第10話 膝枕
「本当にこれでよいのでしょうか?」
「よいよい。これで鬼の小僧の疲れも吹き飛ぶじゃろう」
伊織の影で身を潜めている玉藻前は、自信満々に答える。一方伊織は、こんなことで恭一郎の疲れが吹き飛ぶとは到底思えなかった。
伊織はいま、桜の木の下で正座をしている。その膝の上には、ぐったりと寝込む恭一郎の頭が置かれていた。
必死で妖を祓ってくれた功績者を地面に転がしておくのは忍びない。そんな考えもあり、恭一郎に膝を貸してあげた。
とはいえ、この行為に寝心地が良くなる以上の価値があるとは思えないが……。
それに相手はプライドの高い恭一郎だ。幼子をあやすような真似をしていたと知れれば、屈辱的と思われるかもしれない。相手が嫌いな女なら尚更だ。
「こんなことをしていたら、また嫌われるのでは?」
「嫌われたらまた別の策で落とせばいい」
玉藻前はどこまでも楽観的だ。かつて帝を誘惑した経歴を持つ彼女にとっては、恭一郎を落とすことなんて造作もないのだろう。策もまだまだ準備しているように思えた。
今回の策に限ってはあまり効果があるとは思えないが、このような体勢に持ってきてしまった以上、下手に動かすことはできない。膝から退かそうものなら、恭一郎の眠りを妨げてしまう可能性がある。
伊織は大人しく恭一郎が目を覚ますのを待つことにした。
手持ち無沙汰になった伊織は、あらためて恭一郎を観察する。陶器のような白い肌に、やや吊り上がった形の整った眉。鼻筋も通っていて、全体的に美しい造りをしていた。
威圧的な紅玉の眼光も、眠っていれば恐ろしさは微塵も感じさせない。むしろ幼子を膝で寝かせているような微笑ましさすらあった。
眠っているのを良いことに、伊織は恭一郎の髪に手を伸ばす。直毛の黒髪は見た目以上に柔らかく、何度も撫でたくなるような魅力があった。
髪を梳くように上から下へと触れていると、恭一郎の瞼が微かに震える。そのままゆっくりと瞼が開かれた。
紅玉の瞳と目が合う。
「お目覚めですか、旦那様」
これは叱られる。伊織は咄嗟にそう覚悟した。
膝枕をしているだけではなく、髪に触れていたと知れれば、馬鹿にしていると判断されても仕方がない。
どう言い訳をしようか考えを巡らせていると、恭一郎の顔がみるみる赤く染まっていった。
「なっ……何を……」
恭一郎は身体を起こそうしたものの力が入らなかったのか、少し頭を持ち上げただけで元の体勢に戻った。身体は本調子ではないものの、頭ははっきりと回っているようだった。
「こ、こんな真似してどういうつもりだ!」
やっぱり拒絶されてしまった。伊織は小さく溜息をつく。
「ほら、嫌われてしまったじゃないですか」
その言葉は恭一郎に向けたものではない。伊織の影で身を潜めている玉藻前に向けたものだった。玉藻前は姿を現さず、声だけで反応する。
「ふーむ、それは照れ隠しのように見えるが……」
「ああ、照れ隠しだな。紛れもなく」
玉藻前の言葉に反応したのは、恭一郎の影から勝手に姿を現した酒呑童子だった。酒呑童子はニタニタと意地の悪そうに笑いながら、恭一郎を見下ろす。
「小僧、良かったじゃないか。桜の木の下で甘やかされるなんて滅多にないことだぞ」
恭一郎は口をぱくぱくさせながら、さらに顔を赤くする。
「おい、勝手に出てくんな!」
酒呑童子を睨みながら反撃を試みるものの、力が入らず起き上がることすらできない。そうこうしているうちに、公園から退避していた邦光と桃華が戻ってきた。
「兄さん、お疲れ様! 首を吊っていた令嬢も無事に意識を取り戻したよ」
「恐らく催眠にかけられていたのでしょうね。意識が戻った途端、『なんであんなことを』と嘆いておられましたから」
晴れやかな表情でこちらに向かってくる二人だったが、伊織の膝に頭を預けている恭一郎を見た瞬間、驚いたように何度も瞬きをした。
数秒の間があった後、二人は事情を察したようにニマニマと笑い出す。
「あらあら、まあまあ」
「兄さんと伊織さん、すっかり仲良くなったようだね」
二人が桜の木の下で仲睦まじくしていると勘違いしているようだった。
「これはそういうんじゃなくてだな……」
恭一郎は咄嗟に弁明しようとしたが、邦光と桃華は聞いちゃいなかった。
「僕たちも花見をしようか」
「そうですね、邦光様」
二人は手を繋ぎながら、桜並木に消えていった。
「絶対に誤解されている……」
恭一郎は両手で顔を覆って項垂れていた。その反応を見て、申しわけなさが募る。
「申し訳ございません、旦那様。このような体勢でいるのは屈辱的かと思いますが、お身体が動くようになるまでは辛抱なさってください」
伊織の謝罪を聞いた恭一郎は、視界を覆っていた手を離して落ち着きなく視線を巡らせる。
「いや、屈辱的というわけでは」
何か言いたげな恭一郎の言葉を遮って、伊織は恭一郎の目もとを手のひらで覆い隠す。
「余計なことは考えず、もうひと眠りしてください」
視界を閉じてしまえば、余計なことを考えずに済む。落ち着いて眠りにつけるように、恭一郎の視界を覆った。
恭一郎はギリっと奥歯を噛み締める。
「眠れるわけねーだろ……」
そう悪態をついたものの、それ以上抵抗されることはなかった。
****
ここまでお読みいただきありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」と思ったら★★★、「まあまあかな」「とりあえず様子見かな」と思ったら★で評価いただけると幸いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます