EP02-参:母親の代わり


 この店には似つかわしくない、甘い香りが鼻を突く。


 オレの口元には白い菓子。マカロンと言うらしい。まあ、作ったのはオレだから、マカロンの紛い物、と呼ぶべきなのかもしれないが。


「……」


 舌の上で転がし、噛み砕く。悲しくなるほどいつも通り、味はない。焼けたばかりのそれだから、熱だけは嫌に感じる。


 成功しているのか。


 甘いものを全く作ったことがないわけではない。大昔にはバレンタインにチョコレートを溶かして加工する程度のものを配った側だ。主に親友の失敗作をクラスメイト達に食わせてはいけないという責任感からだったが。


 だがこれは違う。明らかに違うものだ。見た目だけはギリギリ及第点でも、肝心の味がわからないオレでは、どうすることもできない。いくらオーナーの食事配給係だと言っても、デザートまではその限りではないと抗議するべきか。


 連休も残り二日しかない中、閑古鳥かんこどりの鳴くこの店の新メニュー。考えあぐねているところでオーナーから無茶ぶりをされた。


 思いつかないならマカロンにしよう、と。


 色味は綺麗だし、老若男女問わずに好かれる甘さだし。何よりパック詰めすれば持ち帰りもできる。コスト面で相当高いものを使うわけでもないから、初心者のオレでも作れる、と。


