EP02-壱:少女と美女と噂


 この店のメニューは簡素だ。


 コーヒー、サンドウィッチ、先月に追加されたトーストサンド。一応、スープとのセットにして多少は安くできる。


 だが、それだけだ。なんとも寂しいメニューだと我ながら思う。


 仕方がない。そもそもオレに料理をしろというのが無理難題だったのは言うまでもない。


 料理教室を開いていた義母の影響で、包丁の使い方から調味料の選別まで、決して多くもないが、少なくもない知識を得ていた。


 一年前、そんな経緯を知られて、この身体のリハビリも兼ねて料理をすることになった。


 今でも、味覚はまだ完全には戻っていないが、それより手先の感覚が問題で。卵を割るだけの単純な動作もままならなかった。指のコントロールができずにいくつの卵を無駄にしたか知れない。包丁を真二まっぷたつにしてしまったときは、どうしていいかわからなかった。


 結果的に、そうした積み重ねを経て、今のオレでも作れるメニューがこの店のメニューとして羅列されている。


 問題は、だ。


 トーストサンドが作れたのならば新しく何か一品、というオーナーからのご要望が出てしまった。半年かかってこれだと言っても、聞いてはくれない。


 困ったものだ。


 そんなどうでもいいことを考えながら、ほうきちりりを片付け始める。五月の連休だというのに、店先は閑散としていた。


 いや、当然と言えば当然か。そういう場所を選んでここに店を構えているのだから。


 ふと、視線を感じて振り返る。少し離れたところに立っている電柱の陰から、こちらを観察している影が視えた。背格好からして、女性。身長は低く、顔の輪郭もまだ大人とは言えそうにない。


 中学生、だろうか。連休も折り返しというタイミングだから、朝の十時頃に出歩いていても不自然とは思わないが、こんな人気のない場所にいるのは不思議だ。


 じっとこちらを観ているのだから、用があるのはこの店、ということになるのだろうが。問題は、この店に中学生の客なんて初めてだ、という一点に尽きる。


「あの……」


 ようやくオレが観ていることに気付いたのか、意を決したように近づいてくる。声は子どもから大人に変わる途中とわかるが、なんとなく苛立いらだたしげな響きをはらんでいた。


「何かご用でしょうか?」


「えっと……あなた、探偵?」


 いいえ、とだけ口にして首を振る。


 きりりとした鋭い目が、一瞬だけ緩んだように見えた。安堵した、ということだろうか。


 よく見れば、本当に小学校が終わったばかりといった具合の少女で。肩にかかるくらいの髪はつやのある黒。対照的に白い肩や足が強調されるファッションだが、背伸びした子ども、という印象は変わらない。


 しかし、どこか攻撃的な瞳の奥に、何か揺らぐものが視える。


「探偵さんなら、よくうちの店にいらっしゃいますが。彼に何かご用ですか?」


 目当ての相手を知らないわけでもないので、とりあえず与えられる情報だけは与えてやることにした。


 別にそんな必要もないのかもしれない。しかし、なんとなくこの少女には教えておくべきだと、そんな予感があった。


「そっか……。じゃ、この店なんだ」


「探偵がいる店、という意味ですか?」


「うん。もしも今日、女の人が依頼に来たら、言ってほしいんだけど」


 詰め寄るように一歩を踏み出した少女は、オレの首元にも届かない背丈を必死に伸ばして、顔を近づけてきた。


「うちの家庭の事情に関わらないで、って」


 すごんでいるつもりなのだろう。親のかたきでもにらみ付けるような視線で。


 しかしどこか、寂しげに感じる瞳だった。


「依頼人の方をご存じ、ということでしょうか」


「……ッ」


 どうもオレが驚かないことに苛立いらだっているらしい。おそらく自分の眼力で圧倒できるとでも思っていた、というところか。申し訳ないが、多少鍛えている程度の中学生に怖気おじけづいていられるほど、オレは暇じゃない。


