EP01-肆:依頼人の心模様


「いらっしゃいませ」


 この声を聞くのは二度目だ。機械みたいに淡々としているのに、どうしてか「冷たい」って思えない声。


 基本的に冷ややかだったり怖かったりする人は嫌いなのに、なんとなくだけど、この店員さんは信じてもいい気がしてしまう。見た目は完璧にクールで怖い人なのに、ちょっと不思議。


 喫茶店の店員のくせに、まるで笑わないし。むしろこの人の方が青白い顔をしているのに、初対面だった私の心配なんかしたりして。いや、れいのことがショックで、ほとんど食事ができてなかったのも嘘じゃないんだけど。


「お客様? ……、河島かわしま様?」


「あ! ごめんなさい、ぼーっとしちゃって。あの、探偵さんは……?」


だいらっしゃっていませんが、もうすぐ来られるかと。よければ、お掛けになってお待ちください」


 席へと促してくれる店員さんの姿を改めて見てみた。目も髪も真っ黒で、それが肌の白さを際立たせる。でも不思議と貧弱って感じはしない。きりりとした目元も、線の細い体も、なんだか人間味がない。見た目からして、たぶん二十歳前後だと思うんだけど。言葉遣いがあんまり丁寧で、まるで本物のアンドロイドと話しているみたい。


 うん、間近でアンドロイドなんか見たことないけど、たぶんそんな感じ。


「どうぞ」


 この前と同じ席に着いた私に、店員さんがそっとコーヒーを置いてくれる。まだ注文していないんだけど。


「えっと、あの……」


「お代は探偵さんからいただきますので。まあ、どうせ今日もツケになるんでしょうが」


 それだけ言い残すとふらりとキッチンに戻ってしまった。


 苦労、してるんだろうな。二日前、初めてここに来た時も、あの探偵さん、「悪いけど、ツケでよろしく!」って言ってたし。


 飲んで、いいのかなぁ。


「ミルクもありますが」


 そんなにまじまじカップを見つめていたつもりはないんだけど、青空色のエプロンが気づけばすぐ横に見える。


 え、いつの間に来たの。その手に持っている小さくて可愛らしい容器はミルクかな。


「あ、はい。いただきます」


 こっちから受け取ろうと手を出すと、そっと手の中に忍ばせてくれた。そのとき触れた彼の指先がとても冷たく感じて、はっとなる。


 まるで……初めて親友の義足に触れたときみたいだった。


「あの……店員さん」


「はい」


 戻ろうとした彼の背中に、うっかり声をかけてしまった。別に何を聞きたいわけでもないのだけれど、そもそもここには探偵さんに調査報告を聞きに来ただけなのだけれど。


 固まって沈黙している私。それを見つめて無表情に首を傾げる彼。


 あ、やっと言いたいことが見つかった。


「この間は、トーストサンド、ありがとうございました……」


「いえ。試供品ですから」


 素っ気ない言い方なのに、どうしてか「冷たい」感じじゃない。


 たぶん彼が差し出したあの料理を食べたいと思ったのは。心が食べることを拒絶し続けていた分だけ、体が何か食べ物を寄越よこせと叫んでいただけなんだと思いたかったけど。


 きっと違う。そんな気がする。


 からんころん、と可愛いベルの音が聞こえた。すると私に向いていた店員さんが、出入口の方へと振り返って。


「いらっしゃいませ」


「どうも、河島さん! いや~、遅くなっちゃいましたな~」


 名前を呼ばれてドアの方を向けば、あの探偵さんが笑っていた。前と同じように座った彼は、上着から手帳を取り出してページをめくり始める。


「じゃあ、さっそく二日間の調査結果をば。街で聞き込みをしましてね。単刀直入に言うと、ビンゴです」


「見つかったんですか⁉」


 身を乗り出した私を落ち着かせるように、片手を挙げて制する探偵さん。


 その前に、店員さんがそっとコーヒーを置いて。彼のエプロンの青さに、私も小さく深呼吸。おかげで冷静さを取り戻せた、ような気がする。


「やっぱり河島さんの言うとおり、バイト先であるコンビニ付近の大通りや港に向かう道で彼女を見かけた、という目撃者がいました」


 そのことだけで、泣きそうになる。だって玲が生きていてくれていたっていう証拠だもの。あとは見つけ出して確かめるんだ。


 玲がつらい思いをしていないか。泣いていないかどうか。


「目撃者の多くが、先日の写真を見せたところ最初は気づかなかった。左足が義足と伝えると、髪型や背格好で気付く人もいましたね。けれどみんなが口をそろえて言うのは、死んだような顔だった、と」


 胸が締め付けられるような、そんな痛みに襲われる。


「見かけた人のほとんどが、怖いと感じてさっさと彼女から遠ざかったと。近寄りがたいオーラを出していたとか、何か目が合っただけなのににらまれたとか、そんな人もいましたね」


