EP01-玖:宿業の死神


 ミッションコード、変身、完了。


 右手『W』、左手『S』、左足『H』装着……オールグリーン。システム正常稼働、確認。右足の『M』のみ、地下の研究施設へ潜入中……成功。


 どういった武装をしているとしても、〈獣核ゲノム・コア〉を持たない人間程度なら、『M』一体で難なく制圧できる。そういう風に設計した私が保証する。


 むしろ惨殺ざんさつしないかが心配だけど、先の話が本当ならどうせ海外で悪さを働いてきた殺人鬼どもだ。殺される覚悟もあるのだろうし、悩んでやるだけ時間の無駄だ。きっと少年も、そう思うだろう。


 それよりも今は、彼の視界を通じて見える状況だ。尾雲おくも桃子とうこという悪魔の科学者と、その〈実験体〉をどうするか。


『なるほど、どこかの〈組織〉の〈実験体〉……。私たちが〈実験体〉を造ったことを突きとめて、千代子ちよこちゃんを尾行して殴り込みに来た、ってわけ?』


 依頼人に忍ばせておいた〈クモ〉越しに見た時から、ゲスの極みだとは思っていたが。まさかここまでとはね。


『いいわ、どちらの〈実験体〉がより優れているのか、確かめてみましょう? ただし、この子たちに勝てたらね‼』


 手で合図した途端に、倉庫の中心に立つ彼を取り囲んだ男たち。見た目からしても、国籍が入り混じっているのがわかる。やはり戦争やら紛争やら、とにかく殺し合いの世界から抜け出せなくなった人間たちなのだろう。


 簡単に人を殺せる銃を持つくせに、顔に張り付けた笑みが残忍過ぎる。


 その手に握る武器は、短機関銃サブマシンガン。一人がトリガーを引くと、他の連中も続けざまに弾丸を放つ。画面越しに見ても、嫌な光景だ。


『お、おい……⁉ 効いてないぞ⁉』


 けれど、まるで意味がない行為だ。そもそもこの私が造った装甲だけじゃなく、その下の骨格からして、君らとは格が違う。強度、柔軟性、自己修復機能に至るまで。それを可能にする〈獣核ゲノム・コア〉のナノマシンが風を吹かせるだけで、弾はね返り、壁をえぐる。


 ただ撃つだけだった男たちは、ようやく女科学者をあおぎ見た。


『ねえ、ヒーローさん、彼女がどうなってもいいのかしら?』


 気付けば、あの依頼人……河島かわしま千代子ちよこは、頭に拳銃を突きつけられている。刑事ドラマの人質よろしく首を締め上げられている少女は、さっきまで親友に殺されかけていたせいで抵抗するだけの力もないと見える。


『さ、両手を挙げて? どうやって〈獣核ゲノム・コア〉を取り付ければ、そんな強度になるのか、じっくり調べさせてもらおうかしら』


 舌なめずりする姿は、蛇のようで。


 無意味な短機関銃を構えてにじり寄ってくる傭兵たちにもわかるように、少年の両手が挙がった。


 するとベルトや両手足の武装を取り外そうと近寄ってくる。わざわざ武器を下にして。


 瞬間。


SPIDERスパイダー


 この左手の装甲から糸が飛び出す。天井でまさに〈クモの巣〉を形成したそれを追う形で、重力を引き裂きながら、彼は上昇していく。


 慌てて銃を構えた連中には申し訳ないが、もう遅いよ。


HOPPERホッパー


 空中で一回転し、左足で天井を蹴ったようだ。ジェットコースターから撮ったような映像に、いつも驚かされる。〈バッタの跳躍力ちょうやくりょく〉が人間サイズになるとこれだけの急加速になるんだから恐ろしい。


