EP02-肆:死者の行進


 太合たいごう総合病院。


 多くの技術者たちが集い〈革新都市〉とまで言われるこの黒銀くろかねという街において、間違いなく五本の指に入る大病院だ。


 もともとこの土地の出身である太合たいごう家なる医師一家が設立し、もう半世紀ほど運営されているそうだ。現在の院長は、外国に留学していた娘と恋に落ちて、わざわざ海を越えて移住してきたという男、太合ルードヴィヒ。


 息子の太合ルーカスも優秀なのか、寝たきりの患者たちのために作られた別館を任

されているらしい。


 しかし、院長の妻である太合たいごう朱里あかりは入院しているという情報だけしかない。どうも別館にはいるらしいが、病室までは判明しなかった。


 もしかしたら、特別な部屋を割り当てられているのかもしれない。元院長の娘で、今は院長の妻なのだから、そのくらいの待遇はある、ということか。


『オーナー、到着しました』


「ああ、映像もばっちり来ているよ」


 我が〈組織〉の誇る最強のヒーローが、当病院の監視ポイントに到着したようだ。まあ、私と彼以外には構成員はいないのだけれど。


 彼のマスクと、その左腕にいる〈クモ〉のカメラ機能が正常に作動しているので、アジトで複数の画面に張り付いている私にも、映し出されるクリアな視界が良く見える。


 窓や出入口が見えるように、あまり目立たないところを狙って隠れてもらっている。乗ってきたバイクも、遠隔操作ですぐに動かせるように待機はしているが、それでも不安は拭えない。


『問題の建物はあれで間違いないようですが、今のところ〈実験体〉も徘徊している人間も見えませんね』


「まだ夜中の二時になっていないからね。話によれば、丑三うしみつ時を狙ったように出てくるんだろ?」


 探偵が依頼人に話した情報から、こちらでも追加で情報を洗ってみた。


 今のご時世はデジタル世代がいくらでもつぶやいてくれる。何時ごろに病院近くの異変があったか、というのは探せばわかるというものだ。


 まあ、足で稼いできた情報が裏付けになっていると思えば、迷探偵の働きも悪くないと言えるだろう。


 時刻は一時五十三分。確かにもうそろそろ、何かしらが起こってもおかしくはない。上手くここで〈実験体〉と遭遇できればありがたいが、相手が〈コア〉を使ってくる以上は、油断しないのがうちのヒーローだ。


 しかし、非常灯以外の照明らしいものは何も見えない。もしかして、日付や時間帯にも法則性があるのか。最悪の場合は毎日ヒーローを派遣しなければならないと思うと、こちらも頭が痛い。


 ふと、建物の中に暖色の輝きが見えた気がした。


「少年、今の」


『視認しています。あれは……〈実験体〉か』


 言葉の通り、確かに消灯されたはずの館内で、影がちらちらと浮かんでは消える。


 明らかに、人間の姿ではない。とがった耳が上を向いている頭……イヌ科などの動物系か。肩や膝などの身体の各部位に鋭いびょうのようなものが見える。そのちぐはぐな姿から判別できるのは、かなり悪趣味な〈実験体〉ということだけ。


『非常口から誰か出てきます』


「は? おいおい、まだ上に〈実験体〉がいるんだぞ?」


 目を疑うとはこのことで。内側から開いた非常口に、確かに患者らしい衣服をまとった者たちのゆったりとした動き。それも何人も何人も出てくるときた。


 どういう理由でそうしているかは置いておいても、なんとも現実味のない光景だった。


『〈クモ〉を放ちます。なんとか身体に付着させますので、解析を願います』


「わかった」


 提案にうなずきながら、小さな〈クモ〉が射出されるのを見送る。付着しただけで、触れている相手の生体データをある程度なら引き出せる優れものだ。難点は、直に肌と接触しなければ意味がないので、普通の人間が相手なら即座に引きがされる可能性が高いこと。


 データが転送されてくる。順調に動いている、ということはやはり彼らは寝たきりの病人だという証明に他ならない。


 だが。


「おいおい、なんだい、これ。どういうことだ?」


『オーナー?』


 私の不安げな声をいぶかしんでいるようだ。彼の視界にも同じものが映されているはずだが、単純に医学の知識が足りないのだろう。


 だから、率直に答えを告げる。


「良く聞け。あの人間たちは、脳内にナノマシンが混入している状態だ」


『……ッ⁉』


 息を呑む声に、さらに分析を試みようとする私の手も止まった。この音は、事実に驚いているんじゃない。


 画面内部の視界が揺らぐ。ようやくまともに観られるほどに落ち着いたとき、そこには窓から飛んできたらしい〈実験体〉の姿があった。


 彼が近くで観ている相手は思っていた以上のみにくさで。まさしく獲物を狩らんとする獣の様相。だが身体は中央からぎがされて、まるで小説に出てくるフランケンシュタインの怪物だ。