 嘘だ、と言いたかった。玲は誰にだって優しくて、その笑顔がまぶしい子なんだ。それがそんな恐ろしいものと思われるなんて。


 普通じゃない。何かよくないことが起きている。それだけしかわからない自分が、それなのに何もしてあげられない自分が、悔しい。


「で、教えてもらった彼女の住所だっていうアパートも見に行きましたが、やっぱり彼女が戻った様子はなかったですね。母子の行方不明を、大家さんは心配していたようですが」


 それでも突然どこかに消える人が多いこの街だから、契約書には「一ヶ月以上の家賃の払い込みがされていない場合、契約を破棄したものと見做みなす」と書かれているとも教えてくれた。


 あの優しそうな大家のおばさんも、そういうところはシビアなんだな。ちょっとだけ悲しい気持ちになる。仕方ないこと、なのかな。


「問題はですね、そうなると彼女が今どこに寝泊まりしているのか、って話なんですよ。目撃者の証言だけじゃ隠れている場所を特定できないし、追いかけた河島さんもコンテナ辺りで見失っている。もちろん港のコンテナに隠れて生活するなんてできるわけもないですし……」


 確かに、とうなずくしかない。人間、お腹も空くし眠くもなる。ずっと外で生活するのは簡単じゃない。でも元の家じゃなければ、玲はどこにいるんだろう。交友関係でいうなら私が一番だと自負しているけれど、他にも友達は少なくないし。


 それとも、私から隠れないといけない理由があるんだろうか。


 頭を抱える探偵さんのカップにコーヒーを注ぎにやってきた店員さんが、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば義足について調べていたら、白川しらかわ幸吉こうきち博士という名前を見つけたのですが、ご存じですか?」


「ちょっとバイト少年くん? 今、彼女の親友のことを考えているんだから邪魔をしないでもらえな……」


「知ってます! 玲に義足をくれた白川先生!」


 驚いた拍子に飛び出した私の声が、探偵さんの言葉をさえぎっちゃった。


 でも、この店員さんの口から知っている名前が出たんだから、仕方ないよね。できる範囲で手伝ってくれるとは言っていたけれど、本当に考えていてくれたんだもん。


 やっぱり、優しいんだな。ちっとも笑わないけれど。


「ん? 玲さんに義足を……ってことは、その白川って人は、医者かなんかですかな?」


尾雲おくも先生の会社の社長さんで、子どもたちが笑顔でいられる世界のためにって頑張っているんだって言ってました。もうすっごいお年寄りなのにすごい人なんですよ」


「おくも、先生……というのは、どちらさんで?」


「義足の調整とか義足で歩く練習とかを指導してくれてた人なんです。女の子には女性職員の方がいいだろうって、白川先生が玲のために気を遣ってくれて」


 そう、あのいかにも優しいお姉さんって感じが、私も大好き。モデルさんみたいに綺麗だし。


「なるほど、そんな人がいたんですな。って、バイト少年くん? 君ってば、なーんで今、そんなことを?」


「いえ。この街で義足を研究しているということは、それも最先端の技術なのかな、と。それならメンテナンスが必要な場面もあるのではないか、と疑問に思っただけです」


 言われて、はっとなった。どうして、今まで気づかなかったんだろう。


「そういえば玲、よく尾雲先生のところに呼ばれてメンテナンスしてもらってた。白川先生もよく言ってました。これから才能を伸ばす優秀な部下が初めて作った義足のテスターをしてもらっているようなものだから、お金なんて気にしないでほしいって」


「それだっ! その尾雲先生ってのが義足の開発をしているなら、彼女に聞けば何かわかるかもしれないですぞ! 善は急げですよ、河島さん。その人に会いに行くことはできませんかな?」


 興奮気味の探偵さんに、私も同じくらい大きく頷いた。


 そうだ、玲のことをよく知っている人はちゃんといるんだ。みんなで協力すれば、きっと玲を助け出せる。


 善は急げ、だ。探偵さんを連れて、すぐに尾雲先生のところに行こう。


「バイト少年くん! 悪いけど急ぐから‼」


「……」


 どことなく冷たい視線を向ける店員さんから目を背けるように、探偵さんがドアの向こうへ走っていく。私も必死に後を追おうとして。


「河島様」


 呼び止められた。驚いて振り返って、やっぱりお金は置いていくべきか、と思ったら。


「玲さん、見つかるといいですね」


 無表情に、だけどどこか悲しげに、そうつぶやく彼がいた。


 感情表現が苦手、なのかな。それでも、優しい気持ちだけはなんとなく伝わったから。


「ありがと」


 笑顔でそれだけ残して、私も探偵さんを追った。


 次に来るときは、コーヒー、ちゃんと飲んであげよう。苦いのは嫌いとか言ってないで、ちゃんと飲んで、この間のトーストサンドももう一回頼んで、ちゃんと感想を言ってあげないと。


 そう小さく誓って、店を後にする。外は今にも降り出しそうな曇り空だけど。


 私の心は、希望に満ちていた。

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