EP01-拾:英雄もいない街で


「よし……やるか」



 喫茶『かざみどり』は、今朝も無事に開店した。


 オーナーはまだ地下でオレの装備を修繕しているから、後でコーヒーを持って行かないと。割と派手にやったし、それなりの頻度で持って行かないとな。


 なにせ昨夜は酷い戦いだった。


 切り札たる『M』を地下の研究施設に放り込み、その制御をしながらの戦闘という無茶をして。案の定、帰ってきてからほとんど口も利けないほどの疲労感だった。純粋な戦闘の疲れだけでないのは明らかだが、それは考えないことにする。


 吐き出したい感情も、押し殺すしかない罪悪感も、仮面に隠したままでいい。


 やはりオレは「殺戮兵器」になりきれてはいない。けれど自分のことを「ヒーロー」と呼ぶことは絶対にできない。そう呼ばれるのは、自分の正義を信じて戦う奴らだろう。


 オレはこんなことを、正義だなんて思わない。


 それでも昨日のように戦うのは、輪廻りんねさえできない奴がいるからだ。


 育ての父親から聞いた最初の教え。


 人のたましいは輪廻する。その魂は次の命に生まれ変わるのだと。だから、死んだ人間をいたむだけでは、意味がないのだと。


 両親を失って、どうすることもできなくなったオレには、それは確かに「救い」だったと思う。信太郎しんたろうは首を傾げていたが、それはどうしてか希望があるような気がしたことを今でも思い出せる。


 だからこそ。


 十中八九、その〈実験体〉になった誰かは助からないと知っていても、戦える。


 今はもうオレしかいないんだ。たとえ欠陥だらけの「殺戮兵器」に堕ちても、〈スポンサー〉を追えるのは。この血赤のマフラーを継いだ以上、オレがやらねば誰がやる。


「ん?」


 くだらないことを考えているうちに、脳内にいくつかの情報が転送される。改造されたことで、こういうデータを受信できるようになったのは、ありがたい。


 どうも昨夜対決した『ASHアシュ-RA』なる〈組織〉が辿った結末のようだった。


 河島かわしま千代子ちよこが目撃した例の男たちというのは〈組織〉を裏切って告発しようとしていた科学者たちのようで。毒で体を焼かれていたようだが、なんとか意識を取り戻したらしい。悪運が強いのか、それとも〈実験体〉の少女の優しさか。


 そもそも、元になった『ASHアシュ』という企業は、そんなテロ組織の存在を知らされていなかったようだ。今回の件で社長の白川しらかわ幸吉こうきちは、期待をかけ続けた部下=尾雲おくも桃子とうこの蛮行を初めて知ったらしい。


 どうやら〈スポンサー〉に目をつけられたのは、社長ではなく部下の方だったようだ。


 確かに、この人の良さそうなじいさんに、外付けではあっても人間を〈素体〉にした〈実験体〉など造れまいと思うのは、事件が終わった後だからか。


 その点、あの女は都合がよかったのだろう。社長からは期待をかけられても、同僚からは「女のくせに」とけ者にされていたという。


 そういう鬱憤うっぷんを持つ人間の方が、落としやすい。いかにも〈獣核ゲノム・コア〉を配る連中が考えそうなことで、反吐へどが出る。


 他にも、尾雲の遺品から海外のテロリストたちとの繋がりが露見したとか、その集団がほとんど一斉に摘発されただとか、そんな情報がちらついたが、どうでもよかった。


 なにしろ、最も興味深い項目が目に飛び込んできたから。


「待て。搬送された少女は……」


 鈴の音がなる。ああ、ちょうど客が来たらしい。


「いらっしゃいませ」


「やあやあ、少年。吾輩のためにコーヒーを淹れてくれるかね?」


「かしこまりました」


 探偵が、得意げに笑っている。いつも以上に上機嫌だ。


「あ、そうそう。また依頼人さんが来るから、うまくよろしく! ほら、あの美少女、河島さんだぞ~」


「そうですか。では彼女がいらっしゃいましたら、彼女の分のコーヒーをお持ちします」


「ところで、バイト少年くん? 吾輩の武勇伝、聞きたくない?」


 まさか、あの後を知っているのか。


「いやぁ~、そうだよね、聞きたいよねぇ~」


 そんな、まさか。この男に何ができたというんだ。


「実は昨日ね、吾輩のファインプレーが大炸裂しちゃったのだよ~! もう、すっごくってね……」


 探偵の声をさえぎったのは、踊るような鈴の音。楽しげな響きがしたのは、錯覚か。


「いらっしゃいませ」


「おぉ~、河島さん! ちょうどよかった、今ね、彼に武勇伝を……」


「お母さん、意識が戻って! それに白川先生も、これからのことは心配しないでいいよって言ってくれて!」


 興奮気味の依頼主に、面食らった。


 親友を殺されて泣いてやってくるかと思っていたのに。こんなに希望にあふれた笑みを浮かべているのなら。


 じゃあ、本当に……。


「河島様……お母さん、というのは?」


「あ、そっか。店員さんにはまだ言ってなかったんだった」


「だーかーらー、吾輩の話を聞きたまえ!」


 あたかもミュージカルでも演じているかのように、オレたちの間に入っていく探偵。そんな男に、少女は笑顔を向ける。


「いいかい? 悪のテロ集団が隠れる港の地下に潜入した吾輩! 義足や義手を兵器として開発する暗~い地下実験場で、なんと! 捕らわれていた山城やまぎれいさんのお母さんを見つけ出したのだよ!」


