第14話 天狗攫い
余所行きの小紋を着た伊織は、帝都の中心街に降り立つ。
電車に乗って中心街までやって来たのは、百貨店に立ち寄るためだ。女学校時代の同級生から結婚祝いが送られてきたため、お返しの品を見繕っていた。
すでに用事は済ませたが、久々に街にやってきたこともあり、このまま真っすぐ帰宅するのは名残惜しかった。伊織は人が行き交う煉瓦通りを物珍しそうに眺める。
一昔前までは着物姿の人々が行き交っていた通りも、いまは洒落たワンピースを着たモダンガールが闊歩している。すれ違った女学生は、袴に編み上げブーツを合わせていた。
ふと、喫茶店を覗いてみると、袴に白のエプロンを合わせた女給がサンドウィッチを運んでいる。女給と目が合うとにっこりと微笑みかけられた。
すると喫茶店の中から着物にシルクハットを合わせた男と、藤色の華やかな着物を纏った人物が出て来るのに気付く。その光景を見て、伊織は足を止めた。
二人は喫茶店の前で一言、二言交わすと、別々の方向に別れる。藤色の着物を纏った人物は伊織の方へ歩いてきた。
伊織は頭を抱えながら、溜息交じりに声をかける。
「お兄様、何をなさっているのです?」
伊織に声をかけられると、藤色の着物を着た人物は妖艶に微笑みながら控え目に手を振る。
「伊織、街で会うなんて珍しいね」
「質問に答えてください。私の着物を着て、何をなさってるのです?」
強めの口調で尋ねると、藤色の着物を着た人物は悪びれる様子もなく平然と答えた。
「ボーイフレンドとデートしてただけだよ。僕好みの目つきの悪い男でね」
その答えを聞いた伊織は、もう一度深々と溜息をついた。
「相変わらずですね、お兄様は……」
一見すると妖艶な美女に思える人物は、伊織の腹違いの兄、
涼晴は伊織と同じく銀色の長い髪を携えており、中性的な顔立ちをしている。瞳は色素の薄いカラメル色。伊織の瞳と異なるのは、母親の血を濃く引いたためだろう。女装をしていると、儚げな美女そのものだった。
誤解なきように伝えておくと、屋敷での涼晴は男の格好をしている。そうしていなければ現当主である父にこっ酷く叱られるからだ。
しかし抑圧されている反動からなのか、時折こうして伊織の着物を拝借して街に繰り出していた。
一応、これでも安隅家の次期当主だ。
妖使いの才もあり、かの有名な陰陽師の母として知られる葛の葉という妖狐を使役している。葛の葉はあまり戦闘向きの妖ではないが、何にでも化けられる奇術的な性質が評価され、次期当主に選ばれた。
そんな美しい兄は、妖艶に微笑みながら伊織に尋ねる。
「そんなことより、恭一郎くんとは仲良くやっているかい?」
心配しているのか揶揄っているのか判断できない。伊織は冷めた口調で答えた。
「どうでしょう。私は旦那様から嫌われているようなので」
「それはいけないねえ。伊織には僕の分まで世継ぎを産んでもらわないと。それで一番妖力の強い子をうちに養子として迎え入れたい」
「そんなの榊の家が許すはずがないでしょう」
至極当然のように指摘すると、涼晴は肩を竦めた。
先ほど男とデートをしていたことからも察しがつくが、涼晴の恋愛対象は男だ。だから時期当主という立場でありながらもいまだに嫁を迎えずにいた。
現当主である父はさっさと結婚させたがっているが、この件に関しては涼晴も頑なに譲らない。だけどいずれは強引に縁談を取り付けられる展開になると伊織は予想していた。
涼晴は悩まし気に視線を落としながら言葉を続ける。
「やっぱり榊の家には僕が嫁ぐべきだった。伊織が家に残れば安隅家の世継ぎ問題は解決したのに。お父様にもそう申し出たんだけど、2秒で却下されたよ」
「それは色々と問題ありすぎでしょう。却下されて当然です」
兄のぶっ飛んだ発言に、伊織は頭を抱えた。呆れる伊織をそっちのけで、涼晴は「恭一郎くんの目つきの悪さも結構好きなんだけどな」と個人的な感想を述べていた。
