第17話 始まりの疾風Ⅲ

 罪悪感を噛み締めながら、塔の入り口を潜る。中はほの暗く、何も置かれてはいない。床を見ても、黄色のモザイク模様が広がっているだけだ。

 そこへアレクが声を張る。


「地の魔導師を連れてきた」


“そうか。地の魔導師、そこの魔方陣の中へ”


 空気を振動させる男性の声――姿は無くとも、とてつもない存在感だ。

 床のモザイクが黄色く光りだし、魔方陣の形を作り上げていく。

 ミユを不安にさせる訳にはいかない。


「ミユ、行っておいで」


「過去を覗けるチャンスだぞ」


 ミユの背中を押したい衝動を抑え、何とか声を掛ける。

 ミユも小さく頷いてくれた。


「行ってくるね」


 儚い微笑みを残し、一瞬にしてミユは魔方陣の向こう側へと行ってしまった。

 残された三人で顔を見合わせ、表情を曇らせる。


「オレは羽根を取ってくる。もしオレよりも先にミユが帰ってきたら、ミユを頼んだぞ」


「そんなの分かってる」


 乱暴に返すと、アレクはニッと笑った。


「じゃーな」


 アレクは此方に背中を向けると、右手をひらひらと振る。まるで緊張感が無い。

 そのまま魔方陣の円を踏むと、瞬く間に光の奥へと消えていった。

 ミユは大丈夫だろうか。今頃アレクとの――いや、ヴィクトとの記憶を見ているのだろうか。

 心配は尽きない。頭がパンクしそうだ。


「ミユ……」


 呟きながら、床に崩れ落ちた。


「もう、だらしないんだから」


 後方に居たフレアは俺の隣に来るとすとんと腰を下ろす。


「こうなるのは分かってたでしょ?」


「分かってたけどさ、なんて言うか……」


「何?」


「覚悟が足りなかった」


 声と同じように、気持ちまでもが萎んでしまう。

 フレアは大げさに溜め息を吐いた。


「アレクもクラウも、ちゃんと先の事を考えて欲しいな」


「考えたよ。これ以上、良い選択肢は無かった」


「そう」


 フレアは此方を見ずに、遠くの方を眺める。

 そうだ、悩んだ結果が今なのだ。

 唇を嚙み、目線を床に向けた。


「でも、ミユにはそんな顔見せたら駄目だからね。不安にさせちゃうだけだから」


「うん、今だけにしとく」


 フレアの吐息を吐く音だけが塔に響く。

 そうして何も喋れなくなってしまった。フレアも何も喋ろうとはしない。

 それなのに、大して気まずくはなかった。

 俺が心配や不安を膨らませ過ぎたせいかもしれない。

 アレクが帰ってきた事にも気付けなかった。


「おい」


 肩を叩かれ、顔を上げる。

 呆れた様子のアレクの顔があった。


「そんなに思い詰めなくても、ミユは無事に帰ってくるだろ」


「そうかもしれないけどさ」


 ミユの過去が酷いものだけに、どうしても心配になってしまう。


「オレはカノンと何かあった訳じゃねぇ。何かあったのはリエルとアイリスだ。風の塔だけは心配要らねぇよ」


 励ましのつもりかもしれないが、これでは先の事が更に心配になってしまう。それに、過去の自分を恨む原因にも。

 溜め息を吐くと、アレクは自分の言った事に気付いたのか、「済まねぇ」とだけ口にした。


「カノンは……何でアイリスを恨んでたんだろう……」


 フレアはか細い声を絞り出す。

 その問いに答えられる者は、この場には居ない。ミユだけだ。


「ミユが思い出したら聞けば良い。そんなに思い詰めんな」


「うん……」


 アレクはフレアの肩を抱き、そっと慰める。


「アレクは羽根を手に入れられたの?」


「あぁ。ワープした先に浮かんでたな」


「そっか」


 いくら俺がぼんやりしていたとしても、それ程時間は経っていない筈だ。それに比べてミユは――

 どうしても気持ちがミユの方へと行ってしまう。


「これからの事はミユの試練が終わってからにしよーぜ」


「試練、か」


 誰が、何の為に好き好んでこんな事を。思わずせせら笑うと、アレクは眉を顰める。


「何だ?」


「意味は無いよ」


 こんなにも辛い過去なのに、忘れていた方が良かったなんて思えなかった。

 彼女を愛した記憶が消滅するなんて、想像したくもない。

 とその時、魔方陣が目が眩むほどの光を放ち始めたのだ。

 ミユが帰ってきたのだろう。

 口よりも身体が先に動いていた。地面を蹴り、魔方陣の光を突き破る。

 途端に光は弾け去った。


「ミユ!」


 中央にはミユの身体が横たわっていた。慌ててしゃがみ込み、その体を揺する。

 反応は無い。

 瞼は閉じられ、穏やかな表情だ。呼吸も落ち着いている。


「眠ってる、のかな」


「記憶を引き出された時のオマエもそんな感じだったぞ」


 それならば、大事は無い、という事だろうか。気が緩み、両手を地面についた。

 魔方陣の先での出来事はあまり覚えていない。ミユも酷い扱いをされていない事を願うばかりだ。


「帰ろう?」


「そーだな」


 フレアとアレクの声が聞こえた。

 その後、数分間の沈黙が続く中、アレクの足音だけが塔に響く。恐らく、ミユが帰る為の魔方陣を描いているのだろう。


「出来たぞ」


 足音が止まると、アレクが盛大に息を吐き出した。


「ミユ、帰るよ」


 返事が来ないことが分かっていながら、そっと微笑みかけてみる。

 壊れ物に触れるように、そっとその身体を抱いた。

 温かい。

 ミユに初めて触れた感想がそれだった。

 涙が頬を伝う。


「先に行ってるからな。オマエもすぐ来いよ」


 僅かに愁いを帯びた声が聞こえたと思うと、アレクとフレアの気配が掻き消えた。

 顔を見られなくて良かった。

 頭を何度か軽く振り、気持ちを切り替える。

 涙を拭う事もせず、そのまま魔方陣へと足を踏み入れた。

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