第6話 免罪符
草薙がこの店にやってきたのは、前の店からの紹介だった。実はいつものように、前の店でやはり、5回くらい入った女の子がいて、
「そろそろ飽きてきたな」
ということで、後ろめたさを感じ、他の店を探そうとしていた時のことだった。
今までバレなかっただけなのか、それとも皆気づいていないだけなのか、それとも、気付いていて黙っていただけなのか、前に来ていた店の馴染みの女の子が、
「こういちさん。そろそろ次を漁る頃なんじゃない?」
と、お気に入りの女の子の方から言い出した。
それを聞いて、さすがに気まずいという気持ちになったが、さすがに今までバレなかったのが不思議なくらいだと思うと、
「君も分かっているじゃないか?」
と気まずい気持ちを隠して、にやりと苦笑いを浮かべて、そういった。
「だけど、よく分かったな」
と聞くと、
「だって、幸一さん分かりやすいんだもん。でも、また他の子に飽きたら。私のところに戻ってくるんだよ。まるで、巣立っていく子供を見送る母親の心境だけどね」
といって、ニコニコ笑っている。
だが、その表情は、ただ皮肉を言っているようには見えなかった。本当に子供を送り出す親を見ているようだった。
しかし、まさか、その彼女の言葉が、次の店に行って、本当に実現するかのようになっていることに気づくはずもなく、つかさに、気づかれて、またしても気まずい思いをした時、
「あれ? なんかデジャブだな」
と感じたのは、前の店で、
「新しいところに行きなさい」
と送り出された、あの時の気持ちになったからだった。
そう、前のお店の彼女は、源氏名を、
「なごみ」
という。
彼女のいる店のコンセプトは、
「人妻ソープ」
ということもあり、彼女が本当に人妻であるということは、本人がそういうのだから本当だろう。
店の設定がそうなっているので、まだ未婚の子であろうと、バツイチであろうと、店のキャストになった時点で、人妻なのだ。客から聞かれた時の、模範解答もそれぞれで用意していることだろう。
客によっては、毎回違う女の子に入って、ずっと同じ質問をして、女の子を困らせてやろうというくらいの気持ちを持っている客もいるに違いない。
「これも一種のプレイの一つだ」
とばかりに、店側も女の子によって設定を変えておかないと、皆一緒だったら、せっかくのプレイが萎えてしまうというものだ。
だが、なごみの場合は本当の主婦である。
一緒にいて、
「この気遣いや落ち着きは主婦ではないとないだろう」
と思っていた。
そもそも、結婚したことも、結婚願望すらない男が、
「この人は主婦なのか、そうではないのか?」
ということを言い当てたとしても、そこに何ら、信憑性はないのではないだろうか?
「どうせ、はったりだよ」
と言われてもしょうがない。
まあ、もっとも、それでもいいと本人は思っているのだが、自分では自分の目を信じていた。
それでいいと思っていたのだ。
そんななごみが、なぜ、わざわざ新しくいく店をわざわざ指定して、女の子まで進めてくるのだろう? 少し気持ち悪いが、なごみが変なことを考えるわけはないと思い、その考えに乗ってみることにしたのだ。
なごみが、どうして、草薙が、そういう飽きっぽいタイプだと分かったのかというのは謎だった。
彼女自身がそういう勘が鋭いところがあって、
「草薙さんという人は、飽きると、別の女性に行くんだわ」
ということが生理的にでも分かったのか。
だが、風俗嬢だって、マジ恋をしているわけではない。できるだけリピーターが増えれば、
「性癖も分かっている相手だ」
ということで安心感もある。
性格も分かっているので、
「この人が、誰かに何かを話したりはしないだろう」
と思える人が、リピーターについてくれるのはありがたいのだ。
中には、ストーカーになってしまう危ない人もいるが、最近では、よほどのことがない限りは、そこまではないように思えた。
統計を取ったわけではないので分からないが、今は、身バレなどにも店が気を遣っているので、そのあたりは問題ないようだ。
しかも、風俗の店というのは、昔のように、個人商店のような感じではなく、チェーン店であったり、姉妹店のような形式が多い。
店舗でのソープを経営している店が、デリヘルを経営していたりというのも、少なくはない。系列店同士での、キャストの移籍などお結構あり、意外と、嬢同士も知り合いということもあるのかも知れないと思う。
ただ、彼女たちは、ソープの場合でも、時間が違ったり、さらには、個室が決まれば、お客さんを迎えに出るくらいで、後は、出勤時間をほとんど、決まった部屋で過ごす。
逆にデリヘルの場合は、事務所の中に、女の子の待機所があるところが多いだろうから、顔を合わせることはあるだろう。