 魂胆こんたんはわかっているのだ。要するに、彼女が食べたい、というだけ。


 出会ったばかりの頃から、甘いものを要求する場面が多かった。オレが調理できない時も、たいていはスイーツを一緒に頼める配達ピザなどを利用していたし。


 で、オレが調理をできるまでに身体制御が追いついてからは、そういうものを提供する機会が減った。だから、ここぞと提案してきた、というところだろう。


「食わせて、いいものだろうか」


 衛生面に気は使っているつもりだ。が、しかし、こちらとしては命綱に近い相手の口に入れるものだ。できれば無事に終わらせたい。叶うなら、へそを曲げられたくもない。


 有りあわせのミルクチョコとホワイトチョコで作られ天板に並べられた白黒の焼き菓子をにらみながら思案していると。


 鈴の音が鳴り、爽やかな若葉が風に乗って店に舞い込んだ。


「いらっしゃいませ」


「あら、探偵さんってまだ来てない?」


 先日の依頼人が、あの笑顔で近づいてきた。木吉きよしと言ったか。まだ十時を回ったばかりだから、目当ての探偵はいない。


 連休も終盤に来たが、今日も仕事なのだろう。前より少し濃いグレーのスーツ姿だ。


「いらっしゃっていませんね。お待ちになるのでしたら、すぐコーヒーをお持ちします」


「ありがとう」


 そう言って、彼女はカウンター席に腰かけようとする。するとキッチンが見えたのか、身を乗り出してきた。


「え、マカロンとかあるの、このお店? すごい!」


「いえ。まだ試作の段階でして」


「そうなの? じゃあ、一つもらってもいい?」


「構いませんが、先ほど初めて作ったものでして。お口に合うかどう……か」


 言い終わる前に、もうマカロンが一つまみ上げられていた。さくさくと音を立てて、彼女の口の中で崩れていくのがわかる。


「おいしい!」


「ありがとうございます」


 満面の笑みを浮かべる彼女に、ふと違和感を覚えた。いや、むしろ違和感が消えた、と言う方が正しいか。


「これ、本当に初めて?」


「はい」


「いいなぁ、私じゃこんなに上手くは作れないもの。もしかしてプロ目指して修行中?」


「いいえ。オーナーの要望で、甘いものもメニューに入れるようにと」


「なるほどね。コーヒーも美味しいし、あなた、良い喫茶店員になれるよ」


 ウィンクをしてくる美人に、ありがとうございますとだけ返して一礼する。


 そうか、この笑顔は本物なのだ。昨日、探偵やオレを相手にして見せた作り笑顔ではない。甘味から幸福感を得て見せた純粋な笑顔だ。


「そういえば、あなたいくつ? まだ大学生?」


「今年の師走しわすで二十歳になります」


「師走って……ふふふ。あなた、面白いわね」


 そうでしょうかと返してみるが、本当に可笑おかしかったらしく、ずっとクスクスと笑っている。別段、冗談のつもりはなかったが。


「親御さん、どんな人? あなたみたいに面白い人を育てたなら、きっとすごく良い人たちなんだろうなぁ」


「実の両親も、育ての親も、他界しております」


「え……」


 まゆをひそめているせいで、せっかくの笑顔が台無しになってしまった。しかしかれた以上は答えるしかない。続きを促すべきか迷っているその瞳に、オレは応える。


「幼いころに両親を事故で。それからは良い家庭に引き取られ、良くしていただきました。その彼らも昨年に火事で……」


「ごめんなさい、そんなつもりで聞いたわけじゃなかったの」


「いえ。もう整理のついた話です」


 きっぱりとそれだけ返して、オレは彼女の前にコーヒーを置いた。申し訳なさそうにしながら、それでもその続きが気になるらしい彼女を、オレは見ているしかできない。


「今は、どうしているの?」


「住み込みでバイトをさせてもらっています。住所不定、無職の人間を置いてくれる場所なんて、そう多くもありませんから」


「そう……」


 すっかり落ち込んだ様子の彼女は、それでもカップに口を付けた。美味しい、と一言だけつぶやいてからは、考え込んでしまっている。


「ねえ、店員くん」


「はい」


 初めての呼ばれ方だが、なんとか答えられた。意を決したような彼女の表情を、ただ見つめて続きを促す。


「その、小さい時にご両親を失くされたんだよね。なら、新しい家族に迎えられたとき、どんな風に思った? 特に、その……お母さん、とか」


「?」


 不思議な質問だった。確かに、義理の家族をどう思ったか、というのは様々な場面で問われたが、母親に限って訊かれるのは初めてのことだった。


「えっとね、私が言いたいのはね……子どもからしたら、お母さんが別の人になるって、どんな気持ちになるのかな、って」


「どんな気持ち、ですか?」


「やっぱり嫌だな、とか。こんな人、お母さんなんて呼びたくない、とか」


 ああ、そういうことだったか。彼女が訊きたいことがようやくわかってきて安堵する。なるほど、不安にもなる。だからオレはうなずけた。


「差し出がましいようですが。この子のこと、ですか?」


「あ……ははは。ばれちゃったか」


 昨日拾った生徒手帳を見せる。目の前に現れたのは困ったような作り笑顔。それが、誰かと重なって見えた。


「悪いとは思ったのですが、たまたま中が見えてしまったもので」


 嘘は言っていない。昨夜、オーナーに太合たいごう総合病院の話をしたとき、まさか彼女が何の気もなくぺらぺらと中身をめくるとは思っていなかったのだ。そこで露呈したことがきっかけで、ある程度の情報を集めることにはなったが、それはここで言うべきことではない。


 ここからは、オレの考察を昨夜に知り得た情報と併せて伝えていく。


「この子の母親が入院しているとありました。お客様が依頼した病院のことも踏まえて、考えまして。その太合総合病院には、寝たきりの人たちを治療する専門の別館がある。そこが依頼内容である噂話うわさばなしの舞台ですね」


「そう。そこに、詩織しおりさんが……彩萌あやめちゃんのお母さんが入院しているの。だから、こんな怪談話は嘘だって、あの子に伝えてあげたかった……」


「加えて申し上げるなら、そのお母さんの代わりに、木吉様はなろうとしているのでは?」


 笑顔が、凍りつく。


 予測はしていたが、やはりいい気分はしない。それでも、伝えたいことを伝えるためには、言わねばならない。


「もしも、彼女のお父様との再婚をお考えならば、いつかは彩萌さんにも話をしなければならないと思います」


「わかってる、わかっているのよ。でも、怖いじゃない。それこそ詩織さんが倒れた五年前から、ずっと助けになりたいと思っていたから。でも、それだけの時間に積み上げたものが、一瞬で壊れていくのなんて、怖すぎる……」


 思っていたよりも細い手が、ぎゅっと握られる。


 それだけでよくわかる。きっと目の前の人は、この広井ひろい彩萌あやめという少女を愛している。本当の娘のように、大切に想っているに違いない。


「それに、詩織さんに申し訳がない。聞いた話だと治療は難航しているって。けど、まだ生きているんだもの。それを勝手に離婚させて、私が寅之助とらのすけ先輩を奪うみたいなこと、したくない」


 トラノスケ、というのは父親の方か。確か、オーナーが調べた情報だと、大学の同級生で恋愛結婚らしい。どうしてそんなところまで調べられるのかと聞きたくもなるが、あの人にとっては説明するのも無駄なほど、造作もないことだろうから訊きはしない。


 父親の後輩に当たる麗人は、うれいを秘めた笑みのまま口を動かす。


「だけど寅之助先輩は、苦しいのを我慢している。再婚だけが幸せじゃないとは思っているけれど、学生時代からずっと、あの人はそういうところがあったから……」


「……」


 どうやら広井夫妻と依頼人の木吉は、大学からの知り合いということになるらしい。


 なるほど、それなら余計に苦痛なのだろう。幸せになっていく姿を見ていた人間からすれば、それが音もなく壊れていく様を見せられるのは、いいものではない。


「ごめんなさい。あなたは探偵さんじゃないのにね」


「いえ。何の関わりもない他人だからこそ、話して楽になるものもあるでしょう」


「あなた、本当に二十歳?」


「いえ、まだ二十歳ではありません」


 ふふふ、と笑っている。少しは気持ちが晴れたらしい。この笑顔は、作り物じゃない。


 今なら伝えてもいいかもしれない。一番、オレが伝えたいことを。かつて教えてもらった、大切なことを。


「木吉様」


「え」


「母親になるというのは……」




「すいまっせーん‼」


 強引にドアが開いたせいか、暴れ回る鈴の音がオレの言葉をさえぎった。


 見れば、依頼された側の探偵が息を荒くさせながら、転がり込むように依頼主の前にやってくるところだった。


「あれ、探偵さん? あ、そっか。私、探偵さんに調査報告を聞きに来たんだった」


「それが、くだんの調査ですがね、どうもキナ臭い話になってきましたよ」


「え?」


 硬直する彼女に、探偵はチェック柄の上着からメモ帳を取り出して答えをつむいでいく。


「本当に、例の別館近くで歩き回る人間を見たって方を何人か見つけましてね」


「それって……?」


徘徊はいかいしていたのが、どうも患者らしいと。それも、寝たきりの」


 依頼人は何を言っているのかといぶかしんでいるようだった。


 だが、オレはこれで確証を得た。得たくはなかったが、得てしまった。


「吾輩も今夜あたり、張り付いてみようかと思いますので、ご報告まで」


「でもそれって、噂話で、嘘で……」


「まだ何ともわかりません。そういう噂を流した輩がいるとすれば、きっとそこに何かの意図があるはずですぜ。もしかしたら、変装して遊び回ってる悪ガキってこともありえます。もしそうなら、吾輩がとっちめてやりますから、ご安心を!」


 不安げな麗人に、しかし探偵は胸を叩いて笑ってうなずいた。


 どうやらオレの方も、今夜は忙しくなるようだ。

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