第9話 桜舞い散る

 赤い花びらがもう一度、恭一郎の頬を掠める。恭一郎は痛みに悶えるように呻き声を上げた直後、伊織の手を取って走り出した。


「こっちだ!」


 二人は風向きとは逆の方向に逃れる。そこでようやく、花びらの攻撃から解放された。息を整えながら、恭一郎は酒呑童子向かって叫ぶ。


「おい、酒呑童子! こっちに被害が及ばないように戦えっていつも言ってんだろ!」


 酒呑童子は花びらを鬱陶しそうに払いながら恭一郎を睨む。


「何を言っておる。戦場にいるんだから多少の負傷は覚悟しておけ」


 酒呑童子の言い分はもっともだ。伊織だって多少の負傷は覚悟の上でこの場に立っている。切り傷なんて些細なことだし、骨が折れるのも覚悟の上だ。五体満足であれば、どうとでもなると思っている。


 それなのに、恭一郎は伊織が傷つく姿を見たくないとはっきり言った。理解しがたい言動だった。


「鬼の小僧もなかなかいいところがあるではないか」


 伊織の耳元で玉藻前が感心したように呟く。そこで伊織は我に返る。


「こちらも反撃しますよ。準備はいいですね?」

「ここは守られているだけのほうが可愛げがあってよいのではないか?」

「そういうわけにはいきません。さっさと片付けますよ」

「クククッ……やはりおぬしは守られているだけのひ弱な娘ではないのだな」


 伊織は玉藻前に妖力を送る。すると玉藻前の身体は金色の光に包まれて、全身が煌びやかに輝いた。それはまるで天女を思わせるほどに美しい。


 十分に妖力が行き渡った後、玉藻前は飛び出した。


「苦戦しているようじゃな、酒呑童子。どれ、手を貸してやろう」


 玉藻前はふわりと舞い上がると、黄泉桜の背後に忍び寄る。するりと白い手を伸ばすと、黄泉桜の細い首を掴んだ。そのまま力を加えて首を絞めつける。


「ぐっ……何をする?」


 黄泉桜は玉藻前の手を掴み、逃れようと藻掻く。すると玉藻前は、黄泉桜の耳元で呪いの言葉を吐いた。


「止まれ」


 言葉を聞いた瞬間、黄泉桜の瞳から光が消える。舞い上がっていた桜の花びらも、一斉に地面に落ちた。


「動きは封じた。さて、このまま締め上げるか、薙刀で斬るか、どっちで逝かせよう」


 玉藻前の背後から大きな薙刀が現れる。浮遊した薙刀は、黄泉桜の首元に突きつけられる。


 すると酒呑童子が金棒を振り上げながら叫んだ。


「退け、玉藻前! こいつは俺の獲物だ」


 頭に血がのぼっている酒呑童子を見て、玉藻前はやれやれと首を振る。


「手を貸してやったというのにひどい言いぐさじゃ。まあよい、今回の手柄は目立ちたがりのおぬしに譲ってやる」


 玉藻前は黄泉桜の首から手を離すと、瞬時にその場から退いた。

 その直後、酒呑童子の金棒が黄泉桜に降りかかった。


 勢いよく振り下ろされた金棒が黄泉桜に直撃すると、そのまま身体ごと吹っ飛ばされた。その光景を見た玉藻前は、口元に手を添えながら笑う。


「当たれば瞬殺。恐ろしいな。酒呑童子も、鬼の小僧の妖力も」


 地面に激突した黄泉桜は動かなくなった。


 黄泉桜の身体が無数の桜の花びらへと姿を変える。風がそよぐと、花びらは宙に舞って散らばっていった。


「祓ってやったぞ」


 酒呑童子はフッと鼻で笑いながら得意げに告げる。その言葉を聞いた瞬間、恭一郎は緊張の糸が切れたかのように大きく息を吐いた。


「よか、った……」


 安堵を見せた瞬間、恭一郎はふらりとよろめき地面に倒れた。


「旦那様!」


 伊織は急いで恭一郎に駆け寄る。恭一郎は疲れ切った顔をしながら、息絶え絶えに呟いた。


「さすがに、二日連続はキツイ……」


 そう言い残して、恭一郎は意識を手放した。振り返ると、酒呑童子の姿もなかった。


「妖力切れじゃな」

 

 玉藻前は呆れたように溜息をつく。そこで恭一郎が昨夜も任務にあたっていたことを思い出した。


 妖力を送り込む際には、体力と気力を大幅に消耗する。十分な休息を取らないまま任務に駆り出されれば、倒れるのも無理はなかった。


「無理をさせてしまいましたね」


 あの程度の中級が相手ならば、伊織一人でも対処できた。それにも関わらず、疲れ切った恭一郎の手を患させてしまったことを後悔していた。


「気に病むことはない。酒呑童子と鬼の小僧が自分から巻き込まれに行ったのだから」


 玉藻前がフォローするも、伊織の罪悪感は薄れることはない。


 肩を落としながら申し訳なさそうに目を伏せる伊織を見て、玉藻前は妙案を思いついたかのように手を叩いた。


「そうだ。いい方法がある」

「いい方法?」

「伊織、ちょっと耳を貸せ」


 ちょいちょいと手招きをする玉藻前。不審に思いながらも、伊織は素直に耳を貸した。

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