しかし、話をしているという感じではなく、特に今などはスマホが普及していることで、スマホに夢中で、まわりを見る暇はないようだ。
だからと言って、彼女たちは遊んでいるわけではない。待機している時間に、
「営業」
をしているのだ。
例えば、今は、独自にホームページを持っているところもあるが、基本的には、風俗関係のSNSなどで、共通のホームページを持っている。
それは、風俗に限ったことではなく、グルメ関係、理容関係など、
「予約制のお店」
などは、地域ごとに管理されているサイトで、金銭面であったり、サービス面、立地などで検索し、自分が探しているところを見つけられるようになっていて、しかも、ネットで、予約もできるようになっている。風俗関係もその中の一つというわけだ。
自分の探している店の、そして、その中の誰に担当してもらうかということをそのサイドに書かれている情報であったり、口コミやレビューなどというのを閲覧者が情報として取り入れ、自分の予定と合致すれば、予約をするということになるのだ。
理容関係にしても、風俗にしても、担当をしてもらう人を選ぶ必要がある。
風俗などの場合は、身バレの危険がないように、パネルでは顔を暈したり、手で隠したりしているが、それでも、客に選んでもらうようにするために、一度入ってもらったお客さんに、口コミを書いてもらったり、さらには、
「写メ日記」
というものがあり、そこに来てくれたお客さんに、
「お礼日記」
を書くことで、それを見て、誰にしようか決めかねている客が、
「この子は、自分が求めているサービスをしてくれる女の子だ」
と思えば、最初から、指名してきてくれるだろう。
口コミに対してもお礼をすることで、
「この子は律義な子なんだ」
と、客によっては、サービスや容姿よりも、そんな律義さを求める人もいる。
特に、
「お気に入りの女の子を作りたい」
と思っている人は、そういう、
「お礼日記」
などを大切にすることだろう。
そういう意味で、女の子は待機中であっても、忙しいものなのである。
世間の人の中には、偏見の目で見る人もいるだろう。しかし、中にはそんな偏見の目で見ながらも、風俗に通っている人もいる。
そういう意味で、
「男というのは、いや、人間というのは、よく言われるような、自分のことを棚に上げてということが言える人が、結構いるのではないだろうか?
そんな中において、なごみが教えてくれた店の女が、まさかつかさだとは思いもしなかった。
「つかさとなごみは、知り合いなのだろうか?」
と思ったが、風俗嬢は、結構店を移籍したりすることがあったり、なごみのように主婦で風俗嬢をやっていると、一度引退という形で辞めても、また諸事情でこの業界に戻ってくるということもあるだろう。
前は、ミスという看板だったが、今度は主婦として戻ってくるということで、違うコンセプトの店に入ることもある。
歩合制のバック率の問題。さらには、店のスタッフや経営方針などへの不満など、店を辞めたり、移籍する理由は様々であろうが、同じ業界の別の店に移籍するというのは、それほど珍しいことでもない。
中には、
「引き抜き」
というのもあるかも知れない。
そのあたりのことは、女の子にしか分からないことだろう。
なごみという女、今までに相手をしてもらった女の子の中でも、草薙の中では、結構印象深い女性であった。濃厚な時間を毎回過ごすことができ、若い娘にはない、妖艶さが感じられた。
それは、自分が童貞を喪失した時に感じた、
「つかさへの思い」
に似たものがあったかも知れない。
つかさとの濃密で妖艶な世界を知ったことで、
「飽きてしまった」
とはいえ、他の女を抱いていても、
「つかさが一番だったな」
と感じることがあったりした。
かといって、このまま、すぐにつかさに戻るということはできなかった。
それだけ、一度飽きてしまった身体の印象が消えるまで、かなりの時間を要する。それだけ、自分の身体が、つかさという女の身体の免疫がついてしまったということで、
「飽きが来る」
というのは、自分の中で、免疫を作ってしまった証拠なのかも知れない。
免疫というものが、どんなものなのか、漠然としてしか分からないが、
「罪悪感」
というものとも違うはずなのに、どこか似ているような気がする。
「逆に、罪悪感を感じたくないという思いが、免疫というものを作っている」
と、言えるのではないだろうか?
つまり、罪悪感や飽きが来るという感覚は、どこか、伝染病に似ていて、その裏には、
「免疫という抗体を作る」
という。ワクチン効果があり、その効果が、人間一人一人備わっていて、
「その作用は、人それぞれだ」
と言えるのではないだろうか?
