EP02-拾:母に贈る華を


 五月、二度目の日曜日。


 街行く人がいつもより穏やかな気がするのは、オレの気のせいか。


「よし」


 とにかく準備はできた。あとは彼女が……広井ひろい彩萌あやめが連絡通りに来るかどうかだ。


 鈴の音が聞こえて振り返る。が、どんよりとした音色の通り、入ってきたのはゾンビもかくやと言わんばかりに消沈した探偵だけだった。


「いらっしゃいませ」


「はぁ……少年。この間の太合たいごう総合病院のニュース、見た?」


「はい」


 正確には当事者の一人だが、それは言わない。そもそもこの男の場合、言っても信じないだろうが。


「まったく! 怪談話のすべてが、テロリストによる破壊工作が民間人にはそう見えていました、だなんて。報告書をメールで送ったけど、返事もないし! ああ、これ完全に探偵料がもらえないパターンだよ……はぁ」


 言外に、自分は酒も飲めないほどに困窮しているからコーヒーを寄越よこせと。


 どうせいつも通りにツケになるだけだ。準備も終わったところだし、コーヒーを出してやる。


 確かに、あの病院での一件はオレにとっても教訓となった〈実験体〉との戦いに、情けも容赦もあってはいけない、というシンプルな答えだ。


 もし今回、オレがさっさとあの〈実験体〉を討ち果たしていれば、病院に勤務していた看護師や見舞人まで殺害されることはなかったはずで。


 もちろん、大切な母のことであんなにも悩む少女が、その母の悲惨な死をまざまざと見せつけられることもなかったはずだ。


 唯一の救いは、彼女が病院内での惨殺や〈実験体〉同士の殺し合いを、まるで覚えていないと言っていたこと。目の前で大切な人を奪われ、化物同士が患者たちを巻き込んだ戦いをしていたことなど、彼女のこれからには不要な記憶だ。


 それを聞いていたオーナーは、守ってくれたヒーローのことも忘れたなんて薄情だね、なんて笑っていたが。オレにとってみれば忘れてくれた方がいい。毎晩、あんな悪夢にさいなまれる日々を送るくらいなら、明日のために笑ってくれた方がいいに決まっている。


 オレと違って、彼女は待っていてくれる家族がちゃんといるのだから。


「しかしなぁ、今回の事件。テロリストってのが、赤いマフラーをしていたって話でね。先月の河島かわしまさんの事件に関わってきた悪党ってことだ! ちくしょうめ、病院なんて抵抗できない人たちばっかりのところで大それた事件を起こしやがって!」


 アルコールなど一滴も混入していないというのに、この酔っ払いじみた物言い。だが、正しいいきどおりだ。


 そもそもオレが行っていることは、正義なんかじゃないのだから。


 立派に罪に問われるべき殺人を、身勝手な正義という名の免罪符にすり替えることなど、オレにはできない。


 たとえ〈実験体〉を人と承認しない者がいたとしても、結果的にオレが関わって助からなかった命は数え切れないほどある。見殺しにしたのはオレで、救えるはずだったと言われたときに否定もできない。


 少なくとも、あの〈実験〉を止める方法として、それを始めた相手を殺害して止めることはできたはずなのだ。むしろオレが刺激だけして戦わなかったから、あの男の〈獣核ゲノム・コア〉は暴走した可能性が高い。


 なら、原因はオレということになる。


 それなのに、まだ「救える」なんて思い上がりが、この事態を招いた。もしも師匠が生きていたなら、今頃は殴られているところだろう。


 その師匠さえ、オレのために命を落としたと、わかっていながら。


「大丈夫かい、君。いつにも増して暗いよぉ?」


「そうでしょうか」


「いやいや、今の君を見れば誰だって、きゃー犯罪者の目してるー、って叫ぶよ」


 どんな目だ。


 だが、反省はこのくらいにしておこう。確かにこれから来るだろう客が怖がったのでは、意味がない。彼女がやりたいことを、オレの眼光のせいで邪魔されたとあっては、頼られた側として失格だ。