 高速の体当たりが男の一人を吹き飛ばし、それに戦慄せんりつしているやからにはかかととしがお見舞いされた。その反動をそのまま利用して再び跳び上がる。


 散開しながらも銃撃を試みるザコ共を蹴り飛ばしながら、跳躍を繰り返す。


 これが左足に装着した〈バッタ〉の性能だ。地面と足が接したときに出る反発力を促進して、攻撃にも回避にも転ずるトリックスター。


 いちいち地面に降りる必要もないほど、戦況は優位だ。おそらく人間相手の戦いなら相当の戦力を持つ傭兵たちなのだろうけれど。そもそも〈実験体〉を相手にすることを想定した訓練などしていないのは明白だった。軍や傭兵部隊のセオリーなんて、常識破りを平気で行う〈実験体〉には通じるわけもない。


 あるいは、自分たちが造りだした〈実験体〉が本気になったところを見たことがないのかもしれない。河島千代子の話では、彼女は優しい性格だと言っていたから。悪意に満ちた命令に反発して、設計通りの力が出なかったと考えればうなずける。


 ならば、なおのことだ。こんな悪意から、早く助けだしてやるべきだ。それがたとえ、命を奪う選択だとしても。


 ふと、罵倒ばとうの声らしいものが聞こえた。同時に景気のいい音を立てたのは、バズーカ砲。流石に直撃すれば面倒な威力だと、初見の私でもわかるほどの大きさだ。


 だが、今の彼は空中で身動きは取れない。


WASPワスプ


 右手の装甲から伸びる針。いや〈ハチの毒針〉のつもりで設計したはずなんだが、もうほとんど槍と言って差し支えない。


 まさしく弾頭を穿うがち、その爆炎を腕の回転だけで斬り伏せてしまう。


 目を見開いて驚いているバズーカ持ちの男。その眼前に着地した瞬間に、右腕がうなる。バズーカそのものを弾き飛ばし、そのままの勢いで蹴り飛ばした。


 壁まで吹き飛んだ巨漢は、血を吐きながら気絶。スクリーン越しでもわかる。傭兵たちが彼に向けるものが、殺意から恐怖に変わっていく。


 もちろん、それだけで手を抜いてやる彼ではない。


 もう後は蹂躙じゅうりんだった。戦意を喪失し始めた連中だけ放置して、まだ向かってくる奴らをその力でほふっていく。


 一人、また一人と、壁に血だまりを描く兵士たち。残った者たちも勝ち目はないと気づいたらしく、突き破られたシャッターの外へと走り始めていた。


『くっ……役立たず! ねえ、この娘の命はどうでもいいの⁉』


『……』


 苦悶くもんの表情を浮かべる少女、それ以上に激昂げきこうする女科学者。


 返事はない。


 無言の意味を悟ったのか、女は端正な顔をみにくゆがませて笑う。


『そう……あくまでこの娘は関係ないってことね? なら、あなたにはこの子の性能テスト用のサンドバックになってもらうわ。「殺せ」……』


 腕時計に仕込んであるらしい装置で、こいつの造りだした〈実験体〉が動き出す。


 左足を奪われた少女、その成れの果て。親友の想いに応えることも叶わなくなった、哀れな人形。こんな悪意のかたまりが造りだした「殺戮兵器」で、〈素体〉はその犠牲者なんだ。


 だからここで、終止符を打ってやれ。


『あぁあ、ぁああああああぁあああぁあああああああああぁああああああああ‼』


 襲い掛かってくるのは、毒々しい紫色とそれを際立たせる緑色の〈怪人〉。


 つたむちのように地面を叩くと、コンクリートが腐敗していくのが見えた。なるほど強力な毒や酸を持つ植物……食虫植物の〈獣核ゲノム・コア〉というわけだ。


 設計者としては、純粋な相性の悪さは認めるしかない。


 跳び回りながら、むちを寸でのところでかわし続けている。だが、これではらちが明かない。その場からは一歩も動かない敵に、決定打を与えなければ意味がないんだ。


 弧を描く攻撃に合せて、彼が左手を突き出すのが見えた。待て、何をする気だ?


SPIDERスパイダー


 射出された〈クモの糸〉……正確には形状記憶合金で構築された武器だ。左手の装甲内部では棒状でたたまれて、外に出ると蜘蛛くもの巣を模した形となって磁場を生み出す。


 そうか。それなら、こういうこともできる。


『あぁ……ぁあああ⁉』


 衝突したむちが破裂する。


 いくら強力な毒だろうが、〈獣核ゲノム・コア〉から供給されるナノマシン経由で電流を流されれば、ただでは済まない。並の人間であれば感電死するレベルのものだ。


 ひるませたこのチャンスを逃すまいと一気に跳躍し、ふところに潜り込む。


 どこに〈獣核ゲノム・コア〉があるかを見極めることがこれまで最大の難点だった。けれど今回はもう判明しているから、私から指示を出す必要もない。


 禍々まがまがしい姿に変わった左足……あの義足だ。これを破壊すれば、そこに内蔵された〈獣核ゲノム・コア〉も視認できるはずだ。


 右手を振りかざした瞬間。狙っていた義足、その装飾と思っていた獣の口蓋こうがいが、開いた。


『⁉』


「何だとっ⁉」


 はさみ込まれた腕が悲鳴を上げている。どうやらこの〈実験体〉は食虫植物というモチーフと同時に、ネズミ取りのような罠の能力も備えていたらしい。噛みつかれた腕が、毒に溶かされて湯気を上げているのが見て取れる。


 これか。河島千代子が被害者の消えた場所で見たというのは……。


 主要武器を溶かされてしまうのは厄介だ。今は右足に『M』がいないんだ。サポート寄りの二つだけでは、〈獣核ゲノム・コア〉が出てきても摘出できるかわからない。


 刹那せつな、私は目をみはる。


WASPワスプ……Releaseリリース


 内側から爆弾でも炸裂したかのように、右手の装甲が弾ける。タイミングがわかっていて跳び退すさったということは、自らやったのか。


 予想外の攻撃に、相手はバランスを崩して倒れこむ。


はち……⁉』


 人質を後生大事に抱えたままの女科学者が悲鳴じみた声を出した。


 そう、腕からがれたのは『WASPワスプ』……〈ハチ〉だ。


 正確には蜂を模した装甲兵器。単体で前腕部分をおおうほどの大きさで、『M』同様の単独行動ができる優れもの。左手の『S』……〈クモ〉と違って、遠隔操作できる範囲が狭いのが難点だが、いずれも私の傑作だ。


 それを知ってか知らずか。自動防衛機能を備えているらしい肩や腕から伸びる食虫植物の特徴的な意匠が、毒を放って〈ハチ〉を遠ざけている。やはりこの場で一番に天敵となる相手は見抜いているのだろう。


『ぅぅぅ……ぁあ、あああ‼』


『な……何をやっているの⁉ 早く、その〈実験体〉を殺しなさい‼ 大事な親友も、母親も、もっとむごたらしく殺されてもいいの⁉』


『いぁああああああああああああああ‼』


『……ッ』


 跳び上がってかわしながら見えた彼女の姿。


 自分の命を削って吐き出しているのだろう毒で、周りの全てを溶かしながら、しかし彼女は叫んでいる。


 イヤだ、と。


 見るにえないこの現実に、しかし抗うことさえできなくなった身体で。


 おそらく〈獣核ゲノム・コア〉の侵食が危険な域に到達しているはず。どう見ても上手く適合している器じゃない。


 このまま放置すれば、彼女は自我を失い、やがて〈獣〉と堕ちていくはず。そうなれば、彼女の想いも願いも、何もかも消えてしまう。


『終わりにしよう……』


 つぶやいた彼の声は、届いただろうか。


 そっと右腰に手を伸ばす。ボタンは一つだ。


 しんと静謐せいひつが降りる。脳波と繋がった左足に意識を集中しているのだろう。


 動きを止めた敵を見てか、毒の乱射が止まる。荒い息を吐いているから、相当に身体に負荷が掛かっているのは明白で。それでも力を収束しているのは、おそらく最大威力の毒のかたまりでも撃ちだすつもりなのだろう。


