EP01-参:困った麗人の地下研究室


「それで、少年? 可愛い依頼人のために、このお姉さんに助けてほしい、って?」


 言ってない。


 この状況を面白がっているのが丸わかりの声に、少しの苛立いらだちを覚える。


河島かわしま千代子ちよこ、だっけ? 君ってあんな感じの可愛い系が好きだったんだね。年相応の興味関心って感じで、なんか安心したよ」


 何に安心を覚えているんだ、この人は。


 ここに第三者がいれば、目の前の〈お姉さん〉の言葉は嫌味だと思うのではなかろうか。なにしろこの麗人れいじんは、本当に完成された姿、と評されるからだ。


 男のオレと並んでも、ほんの少しだけ低い身長も。その瓢箪ひょうたんのような体躯たいくも。シルクのように透き通るつややかなダークブラウンの髪も。おまけに、神様にでも整えられたとしか思えない目鼻立ちも。何より、そんな顔からにじみ出る余裕を隠しもしない微笑びしょうでさえも。


 もちろんそれは単なる見た目だけの話だ。中身は、間違いなくマッドサイエンティストでしかない。


 こんなオレを本当に〈実験体〉にしているんだから。


「しかし難題だね。男でメガネをかけている人間なんて、この街だけでも相当な数だ。被害者が消えたタイミングというのも、一週間前と三日前だって言うけれど、彼女が錯乱していたなら、まるで当てにならない情報だとは思わないかい?」


「オーナー。だから貴女あなたに頼んでいるんです。あと、もう起き上がっても構いませんか? 検査、終わっているんでしょう?」


 この冷たい台の上から勝手に起き上がりながら、彼女をもう一度見つめる。


 オーナー。どう見ても日本人でしかない彼女がそう名乗ったから、どう考えても偽名。だがそんなことは、オレと彼女にとってはどうでもいいことだった。


 ただ、お互いに目的があって、そのために同じ時間を共有しているだけ。


「うん、昨夜の戦闘でのダメージもゼロだ。流石さすがだね♪」


められるようなことじゃないでしょう」


 両手足の感覚を確かめながら、立ち上がる。


 思い返してみると、最初の頃に比べればだいぶマシになったのだろう。この身体になってすぐ後は、数日間はろくに動けなかったし。初戦闘の時には片腕の機能を破損させ、作り直しをさせてしまったし。


「ところでヒーロー、山城やまぎれいという名前で検索を掛けてみたら、面白いものが出たぞ?」


「ヒーローじゃないって何度言えば……、ちょっと待ってください。彼女の名前で、ですか?」


「彼女のカルテの情報だ。医療機関のプロテクトがこんなに杜撰ずさんでちょっと怖いね」


 冗談を聞いている場合じゃない。彼女が座るチェア越しに、パソコンの画面に映る情報に目を通す。医療系のカルテなど見る機会はほとんどなかったオレだが、なんとなく予想していたことを口にする。


「これは……、事故が起きてから切断するという判断が下るまで、早すぎるのでは?」


「簡潔に言うと、ヤラセだ。事故で壊死えしした、だって? そりゃそういう事例はいくらでもあるが、これは意図的に仕向けた感じがするね」


「ということは、医療関係者の中に構成員がいる〈組織〉……ですか?」


「必ずしもそうとも限らないが、少なくとも人体の構造について、ある程度の知識を持っている相手がいるのは間違いない。例え話だが、車を運転していた実行犯とは別の犯人がいるとしよう。そいつは事故現場に居合わせたフリをして、何らかの偽装工作をやってのけた、とも考えられるからね」


 なるほど、そういう解釈もできるか。確かに直接事故を起こした本人でなくても、それを仕向けた人間が、事故に遭って動けない彼女を介抱するようにして近づくことはできるかもしれない。


 そうだとすれば、この一件の被害者である山城玲は。


「計画的に足を奪われ、〈実験体〉にされている……と?」


「いやいや少年。君みたいに、突発的に施術をすることになる人間なんて、ほとんどいないよ。そもそも〈組織〉はみんな、〈実験体〉に自らの研究と未来を賭けているんだ。目的もなく施術をする資金もないし、何より〈コア〉がたくさんある連中なんてまれさ」


 語る彼女の瞳には、享楽きょうらくとも悪辣あくらつとも取れるいびつな光が灯る。いや、あるいはそんな歪な世界に対する憤怒ふんぬの闇か。


「おそらく、この山城玲ちゃんは、身体的特徴と運動能力、なにより母子家庭だから目をつけられたと見るのが妥当じゃないかな」


「それは、母親だけならどうにかなる、と?」


「この玲ちゃんの父親、病死して先立ったらしい。経済的にも楽じゃなかったみたいだね」


 珍しくもない話なのかもしれない。オレも大概、変わらない境遇だ。


 むしろ、母親にとってみれば。大切な伴侶を失い、独りで娘を育てることを押し付けられて、どんな気持ちだったのか。


 それだけは、残されただけのオレにはわからない。


「だから娘の事故、足の切断なんて大手術の費用や、その後のリハビリ、そして義足の用立て……一人で背負うのは、苦しいだろうね。ただでさえ、この国は子どもを育てようとする人間から搾取するばかりなんだ。母親には、大きなショックになりえる」