「あれ……、あそこのテーブル、どうしたの? なんかちょっと豪華に装飾されてない?」


 不意に探偵が尋ねる。名探偵を自称するくせに、気付かないのだろうか。いや、逆に自分と関わりが薄いことだから、気晴らしにいているだけか。


 答えようと口を開いた瞬間。さっきとは打って変わって、爽やかな鈴の音が響く。


「いらっしゃいませ」


「お兄さん!」


「お待ちしておりました」


 少女を先頭に、その父親、そして探偵にとっては依頼人に当たる女性が入ってくる。


「あれ、木吉きよしさん⁉」


「探偵さん……? あ! 後で返さなきゃと思っていたのに、メール、返信してなかったわ! ごめんなさい、葬儀とかいろいろあって、バタバタしていたものだから……」


 深々と頭を下げる美女は、今日はいつものスーツ姿ではなかった。肩こそ出ているが、フリルのついた朱色のワンピース。この様子なら、本当に仕事はオフなのだろう。


 そんな彼女を見つめる探偵は、美しい姿にまた鼻の下を伸ばしながら笑っている。


「いえいえ~! 吾輩、人を信じることだけは忘れない男でありますからなぁ!」


 嘘をけ。さっきまで完全に諦めていたくせに。胸を叩く仕草まで嘘くさい。


「お兄さん……準備」


 大人たちが話しているすきに、といった具合に近づいてきた少女がオレに耳打ちした。彼女の少しばかり不安の混ざった表情に、オレはうなずいて応える。


「大丈夫です。たぶん今までで、一番の出来栄できばえです」


「!」


 不安はどうやら吹き飛んだらしい。


 そんな少女を連れて、他の二人も早く席に誘導しよう。キッチンをまじまじ見られるわけにもいかない。


「木吉様、広井様、こちらへどうぞ」


「ほら早く!」


 無愛想な店員と、最愛の娘に急かされて、二人の大人たちは席に着く。いつもなら赤いテーブルクロスなんて使わないのだが、今回は特別だ。


「えっと、メニューは……」


「本日はご予約をいただいておりましたので、特別なプレートをサービスさせていただきます」


「え?」


 父親の広井ひろい寅之助とらのすけが、口を開けたままオレを見つめている。が、オレの手にする大皿にすぐさま目が行って。


「これって……」「わぁ……」


「母の日限定、マカロンの盛り合わせでございます」


 置かれた皿に、木吉きよしこうも瞳を輝かせている。やはり、見栄えは大切らしい。


 薄桃色のマカロンを主軸に、前に作った黒と白、さらに黄色や緑、青に紫と、やれるだけ作ってみたのだ。


 しかし、それ以上に三人の視線をき付けるのは、真っ赤な花。カーネーションだ。


 正確には造花だが、マカロンたちのおかげで充分に引き立てられている。流石にこの盛り付けを考えるのは骨が折れたが、沈んでいる気持ちを紛らわせるのには願ってもない申し出だった。


 コーヒーを持って戻ってくると、ちょうど少女が意を決してくれたらしい。そっと取った造花を、差し出すところだった。


「これ、実はあたしが作ったの。えっと……コウさんに、もらってほしくて」


「え、そうなの? とても嬉しいけど、私、今日は誕生日でも何でもないよ?」


 混乱しているらしい美人に、少女は首を振った。


「さっきお兄さんが言ったでしょ。今日は母の日だから、って」


「え……」


「彩萌、それって……」


 驚いたように、しかし言わんとすることを察してしまったらしい大人たち。そんな二人の視線に、娘はきゅっと結んだ口を、ようやく開いた。


「あたしね、ママのことは忘れられない。ずっと大切なんだって思う。けど……コウさんも同じくらい、大切」


「彩萌ちゃん……」


「だからいつか、コウさんのこと……お母さんって呼びたいって思ってる。その日がいつになるか、わかんないけど。でも、その気持ちだけは、伝えたかったから」


 強い想いを秘めた瞳。守りたかったものを守れなかった現実さえ、受け止めようとする少女の姿は、神々しくさえあった。


 そんな思いを向けられた美女は、そっと花を受け取って。涙を溜めた目で、娘になりたいと伝えてくれた少女を見つめている。


「ごめん、今のあたしには、これが……精一杯」


 恥ずかしくなったのか、少女は真っ赤になった顔を壁に向けてしまった。


 そんな二人を交互に見た父親は、どちらよりも身体を震わせて。どういうわけか、立ち上がって。


「あぁ……あやめぇ‼」


「わぁ⁉ お父さん、ちょ、やめて⁉ 恥ずかしいから……」


「こんなに立派になってぇ! 僕はうれしいよぉ‼」


「ふふふ」


 感極まりながら、愛娘を強く抱きしめる父。


 そんな行動に対し、声だけは抵抗するも、されるままの娘。


 そして、幸せそうな家族の姿を柔らかい笑みと共に見つめている母。


「なんかわかりませんが、良かったですなぁ」


 どういうわけか、ハンカチで目元を覆う探偵。まあ、この場に居合わせたのだから、そのくらいはあってもいいのかもしれない。


 たぶん、こういうものを家族と呼ぶのだろう。決して血の繋がりだけが全てではない。きっと大切なのは、想いを連ねた時間だ。


 一緒にいるときも、そうでないときも、誰かが誰かを想っている。そうして想った時間だけ、人はきずなというものを感じ、友にも仲間にも、家族にだってなっていける。


 いつだったか、そう言ってオレを迎えてくれたのは、育ての母親で。最後まで彼女をそう呼べなかったオレは、それでもこんな時間を愛しく思ってしまう。


 ふと、少女と目が合った。父親のしたいように振り回されながらも、小さくピースサインを向けてくれた。


 こちらも同じように、小さなピースサイン。それを見つめる彼女は、一瞬だけ驚いたような顔になってから、目を輝かせて。


 くしゃりと笑った。


 気付く。オレの口元がゆるんでいたのだ。それを笑顔と認識して、あんなに笑ってくれたのだろうか。


 隠すつもりではなかったが、きびすを返してキッチンに戻る。




 きっと、これからも〈スポンサー〉を追う中で、こんな悲劇はいくらでもあるだろう。それこそもっと多くの罪なき誰かを犠牲にしてでも戦わなければならない、そんな敵が現れるかもしれない。


 だが、忘れはしない。奴らの〈実験〉に巻き込まれた人たちが、むごたらしく死ぬ運命にあったとしても。絶対に、そんなものを勝たせはしないと誓ったこの瞬間を。そんな悪意の全てを、正義にはさせないと決めたこの一瞬を。


 殺戮を止めるために、殺戮を行うオレは矛盾のかたまりだったとしても。それがいつか、大きな報いを受ける結果になるとしても。


 構わない。それがオレの受けるべき罰ならば。


 だが、どうか。




 どうしようもない不幸を乗り越えていこうとする家族の、幸せな時間に。


 そこに咲いた笑顔という華が、どうか優しい母親の心に届きますように。


 いつか、きっと。


Fin

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