こんなことを、最近になって考えるようになった。
この考えを教えてくれたのが、なごみだった。
もちろん、言葉で諭されたりしたわけではなく、話をしていて、感じさせられたことだったのだ。
「淫乱奥様」
というコンセプトで、その妖艶さと熟した身体を堪能するつもりだったが、意外と、普通に接しているのも悪くなかった。
「この人は、家に帰れば、旦那にも抱かれているんだ」
という思いが、自分が抱いている時にもこみあげてくる。
いわゆる、
「嫉妬」
というものなのだろうが、今までの自分に、
「風俗嬢に対しての嫉妬」
というものを感じたことはなかった。
「感じても仕方のないこと」
つまりは、マジ恋などできるはずがないと思っているから、
「嫉妬などしても、まったく無意味なことなのだ」
と感じた。
そして、そんな嫉妬心を持たないことが、相手に対して、
「飽きが来る」
と感じるようになったのだということが分かってきたのは、つかさと離れてから、少ししてのことだった。
つかさと離れてから、
「彼女のよさが分かった気がした。それから、何人かの女を相手にしてきたが、つかさ以上の女はいない」
とも思った。
だが、この思いは、また少し違って、
「次々と、手を変え品を変えているかのように、女の子を変わっていくと、皆、前の子以上の女の子はいないって、思えてくるんだよな」
と感じるのだった。
最初は、
「どうして、そんな感覚になるんだろう?」
と思ったが、考えてみると、分からなくもない気がした。
というのは、前述の、
「免疫」
「抗体」
という考え方である。
きっと飽きが来た時点で、その人の免疫のようなものが自分に身についてしまい、新たな人に対して、新鮮さや素朴さは感じるのだが、前の女性の免疫がどうしても残っていて、飽きが来ているくせに、
「忘れられない」
という感覚が残ってしまっているかのように感じるのだった。
実に矛盾した考えであるが、それも無理もないことのように思える。
そもそも、ワクチンなどを打って、身体に抗体ができるまで、発熱したり、気分が悪くなったりという、
「副反応」
というのが起こるのも、そのせいではないだろうか?
「副作用」
という言葉は、今までによく聞いたことがあったが、
「副反応」
という言葉が、ここ数年で起こった、
「世界的なパンデミック」
で、ワクチンを打った時に聴いたものだ。
そもそも、ワクチンという言葉も、それまでは、あまり意識したことがなかった。
「予防接種」
というのは、結構あるが、
「ワクチン」
という言葉は知っていても、自分たちの生活に影響してくることはなかったのだ。
まだ、世界的なパンデミックが収まったわけではない。猛威を振るっているのではあるが、それまでは、政府や専門家委員会が、必死になってその撲滅を考えてくれていたと思ったのだが、実は、
「自分たちのことだけしか考えていなかった」
というのが分かったのだが、新たな首相になってから、政府はあからさまに政策を打たなくなった。
「自分たちの命は、自分たちで守れ」
と言わんばかりであった。
まるで保険の外交員が、契約を結ぶまでは、まるで、
「据え膳上げ膳」
でもあるかのように。過剰なまでの接待をしてくれていたくせに、いざ契約をしてしまうと、一切連絡を取ってこない。
契約してから、5,6年も経つのに、連絡の一つもしてこないという、とんでもない保険の外交員もいたものだが、政治家というのも、変わりがない。
もっと露骨だといってもいいだろう。何しろ、相手は、国民全員なのだからである。
確かに、重症化しないということではあるが、
「救急車を呼んでも、受け入れ先がない」
ということで、救急車の中で命を落とす。
あるいは、救急車も出払っていて来てくれない。そのまま自宅で、死んでしまうというような、
「医療ひっ迫」
が起こっているのに、政府は何ら対策を取るわけではない。
もっとも、管轄は各自治体なので、その自治体ごとに方針も違っている。ただ、露骨に何も対策を考えないというのは、また違うと言えるのではないだろうか?
それを考えると、本当は政権交代もやむなしなのだろうが、そこにとってかわるだけの野党が、輪をかけてひどい状態である。
これでは、まるで、
「国破れて、山河あり」
という言葉を思い出させるのだ。
ワクチンや副反応という言葉、この時にクローズアップされた形になったのだが、ちなみに副反応というのは、
「副作用の一種で、予防接種やワクチンなどの影響で、身体に変調をきたす時のことをいうのだ」
という。
つまり、何かの影響で身体に変調をきたす場合の総称が、
「副作用」
であり、
「予防接種やワクチンの場合に限る時は、副反応だ」
というのだ。
そんなことを考えていると、
「飽きが来る」
というのも、何かの副作用なのではないかと感じるのだった。
それか、
「このまま、ずっと関係を続けていては、ロクなことがない」
という警鐘のようなものなのか。
あるいは、警鐘という意味で、
「飽きがこないということは、それ以上に、自分が他にいけない。つまりは、ステップアップができないということになり、成長というものをそこで否定することになるのではないだろうか?」
と感じられるのだった。
だが、肝心な相手、つまり結婚した相手、本来なら、ずっと寄り添っていかなければいけないはずの相手に、
「飽きが来る」
というのは、果たしてどういうことなのだろうか?
