dialogue:対話


 *

 

 私とオクタゴンに課せられた任務は人類にとってセルオートマトン宇宙の果てに関するものだった。光速度不変の原理の破れは時空構造が離散的であることを示し、この時空がデジタルコンピューターのような構造を模しているということを知らしめた。私たちの祖先たる人類のなかには、光子人類フォトン・ビーイングとなった人々がすでに存在していたが、私たちは肉体を持つが故に、セルオートマトン宇宙に取り残された存在だった。セルオートマトン宇宙はひとつのプロセッサのなかに存在する宇宙ではあるが、肉体や身体性の有様を完全には否定できなかったため、実宇宙と近しい宇宙とされていた。宇宙は生命現象のような振る舞いを持ち、プロセッサにとって、有限に近しいが、私たちにとっては無限の広大な空間だった。そこで人類たちは文明を築き、この物理法則に則った宇宙を、デジタルコンピューターに存在するセルオートマトンとして捉えていた。

 ところがはるかに古い科学者アストルフォはある仮説を立てた。無限に自己相似性を保持するこの宇宙は、どこかで時空のほつれが存在しているという仮説である。その時空のほつれは私たち人類を新たな地平へと誘うだろう。私たちは遠ざかっていく空間のなかで、過去を繰り返す。繰り返された過去は再帰性によって全く同じ地平を私たちに見せる。ただ時間がずれたもうひとつの世界だ。私たちはありえない時空のほつれを探す。並行して、セルオートマトン宇宙の存在を観測しつつも同時に物理現象として計算するアーク・プロセッサ計画も進めることになっている。アーク・プロセッサは探索型宇宙船でありながらも、自然現象から実行可能なアナログコンピューターだった。アーク・プロセッサは宇宙を観測しつつも、宇宙を現象面から捉えた宇宙シミュレーターだ。計算ができる以上、そこに存在する計算された宇宙は実宇宙と変わりが無い。その境界は限りなく薄くなる。

 言ってしまえば実宇宙というものは観測できる宇宙の上に演算される、イデア的宇宙だった。

 私が眠っていた四万年のあいだ、私は情報凍結されており、そのあいだのログの損失は観測されていない。私たちが情報連続固有対である特性上、対になる人間は睡眠と覚醒を交互にする。人工知能による航行補助があるものの、私が目覚めるまでの、対存在の彼による長時間航行記録はなかなか破ることが難しいだろう。私がこれから入る永久の時は、私の精神を凍り付かせるのかもしれない。私はずっと前から夢のなかで知っていたような気さえする。

「人類は目覚めの一杯というカフェイン摂取を毎朝欠かさなかったと、ヒストリーログには残っているよ」

「カフェイン摂取は私たちにとって無意味だよ」

「肉体の構成物がデジタル信号ならば、覚醒を助長する信号で代替できるはず」

「やってみよう」

 そう言って彼は私にデータを寄越した。斜め読みして私は、覚醒の意味を悟った。

「眠る前に教えてくれないか? どうして旅を続けているんだ?」

「この宇宙の果てには、何があると思う?」

 彼は顎に手を添えて考え込む。

「宇宙に果てがあることなんて、俺にはそれほど問題があることのようには思わないな。俺たちができるのは飛行以外の意味はない。アーク・プロセッサが実宇宙を計算して、母星に転送する、それだけのことが必要なんだ」

「宇宙には果てがあるって言ったひとが昔いた。彼は遠くへ行ってしまった。彼を追いかけた悲しい少女がいた。もうすでに実宇宙をアーク・プロセッサが計算しているなら、母星から何らかの応答があるはず」

「俺たちが旅してきて一二万年の時が経過している」

「そう。もうすでに第二、第三の私たちと同等、いやそれ以上の次世代アーク・プロセッサを積んで船が宇宙を飛んでいてもおかしくない」

 その計算を担うのは他でもないアーク・プロセッサの心臓部のイデア・メモリである。

「イデア・メモリにはアクセスするなよ。一度、介入したら膨大なデータ量に俺の記憶領域が一気に膨らんだ」

「馬鹿なことを……」

「俺にだってそれくらい分かっていた。ただここには精神を凍り付かせるだけで、好奇心を満たすものが無いんだ」

「二次元の時間を想像するといい」

「ベクトル空間系の、多重量子計算のことか」

「しばらくやれば休憩くらいにはなるよ。私は四万年のあいだ、それを九億周した」

 彼はひゅー、と口笛を吹いた。

「そろそろだな」

「行くの?」

「ああ、人間だったときは星空を永遠に見続けることが夢だったが、こうしてずっと星空を嫌でも見続けられるのは良いことなのかもしれないな」

 彼は皮肉っぽく微笑んだ。

「おやすみなさい、オクタゴン」

 アーク・プロセッサが宇宙の青白い光を計算している。オクタゴンが眠った後の静寂しじまのなかで私はどこまでも深い沈黙を抱えている。これから何をしようか。宇宙を美学的に捉えることには飽きてしまった。宇宙を計算することはまだ続いている。マスター・アークである私がアーク・プロセッサの真似事をする意味はほとんどない。それより人格という本来観測機には意味のないものを付け加えた人類は何を考えていたのだろう。

 情報の保存は完璧だ。私そのものの変質はない。私はきっとあなたとの対話をどこかで思いつく。果てなきモノローグを続けて、いったい私たちはどこまで行けるというのだろうか。

 私はあなたとダイアローグをしたかった。その対話が宇宙との対話より、眩しい世界に思えたから。私はその世界にただ向かいたかった。それだけを思い続けている。あなたとの記憶を強く思い出している。


「実宇宙が完璧に計算可能ならば、きみにとって何がきみらしいと定義するのか」

「無限に私が多層の現実を持つならば、ほんとうのことなんて無くなるって言いたいんだね」

「重ね焼きされた残像のうえで僕は同様に確からしい、きみを見つける」

「見つけてどうするの?」


 そのダイアローグに終わりはない。これはきっと記憶ともつかない、シミュレーションなのかもしれない。

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