EP02-漆:不死なる正義


 五月の夕暮れ時だというのに、風が痛いほど冷たく感じる。


 いや、オレは焦っているのか。まさか、そんなことはない。そう自分に言い聞かせるが、やはり背中に忍び寄る冷たさだけは誤魔化せなかった。


 少女が店を出てからほどなくして、先日の〈クモ〉からのデータを解析した結果が脳内に送られてきた。


 あの太合たいごう総合病院を根城にする〈組織〉。その求めるものが「不死」だということはわかっていたが、その実態はまるで違うものだと理解できた。


 生きていようが死んでいようが、人間であるなら脳がある。それを強制的に活性化させ、電気信号をつかさどる部分を〈獣核ゲノム・コア〉を使ってコントロールする。


 ほとんどラジコン扱いで、ナノマシンを脳に忍ばせた人間を武器にできるというわけだ。


 支配されている側は、生きていようと死んでいようと、ダメージを知覚しない。いや、正確には司令塔である〈実験体〉への攻撃でしか痛覚を理解しえないのだ。


 つまりこれは治療などではない。そのための実験でもない。


 ゆがんだ「殺戮兵器」の開発だ。


 そして最悪なのは、くだんの太合総合病院、その別館が突然封鎖されたというニュースが飛び込んできたということ。ニュースキャスターいわく、警備システムの誤作動で出入口が閉じたまま、数時間が経過しているらしい。怪我をした人間も出ているらしい。


 仮に、昨夜のオレの襲撃を〈組織〉が危険視したとして。白昼堂々、患者以外の人間まで巻き込んでこんな事態を起こすだろうか。論理的に有り得ない。


 ならば、あの襲撃をきっかけに他の〈組織〉から強襲されているのか。だが夜襲でないというのが、この街で暗躍する〈組織〉らしくない。


 では、考えうるのはたった一つ。昨日の邂逅かいこうであちらの〈獣核ゲノム・コア〉に何らかの影響を及ぼしたとしたならば。


 確かめねばならない。もしあの〈実験体〉が、〈獣核ゲノム・コア〉に呑まれているのなら。




 そうこうしているうちに、病院が見えてきた。


 ロックを解除しようとしてとんでもない高圧電流で怪我人が出たというのは本当らしく、警察が通行人をき止めている。


 仕方なく〈クモ〉を放って、オレはバイクと共に裏門に回る。


 ありがたいことに〈クモ〉の能力は高い。なんとか張り付いた窓から、中の状況を確かめようと試みる。非常灯以外の明かりが消えているということは、建物を遮断するのに電気を必要としているということか。


 全ての窓がカーテンやシャッターで閉ざされているが、透視・暗視ができるスコープを搭載したオレの瞳と連動している〈クモ〉のおかげで、内部の状況を輪郭だけでも視ることができた。


 壁を移動する小さなオレの分身に合わせて、ようやくオレも全体が見えてきた。


 まず、患者たちが暴走しているのは間違いない。昨夜同様の入院患者用の衣服でいながら、周りの物を破壊している奴もいれば、人間と思しき何かを床に引きずって歩いている奴までいる。おそらく〈獣核ゲノム・コア〉が引き出す攻撃性に任せて動いているのだろう。内部にいた人間にとっては、まさに地獄絵図だ。


 もしまだ看護師なり他の医者なりが生存しているなら、助けてやるべきなのかもしれないが、その可能性は低そうだった。スキャンできるものにも限界があるが、まともな人間らしい動きをしている奴が見当たらない。


 狂ったように動いている奴か、逆にぴくりとも動かない奴か。二択しかない。


 高い階に行けばいくほど、患者たちの行動は激しさを増していくようだった。すると、最上階の一室、その窓に〈クモ〉が張り付いたまま動かない。


 オレにもわかった。そこにはまだ眠ったままの誰かと、そのベッドにすがり付くようにしている人間がいる。おそらく眠っているのは女性で、その手を取ったまま動かないでいるのは男性。