「とにかく、伝えておいて」


 それだけ吐き捨てると、彼女はきびすを返して駆け出した。


 走り方がやはりスポーツをしている人間のそれだ。学校では運動部員か、あるいは街のスポーツクラブのメンバーか。


 かどを曲がったところで、何かが落ちるのが見えた。取りに戻ってくる様子もないので、近づいて拾ってみる。


広井ひろい彩萌あやめ……?」


 写真付きの生徒手帳だった。黒銀くろかね市立第七中学校の一年二組十七番。まさしく十二歳のお子様だ。しかし微笑ほほえんだ顔は、どこか大人びている。不思議なものだ。


 こういうのは本人に返すべきなのだろうが、生憎あいにくと追いかけようがない。もうこの辺りの道にはいないなら、おそらく大通りの方に出たのだろう。連休中の大通りで、一目しか見ていない少女を探して走り回るのは、あまり得策とは言えない。


「お~い、少年」


 声に振り返ると、常連客が立っていた。


 明るい茶色が特徴的なチェックのスーツに、頭には同じカラーリングの帽子。今朝も「そうです、私が探偵です」と言外に告げる姿の橋端はしば三平さんぺいだった。


「ちょっとバイト少年くん? 店ほったらかしたらいかんでしょー?」


 どうやらオレが店から離れていたせいで入れなかったらしい。鍵は開けてあったのだが、一応は立札のCLOSED準備中を見て止まったようだ。


 そそくさと札を反転させながら、店の中へと促す。


「失礼ですが、今日はお仕事で?」


「うん、そうだけど? いやぁ、電話もらったんだけど、美人の香りがすんだよね~」


「今しがた、その依頼人への言伝ことづてを預かったのですが」


「は?」


 混乱している探偵に、さっきの生徒手帳を見せてみる。神妙しんみょうな顔つきで凝視するが、手応えはなさそうだ。


「この女の子が、家庭の事情に関わるな、と」


「広井……? いや、知らない子だなぁ。依頼人も、よしさんって名乗っていたし」


 互いに首を傾げながら、生徒手帳の少女を見比べてみる。まあ探偵でもないオレが考えても仕方がない。コーヒーを用意しながら、依頼人の木吉という女性を待つ。


 ほどなく来客を告げる鈴の音が響く。心なしか爽やかな音色に聞こえるのは気のせいか。


「いらっしゃいませ」


「あなたが探偵さん?」


「……いいえ」


 本日二度目の問答だった。


 ドアに立っているのは、確かに美しいと評されるだろう女性。ビジネスウーマン、とでも言えばいいのか。グレーのパンツスーツはきっちりとした印象を与えながら、対照的に首元からフリルのような装飾のブラウスが遊び心を感じさせる。


 見た目からしてもまだ三十代には届いていなかろう。うっすらとだが太陽光に反射してきらめく焦げ茶色の髪は頭の後ろで一つ結び。馬の尾のようなふさが、毛先でふわりとねていて、まるで生き物のようだった。


 なにより目をくのは、笑顔。白い歯を見せて笑う姿は、テレビコマーシャルのようでさえある。


吾輩わがはいが、名探偵の橋端三平ですよ✩」


 いちいち自己アピールの激しい探偵だ。どうもストライクゾーンまっしぐらの見た目らしい。


 流石さすがに面食らっているのか、彼女の笑顔が引きつった。もう少し違う格好をした方がいいのではないか、と顔に書いてある。


「お電話をしたよしこうです。この度はよろしくお願いします」


 すぐさま切り替えてビジネススマイルをする依頼人は、どうも世渡り上手のようだ。


 店の奥のテーブルに腰かける二人に、オレはコーヒーだけ置いて下がろうとした。すると依頼主がにこりと笑いかけてくる。申し訳ないが、会釈えしゃくだけ返してキッチンに戻らせてもらう。


