第17話 臆病者ではいられない/恭一郎回想

 恭一郎は生まれた時から並外れた妖力を宿していた。その事実は、瞬く間に妖に通じる家に知れ渡り、物心がついた頃には誰もが恭一郎を特別視していた。


 あの子は最強の妖使いになるに違いない。誰もがそう信じていた。


 だけど当の本人は、最強とはほど遠い臆病な性格だった。

 妖の存在自体が恐ろしく、見かける度に足が竦んでいた。


 尋常小学校に上がったばかりの頃は、屋敷までの帰り道に妖がいるだけで先に進めずにいた。


 最強なのに臆病者。それが幼少期の恭一郎だった。


 道の端っこで泣きじゃくる恭一郎を助けてくれたのは、大抵飛駕だ。


「退け」


 飛駕が睨みを利かせながら威圧すると、妖は逃げるように消えてきった。


「ありがとう、飛駕!」


 恭一郎が紅玉の瞳をキラキラさせながらお礼を言うと、飛駕は面倒くさそうに顔を背けながら言った。


「弱い者を守るのが俺の役目だ」

「飛駕から見たら僕は弱い?」


 何の気なしに尋ねると、飛駕はこちらを一瞥しながら告げた。


「弱いだろ。いくら妖力が強くても、お前のような臆病者じゃあ救世主ヒーローにはなれない」


 突き放すようにそう告げると、飛駕は立ち去っていた。


 飛駕の意見はもっともだ。いくら妖力が強くても、本人に戦う意志がないのなら何にもならない。


 恭一郎は争い事が嫌いだった。近所の子供たちとチャンバラごっこをするよりも、野原で花の名前を覚えるほうが好きだった。


 自分が戦場に出て、妖を祓う姿なんてまるで想像できなかった。


『あんな気弱な性格でこの先やっていけるのか』


 屋敷の人間は、恭一郎の気弱な性格を心配していた。それでも、召喚の儀を迎える8歳までは何事もなく穏やかに過ごしていた。


 8歳の誕生日に執り行った召喚の儀で、恭一郎は最強の鬼、酒呑童子を引き当てた。


「並外れた妖力を持った小僧がいるな。良いだろう。お前に力を貸してやる」


 想像以上の大物を引き当てたことで、周囲の人間は恭一郎を賞賛した。


 その一方で、恭一郎は絶望していた。突如目の前に現れた巨大な鬼が怖くて仕方がなかったのだ。


 そうは言っても引き当ててしまった以上、戻すことはできない。恭一郎は指示されるままに酒呑童子と契約を交わした。


◆◇◆◇


 それからほどなくして、恭一郎は初任務に連れて行かれた。山の麓で人を襲う下級の妖を討伐する任務だ。


 任務に同行したのは屋敷に住まう三人の妖使い。彼らからは「今日は見ているだけでいいですよ~」と言われていた。


 本来であれば簡単にこなせる任務だった。しかし低級の妖を数体祓った後、異変が起きる。


 禍々しい気配と共に現れたのは巨大な蛇。かつては山神として崇められていた大蛇だった。


 本来は人を襲うような妖ではなかったのだが、山を荒らされたことで怒りを買い、人を襲うようになったらしい。もっともそれを聞かされたのは、任務が終わった後の話だが。


 想像以上の大物が現れたことで、三人の妖使いに緊張が走る。そんな彼らの後ろで、恭一郎は腰を抜かしていることしかできなかった。


 怯える恭一郎を庇いながら、三人は従えている鬼を大蛇へ放つ。


 一瞬だった。


 三匹の鬼は地面に叩きつけられ、丸のみにされた。それだけでは収まらず、大蛇は妖使いに狙いを定めた。


 一人の妖使いは勢いよく振り下ろされた蛇の尾の下敷きになる。もう一人は長い舌でからめとられて丸のみにされた。


 顔なじみの妖使いが一瞬にして命を落とした。その現実を目の当たりにして、恭一郎は全身が震えた。


 すると残された妖使いが恭一郎に向かって叫ぶ。


「坊ちゃん! 酒呑童子を出してください! でなければ我々も死んでしまいます」


 恭一郎はハッと我に返る。すぐさま酒呑童子を呼んだ。


「来い、酒呑童子」


 その直後、酒呑童子が姿を現す。腕組みをしながら辺りを見渡した後、にやりと笑いながら恭一郎に尋ねた。


「なんだ小僧、あの蛇を祓えばいいのか?」


 恐怖で言葉が出てこなかったが何とか頷く。すると酒呑童子は金棒を振り上げながら蛇に飛び掛かった。


「小僧、妖力を送り込め」


 そう指示されるも、恐怖で身体が動かない。妖力の送り込み方は習っていたけど、実行には移せなかった。


 酒呑童子が金棒で蛇の尾を潰すと、体液が飛び散った。その一部が恭一郎の頬にかかる。


 あまりに惨い光景を前にして、吐き気を催した。全身の震えが止まらない。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。


 そんな恭一郎を酒呑童子が一瞥する。大蛇との戦闘を中断して、恭一郎の目の前までやってきた。そして蔑んだような目で告げられる。


「妖力の強い面白そうな小僧がいると思ったら、肝っ玉はのみのように小さいんだな。つまらん。こんな小者に従う気はない。いまここで、その魂を喰ってしまおうか」


 殺られる。反射的にそう感じた。


 その直後、生き残った妖使いの悲鳴が響く。舌を出した大蛇に追い回されて、いまにも喰われそうになっていた。


 その光景を見て、恭一郎は悟った。いま彼を救えるのは自分しかいない。


 手のひらに爪が食い込むほど拳を握り、手の震えを止める。浅く繰り返される呼吸を落ち着かせるように、大きく息を吸い込んだ。


 そして酒呑童子を見据えながら叫んだ。いつもは口にしないような荒々しい口調で。


「ふざけるな! 俺はお前の主だ! 立場を弁えろ!」


 恐怖で声が震えているのが分かる。それでも視線だけは逸らすまいと気を強く持った。


 酒呑童子は「ほう」と呟きながら口元を緩める。そのまま恭一郎の頭を鷲づかみにした。


「俺が怖いか? 小僧」


 怖い。だけど弱みを見せるわけにはいかない。恭一郎は必死に叫んだ。


「怖いもんか! 無駄口叩いていないで、さっさと目の前の蛇を祓え!」


 恭一郎の命令を聞いた酒呑童子は、わっはっはと腹を抱えて笑う。


「気配が変わったな。面白い。お前を喰らうのはもうしばらく待ってやる」


 酒呑童子は大蛇に視線を向ける。金棒を振り上げながら地面を蹴った。


「お望み通り、祓ってやるさ! 小僧、ありったけの妖力を送り込め!」


 恭一郎は急いで両手を組む。意識を集中させて、細く息を吐くようなイメージで妖力を送り込んだ。


 次の瞬間、酒呑童子の身体が紅蓮の炎に包まれる。大蛇に向かって金棒を振り下ろすと、長い胴体が一刀両断された。


 一発でけりが付いた。二つに千切れた蛇は、空気が萎むように小さくなり最終的には皮だけになった。


「終わったぞ」


 酒呑童子は肩を回しながら自慢げに報告する。


 安堵したのも束の間、恭一郎はもう一人の妖使いの存在を思い出す。周囲に視線を巡らせると、木の根元で腰を抜かしているのを発見した。


 妖使いは恭一郎を見ながら震えている。そして怯えるように呟いた。


「化け物だ……」


 それは酒呑童子ではなく、恭一郎に向けられた言葉だった。

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