そんなやりとりをしている最中、誰かから着物の袖を引っ張られていることに気付く。視線を落とすと、濡羽色の髪をした少年がこちらを見上げていた。
「子ども?」
そう思ったが、背中に生えた羽を見て、人間ではないこと悟った。伊織は一気に警戒心を強める。
そんな伊織とは対照的に、涼晴は口元に手を添えながら微笑む。
「烏天狗だねえ。ということは、近くに飛駕くんが居るということか」
そう言葉を漏らすと、涼晴は着物の袖を翻しながら立ち去ろうとする。
「伊織、僕はお先に失礼するよ。僕は飛駕くんには近付いてはいけない決まりになっているんだ」
「近付いてはいけない? どういうことです?」
「昔、彼と色々あってね。嫌われているんだ」
そのまま涼晴はひらひらと手を振りながら、駅の方向へ歩き出す。
「じゃあね、伊織。くれぐれも気を付けて」
何やら含みのある物言いをする涼晴。兄の意図することが分からずに眉を顰めていると、隣にいた烏天狗が伊織の手を握った。
突然の出来事に驚き、伊織は烏天狗を凝視する。烏天狗は表情一つ変えずに漆黒の瞳でじーっと伊織を見つめていた。
そんな中、金色の髪色をした細身の男がこちらに向かってきた。
「駄目じゃないか、烏天狗。いくら綺麗なお嬢さんが居たからって、いきなり手を繋ぐのはいけないよ」
端正な顔立ちには爽やかな笑みが浮かんでいる。だけど視線を落とした時、目つきの悪さが際立っていた。
単純に兄好みの男だと思った。端正な顔立ちをしているが、それ以上の感想は思い浮かばない。
目の前の男は、人の良さそうな笑みを浮かべながら伊織に話しかける。
「すいません。連れがご迷惑をかけてしまったようで」
伊織は冷ややかな視線を向けながら、目の前の男に指摘した。
「使役している妖はきちんと管理してください。東雲家の次期当主、東雲飛駕様」
「なんだ。俺のことを知っていたのか」
伊織が男の正体を見抜くと、作り物めいた笑顔を崩してにやりと笑った。
「それで、何か御用ですか?」
「そう邪見にしないでくださいよ。あなたを偶然お見かけしたから、同業者のよしみで世間話でもしようと思った次第です」
「世間話ですか……」
「旦那の愚痴でも構いませんよ。人伝に聞きましたが、恭一郎とは上手くいっていないようですね」
恭一郎との関係を引き合いに出されて、伊織の視線に圧が籠る。
「あなたに話すことなどありません。恭一郎様とは仲良くやっているのでご心配なく」
睨みつけたものの、当の本人は可笑しそうに笑うばかり。
「随分警戒心が強いんだね。そんなに怖い顔をしたら美しい顔が台無しだよ」
嫌な気配を感じて、伊織は飛駕から距離を取る。その様子を可笑しそうに見つめてから、飛駕は距離を詰めてきた。
「だけど、警戒するのがちょっと遅かったようだね」
「どういうことです?」
伊織が眉を顰めると、隣にいた烏天狗が手を握る力を強める。そのまま思い切り伊織の身体を引き寄せた。
小柄の体躯にどこにそんな力が隠れていたのかと驚いたが、妖を人の常識で語るのは無意味なこと。烏天狗は黒い羽を広げると、伊織を抱きかかえたまま宙に浮かんだ。
「離しなさい!」
身を捩らせて烏天狗の腕から逃れようとする。咄嗟に玉藻前に助けを求めようとしたものの、烏天狗の漆黒に瞳に捉えられると思考が停止した。
玉藻前は伊織が呼んだ時にしか出てこない。そういう調教をしていたからだ。酒呑童子のように好き勝手外に出て来られたら堪ったもんじゃない。玉藻前も伊織の言いつけをきちんと守っていた。
だけどいまは、それが裏目に出た。声を出して呼べない状況では、玉藻前に助けを求めることはできない。
思考が停止し、身体を動かすことすらままならない伊織に、飛駕は笑いながら声をかけた。
「ここで会ったのも何かの縁だ。ちょっとだけ俺に付き合ってくれないか?」
烏天狗に捕らわれている状態では拒むことができない。伊織は有無を言わさず連れて行かれた。
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