 体のあちこちにある鋭い武器を月明りにきらめかせながら、こちらをじっと観ている。どうやら先の行動で、我々の狙いが露見したらしい。


 だがこちらも願ったり叶ったりだ。そちらが勝手に出てきたのだから、彼に処刑されても文句は言えまい。


『ミッションコード……変身』


 つぶやくように、しかし荒れ狂いたいのを必死に押し殺すように。我らがヒーローは、その〈コア〉に秘められたナノマシンを解放し、変身を遂げる。


 右手『W』、右足『M』、左足『H』装着……オールグリーン。システム正常稼働、確認。左手の『S』のみ、情報収集に専念させるため、武装せず。そのデータも、問題なく送られている。


 問題はない。切り札も使える状態での戦闘だ。この〈実験体〉はここで討ち取れる。


 見えない私の意思を知ったのか、敵自ら肩の鋲を突き出してのタックル。かなりの速度だが、そんな単調な攻撃が効くものか。


HOPPERホッパー


 び上がり、敵の背中を取る。見るからに驚いた様子だが、もう遅い。地面から来る反発を利用しての接近で、勢いはそのままに回し蹴りを叩きこむ。


 咄嗟とっさの防御ごと吹き飛ばされ、景観を良くするためだけの木に激突した敵。おそらくこの〈素体〉は、戦いにおいては素人しろうとだ。戦闘のために武装している、というよりは、見た相手を脅かすためにあんな姿をしていると考えた方がいいほどに。


 悪いが、そんな〈組織〉ならさっさと潰れてもらおう。


 ふところに入って、間髪を入れずに拳を打ち込んでいく。右に左に、時には容赦なく鳩尾みぞおちでも顔面でも攻撃する。足の鋲を使った攻撃など、見なくともローキックで封殺。崩された体勢を見逃すことなく、再び蹴り飛ばす。


『ぅぅ・・・・・・』


「?」


 不思議だ。敵のうめき声が聞こえた途端、少年の動きが止まる。


『確認を、オーナー。患者はナノマシンを入れられた状態、でしたか?』


「確かにそう言ったが、まだ戦闘中だぞ。気を抜くと……」


『なら、あの声は……』


 歯切れの悪い少年の声に、違和感を覚える。確かに普段ならそういう場面もあるが、今は戦闘態勢だ。それが〈獣核ゲノム・コア〉への憎悪も忘れたように話しているというのは。


「……まさか」


 その意味を、〈クモ〉を介したデータから知る。そうだ、患者たちは間違いなくバイタル上は「生存」している。しかし動いているのが〈獣核ゲノム・コア〉の能力だとすれば、つまりは病気や老化した身体はどうなっているのか。


 もし、この嫌な予感が的中しているのなら。


『うぅ・・・・・』『あぁ・・・・・・』『ぁぅ・・・・・・』


 複数の音。敵の本体が目の前にいて、しかしその音が発信源はヒーローの後ろだ。


『もしかして、戦うことが何を意味するかわかったから、止まっているのかな?』


 趣味の悪い機械仕掛けの声がした。立ち上がって笑う〈実験体〉が視線を向けてくる。


『そう。そこにいるのは、患者たちだ。私の〈獣核ゲノム・コア〉のおかげで、こうしてまだ死なずに済んでいる、ね』


 ぎしりと歯が削れる音が聞こえた。少年が、奥歯を噛んでいるのか。


『ナノマシンが起動している間だけは、こうして動き回ることもできる。けれど、そのナノマシンを動かす〈コア〉が壊れてしまったなら、どうなると思う?』


 愚問だった。同時に、少年にとっては鬼門と言わざるを得ない。


『ご想像の通り、彼らは病によって死の運命から逃れられなくなる』


『……、ッ!』


 怒りをこらえているのがわかる。まずい、ここで〈獣化〉したら、他の入院患者ごと巻き込みかねない。


 どうする。


『わかるかな。この〈獣核ゲノム・コア〉を持つ私と、痛覚を共有しているんだ。その赤いマフラー、ヒーローのつもりかい? なら私を攻撃してはいけない理由がわかってもらえるはずだ』


