第19話 運命の恋/恭一郎回想
次に目を覚ました時、恭一郎は砂利の上で横たわっていた。見覚えのある屋敷が視界に飛び込んできたことで、ここが榊家の敷地内であることに気付いた。
ザク、ザク、と砂利を踏む音が聞こえる。音のする方向に視線を向けると、銀髪の少女がこちらを見下ろしていた。
「妖がわんさかいる中で眠るなんて、どういう神経をしているんですか?」
少女は呆れた表情を浮かべている。
その指摘はもっともだ。戦場で眠りこけるなんて自殺行為だ。だけどあの時は、そんな心配はしていなかった。
「あんたがいれば大丈夫だって思ったんだ」
「過信しすぎでは? 私は榊の坊ちゃんを守る義理はありません」
「その坊ちゃんっていうのはやめろよ。恭一郎って名前があるんだ」
そう指摘すると、少女は目をぱちくりとさせた。
「恭一郎?」
名前を呼ばれた瞬間、全身がむず痒くなった。照れくさいけど嫌ではない。
「そっちの名前は?」
「伊織です」
「伊織か。覚えておく。もっともお前みたいなクソ生意気な小娘は忘れるわけねーけどな」
嫌味な言い方だということは分かっている。だけど酒呑童子を手懐けるために荒々しい言葉ばかり使ってきたせいか、伊織に対してもこんな言い方しかできなかった。
「そうですか」
伊織は感情の読み取りにくい端的な言葉で返した。
沈黙が流れる。先ほどは嫌味な言い方をしてしまったが、伝えたかったのはそんなことじゃない。照れくささを感じながら、恭一郎は心の内を明かした。
「お前みたいな化け物がこの世界にいると知って安心した。これからは俺たちでこの国を守っていこう」
最強と最恐が揃えば、怖いものなんて何もない。俺たちは無敵だ。そう確信できた。
しかし返事はいつまで経っても返って来ない。身体を起こすと、伊織の姿はもうなかった。
助けてもらったお礼すら、言いそびれてしまった。
◆◇◆◇
百鬼夜行で出会った日から恭一郎は伊織の存在が気になっていた。どこに居ても、何をしていても、ふとした瞬間に伊織のことを考えてしまう。
もう一度ちゃんと話したいのに、会えないことがもどかしく感じた。
恭一郎は助けてもらったお礼を伝えるという口実で、安隅の屋敷に近付いた。
裏門からこっそり中を覗くと、伊織が琴の稽古をしているのを見かけた。目を伏せながら細い指で琴を奏でる姿に思わず見入ってしまう。
しばらく覗いていると、ポンと後ろから肩を叩かれる。振り返ると、銀色の髪を一つに束ねた少年がいた。歳は恭一郎と同じくらいに見える。
彼は恭一郎の顔を見るなり、にやりと怪しげに笑う。
「何をしているんだい? 覗き? それとも泥棒かな?」
怪しまれていることに気付き、瞬時に否定する。
「いや、俺はただお礼に……」
弁解するも、銀髪の少年は恭一郎の言葉を無視して、まじまじと顔を覗き込んだ。
「あー、君も目つきが悪いね。僕好みの顔だ」
興奮気味に詰め寄ってくる。恭一郎は思わず後退りをした。
すると少年にがっしり両手を掴まれる。
「あっちでさ、僕と遊ぼうよ。なあに、悪いようにはしないから」
身の危険を感じた恭一郎は、脱兎のごとく逃げ出した。
それからも何度か安隅家の屋敷を覗いてみたが、その度に銀髪の少年に見つかって逃げ出す羽目になった。のちに彼が伊織の兄である涼晴だと知ることになる。
月日が流れ、伊織が女学校に通う歳になる。女学生姿の伊織を見たくて、恭一郎は女学校に偵察に行った。
袴に編み上げブーツを合わせた伊織は、想像していた以上に美しい。強く美しく成長していく伊織に、恭一郎は次第に心惹かれていった。
会話を交わしたのは一度きりだったけど、関わりの深さなんて関係ないくらいに伊織に支配されていた。
「随分あの小娘にご執心なんだな」
何度目か分からない女学校からの帰り道。こちらを小馬鹿にするように笑う酒呑童子から、伊織のことを指摘される。恥ずかしさから恭一郎は即座に否定した。
「そういうんじゃねーよ。同業者として気にかけているだけだ」
「隠さずともよい。お前はあの小娘に惚れているんだろう」
惚れている。第三者から指摘されると、途端に恥ずかしくなった。
恭一郎が何も言い返せずにいると、酒呑童子がにやりと笑いながら得意げに語る。
「鬼とは元来、執着心の強い生き物だ。一度惚れた女は簡単には手放せない。俺の影響を色濃く受けているお前も然りだ」
「……何が言いたい?」
「この恋はきっと長くなる。お前は生涯、あの娘を愛し続けることになるだろう」
一度しか話したことのない少女を生涯愛するなんて言われてもピンとこない。だけど伊織のことをいつまでも忘れられないというのは、きっとそういうことなのだろう。
そして恭一郎が19歳の時、転機が訪れる。父親から安隅家との政略結婚の話を聞かされたのだ。
恭一郎は和平のためなら、と渋々承諾する素振りを見せたが、内心では嬉しくて仕方がなかった。
伊織が自分の嫁になる。舞い上がらずにはいられなかった。
◆◇◆◇
二人の結婚式は、狐の祀られている神社で行われた。五つ紋付羽織袴を着せられた恭一郎は、緊張した面持ちで伊織を待つ。
そして白無垢をまとった伊織を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
穢れを知らない心を表すような真っ白な衣。角隠しの下では従順さを表すかの如く静かに目を伏せていた。繊細で長い睫毛に思わず目が奪われる。
口元には赤い紅が塗られている。小ぶりで薄い唇をしていることから普段はあまり意識していなかったが、紅が塗られたことで存在感が増していた。そこに自分の唇を重ねたらなんて想像すると、全身の血が湧き立った。
結婚式では新郎新婦が交互に神酒を飲み交わす「誓杯の儀」が行われる。三々九度とも呼ばれるこの儀式は、夫婦の契りを結ぶ意味合いを持っているらしい。
盃を渡す時、伊織と視線が交わった。伏目がちに視線を送られると、心臓が激しく鼓動した。
誓杯の儀で用いられる三つの盃には、それぞれ意味が込められている。一つ目の過去、二つ目の現在、三つ目の未来。これらを夫婦で交互に飲み交わすことで、過去を清め、現在を見つめ、未来を誓うという意味を持っている。
恭一郎は三つ目の盃を受け取り、神酒を含む。口の中に独特の苦みが広がっていき、喉を通るとかーっと熱くなった。
身体中が熱くなる感覚は、遠くから伊織を眺めていた時とよく似ている。
盃の神酒を飲み干した時、恭一郎は胸に誓った。
――伊織を生涯愛する。
妖が蔓延るこの世界で、最強として生まれて来てしまった恭一郎。最強ゆえに周囲から過大に期待され、世界の命運を託されることになった。
重責感で押しつぶされそうになった時、自分と同等の力を有する少女と出会った。それが伊織だ。
伊織の存在が恭一郎の救いになっていた。もう一人で背負う必要はない。そう気付かされたのだ。
そんな伊織と夫婦の契りを交わすことになった。
こんなのはもう、運命の恋としか言いようがないだろう。
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