 助けられるとしたら、今しかない。


HOPPERホッパー……Exterminationエクスターミネイション


 ボタンを押し込むと同時に、跳び上がる。


 それに合わせてこちらへ向いたのは、義足にりついた化物。


 天井から壁、壁から地面、そうしてまた壁へと。縦横無尽に、コンクリートでできた戦場を歪ませながら翻弄ほんろうする。


 血赤のマフラーをなびかせて、彼は――跳ぶ。


『なんなのよ、これ⁉ こんな速度で動いたら、内臓器官が破裂するってわからない⁉』


 能力の差を嫌と言うほど感じたのか、女は叫ぶ。もう遅いよ。彼の内臓器官のほとんどは作り物で。しかも設計者は君以上のマッドサイエンティストだ。君ほどの悪意では造っていないけれどね。


 さあ、君の研究成果を無に帰す準備は整ったようだぞ。モニタリングしている彼の肉体の各パーツで一つだけ危険サインを出している。ここまでの動きでついた熱が、充分に左足をおおったんだ。


 真正面から左足を突き出して、彼は叫ぶ。


『はぁっ‼』


『いぁああ、いぁああああああああああああああああああ‼』


 義足に溜め込んだ毒を、一気に噴出させたのか。バカ正直に飛びこんできた敵を殺すには充分すぎる量。


 が、そんなものは気にもせず。そうして前に突き出してくれるのを待っていたと言わんばかりに。


 毒に焼かれながらも、進む。単純に慣性だの重力だのの問題だとしても、関係なく。


 その一撃は、彼女を縛る鎖に。


『ぁああああああああああああああああああああああああああああ⁉』


 届いた。


 失った部分と無理矢理に接合されていたのだろう義足が、燃えるほどの熱を伴い加速する摩擦を受けて。


 悪を討つために悪をまとった男の左足に連れ去られて、地面をえぐる。


『ぁああ……うぁ、ぁあ……』


 うめき声がして、振り返る。


 かつて切断された左足と、今破壊した義足。それらが重なっていた場所に埋め込まれているものが、はっきりと見えた。


 青いクリスタルのきらめき。


 あれが、この化物を動かしていた〈獣核ゲノム・コア〉か。


『あぁ、ぅ、ぇ、え……』


 泣いている声は、まだまない。ああ、痛いだろう。苦しいだろう。


 今、死神になってまで戦う男が行くから。君をその絶望から解放するために。


WASPワスプ


 呼び戻した右腕装甲から、槍が伸びる。


 おそらく接合部分は、施術した人間以外には簡単に外れない仕様になっているはずだ。今から女科学者を脅迫しても、彼女の痛みが長引くだけ。それをわかっているからこそ、容赦なく腕を振り上げられる。



