音の行方

凪 志織

音の行方


 演奏会開始まであと一時間。舞台裏ではクラリネットが途方に暮れていた。

 はぁ、と大きなため息をついた様子をみかねて隣で準備をしていたトランペットが声をかけた。

「どうしたんだよ。大きなため息ついて」

「音をなくした」

「は?演奏会まであと一時間ないぞ!どの音を失くしたんだ?」

「ソの音」

「だからどの音だよ」

「ソの音だって」

「その音がどの音だって?」

「ソだって言ってるだろ!」

「あ、ソ?」

「そう」

 クラリネットは少しいらついてうなずいた。

「ややこしいな。最初からそう言えよ。」

「最初からそう言ってるだろ」

「だいたい音なんてそうそう失くさないだろ?演奏以外で音を外すことなんてあるのかよ」

「あるよ。トイレとかで」

「トイレ?なんで?」

「え?トランペットはトイレで音外さないの?」

 トランペットは少し考えて言った。

「外さない」

「うそだぁ。じゃあ、音を外さないでどうやって用を足すのさ?」

「逆に用を足すのにどうして音を外す必要があるのさ?」

「みてよ、これ。ここがこうなってるだろ…」と、クラリネットはトランペットの正面に立った。

「ここをこうして、一回ソの音を外さないといけないから…」

「いいよ、みせなくて!」

「聞いたのはそっちだろ」

「とにかく探そう。トイレは見たの?」

「見たけどなかった」

「でも、あるとしたらそこしかないだろ」

「だと思うけど…」

「僕がもう一度トイレを見てくるよ。君は他に心当たりを探してみて」

 そういってトランペットは走った。今日の演奏会ではクラリネットのソロパートがある。演奏会を成功させるためにはクラリネットのソの音がどうしても必要だった。


 トランペットがトイレへ向かって走っていると、向こうからチューバがゴホゴホとせき込みながら歩いてきた。

「やあ、チューバ。風邪かい?」

「最近、喉の調子が悪くてね。音の響きがよくないんだ」

「それは辛いね」

「まあ、症状は軽いから今日の演奏会はなんとか出られるけど…。ところで君はずいぶん急いでいたようだけどどうしたの?」

「実はクラリネットがソの音をなくしたらしくて、探しているところなんだ。どこかで見かけなかった?」

「さあ、みてないな。一緒に探してあげたいけど、本番前に喉のケアもしたいし」

「ありがとう、気持ちだけで十分だよ。なんとか探すよ」

 トランペットはそういってまた走り出した。


 トランペットが急いでいると今度はカスタネットが廊下の向こう側から跳ねてきた。

「やあ、トランペット。僕の新しいコレクションを見てよ」

 そういってカスタネットはひょいとトランペットの目の前へ何かを投げた。

「コオロギの足さ!」

「ああ、すごいね」トランペットは戸惑いながら言った。

「あとはね、これ。瓶のフタ」

「ごめん、カスタネット。僕、今急いでるんだ」

 そういってトランペットは再び駆け出した。マイペースなカスタネットはトランペットが行ってしまったのも気づかず、自分のコレクションを床に並べ続けていた。

 トイレへたどり着いたトランペットはバンッと勢いよく扉を開けた。中に入っていたバイオリンが驚いてギャンッと不協和音を出した。

「おっと失礼」

 トランペットは謝りトイレの中を見渡した。

 どこにもソの音はなかった。やはりここにはないか、と確認したトランペットはもと来た道を再び走り出した。


 トランペットが廊下を急いでいると視界の先で何か騒ぎが起きていることに気づいた。だんだん近づくにつれ、それはチューバとカスタネットの喧嘩だということがわかった。

「おい!どうしたんだよ二人とも」

 トランペットはチューバとカスタネットの間に入ろうとしたが、喧嘩が激しく止めることができなかった。

 チューバは容赦なくカスタネットを踏みつぶそうとし、カスタネットは軽やかにそれをよけチューバの巨体に体当たりした。

「ああ、だめだこりゃ。僕だけじゃ二人の喧嘩を止められない」

 トランペットはクラリネットのもとへ走った。クラリネットは舞台上でソの音を探していた。

「おい!クラリネット。大変だ。チューバとカスタネットが喧嘩してるぞ!」

「なんだって?」

「早く止めないと!本番前にケガなんかしたら演奏会に支障が出るぞ」

 トランペットとクラリネットは走った。チューバとカスタネットの喧嘩は激しさを増していた。勝負は互角であった。

 トランペットとクラリネットは二人の間に飛び込んだ。そして、ようやく二人を引き離すことができた。息の切れるチューバとカスタネット。

「二人ともどうしたんだよ」とトランペットがたずねた。

「離せよ!こいつ、俺の口の中にゴミを詰め込んできたんだ!」とチューバは言った。

「なんだって?どうしてそんなことを?」クラリネットがカスタネットにたずねた。

「ゴミじゃないよ。コレクションさ」

 あたりにはこれまでカスタネットがこっそりとチューバの口に詰め込んできたペンの蓋やガラス玉、小石や萎れたタンポポ、色紙などが散乱していた。

「どうして君のコレクションをチューバの口に入れたの?」トランペットがたずねた。

「僕のコレクションボックスがいっぱいになったのでね。チューバの口がちょうど開いてたから、少しの間、新しいコレクションを保管させてもらおうと思って」

「最近、音の調子が悪いと思ったらこいつのせいだったんだ!」

「君の音が悪いのはもともとだろ!」カスタネットが言った。

 はあ?とチューバは言い、再びカスタネットに飛び掛かろうとした。あわててトランペットとクラリネットが止める。

「ねえ、カスタネット。いくらチューバの口が大きいからって勝手にものを入れるのは良くないよ。このコレクションだって君の大事なものだろ?それなら、自分の手元に大事に保管しておくのが…」そう言いながら、クラリネットはあたりに散乱するコレクションの中に一つ見覚えのある形を見つけた。ソの音だった。

「これ…」

「ああ、それはさっきトイレで見つけたんだ。珍しい虫の足だなと思って」とカスタネットは言った。

「僕のソは虫の足じゃないよ!」クラリネットはむっとして言った。

「仕方ないよ。カスタネットには音階がないんだ。虫の足と区別がつかないのも無理ないよ」トランペットがそう言ってクラリネットをなだめた。

「それにしても虫の足はないよ」と言いながらクラリネットはソの音を自分の体のもとの位置に付けた。ソの出具合を確かめる。いつもと同じ美しい音を奏でた。

喜んだのも束の間、開演を知らせるベルが鳴った。

「わあ、もうこんな時間だ。急げ!」トランペットとクラリネット、チューバとカスタネットは慌てて舞台へ駆けていった。こうして愉快な仲間たちのコンサートは開演した。

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音の行方 凪 志織 @nagishiori

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