第16話 風のように速く

 恭一郎は涼晴に連れられて安隅の屋敷にやってきた。純和風の平屋を通り過ぎ、手入れの行き届いた庭園を進む。その先には蔵にしてはやや小さい建物があった。


「涼晴さん、ここは?」

「ガレージだよ」


 聞きなれない言葉に恭一郎は眉を顰める。涼晴が扉を開けると、ツンと鼻につく独特の匂いが漂ってきた。


 警戒しながら室内を窺うと、思いがけない代物が保管されていた。


 メタリックな質感で黒光りする二輪。自動車よりもずっと細くて小さいタイヤの間には、人が腰掛けられる座席があり、その下では機械が複雑に絡み合っていた。


 この乗り物を恭一郎は知っている。


「オートバイだ……」


 恭一郎は目を見開きながら近付く。存在は知っていたが間近で目にするのは初めてだった。


 オートバイは自動車と同じく民間人が簡単に乗り回せるものではない。それが安隅の家にあるというのは信じがたかった。


 近くで見るとその迫力に圧倒される。黒光りしながら悠然と佇む車体は、毛並みの整えられた名馬のように美しかった。


 圧倒されている恭一郎を横目に、涼晴は腕組みしながら説明する。


「西洋から渡ってきた最新鋭のオートバイだ。排気量は400ccで時速100kmは出せる。本来は一人乗りだけど機械屋に頼んでタンデム仕様にしてもらったんだ」


 正直、何を説明されているのはよく分からない。だけど速い乗り物であることだけは伝わった。


「こんな代物がなんで安隅の家に……」


 恭一郎が驚きを隠せずにいると、涼晴は妖艶な微笑みを浮かべながら答えた。


「陸軍にボーイフレンドがいてね。譲ってもらったんだ。いつか最愛の人を乗せて、遠くに逃げたいと思ってね」


 陸軍から譲り受けたというのも衝撃的だが、涼晴は逃亡を試みているというのも驚きだった。


「まあ、そんなのは叶いっこないんだけどね」


 自らの願いを否定する涼晴。自分の立場を分かっている証拠だろう。言いたいことは色々あったが、この場で口を出すのは控えた。


「とりあえず、移動手段は確保できた。僕が恭一郎くんを乗せて山の麓まで送り届ける。それでいいかな?」

「いいんですか?」

「もちろん」


 涼晴の言葉に躊躇いはなかった。ここまで手はずを整えてもらったのなら、涼晴に頼るほかない。


「よろしくお願いします」


 恭一郎は深々と頭を下げる。素直に助けを求める恭一郎を見ながら、涼晴は目を細めながら頷いた。


「待ってて。着替えてくるから。この格好では乗れないからね」


 そう告げると、涼晴は蔵から出た。


◇◆◇◆


 しばらく蔵で待っていると、涼晴が戻ってきた。モダンな黒い洋装に身を包み、銀色の髪は前髪をかきあげて後ろで束ねている。先ほどまでの妖艶な雰囲気から一変して、男の姿に様変わりしていた。