『やめて‼』



 少女の声がした。せっかく振り上げた右手が、止まってしまう。


 わかっているのに。親友を助けてくれと依頼した少女の悲鳴が続いたら、彼女の苦しみが引き延ばされるだけ。そんなこと、わかりきっているだろう。



れいを……殺さないで』



 ああ、見なくてもわかるほど、彼女の声が震えていて。


 呼応するように震える君の右拳が、それでもやれという君の〈獣核ゲノム・コア〉の声と争っているんだろうね。君は誰より優しいから。


 けれど、それはダメだ。ここで生かせば、また彼女は〈獣核ゲノム・コア〉に苦しめられる。


 いつ人間でなくなるかという恐怖と。永遠に親友のそばに戻れない葛藤と。そうして自ら死ぬことさえ許されない絶望に。


『ぁ、ぅ、ぇ、ぇ……』


 徐々に怪物の姿から人間の姿に変わっていく少女の口元が、視えた。


 た、す、け、て。


 そう告げていた。それは親友を助け出してくれ、という意味かもしれないし。自分をこの悪夢から出してくれ、という意味かもしれない。


 どちらだとしても、優しいだけの少年には過酷な話だ。どちらにしろ、彼女の〈獣核ゲノム・コア〉を壊して……彼女を殺さなければならないんだから。


 ただ、それでも。


「その痛みを背負うことはできる……だろ? その血まみれのマフラーを託したバカが、いつも言っていた通りさ……」


 それしか、私には言えない。


 君を「殺戮兵器」に改造し、ここで見ているだけの私には。


『そうだ。終止符ピリオドだ……』


 腕を振り下す。的確に〈獣核ゲノム・コア〉だけを串刺しにし、救われない少女たちの悲鳴さえ無視して、その輝きだけを奪い去る。


 彼女を怪物たらしめていたナノマシンが〈獣核ゲノム・コア〉に集結していく。元の人間の姿に戻っていく彼女を見つめながら、ただその瞬間を待っている。


 全ての粒子が彼女から消える、この時を。


WASPワスプ……Exterminationエクスターミネイション


 槍を通じて、捕らえた〈獣核ゲノム・コア〉にナノマシンという猛毒を流し込む。


 原理は人間と同じ。傷ついたところを守るために血を使って固め、徐々に修復する。決定的に違うのは〈獣核ゲノム・コア〉は他の〈獣核ゲノム・コア〉からのナノマシンを受け入れられないこと。


 破損個所の修復のために〈素体〉から回収している自身の粒子たちが拒絶反応を起こして、嫌な金属の摩擦音を鳴らし始める。


 そうしてガラス玉が地面に落ちたように、きらめきを失った〈獣核ゲノム・コア〉が、割れた。


『ぁ……』


 それを見届けた〈実験体〉……いいや、山城やまぎれいは、ばったりと倒れこむ。小刻みに震えているから、もう少しだけは生きられるのだろうか。


 珍しいケースだ。たいていは〈獣核ゲノム・コア〉を壊された時点で、リンクしていた体内のパーツも破損して、そのまま死亡するケースがほとんどだが。外付け、というのがポイントなのかもしれない。


『玲……! 起きてよ、玲‼ 玲ったら‼』


 気付けば、もう自ら動くことも叶わない親友にすがり付く少女が見えた。泣きながら名前を呼ぶ姿は、どこかかつての自分に重なって、嫌になる。


『なんて、こと……』


 人質のことなど気にする余裕もなくなった女科学者は、膝からがっくりと項垂うなだれていた。あとはこの女から〈スポンサー〉につながる情報があれば、聞きだしてもらわなければならない。


 眼前に立った〈実験体〉の気配に、女は我に返ったように顔を上げる。その表情は恐怖を通り越して、どこか恍惚こうこつとさえ見えた。


『ねぇ、貴方あなたの〈組織〉に、私を入れてくださらない?』


 女は何か命乞いのようなものを、早口にまくしたて始める。


『今回は〈素体〉が悪くて失敗したけれど、次は大丈夫。貴方のような完璧な〈素体〉があれば、最高の〈実験体〉が造りだせる。そのために、私の技術は必要不可欠なはずよ!』


 この女は、いったい何を言っているのか。


『ええ、間違いないわ。それに私の〈組織〉……『ASHアシュ-RA』はまだ終わっていない。世界中に私の信者がいるの。紛争のための兵器、そういうのを取り扱う私たちの〈組織〉があれば、武器弾薬だけじゃなくて、傭兵だって調達できるわ』


 ああ、自分は有用だから殺さないでくれ、と。


『本当ならそういう人間から〈素体〉を選出したいくらいだったのだけれど、この実験の参加条件がこの街に住む者を〈獣核ゲノム・コア〉で〈実験体〉にすること、でしょう? だから仕方なく、あの使えない小娘にしたの。やっぱり失敗だったと思うわ』