「それで木吉さん。ご依頼の件ですが、できれば会って話したい、というのは……」


「単刀直入に言えば、調査をお願いしたくて。それもちょっとしたうわさについて」


「ウワサ……ですか?」


 珍しく、探偵の方がいぶかしんでいる。たいていの調査と言えば不倫や素行調査といった個人の監視に近い業務だろうから、確かに不可思議ではある。


「この病院を、調べてほしいんです」


太合たいごう総合病院? 街じゃ大きい方の病院ですが……まさか不正とか⁉」


「いいえ、そういう話じゃないんです。どっちかというと、都市伝説、というか」


 歯切れの悪い物言いだ。彼女自身も半信半疑、なのだろうか。


「都市伝説、というと……?」


「夜な夜な別館の明かりがく」


「へ?」


「しかもそこに入院している患者は、寝たきり状態の人だけ……」


 いよいよもって、ホラー映画の宣伝のようだ。それこそ中学生が流した噂話のようにも聞こえる。


「ま、まさかぁ、幽霊のたぐいでも出るって言うんですかい? ば、馬鹿馬鹿しい……」


 おい、おっさん。声が震えているぞ。


「私もそう思っているんです。けれど、中学生なんかはそういう話、好きじゃないですか」


「え? 中学生? まさか、さっきの子……?」


「さっきの子?」


 その一言で、オレもやむなくさっきの生徒手帳を見せる。


「うそ……彩萌ちゃん、来たの?」


 明らかに動揺している。よほどこんなところに来るはずはないと思っていたらしい。


 先ほどの伝言やその前後のことを話していると、納得したらしい。


「間違いなく彩萌ちゃんだわ。ごめんなさいね、ご迷惑かけて」


「いえ、オレは問題ありませんが。失礼ながら、木吉様は彼女のお知り合いですか?」


「知り合い、には違いないけど。今はちょっと彩萌ちゃんには信じてもらえてない、かな」


 どこか遠くを見るような眼差しで、しかし拭えないほど寂しげに、彼女は笑う。


「と、いけない。そろそろ仕事に戻らなきゃ」


 依頼人はそう言うなりコーヒーを一気に飲み干した。一瞬、不思議そうな顔で、オレを見て。


「あら、美味しい。また来るわね」


「ありがとうございます」


 礼をすると、嬉しそうに笑って彼女は立ち上がった。


「では名探偵さん、お願いしますね」


「はいはい! お任せください‼」


 そう呼ばれたのがよほど嬉しかったのか。探偵は大きく胸を叩いてみせる。そんな彼に特大の作り笑顔を浮かべた美人は、足早に店を出て行った。


「あ~んな美人さんが、名探偵さん、だって~」


 鼻の下が伸びきった迷探偵を一瞥いちべつだけして、キッチンに戻る。オレとは関係のなさそうな事件の少女と美人より、新メニューを作る方が先決だ。


 もう探偵もコーヒーを飲み終えて調査に向かう様子である。


 さて、誰に試食してもらうべきか。


 ふと、生徒手帳の少女の顔が目に映る。大人びた表情が、なんとなく地下で眠っているだろうオーナーと重なって見えた。


『あーあー、マイクテスト、マイクテスト。南野みなみの光一こういち少年? 聞こえるかい?』


 タイミングよく、脳裏に彼女の声がした。おい、寝てたんじゃないのか。


『後でいいから、新メニューを持ってくるように。あとコーヒーも』


 こんなことで無線を使わないでくれ。メッセージの方が早いだろうに、わざわざ脳内で響かせるな。いったい今日はどうしたんだ。


『ちなみに昨日みたいに、見ていませんでした、は通用しないからね』


 ああ、そういうことだったか。我ながら面倒なことをしたものだ。


 地下にこもりきりの彼女は、連休ににぎわっている外の連中を画面越しに見ているのだろう。追いかける敵の手掛かりがどこに転がっているとも知れないからとは本人の談で。しかし、そのせいでストレスが溜まっているのは明白だ。


 まあ、仕方もない。こちらは年中無休で働いている、と言ってもそれはお互い様だ。


『承知しました』


 丁寧にメッセージを返す。とにかく彼女が気に入りそうなものを考えつつ、店にあるものと「にらめっこ」を開始する。


 さて、何を作ろうか。

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