 驚いた。この探偵がまさか本当に被害者の母親を見つけ出せたなんて。いや、誘導されただけかもしれないが。


「娘を助けてほしいと泣きつかれたが……玲さんがどこにいるかわからない! とにかく地上で待っているだろう河島さんのところに戻ろうとした、そのとき! 悪の傭兵たちがわんさかわんさか‼ しかし、この男✩橋端はしば三平さんぺい、負けるものかと命を賭けた大攻勢‼ そしたら傭兵どもめ、吾輩に恐れをなしたのか、ばったばったと勝手に倒れていったのです‼」


 ああ、合点がいった。そもそも探偵や依頼人を捕まえるのが目的だった連中は、しかし途中で『M』に強襲されたのだろう。おそらく捕虜ほりょを人質にしようとしたか、はたまた逃げようとしたが失敗して血祭りになったか。


「なーんとか地上に出ると、しかしそこに河島さんがいない! そこで吾輩、ぴんときた! 彼女が吾輩の指示を聞かずにどこかへ行くなら、それは親友のためだけ‼ 大急ぎで警察と救急車を手配した吾輩は、そうして走る・走る・走るッ‼ 果たして、倉庫で泣いている河島さんとその親友を見つけたのであった‼」


 少女は涙ぐみながらも笑顔で、探偵はこのテンション。ああ、本当なのか。そうだとしたら、それは……。


「本当に、探偵さんがいてくれて良かった。あのときの応急処置がなかったら、きっと助からなかったから」


 わかっていても、目を見開かずにはいられない。


「助かった……というのは?」


「玲です! 死ぬか生きるかのとうげは越えたって、お医者さんも言ってて! いつ目覚めるかまでは、わからないけど……でも、きっといつか目を覚ますよ。ううん、きっとじゃない。絶対に!」


「そうだとも✩そうだとも~! それにしても、吾輩の武勇伝がまた一つ、増えちゃったなぁ。はっはっは~‼」


 馬鹿笑いしている探偵の声など、もう聞こえない。


 少女の笑顔から目が離せない。



 ああ、彼女は救われたんだ。



「だから、店員さんに早く会いたかったんだ。もうダメだって思って、諦めそうなとき、あなたが助けてくれたから」


「オレは、何も……」


「そんなことない。話を聞いてくれて、味方になってくれて、励ましてくれたもん」


 顔を背ける。はたから見ればコーヒーを準備しているように見えているだろうか。


 その言葉は、悪に終止符を打つ「死神」にではなく。


 笑うことは出来なくとも、親友を救いたいと願った少女に、自分を重ねてしまったオレへの、言葉。


 二人分の飲み物を淹れて、カウンター席に腰かけた二人の前に出す。


「それでも、オレは何もしていません。玲さんを助けられたのは、親友のために諦めないと決めた、あなたがいたから……でしょう?」


「それでも、あなたの言葉が支えてくれたんだと思うから」


 陽だまりのような笑顔だ。


 ああ、山城玲が守りたかったのは、これか。だから直接は会えなくても、こっそり見に行っていたのかもしれない。


 この笑顔が、曇っていないかを確かめるために。


「そうそう! この名探偵である吾輩の支えがあってこそ~! いや、一つ心残りがあるとすれば、河島さんの言っていた赤いマフラーの悪党‼ 吾輩が居合わせたら、絶対に逃がしはしなかったのになぁ、惜しいなぁ‼」


 いや、あんたが百人いたってかなうまい。なにせ、どんな軍隊が来ても倒せる、がうたい文句のオーナー特注装備だからな。まあ、その性能に頼って無茶をしているオレが何を言うこともできないが。


「でも、あの悪魔が行った後。玲が言ったんです」


「ほう? 吾輩が助けに現れる直前の会話ですな。いやでも、見つけた時には、もう息も絶え絶えって感じでしたが……?」


「ええ。私、あんなふうにみんなを傷つける悪魔が許せなくて、この街から消えろって叫んだんです。そんな私を見てられなかったのかな、玲が無理に笑顔を作って言ったんです。『もう大丈夫、助けに来てくれたから』って」


 ああ、そうか。


「なるほど。『親友が助けに来てくれたから、もう大丈夫』、と。健気けなげですなぁ~! ひどい悪の魔の手に掛かって苦しんでも、親友の笑顔を守ろうとしたなんて‼」


 現実的なことを言えば、〈獣核ゲノム・コア〉を埋め込まれた段階で彼女は悟っていたはずだ。〈獣核ゲノム・コア〉に適応できずに肉体が腐って死ぬか、〈獣〉となって誰かを殺す「兵器」に成り果てるか。そのどちらかだと。