 思い当たるものは一つだけ。


 確か院長の太合たいごうルードヴィヒの妻はあの館で眠っている、と。〈組織〉のトップが、つまりはあの〈実験体〉を造りだしたのがこの男ならば〈獣核ゲノム・コア〉の制御装置を持っている可能性は高い。それを奪えれば、この事態も。


「止められるかもしれない……」


 誰もいないことを確かめて、オレはマシンのシートに立つ。〈バッタ〉の力でび上がれば、四階まで行くことは造作もない。いや、むしろ屋上から潜入して穏便にことを運ぶことにしよう。ただでさえ、警察にしろ野次馬にしろ、ギャラリーが多すぎる。


 すっと、息を呑みこんで。


「ミッションコード……変身」


HOPPERホッパー


 小さな決意の声と共に、跳び上がる。


 腹部に内蔵されたオレの〈獣核ゲノム・コア〉が生み出すナノマシンが、嵐のように身体をおおい尽くして。装着した瞬間に巻き起こる風が、血赤のマフラーをなびかせる。


「よし……」


 問題なく屋上に降り立った。フェンスなんて有って無いようなものだ。


 空の色が紫紺しこんに呑まれ始めている。あまり長引かせるわけにはいかない。外で待機している警察がいつ突入してくるか知れない以上、無駄にできる時間はない。


 内部に通じるドアを慎重に開き、潜入する。わかってはいても、緑色の非常灯だけが頼りの世界は、どこか死んでいるようで不気味だった。


 非常階段を下りながら思案する。もしここであの〈実験体〉に出くわすことになれば、この院内にいる患者全員が人質だ。そのうえで攻撃を加えることは、彼らを殺すことになる。なら戦い方は、一つ。


 奴の指揮下にある患者たちに包囲される前に、司令塔である〈実験体〉の意識を刈り取ること。首を締め上げるなり鳩尾みぞおちに強打を加えるなりで叶うかは運次第だが、もうそれしか思いつく方法もない。


 四階に辿たどりつく。さっき視た通りなら、階段を突っ切れば、その病室はすぐだ。


「……っ!」


 廊下に入った瞬間に、待ち受けていたかのように患者たちが掴みかかってきた。寸でのところでかわし、彼らを背にして進む。追いかけてくるということは、やはりあの部屋には近づいてほしくないらしい。


 他の病室からも、うつろな瞳の患者たちが湧き出してくる。どうやって身を隠していたのかはわからない。まるでゾンビ映画のワンシーンだが、ここで止まってやれるほど暇じゃない。


 突進してくる者には、身体を回転させながら避けて進む。花瓶やほうきで殴り掛かってくる者には、それらを蹴り飛ばしながらんで逃げる。


 単調な動きしかできないらしい彼らを抜き去って病室の前に着くまで、まさしく一分と掛からない。


 それが油断となって、あだとなる。


「はぁい‼」


「ッ⁉」


 真後ろから、びょうを突き出すタックル。


 患者たちの中に隠れていたのか、あのハイエナらしい〈実験体〉の突進が、オレを床に叩きつけた。それでも即座に戦闘態勢を整えねばと、身体を回して敵を退けて逃げる。


 そうして顔を上げたオレの視界に飛び込んできたものに、言葉を失った。


「やぁ、昨日ぶりだね」


 なんてことだ。


 右半分は〈実験体〉らしい怪物の姿で、左半身は〈素体〉である人間のまま。つまりは右側全てを〈獣核ゲノム・コア〉に喰われているというのか。対して、顔の左側は張り裂けそうな勢いの侵食に必死に耐えているようだった。


