EP01-弐:亡霊を追う依頼


 この『黒銀くろかね』という街では、不思議なことがよく起こる。


 元々は工業と港の小さな町だったのに、気づけば様々な企業が進出し、いつの間にか研究者たちの街となってしまった。そのためか、若者をはじめとした人の出入りも激しく、「人が消える」といううわさが後を絶たなくなったのも、いつからだったか。


 そんな街の片隅で、ひっそりと建つ喫茶店『かざみどり』にやってきた依頼は、しかし少しだけ違うものだった。


「では改めて、死んだはずの親友を探している、とのことですが……どういうこって?」


 この店を半ば根城として活動する私立探偵の橋端はしば三平さんぺいは、非常に参っている様子だった。


 なにしろ、やってきた若い女性の依頼人は、なかなか話を切り出さないかと思えば、依頼内容がこれである。


 街から出て行った人間の行方を探すのだって一苦労だろうに。彼女が探しているのは、死んだ人間の行方、なのである。


「探しているのは、高校時代からの親友……山城やまぎれいです。先月、港から身を投げて、自殺したんです」


 依頼人、河島かわしま千代子ちよこは一枚の写真を取りだす。


 映っていたのは、まだ高校の制服に身を包む依頼人と、それより少し小柄な少女だった。


 両側で編みこんだショートカットの黒髪は、写真越しにも健康的な美を感じさせる。いたずらっ子のような笑顔も魅力的と言えるのだろう。


 少なくともその写真を見る限り、とても自殺を考えるような人物には見えなかった。


「なぜ彼女は、自殺を……?」


 思わず探偵の口かられたのは、純粋な疑問。こんな無垢むくな笑顔をする少女が、自ら死を選ぶ理由なんて想像できないようだ。


「玲が死んだのは、お母さんが、いなくなったから……だと思います」


「というと?」


「二年前、まだ私たちが二年生のときに、玲は交通事故に遭いました。酷い事故で……」


 それが問いかけへの答えになっていないことは、本人もわかっているようだった。それでも、しぼり出すように口を開いて続ける。


「結局、壊死えしした左足を切断するしかないってお医者さんに言われて……。それでも、玲は負けずに手術を受けて。リハビリも頑張って。私たちが三年生に上がる頃には、ちょっとの距離なら義足で走れるようにまでなりました」


「もしかして玲さんは、そのお母さんのおかげで、頑張れた?」


 小さくうなずく依頼人の顔は、どこか寂しげで。彼女自身、その母親を慕っていたのかもしれないと思わせるには充分だった。


「だけど、玲が消える少し前、彼女も消えてしまったんです」


「消えた……というのは?」


「突然、連絡がつかなくなって。仕事場にも顔を出さなくなったって……」


 名探偵を自称する橋端の脳裏には、きっとある噂がよぎっていることだろう。


「この街ではよくある、人が消えるってやつですな」


 わざわざ口に出す程度には周知されていることだ。それも別段に珍しい案件でもないという意味合いかもしれない。


「今やこの街は最先端技術の大きな市場であり、同時に多くの人々が夢を追う〈革新都市〉と呼ばれつつある……。そんなご時世ですからなぁ。夢を見て地元から出て来たけれど、夢敗れて帰っていくのも、よくある話ですぜ」


 どこか他人事のような言い方で、しかしそれを感じさせないような声音。


「まあ、一人の母親が何の前触れもなくっていうのは不思議に感じるかもしれませんがね。こういう仕事をしていると意外にも多く出くわすんですよ。特に夫との関係が悪くなって出て行った~なんてのは」


「いいえ。玲の家はお父さんを早くに亡くしているから、女手一つで育ててくれたんだって。よく玲が話してくれました。『お母さんは、私の誇りだ』って」


 首を振って否定する彼女の強い瞳に、探偵は面食らう。まるで小動物に噛みつかれたような驚きようだ。


 それだけ、この河島千代子という娘にとって山城玲は大切だったということなのだろう。


「と、とにかく……、その玲さんは一ヶ月前に、お母さんがいなくなったショックで自殺した、と」


「実は私、そのことにも疑問があるんです」


「疑問……ですかい?」


 強く頷いた彼女は、きゅっと口元を結んで、その大きな瞳を閉じる。


「河島さん?」


「警察は玲の捜索途中に、埠頭ふとうで玲の使っていた携帯電話を見つけたんです。そこにはお母さん宛のメッセージが残っていて」


「メッセージ? いなくなったお母さん宛に?」


「はい。内容は一言だけで……『ごめんね』って」


 探偵の眉が片方だけ吊り上がる。不可思議だと言わんばかりに。


「そいつはまるで、遺書、ですな?」


「そうなんです。街中探しても玲を見つけられなかった警察は、玲の家族状況から、お母さんがいなくなったのは玲の存在が負担だったからで、それを知った玲が自殺をしたんだろうって……そう結論付けました」


