第23話 信じられる人

 伊織と恭一郎が屋敷に戻ったのは明け方だった。まだ日の上りきっていない薄暗い空を見上げながら二人は屋敷に入る。


 ちなみに東雲家から榊家までは、烏天狗の神足通で戻ってきた。恭一郎と酒呑童子が飛駕に詰め寄って屋敷に戻すように脅したからだ。そのおかげですんなり屋敷に戻って来られた。


 伊織の身体を心配した恭一郎は、部屋まで付き添う。


「今日はゆっくり休め。家のことは気にするな」


 そう言って部屋から出ようとする恭一郎を、咄嗟に呼び止める。


「旦那様、ひとつ伺ってもよろしいですか?」


 戸を引く手を止めて振り返る。不思議そうにこちらを見つめる恭一郎に、伊織は尋ねた。


「どうして助けてくださったのですか? 嫌いな相手をわざわざ助ける理由が分かりません」


 飛駕に攫われたのは伊織の落ち度だ。烏天狗の妖力を察知できずに油断したのが原因だ。


 自分の油断が原因で捕えられたにも関わらず、恭一郎がわざわざ助けに来てくれたのが不思議でならなかった。


 極めつけは、先ほどの抱擁。あんなのは、嫌いな女にとる態度ではない。


 真意を確かめるべくじっと見つめていると、恭一郎ははあーっと大きく溜息をついた。


「お前は大きな誤解をしている。まずはそこを訂正しないといけないな」


 恭一郎に座るように促されて、伊織は正座をする。恭一郎も向かい合わせになるように腰を下ろした。


 一呼吸おいてから、意を決したように告げられる。


「俺はお前が好きだ。初めて会ったときから恋焦がれていた」


 好き。恭一郎はそう告げた。


 信じられなかった。咄嗟に何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。


 だけど恭一郎の瞳は真剣そのものだ。意思を持った力強い眼差しで見据えていた。


 理解が追い付かずに固まっていると、恭一郎は溜息をつきながら言葉を続けた。


「大体、なんで嫌っているって決めつけていたんだよ? 別に俺は、お前のことを邪見にしてないだろう?」


 恭一郎の言う通り、日常的に邪見にされているわけではない。だけど明確に拒絶された瞬間があった。


「初めて屋敷に来た日に仰ったじゃないですか。気安く触るなと」


 伊織は榊家の屋敷にやってきた日のことを思い出した。


◆◇◆◇


 初めて榊の屋敷の門をくぐったのは、年が明けて間もない一月だった。


 大荷物を背負って屋敷にやって来ると、庭先に恭一郎が出ていることに気付く。その姿を見て、伊織は足を止めた。


 噂で聞いていた恭一郎は、圧倒的な強さを持つ豪傑な男。結婚式で対面した時も、噂に違わないのだろうと感じた。


 紅玉の鋭い眼光、にこりともしない不愛想な表情、荒々しい喋り口調。それはかつて都を騒がせていた酒呑童子と通じるものがあった。


 そんな強さの象徴のような男が、庭先に植えられた花を眺めている。一面黄色い花で覆われた花壇は、一足先に春が来たかのように華やかだった。


 目を伏せながら花を眺める恭一郎はどこか儚げで、噂に聞き及んでいたような豪傑さは感じられなかった。


「何をなさっているのですか?」


 突然声をかけられたことで、恭一郎は警戒の色を浮かべる。しかし相手が伊織だと分かると、興味を失ったように視線を落とした。


 そのまま目を合わせることなく、花壇に植えられた黄色い花を見下ろす。


「花を眺めていただけだ」


 ぶっきらぼうに返される。その反応から、あまり会話をしたくないのだろうと推測した。


「花がお好きなんですね」


 そう口にした瞬間、沈黙が走る。余計なことを言ってしまったと悔いていると、恭一郎は俯きながら語った。


「これは弔いの花だ。死んでいった仲間や助けられなかった命の分だけ、庭先に季節の花を植えている。いま植わっているのは金盞花きんせんかだ」


 その言葉に伊織は驚く。


「死んだ人の数を数えていらっしゃるのですか?」


 伊織が尋ねると、恭一郎は小さく頷く。


「誰にも看取られずに死んでいったんだ。せめて俺だけは弔ってあげたい」


 最強と謳われる男に、そんな繊細な一面があるとは思わなかった。


 妖使いは人の死に立ち合う機会が多い。だから自然と感覚が麻痺していた。現に伊織も人の死に立ち会っても、粛々と任務をこなせるだけの心持ちはあった。


 だけど恭一郎は違った。命の重みと向き合っているからこそ、こうして弔いをしているのだろう。


 伊織は恭一郎に歩み寄る。俯き加減で花を見下ろす彼の頭に、そっと手を伸ばした。


「お優しいのですね」


 髪に触れる直前、咄嗟に手を振り払われる。恭一郎は顔を真っ赤にしながら、信じられないものを見るかのように目を見開いていた。


 拒絶された。そう感じたのも束の間、ぶっきらぼうに咎められた。


「気安く触るな」


 それは嫌われていると判断するのに十分な言葉だった。


◆◇◆◇


 当時の出来事を伝えると、恭一郎はバツが悪そうに視線を逸らす。反応から察するに、恭一郎もあの日の言動を覚えているのだろう。


 恭一郎は頭を掻きむしった後、恥ずかしそうに頬を染めながら当時の心境を語った。


「あの時は驚いただけだ。恋焦がれていた相手に触れられて、動揺していたんだ」


 伊織はぱちぱちと瞬きをする。


「それは、一種の照れ隠しなのでしょうか?」

「……まあ、そうなるな」


 その言葉を聞いて力が抜けてしまった。まさか嫌われていると思っていたのが勘違いだったなんて。


「誤解させて悪かった」

「いえ、私の方こそ勝手に決めつけてしまい申し訳ございません」


 伊織と恭一郎は互いに頭を下げて謝った。


 それから恭一郎はいままで伝えられなかった分を取り返すかのように、思いの丈を伝えた。


「俺はずっとお前に惹かれていた。俺と同等の強さを持つ人間がいると知って救われたんだ」


 恭一郎の真っすぐな言葉が胸に刺さる。だけど同時に過去の苦い記憶が蘇った。


「旦那様は、玉藻前を使役している私が好きなのでしょう? もし私が妖力を失ったら価値がなくなるのでは?」


 伊織は母と同じ道を辿ることを恐れていた。だけど恭一郎は、そんな不安を躊躇いなく振り払う。


「たしかに好きになったきっかけは、お前の強さなのかもしれない。だけど強さがなくなったからといって手放したりしない」


 恭一郎はそっと伊織の手を取りながら告げた。


「鬼というのは執着心の強い生き物だ。惚れた女は生涯愛す。鬼使いの俺も、そういう性分らしい」


 恭一郎は手を握る力を強める。それから愛おしさが溢れかえたように微笑みを浮かべた。


「この先どんなことがあっても、お前だけは手放してあげられそうにない。俺はお前を生涯愛し続ける」


 生涯愛す、なんて簡単に言ってくれる。未来のことなど誰にも分らないはずなのに。


 それでも、恭一郎の真っすぐな瞳に捉えられると、その言葉が真実のように思えた。


 信じられるのは自分だけ。

 母と離れた日からそう思っていたけど、いま少しだけ考えが揺らいだ。


 恭一郎だったら信じてもいいのかもしれない。

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