警鐘というだけでは片付けられないものである。
飽きが来るという思いに蓋をしたまま、結婚生活を続けていこうとすると、精神的なものはどうにかなるかも知れないが、何が起こるか分からないのが、夫婦というもの、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
と言われるが、まさにそうである。
飽きが来てしまったことが、身体にあるのだとすれば、
「身体を癒すためには、不倫も致し方ない。家庭を守るためだ」
という、一種の捻じれた感覚が、免罪符となり、不倫を自分の中で肯定してしまっているのだった。
そういう意味で、不倫も横行するのだろうが、正直、不倫相手にだって、すぐに飽きてしまうだろう。
ということは相手も同じことであり、要するに、
「不倫をする者同士、お互いに配偶者に飽きが来たから浮気をしたわけで、さらに、別の異性をもとめてしまうというのは、本能からくるものなので、致し方がない」
と考えてしまう。
またしても、免罪符という手を使うのだ。
そういう意味で、
「免罪符というのは、一体いくつあるのだろう?」
と思えてきて、
「免罪符というものの価値が、次第に薄っぺらい紙でしかない」
と言えるようになったのだ。
「免罪符」
これはただの言い訳を書いた始末書でしかないのではないだろうか?
そんななごみから紹介されたつかさは、実際に行ってみると、りなという名前になっていたし、雰囲気も変わって見えたので。最初は分からなかった。
前述のとおり、気づいてくれたのは、つかさの方で、こっちが飽きて逃げ出したのに、彼女は、そのことについて、起こったりはしなかった。
「待ってたのに」
といって、笑顔でそういうと、皮肉に聞こえないから不思議だった。
皮肉というのは、笑顔であっても、その笑顔は引きつっているものだが、つかさには、その引きつりはなかった。それどころか、嬉しさがはちきれそうになっているのを見ると、自分が過去に彼女に飽きたなどということを忘れさせてくれる思いがあったのだ。
ただ、その反面、最初に、
「飽きが来た女」
というレッテルは、自分の中に確実に残っていて、しかも、
「自分が免罪符を使った最初の女」
ということでもあった。
「飽きが来た」
ということと、
「免罪符を使う」
ということは、それぞれ、表裏一体となっていることのように思う。
だからこそ、
「すぐそばにあるのに、見ることができない」
ということと同じで、
「自分の顔を鏡のような媒体がなければ見ることができないということ」
さらに、
「自分の本当の声の、録音しないと聞けない」
ということと同じなのだ。
つかさに、
「悪いことをした」
という思いと、なごみに対して、
「申し訳ないな」
という思いは、ほぼほぼ同じものに感じた。
しかし、相手が違えば似たようなものであっても、感じ方が違う。しかも、それが、相関関係にあるものだからこそ、まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
というような、先が見えない堂々巡りのように感じられるのであった。
だが、ここで、やはり残る疑問としては、
「なごみは、何かを分かっていて、つかさにこの自分を任せたのではないだろうか?」
という思いである。
もちろん、
「なごみとつかさは知り合いである」
という大前提だということが、絶対条件ではあるが。
「そういえば、なごみは、時々愚痴っぽいことを言っていたな」
というのを思い出した。
いつも優しい女性で、高貴な雰囲気さえ醸し出しているなごみだったが、急に、何かおかしくなったのではないかと思うほど、ヒステリックになり、いわゆる、
「前後不覚」
という状態になっているかのように感じることがあった。
そんな状態であるから、落ち着いてから、なごみは憶えていないようだ。ただ、なごみがあんな状態になるのは、
「あなたと一緒にいる時だけなの、そしてね、気が付いてから、あなたのことなら、何でも分かるというような錯覚に陥るのよ。どういう心境なのかしらね?」
と、まるで他人事のようにいうではないか。
それもやはり、
「意識が朦朧としているから、普段分からないことも分かるのではないか?」
と、考えれば納得がいく気がする。
ただ、これも、まさかとは思うが、
「なごみの中にある、一種の免罪符だ」
と思えなくもない。
すると、彼女にも、
「免罪符と表裏一体の何かがあるというのだろうか?」
と思わざるを得ないと言えるのだった。
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