「状況からすれば、確かにそういう推理になりますな」


 あごに手を当てる探偵は、理解できると感じてか、何度も頷く。


「私も、力になってあげられなくて、って泣きました。でも、つい一週間前のことです。初めて死んだはずの玲を見かけたのは」


「な、なんですって……?」


 机に身を乗り出した探偵に、依頼主は必死な表情で返す。


「嘘じゃありません! あの夜、バイトから帰る途中で、玲を見たんです」


「いやいや、他人の空似じゃあないんですかい?」


「玲は左足が義足で、歩き方に微妙に癖があるんです。リハビリも見守ってきた私が間違えるはずありません!」


「では、その玲さんの亡霊を探せってことですかい? そりゃまた、難題ですぜ」


 頭を抱える探偵の姿は、親友の死を受け入れられなくて幻覚を見ている少女を、どう納得させようかと悩んでいるように映ったことだろう。


 彼女の瞳に、諦めの色が見え始めた。


「その話、まだ続きがあるのではありませんか?」


 今の今まで会話していた探偵とは別の声に、彼女の顔がくるりと回る。その大きな瞳に、コーヒーをぎ足すオレの姿はどう映っただろうか。


「え……?」


「いえ、そんなに大切な人が現れて、何もしなかったとは思えませんでしたから。それに先ほど〈初めて〉とおっしゃいました。だから〈次〉があるのかな、と思ったので」


 仕事の邪魔をしているわけではないというポーズだけ取って、困った探偵が促すはずだった続きを勧める。


 信じてほしい時に、信じてもらえないことがどれだけ苦しいかは知っているつもりだ。


「そう……、初めて玲を見つけたあの日、必死で追いかけて。でも、思ったより歩くのが速くて。気づいたら埠頭近くの、コンテナがたくさんある場所に出たんです」


 確かにあの港には積荷が密集している箇所がある。それらが積み上がってできた区画ごとに、小さな隙間が点在しているのだろう。それが一種の迷宮のようでもあり、同時に裏路地よりも薄暗い場所でもあるはずだ。


「そこで、やっと玲に追いついたと思ったら……」


 少女の唇が、ぴたりと止まる。その先を言うべきかどうか、迷っている様子だ。


 小刻みに震える彼女を、オレはただ見つめる。探偵もごくりとのどを鳴らして待っているようだ。


「人が倒れていたんです」


「人……? えっと、それは玲さんが倒れていた、ということですかな?」


「いいえ、知らない男の人でした。そのとき私、怖くなって、逃げ出してしまって……」


 不可思議の極みのような状況を聞いた探偵は、頭を抱えているらしい。オレもまた、引っ掛かるところをくしかない。


「港で人が倒れている。そんな事件が起きていれば、警察が動くものではないですか?」


「私もそう思って、次の朝、港で事件が起きていないか、調べたんです。けれど、何も起こっていないって……」


「確かに、ここ最近は港で事件なんて聞きませんしなぁ。もしかして、嫌な夢を見てたってことはないですかね?」


「私も、最初はそう思ったんです。だから、忘れようって……。でも、三日前、また玲を見かけたんです!」


 真摯しんしな瞳を向けられて、探偵がたじろぐ。本当に幽霊が出たとでも思っているのだろう。


「今度こそ、夢じゃないって。だから必死に追いかけて、それでも追い付けなくて。気づけばまた、同じ場所で……」


「また、人が倒れていた?」


「……」


 無言で、しかしオレの言葉に頷く彼女に、探偵は今度こそ悲鳴を上げそうな口を両手でおおう。数十秒ほど、そんな青い顔で彼女を見つめていたが、ようやく落ち着いたのか咳払せきばらいをひとつ。


「ちなみに、その倒れていた人はどうしたんです? またあなたが逃げたなら、前者同様の行方知れずってことになりますが」


「いいえ、今度こそ救急に電話したんです。でも、場所を訊かれて別の方を見ているうちに、倒れていた男の人が、消えてしまって……」


「そ、そんなバカな⁉ それじゃ、一瞬のうちに消えちまったと⁉」


 あまりにも大仰おおぎょうな驚き方だ。本当にこの街の探偵なのか。たとえ、この街の実情を知らないとしても、驚きすぎだ。


 ふと、依頼主の方に視線を戻す。せっかくここまで来たのに、頼りの探偵に信じてもらえなくて、うつむくしかできないようだった。


 無理もないのかもしれない。それがこの街の一つの在り方なのだから。


 だから。


「それでも、玲さんとその事件の関係を知りたい。そういうことでしょう?」


 ゆっくりと振り返る彼女の瞳は、見開かれていた。そもそも本気で信じてもらえるわけない、とでも思っていたのだろう。話をする前に帰ろうとしたのも、そういう理由なら納得がいく。