 自分は上位の存在だから、死ぬに値しない、と。


『ね? 貴方のような力を持つ者こそ選ばれた存在! 真なる正義の体現者‼ ねえ、私もその〈組織〉に入れてくれるでしょう?』


 指を胸元にわせる演技までするところが、寒々しい。


 すると彼は、左手を差し出した。


『やった!』


 嬉々としてその手を取った女を引き上げて。


『やっぱりわかっているわ! 貴方のような〈実験体〉こそ……え?』


 そのまま、女の左足の太腿ふとももを掴むのが見える。


『ま、待って……、やめて、痛い、痛いから、放してちょうだい……』


 涙ぐんだ女の声の調子で、この先の展開が読めてしまった。


『やめなさい‼ やめろって言っているの‼ 聞け……、聞きなさいよ‼』


 蹴ろうが暴れようが、改造された身体はびくともしない。あの様子じゃ、自分の身体には何の施術もしていないのだろうから、当然か。


『やめ……やめて‼ お願い、やめて‼ やめてください‼ お願い、お願いだからやめ……てッ⁉』


 その柔らかそうな肉が、指圧でくぼむ。


 その身をもって、自らの悪行のむくいを受けるんだ。


『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたたああああああああ⁉』


 足が、じ切られる。


 鮮血が飛び散って、それでも暴れ回る女はゴミのように放り出されて。そのみにくく歪んだ顔より、ほんの数センチの場所に向けて、奪われた身体の一部が投げつけられた。


『お前が正義なら、オレが悪だ』


 悲痛なつぶやきか、ぐちゃりとした音か。どちらかに反応して首を回した女。そこには〈自分の足だったもの〉があるだけ。その事実を知って、女の絶叫は止まった。



『ひどい……ひどいよ‼』



 背中に刺さった声。反響具合からして、まだ親友だった誰かを抱きしめたままのようだ。もし今、襲い掛かられたら逃げられない体勢で。しかし涙でにじんだ声は、どこかりんとした響きを伴っていた。


『ここまでしなくてよかった……。尾雲先生だって、悪いことはしたけど、そこまでされるなんておかしい! やり直せたかもしれないのに‼』


 返す言葉は、ない。


 きっと、返したい言葉はあっても。今の彼には、何も返せないんだろう。


『それに玲だって……あの義足だけ壊せばよかったんじゃないの⁉ そうしたら玲だって、こんなに苦しまずに済んだんじゃないの⁉』


 言い返す理論は存在しても、彼女の想いに応える答えはない。


 それでも黙っているのは、この子には叫ぶ権利があると思っているからなんだろう。悪意に踏みにじられた親友のために、悪への怒りを、吐き出す権利が。


『赤いマフラーは正義の味方のつもり? こんなことするひとは、ヒーローなんかじゃない。あんたなんか悪魔だ‼』


 まずい。体内の〈獣核ゲノム・コア〉が活性化している。ああ、これ以上はそこにいられない。


 それでもちらりと見やった彼女の顔は、悲しいほど美しい涙をたたえたままで。


『誰かの未来を奪う悪魔なんか要らない。この街から……消えてッ‼』


 彼女の叫びに呼応したように、マシンが走り出す。〈獣核ゲノム・コア〉がうずきだすと自動操縦で来るようにしておいて、良かったかもしれない。


 飛び乗った愛馬を駆り、宵闇よいやみの中へとヒーローは突き進む。


 彼女の視線を、血の色のマフラーで誤魔化ごまかしながら。



 ああ、いつか私が報いを受けよう。彼を改造して、こんな悪事をしている連中を倒す武器として使うこの私が。


 けれど、すまない。今は、その汚名に耐えてほしい。まだ〈スポンサー〉には届かないから。こんな悪夢の元凶を追い詰めるその日までは、私たちの復讐も、この街の絶望も、終わらないんだ。


「ごめんね……ヒーロー」


 闇夜を斬り裂く死神からは。


 返事はなかった。

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