 二年前に起きたその事故を扱った記事が、画面に映し出される。高齢者の運転で、しかも事故を起こした当人までもが死亡している。


「何人か死人も出ている大事故だ。これならある程度の誤魔化ごまかしができるね」


「不幸中の幸い、と見せかけたものだ、と?」


「あるいは彼女以外にも狙っていた〈素体〉がいた、とかね」


 この街に蔓延まんえんする悪意に、反吐へどが出る。おそらくこの事故を起こした人間も、何らかの細工さいくをされて殺された可能性さえある。


 そうまでして、自分たちの〈実験〉に使えるパーツが欲しかったという事実。それがこの街で起こっている地獄だ。


「おや、ビンゴかな? 玲ちゃんの義足を、ほとんど無償で提供した人間がいる……これはこれは、ご高名な方が出たじゃないか♪」


「それが……この男?」


 新たに表示されるのは、眼鏡をかけた老紳士の写真。白衣をまとっているから、医学者か、あるいは技術者か。しかし穏やかな表情の、見るからに優しそうな男だった。


白川しらかわ幸吉こうきち博士。一昔前に、義手や義足の研究開発でかなりの成果を上げた人間さ。大元を辿たどれば君にもその技術の一部が使われているから、ある意味では、彼女と君は同じ恩師を持つわけだ」


 次々に表示される情報は、この白川博士という男の実績を明らかにしてくれた。オレにはピンとこないが、有名な賞状をいくつも受賞しているらしい。


 そんな中で、一つの見出しが目にまった。


「子どもたちが笑顔でいられる世界の実現に向けて……?」


「ん? あぁ、彼は子ども好きでも知られていてね。世界中で起こる紛争で手足を失った人々、特に子どもたちに自分の技術を提供して回っていたんだ。そのときは、出資企業の売込みのためのデモンストレーションだと批判も多かったそうだがね」


 それもこれも昔の話さ、と彼女は小さく笑う。


「そうなると、この白川という技術者が〈組織〉のメンバー……あるいは発起人ほっきにん、ということですが」


「その可能性はあるね。ある程度の資金やそれを成すだけの技術がなければ〈スポンサー〉の目に留まるような〈組織〉はできないさ」


「〈スポンサー〉……」


 奥歯を噛む。がりりと、嫌な感触。しかし、そんなことも気にならなくなるほど、オレの胸から熱いものがこみ上げてくるのは、その通り名のせいだ。


――〈スポンサー〉。


 この街の様々な〈組織〉を動かす存在。こんな絶望ばかり生み落とす計画のための資金を与えておきながら、自分たちは見物するだけ。何より、この街を悪党どもの実験場に仕立てた陰の支配者。


 だから、絶対に倒す。


 あいつなら、きっとそうしたから。


「さて、白川幸吉がその弟子たちと作ったのが……ASHアシュという企業だね」


ASHアシュ……」


 繰り返してみる。英語でなら「灰」や「遺骨」などの意味がある言葉ではなかったか。


「企業名の大元は、北欧神話の世界樹たるユグドラジルの原型と言われる樹木、トネリコ。んで、Artificialアーティフィシャル Scienceサイエンス Handsハンズの略でもあるんだってさ」


「確か、義手の英訳がArtificalアーティフィシャル Handハンド、でしたね」


「そこに更なる最新の科学技術の力が加わるから、真ん中にScienceサイエンスだとさ。笑えるね」


 嫌味か。笑えないオレのことを知ったうえで、その表情をするのは、本当に悪意があるとしか思えない。


「それよりさ、あの依頼人ちゃんにあげたやつ、私にはないのか」


「はい?」


 何の話かわからない。しかし彼女は相変わらずの微笑をたたえたままだ。


「だからさ、あのトーストサンドだよ♪」


「ああ、あれですか」


「店のオーナーでもある以上、ああいう新商品は、お姉さんも味見したいなぁ、と」


「ではコーヒーのおかわりと一緒に、後でお持ちします」


「流石は少年。コーヒー付とは気が利くね」


 満足げに笑う彼女の視線から逃げるように、きびすを返す。もちろん、ここに第三者がいれば、照れているのだと揶揄やゆされるだろうことくらい、状況的に理解できる。そのくらい彼女が美しい姿であることは自覚しているつもりだ。あくまで客観的に、ではあるが。


 それが違うと断言できるのは、オレの身体に埋め込まれた〈コア〉がうずくから。



―――本当なら、彼女の笑みを見る相手は……。



「なあ、ヒーロー」


 呼びかけられているのはわかっている。だが、そんな呼び名を許した覚えはないので、もう反応しない。代わりに、立ち止まるだけにとどめる。


「君は自分が思っている以上に、ヒーロー、向いていると思うよ」


 その意味を考える間もなく、拳を握る。


 ヒーローに向いている……お笑いぐさだな。オレがやっているのは、ヒーローのすることじゃない。「殺戮兵器」の方がお似合いだ。


 そんな自嘲とも呼べないオレの内側を知っているように、彼女は続ける。


「正義なんて、この街にはない。圧倒的な悪が、もっと大きな悪事を成すための実験場がここだろう。けれど、君はその悪を行う連中を潰すために、自ら悪の力をまとった。それがたとえ、罪滅ぼしだったとしても、だ」


 さとしているのか、それとも励ましているのか。彼女の声からだけでは、わからない。


 ただ一つだけ、彼女に必要なものはオレの台詞せりふだけだ。あの日、死にかけたオレを施術することを最後まで拒もうとしたときと、同じように。


「罪滅ぼしじゃありません。オレのエゴです」


 彼女が何かを言おうと口を開いて、やはり閉じたのが音でわかる。顔なんて、見なくてもわかる。泣きたくても泣けないから、無理して笑っているのだろう。


「料理、すぐにお持ちします」


 それだけ言い残して、オレは地下室を出る。


「そういうとこだよ、ヒーロー二代目」


 つぶやいた声が、この耳に届く。そういう風に設計したことも忘れたか、あるいはわかっていて口にしたのか。



 困った麗人の独り言の意味は、わからなかった。

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