 迷っているのか、少年の息が荒くなっていく。


「聞こえるかい、少年。あいつの言うとおり、彼らはもう脳死一歩手前の身体だ。死んでいるのと大差はない。その〈実験体〉を葬るための犠牲とすれば、安いくらいだ」


『……』


 聞こえているだろうに、私の指示を無視している。まさかあの患者たちが、助かるとでも思っているのか。


 いや、まさか。


「もし広井ひろい彩萌あやめの母親を助けたいと思っているのなら、それは不可能だ! むしろ、あの木吉きよしという女も、これで晴れて再婚できる。どうせ植物人間だったなら、家族だって覚悟くらいはしているだろうよ。君があれを殺して困る奴はいない!」


 声は届いているはずなのに、動きはない。迷うな、躊躇ためらうな。ここであいつを取り逃がした方が、危険だってわかるだろうに。


 しかし、もう理屈など考えられなくなったように、彼は動けない。


 そんな侵入者を前にして、敵はさらにみにくいハイエナ顔をゆがませた。


『ここで私を殺すのは誰にとっても得じゃない。なにせ、私は彼らを助けようとしている』


『なにを……』


『嘘じゃない。我らが〈組織〉の研究しているのは、不死だ』


 そんな嘘なんかに惑わされるな。そう思いたかったが、理解が追いついてきた。まさか、植物人間をモルモットにして、人間の老化や不治ふじの病のメカニズムを調べているのか。そうだとすれば、わざわざ病院なんて場所を根城にしている理由もうなずけた。


『彼らはずっと眠りの中にいる。けれどいつか、家族の元に戻って、幸せになるべきだ。そうは思わないか?』


『……』


 ヒーローは、何も言えずに立ち尽くしている。


 だが、私にも理解できた。これは死への冒涜ぼうとくだが、同時に医学の進歩を促進させるかもしれない研究だ。


『脳死寸前の人間に、こんな高性能なナノマシンを入れることができる研究者は、この街にしかいない。そして私の願いは、彼らの回復だ。そのためにわざわざ夜中にこうして動かして老化や衰弱を防いでいる』


 ふざけるな。いつもの君なら、そう言って殴り飛ばすだろうに。それでも、耐えるしかないのか。


『君が私を殺しに来た理由が、私が悪を働いていると思ってのことなら、帰りたまえ。私がやっていることは、人助けだ』


『……』


 完全に、戦う気を失っている。いつもなら画面越しからも伝わる覇気があるのに、そんなもの、今の彼には感じられない。


『帰りたまえ。それとも、彼らを殺したいなら、こちらも応戦するしかない』


 ゾンビのようによろめきながら立ち上がる患者たち。その目はうつろだが、確かにまだ、生きている。


 何かを見ようと目を開いているのだ。そしてその瞳に映った血赤のマフラーに向けて、歩き出す。にじり寄ってくる彼らの目が、訴えかけてくる。


――殺すつもりか。


『……くっ!』


 エンジンの音がしたということは、バイクを呼んだという証拠。跳び上がってマシンにまたがった英雄は、しかし全速力で救うべき人間たちから離れていく。


「これは……参ったな」


 まさか軍隊でも一人で叩き潰せると豪語した設計者の私でも予想できない相手とは。どう考えても私以上のマッドサイエンティストだ。そして彼にとってみればこれ以上ない人質を取られた状態だった、と言える。


 いや、待てよ。


 先月の戦いの中で、確かに〈実験体〉にされた少女が奇跡的に救われた。その身に〈獣核ゲノム・コア〉を埋め込まれていながら命を絶たれず、友も母も失うことなく、いつか目覚める瞬間を待ちわびながら今も眠っている。


 別の病院だから、こことは関係ない話ではあるが。それでもまったくの無関係とまでは言えないだろう。


「それが原因か」


 ようやくそこに気づいて、髪をむしり取る勢いで、自らの頭を掴んだ。


「そりゃ、殺したくは……ないよな」


 この街にやはり英雄はいないのだと、自覚するしかない。


 人質は敵のコントロール下にあるうえに、痛覚共有している以上、余計な攻撃はむしろ患者たちを傷つける。


 あのうめき声からして、完全に死んでいるとは言えない状態のままなのだろう。おそらく〈獣核ゲノム・コア〉を破壊した場合、ナノマシンが暴発して仕込まれた相手を脳から焼き殺す。


 この人間たちにこだわる以上、勝ち目はない。


 だが、あの〈実験体〉の言うことを信じるなら、確かにあいつを殺害する必要はないことになる。不死は無理でも、ああした症状の人間を治す薬が作られるなら。しかもあの患者たちを救うためだというのも本当なら。


 他の誰かを踏みにじっているわけでもない。少なくとも、眠っている人間たちなら、傷つけられているという自覚すらない可能性さえある。


「さて……どうするか?」

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