第32話

 十二月三十一日。クリスマスより国民的な一日である大晦日は、やるべきことがめじろおし。家族や友人と一夜かぎりのテレビ番組を。今夜食べる蕎麦は、普通いつものソバではない。信仰心はないが鐘はつきたい。一〇八人集まるまえに急ごう。この国の人々は限定によわい。神社仏閣に群がる初詣におとずれた無宗教者たち。若者が寺で二礼二拍手一礼していても住職は寛大。次々投げこまれる賽銭に目元をほころばせていた。除夜の鐘がこだまして新年が明けた。元日は、乾燥した群青に雲一つない晴天。


 —— 直は、正月休みにひたっている心の余裕がなかった。月末に入試を控えている。冬休みが明け、高校生活最後の学期が始まるといっきに受験ムードが高まった。 

 正月の人混みを嫌厭けんえんしていた彼女は、初詣にすら行っていない。真が、「行きたいか?」と問うたのでうなずいた。湯島天満宮に訪れると、まだまだ参拝客は多かった。参拝の順番がまわってくると、ふたりは横並びになって合掌する。


「おみくじは引かない」

 遠目から、みくじに一喜一憂する若者達を見ていた直はそういった。

「どうして?」

「自分のことは自分が一番わかってる。自分を信じてるから」 

 その答えを真顔で述べた彼女にむかって「なるほど」と真は笑った。

 

「でも、お守りは買う!」と態度が一変した。

「こればっかりは仕方ないね」と真は目尻を下げた。

「白、赤、紫。直は、どの色が好き?」と真はたずねたが、直が答えるのと一緒に「紫!」とハモった。

 ちょっと待ってて、と真に声をかけられてその場で、直は待機する。彼のあとを目で追いかけた。

「えっ、いいよ。真」 

「僕にできることは、もうこれくらいしかないから」

 紫色の学業守を購入する真を止めようとしたが、彼は穏やかに払いのけた。

 

 知恵の輪以来、真からもらったプレゼントに直は喜んだ。

「ありがとう。がんばる」

「合格ラインに達してるんだからもう心配ない。あるとすれば当日、無事に試験を受けられないことくらいだよ」と、真は軽いノリで口を運んだが直は本気にして青ざめた。

「ごめん。冗談だよ?」

「そんなことになったらどうしよう」

「あーもう。ごめん忘れてよ、わるかったね」


 願かけの目的を遂行すると、直はすぐに真と別れた。寄り道もせず帰宅して勉強を再開した。受験当日まで残り十四日を切っている。

 

 * 


 十日後。その日は、通学時からひどく冷えこんで空気が凍てついた。お昼休みのあとには曇天から真っ白な雪が舞い降りた。

「そういえば……」と直は今朝の天気予報を回想する。明後日の試験当日も、目下のところ曇りときどき雪だと天気キャスターは見越していた。 

 教室は、いやにしんとしていて殺風景だった。受験を控えて欠席するクラスメートも目立つ。

「はぁ。どうしよう。緊張であんまり眠れないな」と、独り言をもらして机上に頬をつけるとひんやり冷たかった。


「ちょっときて日向さん!」 


 大声で名前を呼ばれて飛びおきた。教室のドアのところで担任の伊藤が手招きしている。 伊藤は血相を変えて待っている。直は、同級生からの視線を感じつつ席をたった。廊下にでると身をきるような寒さだった。


 ・・・


 ——はい。

  

 着信にでた真は、相手がなにもしゃべらないので応答するように促した。

 

「直。どうした?」 

 しかし、電話のむこうから言葉が返ってくる気配はない。

「直、きこえてる? なにかいって」

「……まこと」 

 それはあまりにも覇気のない声だった。真は、腕時計を見た。時刻は午後三時半を過ぎたところ。

 

「もう、学校おわったの?」 

 反応が返ってこない。直後の長い沈黙は、彼女によくないことが起きていると真に伝えていた。

「いまどこにいる?」

「……病院」

「え?」

「……試験、受けられないかもしれない」

「……どういうこと?」

「ごめんね」 

 

 真は、直が大きく息を吸いこむのを聞いた。それから、ゆっくりはきだす吐息は、ふるえていた。直は、おそらく泣いている。

「ごめんね」

「大丈夫。落ち着いて」

「お母さんが、たおれた」

「……それは、いつ?」

「きょうの午後、仕事中に。まだ目を覚まさないの。先生や病院のひとは、家に帰って予定通り試験を受けなさいっていうけど、でも私とてもそんなこと……」 

 

 真は、状況把握に時間を費やさなかった。彼は、すぐさま言葉を送り返す。

「聞いて、直。いまは、周りの人のいうとおりにしたほうがいいかもしれない。お母さんのことは、病院に任せるべきだと思う。君は家に帰って少し休んだほうがいい」 

 すると、直の声は聞こえてこなくなった。真はそれ以上言葉を重ねることをせず、彼女の声を祈るように待っていた。

 

「……わかった」

「大丈夫か。ひとりで帰れる?」

「……うん」

「できれば、家に着いたら連絡して」

「うん」 

 

 通話は切れた。真は、しばらくスマートフォンの液晶に目を落としていた。

 それから約一時間後、直から(帰宅した)とメッセージを受けとった。

 真は、(試験を受ける準備はしておくべきだ)と返した。直からは、(そうする)と返信を受けとった。

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