理由

「なぁ、紅葉狩りとか行かねぇ?」


 視界の隅で、燃えるような赤髪が揺れる。


 診察台で寝転がっていた男が、不意にそんなことを言って立ち上がった。パソコンにそそいでいた視線をそちらへ向けると、ニヤリとした表情でこちらを見るそいつと目が合う。どうして男というのはこうもバカなのか。


 精悍せいかんな顔立ちは嫌でも目を惹くのに、公園の鉄棒ではしゃぐ子どものような笑み。そしてバイク用のヘルメットをこちらに差し出してくる。


 対する私は大きな溜め息と共に、その仮面を押し返した。


「知っているだろ。私が悪の組織に追われてこの地下アジトに隠れていると」


 正確には、その悪の組織に殺されかけた私を、目の前の男がこの場所にかくまっていると言うべきなのだが。デスクトップに表示されたカレンダーを見れば、その一件からもう三ヶ月が経過している。時の経つのは早いことだ。


「そりゃな? でもこんなも当たらない場所にずっといたら、気が滅入っちまったりしねぇかな、って思うじゃん?」


「こう見えても私は研究者だ。巣篭すごもりも缶詰も慣れている。紅葉にも興味はない。行楽がしたいなら一人で行きたまえ」


 泥水みたいなコーヒーをあおりながらパソコンの方へと視線を戻す。地下だからか冷めるのが早く、本当に不味い。


「また眉間みけんにシワ寄ってんぞ。ったく、綺麗なお顔が台無しだぜ?」


世辞せじなんか言っても行かないからな」


 吐き捨てるようにそれだけ言って、作業に戻る。武装の開発を進めないと。まずは右腕の『WASPワスプ』だ。


 左足の『HOPPERホッパー』だけでこれから先も戦っていける保証はない。ただでさえこの戦いは、街中にひそむ敵を相手にする不利と、いつ反撃の機会が巡って来るのかさえわからない闇の中だ。


 言ってみれば、小さな笹舟で嵐の海を進むようなもの。勝ち目なんてゼロに等しい。だからせめて生存率を上げられるようにできる努力をするしか……。


「あのさ」


 後ろから掛けられた声は、さっきまでの冗談めいたものではなかった。


「おれがこの身体になったことを気にしているなら、それはあんたのせいじゃないからな」


 何かが心臓に刺さったような錯覚。そうして振り返った先で息を呑む。


 その精悍な顔の上に、痛ましい傷痕きずあとが浮かび上がっている。人間のそれと寸分と違わぬ人工皮膚の下、本来なら見えるはずのない改造施術の痕跡がいびつ紋様もんようを描き出していく。


 まるで、内側に秘めた感情があふれ出すように。


「確かにあんたが連中に売った技術で、おれはこうなった……」


 悪党どもにされた改造施術が奪ったもの。


 この男の場合は、記憶。自分がどこの誰で、どんな生き方をしてきたか。いくら調べても何一つとして手掛かりは掴めずにいると。


「それでもさ、この街にはおれの好きなものがたくさんあるって知ってんだ」


 その連中に怪物同然にされたはずの男が、指折り数えたのは何でもない日常を彩る四季のこと。


「冬は雪山だってのにたくさんの人が参拝する神社、春になったら並木道を埋め尽くす桜、夏には港を一望しながら冷たいかき氷。そんで秋は綺麗な紅葉ときたもんさ」


 そんなもの、この街じゃなくたって観られる。もっとすごい神社はたくさんあるし、桜の名所もかき氷が美味いところだっていくらでもある。


 テレビをけるだけで目にできるそんな普通のことを、けれど男はとても愛おしそうに語っていく。


「そんでさ、そんな四季を楽しみながら笑って生きている人たちがここにはたくさんいる」


 過去を失くした男は、それでも言う。怒りと哀しみをにじませたその顔で、それでも笑う。


「そんで、そんな小さな幸せを生きる人たちを、生きたまま地獄に堕とす悪党どもが、まだこの街でコソコソとうごめいていやがるんだ」


 こいつはいつもそうだ。微笑をたたえたその顔で、瞳には仄暗ほのぐらほのおを燃やしている。その身を改造した組織への怒りと、同じように犠牲となった人々を救えない哀しみとが混ざり合う、陽炎かげろうのような焔。


