EP01-伍:研究者の部屋

 河島かわしま千代子ちよこの上着にそっと仕掛けられた〈クモ〉からの通信。


 我ながらいいものを造った。これならこの地下研究室から出なくても、外にいる人間の視点でものが観られる。難点は、本物の蜘蛛くものサイズにしてしまったせいで、画面が小さいってことくらいか。


 ロールアウトからそれほど時間が経っていないせいか、まだしっくり馴染なじんでこないと少年は言っていたが、それでも映像と音声を拾うには充分だった。


 どうやら、少年に話していた尾雲おくも先生というのに会おうと『ASHアシュ』の本社へ向かっているらしい。〈クモ〉のいる場所を地図と照らし合わせても、間違いないようだ。


 割と港に近いところにあるのは、そもそも社長である白川しらかわ幸吉こうきちがその近くに土地を持っていたから、ということのようで。義手の開発でそんなに儲かるものかとも思ったが、そもそもの資金があってこそ、良い研究者になりえた男のようだ。


 通された室内を操作したカメラ越しに見回してみると、技術者の部屋らしく様々なものが置かれていた。義手や義足はもちろん、それを造るための部品の数々。飾られたポートレートには、白川という男を中心にした集合写真。


『尾雲先生!』


 少女の上着に忍ばせたものから受信する映像だから、少女の顔はわからない。だが、彼女が相当の笑顔を向けていることだけはわかる。そんな明るい声色だった。


『千代子ちゃん』


 対する相手の顔は、はっきりと見える。


 端正な顔立ちはどこか外国人らしさすらある。いや、あの金髪の色味からしてもハーフかクォーターかもしれない。対照的に、ハイヒールで誤魔化ごまかしてはいるが、眼鏡の端から見えるしわがなければ中学生と見まがうほどの背丈だ。


 それでも何か違和感が残る。何だろう?


『良かった、元気そうで何よりだわ。れいちゃんのことがあったし、ね』


 わかったぞ。その笑顔だ。


 優しそう、とでも言えばいいのか。確かに、頭のいい美人研究者、という肩書の似合う女性という解釈はできる。


 だがどうしても、この笑顔がに落ちない。いや、むしろ出来過ぎている。少年には絶対に浮かべることの叶わない作り笑顔だとしても、自然すぎるのが逆に不自然で。本当に親友をうしなった人間に向ける笑顔なのか、疑問だ。


『あら。千代子ちゃん、そちらの方は?』


『どうも! 吾輩、名探偵の橋端はしば三平さんぺいと申します。いやぁ~、お美しい先生ですなぁ~』


『探偵……? どうして探偵さんがここにいるのかしら?』


 不思議そうにはしているが、どうも狙いには気付いているらしい。


 美しい微笑ほほえみをたたえた表情の中で。ただその目だけが、笑っていない。


『実はですな、吾輩は河島さんから依頼を受けまして。山城やまぎれいさんを探しているんです』


『え……? 千代子ちゃん、本当なの?』


 視界が揺れる。依頼主がうなずいたのは容易に想像できる。


 対して問うた本人からは、哀れな子どもを見るような視線がこちらに……親友を探す少女に向けられている。


『ねえ、千代子ちゃん? 確かに、残念な事件だったよね。けれど、あなたが気に病んでもどうしようもないことよ……』


『違うんです! 私、本当に玲を見たんです。絶対に、あれは玲です‼』


 悲痛な叫びだ。


 けれどこの科学者に、彼女の親友を想う心は届いているのか。


『嫌な言い方をするけれど、玲ちゃんが本当に港から落ちているなら、何の理由もなく助かるなんてことは……難しい、と思うわ』


『しかしですな。現実に河島さん以外にも、目撃者がいるんですぜ』


『それって、あなたが調べた結果、ですよね? 他人の空似ということは考えなかったんですか? そもそも、あなたは玲ちゃんのことを……山城玲という人間のことを、どのくらい知っているんです?』


『ぅ……』


 おーい、ポンコツ探偵。伸びていた鼻の下はどうしたんだい。私が観ている視界が小刻みに動いているってことは、依頼人が震えているってことだろうに。


『重ねて言えば、警察からも彼女は死んだものとして処理するとうかがいましたが? まさか良識ある大人が、一ヶ月前まで女子高生だった、ただの子どもに嘘を教えたりなんて、しませんよね?』


 鋭い口調に何も言い返せないでいる探偵に、きっと依頼人の中には失望やら苛立いらだちやらが湧きあがっていることだろう。私もだよ。


『千代子ちゃん。悲しいけれど、現実を見よう。つらいけれど、前を向いて生きていきましょうよ。それこそが、玲ちゃんがあなたに望んでいることじゃないかしら?』


「前を向いて生きて……ね」


 なんて、酷い言葉だろうか。聞こえだけは希望に満ちているのに、しかしふたを開ければ無責任な言葉の羅列られつに過ぎない。


 これを聞いているだろう南野みなみの光一こういちという少年は、どう思っているのやら。


 同じような希望を託されたがために、自分の恐怖を押し殺して、誰かの為に「殺戮兵器」になろうとしているあの少年にとっては。


 理由はどうあれ、この依頼人ちゃんにとって何が最良かを考えるきっかけにはなるね。今後はもう、事件に関与しない。そういう選択肢も有りだろう。


 さて、こちらのターゲットは決まった。やるべきことも、だいたい確定だ。あとはこの映像を見ているだろう少年とすり合わせをして、追い詰めるだけ。


 そこまで考えが回り始めたとき。


 ふと、小さな声が耳に響いた。


『私、諦めたくないんです』


『千代子ちゃん……悪いことは言わないから、もうやめて。あなたが傷つくだけよ』


『それでも、私は……諦めたくない』


『死んだ人は、戻ってなんか来ないのよ』


『……ッ』


 息を呑む音がして、視界が急転する。


 転送される映像がぼやけている。この雨の中、走り出したらしい。


 向かう先は、きっと家だろう。ああ、たくさん泣くといい。どうせもう大切な人には会えないんだろうし。涙の数だけ、思い出を抱きしめたまえ。


「……ッ」


 どうして、この胸は痛むのだろう。この街では、そんな当たり前が日常茶飯事だと理解しているはずなのに。


「諦めたくない……か」


 もしかしたら。


 大切な誰かの手を、もう一度だけでも掴みたい。


 そう思って駆け出したかったはずの少年にとって、今の彼女は、その時の自分と重なって見えるのかもしれないね。


「なら、その先は……」


 いないと知っているけれど、頼みたくなる。


 ねえ、神様。どうか彼女に。



――これ以上の地獄を与えないでください。

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