EP01-漆:残された言の葉


 昔から、れいは誰にでも笑顔で接する強くて優しい子だった。


 初めて玲のお母さんに会ったとき、その理由がなんとなくわかった。


 その顔は聞いていた年齢よりもちょっと老けて見えたのを今でも覚えている。一人で娘を育てるために、苦労をたくさんしている人の手だったことも。


 だけれど玲が、そんな母親だから自慢なんだと笑っているとき、そのお母さんもはにかみながらも笑っていた。


 きっと苦しいもつらいも、全部二人で乗り越えてきたんだろうなって。陳腐ちんぷな言い方だけど、そんな二人の絆に憧れて。そんな玲に親友って呼んでもらえたことが、嬉しかったから。


 娘は元気だけがみたいな子だけどこれからもよろしくね、って笑ったあのお母さんの姿も、ずっと忘れられない。もちろんです、と答えた私を見た時、不意に見せた彼女の安心しきった笑顔も。



 絶対に、玲は生きている。



 それだけを信じて、もう一度だけ頑張ろう。大丈夫。目撃者だっているんだ。その真偽を確かめることは、悪いことなんかじゃない。


 私が信じてあげなくてどうするんだ、河島かわしま千代子ちよこ。私の親友は、今も一人で泣いているかもしれないんだから。


「河島さん? 吾輩、何も昨日の今日で調査しなくてもいいのかなぁ、なんて思ったりするんですけどね? いや、あの尾雲おくもって科学者さんが美人なのにすっごい圧だったから~とかは関係ないですけども? あれ、ちょっと、聞いてます?」


 無理を言ってついて来てもらった探偵さんは、どうも尾雲先生にご執心のよう。まあ、本当に美人だから仕方ない。小柄なのにクールで、理知的な感じがきっと男の人には好かれるんだろうな。


 もしかしたら尾雲先生も、優しさでああ言ったのかもしれない。これ以上、玲のことを考えて私が落ち込まないように。


 だけど、諦めきれない。大切な人のことだからこそ、諦めちゃいけない……と思う。


 そうこう考えている間に、やっと目的地にたどり着けた。


「たぶんここです、探偵さん」


「ほう、玲さんを見失った謎多き事件現場ですな。どれどれ……」


 手袋をし直す姿は、探偵さんと言うより刑事さんっぽい。そんな彼は、慎重にコンテナとコンテナの間を見つめて、少しずつ周りを探っていく。隠し通路や人が一瞬にして消えたように錯覚させるようなトリックがないか。


 私も考えるけど、やっぱりわからない。すると探偵さんが小さくうなったのが聞こえたから。私も思わず身を乗り出した。


「何か見つけたんですか?」


「ここ、マンホールがあるじゃないですか」


「え……? あ、ほんとだ」


 暗くてまったく気づかなかった。こんなところにもあるんだなぁ。


「これは憶測なんですが、聞いてもらえますかね?」


「探偵さん?」


「被害者の男たちは、皆このコンテナ群に追い込まれた。そこで一瞬にして目撃者の前から姿を消す術があるとしたら、このマンホールの下に入るくらいしかない。何しろ、ここではトリックなんて作りようがないですし」


 言われてみれば。初めてここに来た時も、この暗がりだった。


 もしこの暗がりができることを知っていて、それを利用しようと考えた誰かがいて。その誰かがこのマンホールの下に誰かを引きずりこんでいるとしたら。


「それなら、玲が一瞬にして消えたのも、説明がつく……?」


「どこを寝床にしているのか問題も、彼女が拠点にしているのがここなら。というか何らかの理由でここに囚われているのかも?」


「じゃあ、どうして私の前に姿を現せたんですか? 捕まっているならそんなことできないんじゃ……」


「逆に言えば、ある程度の自由を与えられているけれど、口外できないように脅されているとも考えられますぜ。それこそ、人質ひとじちを取られている、とか」


「人質……って、まさか玲のお母さんが⁉」


 最低すぎる。けれど、ここで倒れていたあの男の人たちが、本当に怪我をしていたのなら。そういうことをしようと企む悪い人間がいるってこと。


「もしかして……これがボタンなら……」


 マンホールを用心深く触って確かめていた探偵さん。その指が押し込んだのは、本当にボタンだったみたいで。少しだけ沈んだふたが静かにスライドしていく。まるで映画だ。


 その穴の下に広がる世界を、二人でのぞき込んでみる。


 けれど見えるのは一面の闇だけ……と思ったら、怪しく光る赤いランプが点滅している。まるでいざなわれているみたいで、怖い。


「河島さん。吾輩がこの下に行ってみます」


「え⁉ き、危険じゃないんですか⁉」


「探偵が危険に飛び込まないで、誰が行くって言うんですかい。いやまあ、安心してくださいよ。警察の中にもね、ちゃーんとコネクションがありまして。ここに来る前にちょこっと話をしといたんですよ」


 ウィンクしてみせる探偵さんに、どう言おうかと迷う。もし本当にそんな最低なことをする人たちが待ち構えているのなら、警察を呼んで捜査してもらった方がいいはず。


「だからね、河島さん。ここで待っていてもらえませんかね? もし三十分しても吾輩が戻らないようなら、逃げてください」


「でも」


「それじゃあ、ここから動かないで下さいよ!」


 それだけ言い残すと、彼は本当に降り始めてしまった。


 どうしよう、勇気を出して後を追うべきか。それとも言われた通りに待つべきか。


 けれど、もし本当に約束通りの時間に戻らなかったら、どうする。警察に行って、なんて説明すればいいの。


 死んだはずの親友を探してここまで来たけれど、一緒に来た探偵さんが悪者に捕まったようだから助けてほしい? どんな悪者なのかもわからないのに?


 それに母娘を誘拐して、娘を街に放ってもどうにかなっているなんて、一人の犯行じゃない気がする。もしかしたらヤクザやマフィア、それともテロ組織? けれどそれを、どう説明すれば信じてもらえるの?


 ふと、人の気配を感じて、振り返る。そこに見えたものに、息をするのも忘れていた。


「玲……」


 一つ向こうのコンテナの隙間から見えたのは、間違いなく親友の歩く姿だった。どことなく痛そうに左足を引きずっている感じ。


 あれは玲だ。


「待って……玲!」


 追いかける。必死になって、足を動かして。


 今度こそ、その手を掴むんだ、と。もう絶対に、手放すものか、と。


「ここ……」


 玲が入っていったのは、倉庫の中。たぶん運ばれた貨物の中身を整理したり、これから運ぶ貨物を積み込んだりする場所かな。


 迷ったらダメだ、河島千代子。私が諦めたら、ダメなんだ。


 玲が入ったように倉庫の扉、そのドアノブにそっと手を掛ける。鍵はかかっていないから、すんなりと入ることができた。


 そこには……。

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