 私のせいでそんな生き地獄にいるこの男の苦痛が、ぎゅっと胸を締め付ける。


うらんでいるだろ……私のこと」


 ポツリと口をついた言葉に自分で驚いて、思わず目をそむけた。


 私は本物の阿呆あほうだ。こいつにとって私という女は、改造された肉体の調整ができるという以外、何のメリットもない相手で。自分から全てを奪った人間の一人として、いっそ今すぐにでも殺したい相手のはずで。


 そんなこと、わかりきっていたのに。



「おいおい、そんなもんかい?」



 あきれたような声でつむがれるのは、こいつの口癖。


 そっと顔を上げると、困ったような笑みが一つ。


「あんたが設計したこの身体じゃなきゃできないことがあるだろ」


「そんなもの……」


 言いかけて口をつぐむ。


 その瞳が、あまりにぐで、綺麗だったから。


「生き地獄に堕とされた誰かの、そのたましいさえ閉じ込める力をぶっ壊せるのは、同じ力を振るえるこの身体だけだ。この力でとむらってやんなきゃいけねぇ奴は、まだこの街にわんさかいるんだ」


 握った拳を見つめる瞳は、これまで私が見た誰のものよりはかなくて。


 同族の命を奪うことでしか止められない絶望。その殺戮兵器さつりくへいきに引導を渡す罪を一手に引き受けてまで弔うメリットなんて、この男にはないはずなのに。


「そんな仕打しうちをしておいて、まだ足りねぇと小さな幸せまで踏み潰そうって悪党が、まだこの街のどこかでわらってやがる。そっちを恨まなくて他の何を恨めって?」


 それでも放っておけないと。いつかは自分も、同じ殺戮兵器バケモノになるとわかっていても。憎むべき悪の元凶を討つその日まで戦う意志は変えないと、その瞳は雄弁に語っていて。


「それにさ、やっと一緒に戦ってくれる仲間ができたんだ」


 誰のことを言っているのかと困惑する私のこめかみを、男はそっと指先で突いた。またシワできてるじゃん、なんて口にしながら。


「たとえ世界中が敵に回っても、あんたが味方なら百人力だぜ?」


 そんなわけない。私はただの技術者で、あんな暴力になどあらがえない非力な人間でしかなくて。


「別に同じ場所で拳を握るだけが、一緒に戦うってことじゃないだろ。おれは今までひとりきりだったから、多数決も少数決もなかったけどさ」


 ああ、そうか。こいつは自分の境遇を語れる相手もないまま、戦っていたんだ。文字通り、ひとりぼっちで。時には助けた人間にさえ化物と恐れられ、石を投げられてもなお。


「それにさ、支えてくれる人がいるだけでこんなに心強いんだって、あんたにうまで知らなかった」


「そんなこと……」


 誰一人として味方のない戦場で、それでも戦えたこの男の心臓は鋼なのだと思っていたのに。


 本当は普通の人間と何も変わらない。


 ただ強がって笑っていただけ。


「よし、じゃあ約束をしようぜ」


「約束?」


「ああ。この街の悪夢が終わったら、デートだ。どこへでも連れてってやる」


 冬は初詣はつもうでに、春は花見だ。夏はビーチで、秋には紅葉を見に行こう、と。


 それがとても叶わない夢のような約束だと、一番知っているくせに。


「いつか必ず、あんたが心から笑って生きられるようにしてみせるから」


 屈託くったくのないその言葉が、いつか本当になるような気がした。


「約束だからな」




 それが、あいつと交わした最後の約束。

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