 だから。


「きっと彼女は、その事件の加害者なんかじゃない。そう信じているから、それを証明してくれる人に会いに来た。そうでしょう?」


 じわりとにじんだ彼女の瞳に、オレの顔が反射している。明日への希望なんて微塵みじんも信じられない男の冴えない顔だけが映っている。


 それなのに、彼女はゆっくりと頷いた。そうして、改めて探偵に向き直って。


「だって、もう玲を助けてあげられる人、いないんだ。私しかいない。だから探偵さん、どうか……私の親友を助けてください」


 もう家族のいない少女を、たった一人の親友が助けたいと願っている。


 そんな小説のような話を聞いて、探偵も覚悟を決めたようで。


「わかりました。とにかく、彼女の行方をさがしてみましょう。ただし、玲さんがどんな事件に関与しているとしても、受け止める覚悟はある……そう思って構いませんね?」


「大丈夫です。玲は悪いことなんか、絶対にしていない。絶対に!」


 横から見ているだけなのに。そのぐ誰かを信じて疑わない瞳が、オレにはただ、痛かった。胸をえぐるような感触が、消えてくれない。


 これは予感だ。きっとこの事件の終わりに、彼女は嫌なものを見る。直視したくない現実を、突きつけられて。


 なら、せめて。


「ところで河島様、その倒れていたという方々に見覚えは?」


「え?」


 きょとんとした表情だ。よもや探偵ではなく、ただの喫茶店の店員にそんなことをかれるのなんて、想像もしていなかったらしい。


「ちょっと君ぃ? 探偵の真似事まねごとなら……」


「えっと……見たことないと思います。あ、でも二人とも、若くはなかったと思います。それに二人ともメガネしてたんじゃないかな。暗がりだったけど、目のところが月明りで少し光ってたから!」


 悔しそうにしている探偵を横目に、その情報を頭に叩き込む。まだ足りない。他に情報は何もないのか。せめて〈相手〉の特性くらいは知らないと。


「それで、他に変わったことは?」


「だからバイト少年君⁉ 探偵は吾輩なんですけど⁉」


「……! 二人目の被害者が消えたところ、なんかぼやけてたんです」


「ぼやけてたぁ? 何です、そりゃ?」


「なんて言うのかな……蜃気楼しんきろう、みたいな? ぼわぁ、とした感じで」


 倒れた男がいたはずの場所がどういうわけか、ぼやけていた。それを最低でも二度できる相手、か。


「君ねぇ、そんなこと訊いてどうするのさ?」


「いえ。こんなちっぽけな喫茶店でも、ご贔屓ひいきにしてくださるお客様もいます。そういえば最近いらっしゃらない方が何人かいたなと思いまして。そういうところからお手伝いできないものかと思った次第です」


 無論、こんなものは嘘も方便というやつだ。


 厳密には嘘じゃないが、たいていの客が「コーヒーしかないのか」と帰っていくのだから、安定した固定客なんてほとんどいない。


 反面、そのコーヒー目当ての客がいるのだから、世界は不思議に満ちている。


「店員さんも、手伝ってくれるんですか?」


 呆気にとられた顔で、依頼人の少女はオレを見ている。まあ、調べるのは探偵の仕事だから、当然と言えば当然なのだろうが。


「もちろん、できる範囲だけ、です。バイトではあっても店を任されている時間があるなら、ここにいるほかありませんから」


 丁寧に、オレは部外者である、ということをアピールはしてみる。だが、聞いた方はそうは思わなかったらしい。


 おもむろにオレの手を両手で包み込んだかと思えば、またその瞳を真っ直ぐに向ける。


「ありがとう」


 ちくりと、痛む。ああ、だから嫌なんだ。希望を信じている人間の瞳は。


「いえ……所詮しょせん、できる範囲だけ、ですから」


 そんなものを向けないでくれ。あいつと同じような、そんな無垢な視線が。


「それでも、信じてくれる人がいるって、嬉しいから」


 そんな笑顔が、オレには―――。


「そう、ですか」


 そっと背を向けた。あまりに痛くて、苦しくて、たまらなかったから。


「ははーん? 君ってば、彼女が好みのタイプと見た! まったく、そんな仏頂面のくせに、若いね~まったく! 仕方ない、この名探偵✩橋端三平にお任せあれ‼」


 背後で、どん、と薄い胸を叩く音がした。どうもオレが、彼女への劣情でこんな台詞せりふを吐いたと思っているらしい。余計な詮索せんさくをされなくていいなら、それでもいいか。


 探偵が調査に出ていくまで、ずっと彼女からの不思議そうな視線だけを感じて、なんとなく苛立いらだった。


 まだオレは、あいつには届かないらしい。きっとあいつなら、彼女に笑いかけてやっただろうに。

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