第18話 始まりの疾風Ⅳ

 それが良くなかったらしい。

 目的の部屋へワープし、ミユをベッドに寝かせる俺に、アレクとフレアは目を丸くした。


「オマエ、何泣いてんだ?」


「……ミユ、温かいんだ」


 小さな幸せに、より一層涙が零れる。


「最後にカノンを抱いた時、凄く冷たかったからさ。もう、そうじゃないんだって思ったら……」


 尚更、涙が止まらない。

 アレクとフレアは小さく笑う。直後、何かが思い切り俺の肩を強く叩いた。


「痛っ!」


「今更じゃねーか、んな事」


 じんじんと痛む肩を擦っていると、アレクはにかっと笑う。


「今度こそ、しっかり守ってやれよ」


「……うん」


 絶対に、カノンと同じ目に遭わせたりはしない。胸に誓い、ようやく涙を拭った。


「アレク、お茶持ってきて?」


「何でオレなんだ?」


「女の子の部屋に男二人だけで置いとけないでしょ?」


「それもそーか」


 アレクは頭を掻くと、文句も言わずに部屋を後にした。

 フレアは早速、椅子を移動させようとするので、急いで止めに入る。


「俺がやるから」


「そう? ありがとう」


 微笑むフレアは何処か憂いを帯びているようでもある。

 三脚の椅子をベッドの傍へと移動させ、どちらともなくそれに腰掛ける。

 ミユはまだ目覚めない。アレクが紅茶を持ってきても、それが冷めきっても、飲み干しても目が覚めない。

 このまま目覚めなかったらどうしよう。そんな不安が脳裏を掠めた。

 ティーカップをきつく握り締める。


「大丈夫。大丈夫だから」


 そんな俺を見兼ねてか、フレアは優しく呟いた。

 その時、ようやくミユの瞼がゆっくりと開いた。何度か瞬きをし、何が起こったのかを確認しているようだ。

 瞳の色はエメラルドグリーン――

 いや、見違いだったかもしれない。思わず声を上げそうになった時には、もう焦茶色に戻っていたのだから。


「あれ……?」


「ミユ、混乱してない?」


「う~ん……」


 ミユは眉を顰めると、掛け布団を頭からすっぽりと被った。


「今見たものが過去? 影の事が何か分かるんじゃなかったの?」


 ミユのくぐもった声が聞こえる。


「それは、もう少し先だ」


「じゃあ、また過去を見なきゃいけないの?」


「ああ、あと三つだな」


 アレクが答えると、ミユは唸り声を上げる。


「ミユ、頭、痛む?」


「うん」


「ちょっと我慢しててね」


 フレアの行動は早かった。返事を聞くや否や椅子から立ち上がり、何も言わずに部屋から飛び出していった。

 小さな音を立ててドアが閉まるその光景を、ただぼんやりと眺めていた。


「痛っ!」


 突如としてミユの悲鳴が上がる。


「大丈夫!?」


「ミユ、布団捲るぞ」



 身体が反応したのはアレクの方が早かった。

 布団を捲ると、頭を抱えるミユの顔があった。痛みが若干和らいだのか、瞼は開いており、揺れる瞳は此方を見ていた。


「まだ痛む?」


「うん、ちょっと」


「フレアが水嚢持ってきてくれるからな。もう少し我慢してくれ」


 アレクは苦笑いをすると、ミユの頭へと手を伸ばす。そのまま撫で回し始めた。

 こんなにも辛そうなのに、代わってあげられない。記憶を手放してあげたいのに、俺の心が許さない。


「ごめん」


 呟き、俯いたところで、気持ちが晴れ渡る事は無い。


「そんな顔すんな。余計にミユが不安になっちまうぞ?」


「うん……」


 何とか気持ちを切り替えなくては。軽く頬に両手を当て、息を吐き出した。

 その空気を変えたのはミユだった。


「私、どうして此処に?」


「風の塔の中で倒れちまったからよー、コイツが此処まで運んできたんだ」


「クラウが?」


「あぁ」


 アレクの肘が俺に当たる。

 泣き顔をミユに見られなくて良かった。と同時に、あの時のミユの温もりが蘇り、自然と顔が熱を持ち始める。


「ごめんね」


 消え入りそうなミユの声が聞こえた。

 この言葉は俺に向けられたのだろうか。謝る事なんてないのに。

 大きく首を横に振ってみせた。


「あれを見せられて、倒れない人なんて居ないんだ。だから謝らないで」


「うん……」


 返事の仕方、小さな吐息、恐らく納得はしていないのだろう。

 そうこうしている間にフレアが戻ってきた。水嚢をミユの額にセットし、黒い横髪を耳に掛けながら、その顔を覗き込む。


「これで少し良くなればいいけど」


 フレアは息を吐き、アレクの顔を見上げる。


「七日間くらい様子見てみよーぜ。急かしても良い事はねーだろーしな」


「そうだね、ゆっくり行こう」


 影がすぐに襲ってこない事を願うしかない。両手で握り拳を作る。


「ミユ、お腹空いてない?」


 フレアが聞くと、ミユは首を横に振る。


「腹空いたら言えよ」


「うん」


 ミユが笑顔で大きく頷くと、部屋の緊張が少し緩んだ気がした。

 時計の鳴る音が部屋に反響する。静まり返った状況に耐えきれなかったのかもしれない。


「こんな時に何だけど、ミユって異世界に好きな人って居たの?」


 本当に『こんな時に』だ。フレアがミユにとんでもない事を聞き始めたのだ。

 ミユは不思議そうに首を傾げる。


「居ないけど……?」


「そっかぁ。じゃあ、女の子同士の恋バナはまだ出来ないかぁ」


「恋バナ……」


 ミユは呟くと、頬を赤く染めた。


「ホント、女ってそーいうの好きだよな」


 ちらりとアレクがこちらを見た気がする。

 そんなのはどうでも良い。

 そもそも、リエルとカノンが恋人同士だったからと言って、俺とミユがどうにかなる、という問題でもないのだが。いざ考えようとすると混乱してしまう。

 ひたすらカノンを追い求めてきたものの、このままミユを追っても良いのだろうか。俺のこの気持ちは、本当に俺のものなのだろうか。

 分からない。


 気持ちの決着もつかず、ミユの頭痛が完全に治まるまでには、三日間を要した。

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