self-similar:自己相似


 *


 格子状の街並みの、レンガ造りの家にいた。私は座って紅茶を飲んでいる。きょうは記念日だ。何を記念したのかは誰も覚えていないが、宇宙の果てに探査宇宙船を派遣する準備が行われているらしい。探査宇宙船の乗組員の募集はもうすでに始まっていて二五〇人の候補者が宇宙局の前で並んでいた。私はあなたが応募したことを知っていた。私とあなたの進路は交差しない。平行線のままだ。交差するひとつの点も持たない。あなたは宇宙の果てを目指すだけだ。この宇宙はさきに旅立ったアークという宇宙船に搭載されたプロセッサの計算結果で、私たちはそのような意味で実宇宙のうえに立つ本当の人類だった。

 宇宙は本当の宇宙で、この宇宙に旅することで人類はほんとうの宇宙的真理に到達できると予想されていた。あなたは期待に胸を膨らませて、この宇宙の果てへと向かおうとしている。私たちの口論があなたと私を決定的に引き裂いてしまった事実からは後戻りできない。

 私は新聞に載るあなたの姿をじっと見て、一度だって計画されたことのない宇宙への遠大な旅を思い浮かべている。

 この星から始まる冒険はあなたを奮い立たせているだろう。

 アークからの計算結果によれば、私たちのいる実宇宙には階層が存在し、その下位に位置する宇宙はセルオートマトン宇宙と呼ばれているらしい。私たちのいる実宇宙は上位に位置しているために、下位に存在する宇宙を見ることができない。下位から計算された上位宇宙が私たちの宇宙であることだけは一致した見解で、その宇宙構造に時空のほつれが存在するのかどうかに関心が集まっている。時空のほつれがあったとしたら、私たちはやり直すのか。空想の世界で、もしもの世界を考えても、この宇宙から逃れて、幸せだった時代に戻ることはできない。

 宇宙船の乗組員の候補はそれから十二ヶ月に亘って丹念に選ばれることになった。あなたがもう一度、私の家に来たとき、あなたはひとつだけ私に欲しいものを告げた。私とのログだ。

 あなたに私は愛されていると思えた。でもそれはあなたがより完全な自分でいるためのダイアローグだった。あなたのなかで答えは決まっていて、指輪を置いて、私から目を背けた。扉を開けようとする力強い腕が、もうすでに私たちのあいだに何も残っていないと伝えていた。

 そうして実宇宙歴のさいしょの二四ヶ月で、演算型宇宙探査船が出発した。私たちだった人々が下位宇宙にいたとしたら、その宇宙でも私たちはいっしょに居られなかったのだろうか。何度計算を繰り返しても、私たちがもう一度同じ歩みを持つことはないのだろう。

 私たちは実宇宙より上位の宇宙を構造的に形作る。この宇宙のさきで、もし奇跡が起こって、あなたと私のあいだを埋めてくれるものがあると祈っている。

 そうして私はレンガ造りの家から出ることはなかった。

 実宇宙内で十年が経過しつつある。そのあいだ、私は下位宇宙から送られてきているとされる公表データを丹念に読み続けていた。アーク・プロセッサが存在する向こうの見えない宇宙では、マスター・アークという二人の乗組員が宇宙の果てへと飛んでいるらしい。時空にほつれはまだ見つかっておらず、数学的で抽象的な問題を彼らは解き続けているという話だ。

 私はかつて私を構成していた下位宇宙の誰かを夢見ている。私のイデアがそこにあるなら、そこにいるであろう、あなたと私――彼ら――はどんなふうに生きているのだろう。私たちは穏やかに生きていると信じたい。私たちに出来なかったことを彼らには出来ていてほしい。傲慢だって分かってる。

 私はログに残るマスター・アークたちに思いを馳せる。そうして瞼を閉じた。

 格子状の空間のなかで私は目覚めた。私はアーク・プロセッサの境界面に立っていた。こうしてアクセスすることは容易い。私は物理的でありながら情報的存在である以上、実宇宙と呼ばれる計算領域から出られた。実宇宙が情報的であることは間違いない。情報的ならば、アーク・プロセッサのむこうの下位宇宙への移動は逆算することから可能だと考えてみたのだ。必要なのは計算領域だけだ。実宇宙を出力しているグラフィック・プロセッサの一領域をハッキングしたことで私はたった一ナノセカンドのあいだだけ、マスター・アークの思考情報を手に入れられた。

 マスター・アークは思考が奪われていようと何も感じていないはずだ。

 私は私に再帰されるような錯覚に陥った。私の自己相似性は破れていない。私とあなたとの別れの構造は保存されている。宇宙に刻印されている。

 私たちは別れるべくして別れた。その構造は私の宇宙と下位の宇宙では相似性を保っていた。

 ひとつ上の宇宙へ向かったあなたはどんな希望を見つけるのだろうか。

 宇宙シミュレーターを載せた宇宙船が見るイデア宇宙は、純度を増した鉱石のように眩しい。

 もう私を泥に帰してほしい。そうずっと考えていたんだ……。

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