第18話 絶望の淵で/恭一郎回想

 酒呑童子が山神を討伐したという噂は瞬く間に広がった。多くの人間が恭一郎を賞賛し、救世主だと褒め称えた。


 その一方で、こんな意見も囁かれるようになる。


「妖討伐は恭一郎がいれば十分だ。あいつに任せておけば、容易に片が付く」


 それは初任務で生き残った妖使いを筆頭に囁かれていた。仲間を失った悲しみと、圧倒的な力を前にした無力感から来た言葉なのかもしれない。


 その意見は次第に広まっていき、恭一郎は子供でありながらも数々の任務に連れて行かれるようになった。


 妖討伐なんて本当は行きたくない。だけど恭一郎が行かなければ、多くの仲間が死ぬ。怖くても行くしかなかった。


 現場に向かえば酒呑童子は一発で妖を倒す。最強の名は伊達ではなかった。


 人間というのは強いものに縋るらしい。恭一郎が功績を上げるたびに、周囲から期待されていった。それからも上級案件の任務が次々と任されるようになった。


 正直、プレッシャーだった。自分一人に世界の命運が託されているような重責感があった。


 だけど投げ出すことなんてできない。恭一郎が投げ出せば、多くの命が失われるのだから。


◆◇◆◇


 そんな中、帝都を騒がせる大事件が起こった。恭一郎が13歳の時だ。

 国中の妖が集い、行列をなして徘徊する百鬼夜行ひゃっきやこうが起こった。


 暴れ狂った妖が地面を踏み鳴らし、建物を倒壊させる。炎を操る妖が飛び回って、街を火の海にした。


 百鬼夜行では多くの命が失われた。のちに聞いた話では、被害者数は10万人にも及んだという。


 そんな厄災を収めるため、御三家から実力者が駆り出された。


 妖が行列をなす中でも、先頭集団には上級の妖が集っている。その討伐を任されたのが恭一郎だった。


 本来であれば熟練の妖使いが編成を組んで遂行する案件だが、これまでの功績から過大評価されたことで、恭一郎単独で先頭集団の討伐を任された。


 聞き及んでいた通り、先頭には上級クラスの妖が大量にいた。あまりの数の多さに怯みながらも、恭一郎は酒呑童子を呼んだ。


 酒呑童子は妖を一発で倒す。しかしこの時ばかりは、数が多すぎて対処が間に合わなかった。


 倒しても倒してもわんさか湧いてくる妖を前にして、恭一郎と酒呑童子は次第に疲弊していく。


 膨大な数の妖を相手にして妖力を使い果たした恭一郎は、ついに酒呑童子を出すことさえもできなくなった。


 力尽きた恭一郎は、地面に仰向けで倒れこむ。頭上では魑魅魍魎ちみもうりょうの妖が宙に舞っていた。


「……おい小僧。このままでは喰われるぞ」


 恭一郎の影に身を潜めたまま、酒呑童子が告げる。しかし力を使い果たした恭一郎は、起き上がることすら叶わなかった。


「分かっている。だけどもう、身体が動かねーんだよ」


 酒呑童子はそれ以上何も言わなかった。


 恭一郎は視界から妖を排除するように両腕で顔を覆う。


 これから妖に喰われることを想像すると、恐怖で涙が溢れ出した。恭一郎は泣きながら呪いの言葉を吐く。


「なんでみんな俺に頼るんだよ……。俺みたいな餓鬼に世界の命運託してんじゃねーよ。重すぎんだよ……」


 恭一郎はこの世の全てに絶望していた。


「こんなことなら、最強になんて生まれてくるんじゃなかった。妖なんか見えない普通の人間に生まれてくればよかった……」


 今更言っても仕方ないことだと分かっている。だけど自分の境遇を呪わずにはいられなかった。


 妖の気配が近付いてくるのが分かる。


 喰われる。


 そう覚悟した瞬間、背筋の凍るような気配と共に、頬に風が当たった。恐る恐る目を開くと、目の前にいたはずの妖が姿を消していた。


 辺りを見渡すと、銀髪の少女が立っていた。


 白い着物に真っ赤な袴を合わせた陰陽師を思わせる装束。二つに束ねた髪は夜風に靡いて揺れていた。


 歳は10歳前後に見える。小柄な体躯でありながらも、他者を圧倒するような威圧感があった。


 夜空に浮かぶ満月と瓜二つの金色の瞳が、恭一郎を捉える。そして淡々とした口調で語りかけた。


「榊の坊ちゃんは当代最強と聞き及んでいましたが、こんなところで泣きべそをかいている姿を見る限り、噂は噂でしかなかったようですね」


 恭一郎は咄嗟に涙を拭う。自分より年下の女の子の前で、情けない姿を見せたくなかった。


 その直後、大量の妖が近付いている気配を感じた。


「おい、さっさと逃げろ!」


 恭一郎は力を振り絞って叫んだ。すると少女は不思議そうに首を傾げる。


「逃げる? おかしなことを言いますね」


 少女は妖に怯えているようには見えない。冷ややかな視線で迫りくる妖を見つめていた。


「祓うんですよ。私と玉藻前で」


 少女の背後でふわりと白くて長いものが揺れる。目を凝らすと少女の背後に妖狐が潜んでいた。


 狐のお面をつけた肉感的な女。背中では九尾がゆらりゆらりと揺れている。


「最恐の妖狐、玉藻前」


 玉藻前の存在は知っていた。安隅の娘が玉藻前を使役したということも。だけど直接見たのは初めてだった。


「退がっていてください。ここは私と玉藻前で片付けます」


 冷静な物言いで告げるが、こちらに迫りくる妖は数十体。それも上級クラスだ。恭一郎ですら苦戦した相手を、自分より年下の女の子がどうこうできるはずがない。


「数が多すぎる! 応援が来るまで待つべきだ!」

「問題ありません」


 少女からは焦りも戸惑いも感じられない。まるで勝利を確信しているように見えた。


 呆気に取られていると、少女は振り返りざまに告げた。


「あなたは当代最強と言われているようですが、私だって同じです」


 数十体の妖が宙に舞い、少女に襲い掛かる。少女が両手を組み妖力を送り込むと、玉藻前の身体に金色の光の粒が宿った。


 満月の下で玉藻前が薙刀を振り回す。それはまるで舞を踊っているようだった。


 すべてを片付けた後、少女は淡々とした口調で告げた。


「私も最恐の妖使いです。まあ、私の場合は妖使いですけどね」


 あまりに衝撃的な光景を前にして、恭一郎は全身の力が抜けた。

 自分と同等、いや、もしかしたらそれ以上の強さがあるかもしれない。


 そのことに気付いた瞬間、不思議と笑いが込み上げてきた。恭一郎は両腕で顔を覆いながら声を出して笑う。


 気が狂ったわけではない。嬉しかったんだ。


 いままでは自分一人で世界の命運を背負っているような気がしていた。だけどどうやらそうでもないらしい。


 自分と同等の強さを持つ妖使いがいると知って、救われたような気がした。

 もう一人で背負わなくてもいい。そう気付いただけで心が軽くなった。


 彼女はまるで、闇夜を照らす月のように輝いていた。


 気が緩んだせいか、抗いようもない睡魔に襲われる。


「あとは、頼んだ……」


 恭一郎は意識を手放した。

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