 あのおしゃべりな科学者が「冥土めいど土産みやげ」なんて騒いでいたことからしても、そのことを山城玲は知っていた可能性が高い。


 それでも、そう言えたのなら。きっと、救われたと思えたんだろう。


 ほとんどの〈実験体〉を強力な敵になる前に殺害し排除する。ずっとそうしてきたに過ぎないオレの姿が、あの山城玲という少女の目にどう映ったかは知らない。


 だがきっと、この親友がそばで看取ってくれると思ったのなら。


 それが彼女にとっての「救い」になるはずだった。


 しかし……、もしもの話だ。


 山城玲が、自分も親友も死なず、囚われの母親も救助され、〈スポンサー〉も簡単に手を出せない良い企業の庇護下ひごかに置かれる……そんな最高の未来に目を覚ますなら。


「ね、これって奇跡……だよね?」


 依頼人は、春の陽だまりのような笑みで、そうささやいた。


 奇跡。


 そうかもしれない。この笑顔を取り戻したことだけでも充分過ぎるのに、そのうえで神様はいつか未来への希望までおまけしてくれている。


「あ、そうだ。探偵さん、これ! 今回は本当にありがとうございました!」


「おお……‼ 夢にまで見た探偵料‼ いやったぁ、これで今夜は酒が飲めるぅ‼」


 おいおい、どれほど困窮しているんだ。その喜びようははたから見れば危険人物だぞ。


 いや、確か遺産ありきで〈組織〉を残しているとオーナーは言っていた。その庇護下にあるオレが言えた義理ではないか。


「そうだ、河島さん。この後、お食事でもいかがです?」


 唐突にダンディな声。なんだこの切り替えの早さ。婚期を逃した男は、みんなこうなるとでも言いたいのか。


「あ、それじゃ、この間のトーストサンドのセットがいいです!」


「え……? いや、こんな店じゃなくて、もっといい店で……」


「これツケ代のリストです。よろしくお願いします」


「さらっと何を出してくれているんだーい⁉ 君ね、こういうときはちょっと融通ゆうずうを聞かせるもんじゃないかねー⁉」


「すいません、こんな店のバイトなもので」


 皮肉を口にしながら伝票に書き殴ってきたツケの全てを見せる。ぐぬぬとか言い出しそうな探偵の顔、どこのコントから飛び出してきたんだ。


 そんな平和な光景を見てクスクス笑う少女が、改めて口を開いた。


「ねえ、店員さん。玲が起きたら、絶対にこのお店でパーティーしたい! 今から予約してもいいかな?」


 その瞬間を想像してみる。


 店は飾り付けて。料理はできうる限りに豪勢にして。ケーキなんかもあるといいかもしれない。そして、それを二人の少女が笑って見つめている。


 そう思った瞬間。


 なぜか口元が、ゆるんだ。




「はい。この店が残っていれば、できうる限り最高のおもてなしをさせていただきます」




 告げた瞬間、眼前の少女は口をぽかんと開けていた。何か、まずいことを言ったのか。


「笑った‼」


「……、はい?」


「ああ⁉ 今、店員さん、笑ってましたよ‼ ほら、探偵さんも見ましたよね?」


「え? 吾輩、ちょっとお金の計算をしていたんですけれど、なんかありました?」


「店員さんが笑ってたんです‼ ね、もう一回、もう一回、今の表情‼」


「?」


 どういうことだ。何を言っているんだ。オレが、笑えるわけ……。


 いや、違うのか。今の笑顔は無意識に出たもの、なのか。そういえば医者の話じゃ、何かきっかけがあれば、笑顔も作れるようになると言われたな。


 これが、そのきっかけか。まあ、もうその感覚はわからなくなってしまったが。


「河島様。そういえばスープの味を少し変えてみたんです」


「え?」


「身体が温まるかと思って入れたスパイスが、ちょっと刺激が強すぎて良くなかったかな、と思いまして」


「え……、それってあの雨の日に⁉ 私、そんなの顔に出ちゃってました⁉」


「いいえ、そんな気がしただけです。だから、また試供品、食べてくださいますか?」


「ふふ。仕事しないオーナーさんの分まで、是非!」


 いつもなら地下で聞いているオーナーが御立腹ごりっぷくだろうが、今日は大丈夫だろう。なにしろ、もうそのセットは地下に運んだ後だ。


「お待たせいたしました」


 二人分をこしらえて、出してみる。嬉しそうにしている少女とは裏腹に、男は金の心配をしているのだろう。笑顔が引きつっている。


「試供品……ですよ」


「え? あ、そーなの? 試供品じゃあ、仕方ないな~。吾輩も常連だもんね~、感想くらいは言ってあげないとね~」


 そっと耳打ちしてやる。こんな日くらいは、街の笑顔を守ろうとした探偵にも奇跡のおこぼれがあっていいはずだ。


「いただきます」


 幸せそうに手を合わせた少女は、そうしてスプーンを口に運ぶ。ああ、その笑顔だけでわかる。


 いつかの未来に、希望があると。だから今日を、笑顔でいられると。




 どうか、この英雄のいない街で、奇跡に出会えた少女の優しい笑顔が。


 この先も、ずっと続きますように。


Fin

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