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 蒲池亜希が自殺した。


 自惚れとかではなく、俺のせいだろう。

 あんな意味深な質問と意味深な電話で察せないほど俺は馬鹿では無い。ただ、薄々分かっていたとは言え死んだと聞いた時の衝撃はないに等しかった。

 人の死がこんなにも近づいたのは初めてだというのに、出てくるのは蒲池亜希への哀れみに近い感情だけだと言うのは我ながらどうなのだろうか。


 俺としては間違えるというのはつまり敷かれたレールから外れる程度の意味合いで言った言葉だった。

 親への反抗なり、友人達への接し方を変えるといった意味合いであったのだが、あの馬鹿な女はそれを間違えたのだ。


 間違えることを間違えたのだ。


 生きることを正しいと捉え、死ぬことを間違いと定義し、その最大の間違いをもってして、正しい蒲池亜希を押し付けてくる周りの人間への反抗のつもりだったのだろう。


 図書室での独白を聞き、寸前まで話をした俺はそう解釈したが、蒲池亜希の周りの人間には無理があった。


 告別式の会場の人間は、皆彼女の優秀さと優しさと聡明さやらあれやこれやを称え偲び、蒲池亜希が自殺した理由が自分たちのその考え方であるなんて考えていなかった。

 告別式おける蒲池亜希という存在は、蒲池亜希本人が否定しようとした、人々の思いで象られた完璧で優秀な頼れる蒲池亜希であった。


 つまるところ、蒲池亜希の自殺は彼女の思うようにこれっぽっちも作用していなかった。


 それ故に俺は、告別式にいる人間を軽蔑し、蒲池亜希を哀れむのだ。


 *


 告別式を終えた次の日、言い様のない体の重さを抱えながら学校へ向かう。


 蒲池亜希が自殺した本当の理由を自分だけが知っている。

 たまたま委員会が重なり、たまたま趣味が合っただけの、限りなく他人に近い知り合いでしかなかったが為に、蒲池亜希の本心に触れる機会があった。

 だから知っている。

 彼女の自殺が無意味に等しいことも。

 そして、それらをただ一人、自分だけが知っているというのは、他人の十七年分の何かの一部を背負わされたに等しく、体にまとわりつくような気怠い重みはそれ故だろう。


 ただ、「このままでもいいか」と俺は思う。


 俺、鹿島洋斗かじまようとの人生はこれといって誇ることも背負うこともない薄っぺらい人生である。だからこそこれくらいの重さがあった方が人生の重みというのが感じられるんじゃないか、などと考えながら俺は学校へと重い足取りで向かった。



 *



学校に着くと、俺の下駄箱に綺麗に包まれた蒲池亜希の唯一の宝物と、一言「ありがとう」と書かれた紙が入っていた。

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間違いは成功のもとではない 右見左見前見 @UMISAMIMAEMI

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