第12話 黒い噂

 酒に酔ってすっかり出来上がった鬼達は、畳の上でいびきをかきながら眠っている。その光景を一瞥してから、邦光は神妙な面持ちで話を振った。


「ここ最近、東雲しののめが怪しい動きをしているらしいよ」

「ああ? 東雲が?」


 東雲とは御三家のひとつで、天狗の妖を使役している一族だ。榊家と表立って対立しているわけではないが、良好な関係とは言い難い状態だった。


 不穏な気配を感じて恭一郎が眉を顰めると、邦光は淡々とした口調で詳細を明かした。


「兄さんも知ってるでしょ? 5年前の世界大戦で、政府から軍事協力の打診があったこと。その話がまた浮上しているらしい」


「妖力を軍事転用するって話だろ? だけどそれは非人道的だから辞めようって御三家で話が付いたじゃねーか」


「そうだね。50年前の新政府軍と幕府軍との戦で悲惨なことになったからね。あんな戦はもう二度と起こしてはいけないっていうのが御三家の総意だったからね」


「だったらなんでその話が出てるんだよ? 政府から打診されたって、断ればいいだけの話だろう?」


 恭一郎が詰め寄ると、邦光は目を伏せながら話を続けた。


「東雲の現当主が病に伏せっているらしい。もう長くはないんだって。それで東雲の家は代替わりをしようとしているんだけど、次期当主に選ばれたのが飛駕ひゅうがくんなんだって。彼のことは兄さんもよく知っているでしょ?」


「ああ、あいつとは尋常小学校からの同級生だったからな。どうしようもねえ女ったらしだってことは知ってるよ」


 恭一郎と飛駕は幼い頃は仲が良かったが、ある時を境に対立するようになった。現在も決して仲が良いとは言えない。


「飛駕がどうしたって言うんだよ? あいつが次期当主だってことは初めから分かってたことだろ。あんなんでも東雲家の長男だし」


 飛駕が当主になるというのは、驚くことではない。飛駕は長男だし、妖を使役する力も持っていた。客観的に見ても飛駕を次期当主にするのが妥当だろう。


 すると邦光は苦々しい表情で言葉を続ける。


「飛駕くんは妖力の軍事転用に賛成しているらしい」

「は? なんで?」

「詳しい理由は分からない。だけど戦争は金になるからね。協力すれば政府からも莫大な資金提供を受けられるんだよ。それを狙っているのかも」

「金って……。そんな理由で人殺しに加担するのか?」


 恭一郎は信じられないと言わんばかりに目を見開く。唖然とする恭一郎を見て、邦光は小さく溜息をついた。


「飛駕くんは50年前の戦を知らないからね。まあ、それは僕たちも同じだけど……」

「いくら飛駕でも話くらいは知っているはずだ。50年前の戦がどれだけ悲惨だったかなんて」

「それでもさ、実際に経験しているのと人伝に聞いたのでは違うんだよ。現実味がないからこそ、目先の利益を優先させてしまうんだ」

「んだよそれ……」


 恭一郎は青ざめた顔で言葉を詰まらせる。かつての同級生が戦争に加担しようとしていると知って、ショックを受けていた。


 そこに追い打ちをかけるように、邦光は悪い知らせを告げる。


「軍事転用に賛成しているのは東雲だけじゃない。安隅の家も一部賛成しているらしい」

「伊織の実家も?」

「全員ではないらしいけどね。まあ、あそこの家も一枚岩じゃないから……」


 安隅家には、いくつかの派閥が存在すると聞いたことがある。一部の派閥が主軸とは違う思想を持っていたとしても不思議ではない。


「東雲は安隅の革新派を引き込んで、流れを変えようとしている。賛同者が増えれば、全体の意見を変えやすくなるからね。それにもし、兄さん達の結婚が上手く行かなくなれば、一気に流れが変わってくるかもしれない」


「はあ? どうしてそこに俺たちが出てくるんだよ?」


「兄さんと伊織さんが離縁でもしようものなら、榊と安隅の関係は確実に悪化する。うちを潰すために安隅と東雲が手を組むかもしれない。敵の敵は味方っていう理屈だよ」


「そんなことになれば、安隅も賛成派に流れるんじゃ……」


「その可能性は大いに考えられるね。安隅と東雲が政府に加担するなら、うちも知らん顔はできない。大きな流れに抗えずに、戦争の渦に巻き込まれていくかもしれない」


「戦争って、そんなことになったら……」


 恭一郎は最悪の展開を想像する。その想像を肯定するかのように、邦光は目を伏せながら言葉を続けた。


「50年前の悲劇が再び起きようとしている。今度はこの国だけじゃなく、世界を巻き込んだ大きな戦争が始まるよ」


 ぞわっと全身が粟立つ。世界中で妖が人を殺す光景を想像すると吐き気を催した。


「冗談じゃない! 俺たちの力は戦争の道具じゃない。この力は人を守るためにあるんだ」


 青ざめた顔をしながらも、恭一郎ははっきりと主張する。その言葉に同意するように、邦光も頷いた。


「その通りだよ。とくに兄さんの力はその気になれば国ひとつ滅ぼせる。だからこそ、使い方を間違えるわけにはいかないんだよ」


 いまの酒呑童子は人を襲わない。だけど恭一郎が命令すれば、人を殺す悪鬼にも成り下がる。最強の鬼である酒呑童子が暴れまわったら、甚大な被害を及ぼすだろう。


「俺は絶対に戦争には加担しない。酒呑童子にも人は襲わせない」


 恭一郎は畳の上でいびきをかく酒呑童子を見据えながら胸に誓った。すると邦光は安堵したように口元を緩めた。


「僕だって兄さんが軍服を着た姿なんて見たくないよ。それに、戦争に巻き込まれたら桃華にも会えなくなる」


「お前は結局そこなんだな……」


 恭一郎が呆れたように指摘すると、邦光は清々しいほどの笑顔を浮かべた。


「それ以上に大切なことなんて、この世にないでしょう」

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