「ダメだよ、ここには父さんと母さんがいるんだから。それに母さん、今かなり厳しい状態みたいでね。悲しいよ」


 まだ人間のままの身体を壁に押し付けて笑っている。まるでオレの甘さをわらっているようで、吐き気をもよおした。


 すると、その左側の口が大きく開いた。


「……頼む! こいつを、たお……っと、失礼?」


 右手の爪が口元をなぞる。完全に〈獣化〉しているわけじゃない。まだ、この男は死んでいない。その事実が、余計にオレの中の何かを突く。


――殺すべきでは、ない。


 オレの中の誰かがささやく声が、確かに聞こえていた。


「提案をひとつ。君、俺の側に来ないか?」


「なんだと……?」


「やっと話してくれた。どうも君は誰かが死ぬことに抵抗を感じている。それも罪のない人間が死ぬのを止めたいと思っているんじゃないかな?」


 見透かしたつもりか、こいつ。いや、実際にオレが迷っているのはそのためかもしれない。今まで迷いなく殺戮を繰り返してきたこの力を、振るいたくないと心が拒絶しているとでも言うべきか。


 たった一度だけでも、救えたから。


 なら、また奇跡が起こるんじゃないか。今度はもっとたくさんの人を救えるかもしれない。だとしたらそれは、オレのエゴで潰して良いことじゃない。


「俺自身、できるのなら患者たちを殺したくない。けれど〈組織〉のトップである父さんが、もうこの研究から降りようとしている。母さんを助けられそうにないからって。どう思う?」


 いいや、ダメだ。答えるな。こいつはオレを引き入れようとしているだけだ。こいつはもう「殺戮兵器」にちかけている。〈獣化〉が始まっているんだ。


 だが、まだ堕ちてはいない。完全にではないなら、自我を取り戻すことだってできるのではないのか。あの少女が、そうだったように。


「データが必要なんだよ。〈獣核ゲノム・コア〉を使った〈実験体〉と、それが発生させるナノマシンの情報が! それさえあれば、助けられるかもしれない。ねぇ、ヒーロー? 君なら、彼らの助けになれる。不死なる正義は、ここにあるんだよ」


 わかっている。これは罠だ。


 だが、もしも本当なら。罪滅ぼしに、ならないだろうか。


 助けられた命と、その家族の笑顔。広井ひろい彩萌あやめという少女が笑顔で家族と過ごす姿を想像するだけで、あの頃に親友が浮かべた笑顔とオーバーラップする。


 なら、オレは、ここで。


 その一瞬、耳に響く音があった。階段を駆け上がる、小刻みな足音。




「うりゃぁああああああああああああ‼」




 奴の背後から聞こえた、甲高い悲鳴じみた声。


 オレの眼が壊れていないのなら、それは今まさに想像した少女の姿とうりふたつで。違うのは、憎しみに満ちた形相でいること。そして車いすを投げつけているというところだ。


「んぐぁ⁉」


 咄嗟とっさの防御が追いつかなかったのか。右側に直撃を受け、ハイエナ顔をゆがませて男は倒れこんだ。


「……はっ⁉ 君、どうして、逃げて、ないん……ぁあがああ! 邪魔しやがって!」


 左と右、それぞれの声は正反対。まだ人間の精神と、とっくに堕ちた化物の精神。片方は乱入者の身を案じ、もう一方は怒りを隠そうともしない。


「よくも、ママを……!」


 対する少女は、怒りと涙を瞳に溜め込んでいる。それが意味するところを、オレはようやく察した。


 彼女の母親は、もう。


「あぁ、ママのこと、見たのかぁ。あれさ、君を逃がすために邪魔してきて、なかなか放してくれなかったもんだからさぁあぁ? あはっ、あはははははは! いい感じにぶっとんでたでしょう!」


 まさか、それは。無惨むざんに殺した、という意味か。


 この少女がずっと悩んでいた、大切な人を。むざむざと、むごたらしく。


「あぁあぁ、残念だなぁ。そこの〈獣核ゲノム・コア〉、奪えると思ったのになぁ……逃げろ。今すぐに! こいつの、いや私のそばにいちゃいけない! 早く逃げ……黙ってなよぉ、お優しいお坊ちゃんはさぁ! 今からこの子にもっとせてやろうじゃないかよぉ!」