 恭一郎にとってはこっちの姿の方が見慣れている。気高くて凛々しい安隅家の次期当主、安隅涼晴だ。


「それじゃあ行こうか」


 涼晴は手慣れた様子で車体を蔵から出す。外まで押してから涼晴は軽い身のこなしでオートバイに跨った。その姿は驚くほど様になっている。


 つい見入っていると、涼晴は後ろを指しながら恭一郎に声をかけた。


「恭一郎くん、後ろにどうぞ」


 恭一郎は緊張した面持ちで涼晴の後ろの席に座った。


「しっかり捕まっててね」


 恭一郎は涼晴の腰にしがみつく。恭一郎がしっかり捕まっていることを確認すると、涼晴はエンジンを付けた。


 激しいエンジン音を轟かせながらオートバイが目を覚ます。前方のライトを付けると、車体が動き出した。


 安隅家の庭でエンジン音を唸らせながらオートバイが走る。まだ速度はあまり出ていないが、落ちないようにしがみつくので精一杯だった。


 騒ぎを聞きつけて、屋敷の中から使用人が顔を出す。皆一様に呆気に取られた顔をしていた。


「良いんですか? 敷地内で乗り回して」

「良くはないかな。お父様に見つかったらこっぴごく叱られる」


 そう言っている割にはまるで悪びれる様子はなかった。

 屋敷の外に出ると、涼晴はチラッと後ろに視線を向ける。


「速度を上げるよ。落ちないように気を付けてね」


 その言葉と共に、一気に速度が増した。


 周囲に立ち並ぶ屋敷の風景がどんどん後ろに流れていく。風圧で涼晴の長い髪と、恭一郎の着物の袖がひらひらと後ろに揺れていた。


 聞き及んでいた通り、馬よりもずっと速い。まるで風になったようだった。


 すると恭一郎の心中を代弁するかのように、影を潜めていた酒呑童子が言葉を発する。


「この時代には化け物じみた乗り物があるんだな」


 その口調はどこか高揚しているように聞こえた。


 屋敷が立ち並ぶ地区を通り過ぎると、田園地帯を駆け抜ける。人家の灯りが消えて、オートバイの灯りだけが真っ暗な道を照らしていた。


 ふと、空を見上げると無数の星が煌めいている。恭一郎は涼晴に掴まりながら、顔を上げて夜空を眺めていた。


「まさか初めて後ろに乗せるのが恭一郎くんになるとはね」


 涼晴は前方に視線を向けたまま、どこか可笑しそうに話す。


「すいません。初めてが俺で」

「別に謝ることではないよ。恭一郎くんだったら大歓迎だ」

「……そっすか」


 正直、歓迎されるのも困る。適当に受け流していると、別の話題を振られた。


「恭一郎くんは伊織のことが好きかい?」

「は? 何を突然……」


 急に伊織の名前を出されて恭一郎は赤面する。好きかどうかを聞かれて、馬鹿正直に答えるのは小恥ずかしかった。


「そんなの、どうでもいいじゃないですか」

「どうでもよくない。大切なことだ」


 冷ややかな口調で指摘されて、恭一郎は身構える。


「君がもし、義務感で伊織と結婚しているのなら、東雲の本山に行くことには何の意味もない。伊織と飛駕くんがどうなろうが君には関係のないことだろうからね。余計なことに時間を割くのも癪だから、いまからでも屋敷に引き返すよ」


 恭一郎の回答次第では本当に屋敷に引き返されそうな気配を感じた。そんなことになれば伊織の救出は叶わない。ここは意地を張っている場合ではなさそうだ。


 轟くエンジン音に負けない声で、恭一郎は叫ぶ。


「ああ、好きですよ! ずっと前から恋焦がれていましたよ!」


 ここまで来ればもうやけっぱちだ。だけどそれが本心だった。


 涼晴の肩が小刻みに震える。表情は見えなかったが、笑っているように思えた。それが歓喜なのか嘲笑なのかは定かではないが。


「その言葉が聞けて良かった」


 オートバイが引き返す気配はない。涼晴を納得させるには十分な回答だったらしい。安堵の溜息をもらしていると、涼晴はさらに言葉を続ける。


「玉藻前憑きのあの子は業を背負っている。伊織本人ですらまだ知らないことだけどね。いずれその時が来たら、世界中があの子の敵に回るだろう」


 エンジン音が煩すぎてはっきりとは聞き取れなかったが、あまり良くない話をしているように思えた。だけど最後の言葉だけははっきり聞き取れた。


「この先何があっても、君だけは伊織を愛してあげてね」


 恭一郎は口元に笑みを浮かべながら宣言する。


「当然です」


 この先何があっても伊織を愛す。そんなのは言われるまでもなく腹に決めていた。


 オートバイに揺られながら月を見上げる。たしか伊織と出会った日も、こんな風に満月が浮かんでいた。


 高い空で輝く月を眺めながら、恭一郎は自らの過去に想いを馳せた。

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