた。右手には槍と握り拳。振り上げたそれは敵の顔面に打ち込まれ――


「おや、どうしたんです? あの頃みたいな軽口はないんですか?」


 盾、としか呼べない何か。それが攻撃を阻んだのを知覚する前に。無防備なオレの腹部に、一刺し。


「ぅ……あぁ‼」


「おっと?」


 盾を蹴りつけて跳ぶ。それしかこいつと距離を取る方法がわからない。なんだ、どこから武器を取り出している。まさかマントの下に隠しているとでも言うのか。


 仮面の下、口から噴き出した血が首元にしたたって。血色のマフラーをより赤黒く染める。


「どうしました? 貴方らしくもない。まさか〈獣化〉でもしましたか?」


 運よくベルトは無事だ。あの白い剣が刺したのは、左の脇腹だけ。脳内で何度も鳴り響く危険信号がわずらわしい。だが、こいつからはどうしても聞き出すべきことがある。


「はて……。貴方、誰です?」


 さっきまで旧友にあったような声だったのに。聞いただけで凍り付きそうな音色だけが、その場を支配する。


「そのベルトを着けていて、左足は〈バッタ〉の能力。なのに、貴方からは以前の遊び心を感じない。それはなぜか? 導き出される答えはたった一つ」


 無駄のない動作で、右手の剣を投げつける敵。


 速い。消耗した今のオレでは、かわしても次の攻撃に対処できない。改造されたオレの身体を貫けるほどのそれを再び喰らえば、もう後がないのも自明だ。


MANTISマンティス


 切り札を開放する。いや、それしかなかった。右足から吹き荒れる鎌鼬かまいたちで、剣を弾き返すことでしか、逆転の光は掴めない。


「やはり、貴方は贋作だ」


「ッ⁉」


 背後からの声に振り向く間もなく、斬りつけられる。ったまま飛ばされ、倒れ伏すしかないオレの目には、白い剣。


 そうだ、この剣はおとりでしかなく。こちらの動きを牽制けんせいするためのブラフ。


「本物ならば、こんな簡単な手くらい見抜いて笑っている頃でしょう。そんなもんかい、ってね」


 その言い方に、目を見開く。それは聞き覚えのある言葉で。ある人の口癖で。


 オレなんかのために死んだ男。この街に必要だった本当のヒーロー。死んではいけなかったはずの大切な人。


「消えなさい、贋作。この街に必要なのは、本物だけです」


 ライフル銃のような白い武器。その銃口が向けられて。放たれた弾丸までもが、白い。


「くっ‼」


HOPPERホッパー


 ほとんど無意識に、左足で跳んでいた。戦うためではなく、逃げるために。しかしオレの向かった先にあるのは、冷たい水面だけ。


 水の中に飛び込むには準備が足りな過ぎたことを悔やむ。傷口に入り込む水が、痛覚を刺激し、死という言葉を連想させる。


「ふん。贋作らしい無様な最期だ」


 その声を最後に、オレの意識は途絶えた。

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