 左側の男を黙らせて、右側の怪物は笑う。この少女の涙をわらう。彼女の怒りと絶望を、嘲笑あざわらう。


 瞬間、無数の腕がオレの背中を掴む。操られた患者たちが、無機質な瞳で、迫ってくる。


 しかし、振り払うわけにもいかない。こんな細身の彼らでは、それこそ触れただけで壊してしまう。


SPIDERスパイダー


 変身時に〈クモ〉を戻しておいて正解だった。左手を振り上げて天井に糸を射出すると、その動きに合わせて跳び上がる。釣られた者たちが掴み切れずに、床に突っ伏すのが見えた。だが、そこまで構ってはいられない。


 狙うは、この〈実験体〉だ。ここで意識を刈り取れれば、まだこの患者たちは止まるかもしれない。いいや、止めてやらなければ。これ以上、この少女の前で絶望をかれてたまるものか。


 手刀を構える。正確に首の一点に狙いをしぼり、振り下ろす。


「ばぁん!」


 刹那せつな。爪だらけの指を鳴らす音と共に、オレのチョップは空を切って。


 鮮血が舞う。


 狙っていた〈実験体〉を守るようにしておどり出たのは、後ろにいたはずの患者たちの一人。だがその頭が、文字通り……はじけた。


 仮面に付着するどろりとした液体が物語っている。これは脳が頭蓋ずがいの中で破裂して飛び出した血だということを。


「ママと、同じ……」


「そうだよぉ! こいつら全員、頭の中に俺のナノマシンが入ってる! だぁかぁらぁ、それに戻ってこいって俺が命じれば、ご覧の通り‼」


 脳が破損したことで、ナノマシンの支配から解放された患者。血だまりの上で仰向けになって倒れているその老人を、誇らしげに手で指し示す怪物。


 言い知れぬ感情が渦巻うずまいていくのが、わかる。


「あぁ、もういいや。演技するのが面倒だから出してあげてたけど、お坊ちゃま、もう要らないや。ミッションコード、変身!」


 宿主を殺す魔法の言葉を、怪物の口が唱える。瞬間的に、左側がびょうかたどったナノマシンに覆われていく。


「……ひっ⁉ い、いやだ⁉ やめ……」


 テレビの電源を落としたように男の声は、消えた。消えてしまった。


 残ったのは、ハイエナと人間を無理矢理に合成したようなみにくい〈実験体〉の姿だけ。


「あぁっと! ねぇ、ヒーロー? まだまだ患者さん、たくさんいるよ? どうする?」


 わかっていたはずだった。オレは知っていたはずだったんだ。


「きゃ⁉」


「あ、この子もちょうどいいから、人質にしよっかなぁ。手足になる奴隷って、何人いてもいいもんだよねぇ。こうして俺が手を下さなくても、そのガキ、殺せるよ?」


 患者たちに押さえつけられる少女の瞳は、血赤のマフラーを映している。


 助けを求める弱者の目ではなかった。怒りと憎しみを込めた、そんな凶暴な光。


 こいつと同じ化物だと思っているのか。きっと、そうだろうな。もし彼女にとってオレがヒーローだと思ったとするならば、助けに来るのが遅すぎる。恨みもするだろう。


――どうして、ママを助けてくれなかった。


 そんな妄想が、脳内に再生される。


 だからこそ、オレの答えは決まった。いいや、最初から決まっていたじゃないか。


終止符ピリオドだ……」


「えぇ? なぁに?」


 今、すべきことをする。それがこの血赤のマフラーを継いだオレの使命で。


 つまりは、これまで通り、〈実験体〉を。


「お前を……殺す」

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