第8話 狂乱桜
黄泉桜はこれから祓われるとは露ほど想像していないのか、馴れ馴れしい口調で酒呑童子と玉藻前に話しかける。
「鬼と狐、そんなところで突っ立っていないで座れ。一緒に花見をしようじゃないか。今年の桜は特別だぞ。見よ、人間の血で真っ赤に染めてやった。毎年同じ色では飽きるからな。今年は趣向を変えてみたのじゃ」
黄泉桜はまるで自分の作品を自慢するかのように胸を張った。
その様子を見て、酒呑童子と玉藻前は肩を竦める。それからどこか憐れむような口ぶりで伝えた。
「俺が現役の頃だったら喜んで同席したんだがな。酒を持って、配下の鬼達を引き連れて、いそいそと」
「そうじゃのう。妾も桜の下で舞のひとつでも披露していたじゃろうな」
「酒と舞! 良いじゃないか! 盛り上がるのう!」
黄泉桜は目を輝かせながら二人を見つめた。しかし続いたのは、黄泉桜の期待を裏切る言葉だった。
「だけどいまは人間についているんだ。悪いがあんたの誘いに乗るわけにはいかない」
「人間に害を成す妖を祓う。それが妾の役目じゃ」
二人は黄泉桜の誘いをきっぱり断り、敵対していることを明かす。すると黄泉桜は信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
「人間についているじゃと? 何を言っておる。おぬしら、そんなに落ちぶれておるのか?」
「ああ?」
落ちぶれているという言葉を聞いた瞬間、酒呑童子のオーラが変わった。怒りで身体を震わせながら、どす黒いオーラを放っている。
「誰が落ちぶれているだと? 馬鹿にするのも大概にしろ。俺は自分の意思で人間に力を貸しているんだ」
豹変した酒呑童子を見て、恭一郎は憐れむように目を細める。
「あの妖、終わったな……」
最強の鬼と謳われる酒呑童子に落ちぶれているなんて言うのは、自ら死期を早めるようなものだった。
酒呑童子は鋭い眼光で恭一郎を睨みつける。
「おい小僧、ありったけの妖力を送り込め! 出し惜しみするな! この中級を一瞬で祓ってやる!」
「分かったよ! 待っとけ!」
恭一郎は妖力を送り込む。すると酒呑童子がまとっていた炎の勢いが増した。すべてを焼き尽くしそうな炎を纏いながら、酒呑童子は黄泉桜に突進する。
「くたばれ中級!」
「ひゃっ!」
酒呑童子の振るった金棒を、黄泉桜は間一髪で避ける。
「なんじゃ急に! 危ないじゃろう!」
この場に及んでもどこか危機感のない黄泉桜に、もう一度金棒を振り下ろす。
「俺はお前を祓いに来たんだ!」
黄泉桜はまたしても金棒から逃れ、枝を揺らしながら桜の影に身を隠した。
「祓われてたまるか! 桜の季節が終わるまでは現世に留まるんじゃ!」
「ちょこまかと、小賢しい!」
酒呑童子は空気を引き割くように金棒を振って、桜の木の枝を思いっきり叩いた。すると枝がぽっきりと折れて、地面に落ちた。
その瞬間、黄泉桜は表情を消す。
「……おぬし、折ったな」
先ほどまでの怯えた表情から一変して、氷のような視線を向ける。明らかに気配が変わった。
「どうした中級、顔が怖いぞ」
酒呑童子がにやりと笑いながら煽ると、黄泉桜は桜の影から抜け出して空に舞い上がった。
「桜の枝を折るなんてなんて罰当たりなやつじゃ。我を本気で怒らせよって。後悔させてやる」
黄泉桜が両手を振り上げると、突風が吹きつけた。息をするのもやっとなほどの圧だ。風の中には、赤い花びらが混じっている。
「切り刻んでくれよう! あっはっはっは!」
黄泉桜は両手を大きく広げながら高笑いをする。その声は耳を塞ぎたくなるほど不快なものだった。
赤い花びらが酒呑童子に向かって一斉に降りかかる。
「この花びらは肉を切り裂く。おぬしの身体もバラバラにしてやろう」
黄泉桜は勝利を確信したように高笑いしていた。
大量の赤い花びらが酒呑童子の皮膚を掠める。しかし酒呑童子の身体が裂けた様子はなかった。
「何!? 切れないじゃと!?」
「ぬわっはっは! 俺の鍛え上げられた筋肉は、そんなやわな攻撃には屈しない。痛くも痒くもないぞ」
花びらの攻撃がまったく通用しないことを知り、黄泉桜は悔しそうに顔を歪める。
「この筋肉馬鹿が……」
「誉め言葉として受け取っておこう」
酒呑童子は両手を組みながらにやりと笑った。
「とはいえ、花びらが視界をチラつくのは鬱陶しくてならんな」
酒呑童子は周囲に舞う花びらを一瞥した後、勢いよく両腕で払いのけた。
左右に散った花びらの一部が、伊織と恭一郎のもとに飛散してくる。その瞬間、恭一郎は伊織を庇うように飛び出した。
「あっぶねー……」
恭一郎は着物の裾を広げて伊織に花びらが当たらないように防御する。しかし全てを防御することは叶わず、花びらの一部が恭一郎の頬を掠めた。
恭一郎の頬からツーっと血が滴り落ちる。肉を引き裂くという話は本当だったようだ。
「痛って……」
恭一郎は痛みに耐えるように顔を歪める。手で血を拭った直後、恭一郎はこちらに被害が及んでいないか確認した。
「伊織、大丈夫か?」
「私は平気です。それより旦那様の方が……」
「俺はいい。血を見るのは慣れっこだ。酒呑童子はこっちを庇うような戦い方はしないからからな」
酒呑童子に攻撃が通用しなくても、人間である恭一郎はそうもいかない。黄泉桜の花びらをまともに食らえば、ひとたまりもなかった。
「旦那様、私のことは庇わなくて結構です。ご自身の防御を優先させてください」
これ以上、恭一郎が傷つく姿を見ていられなかった。しかし恭一郎は退こうとしない。
「そうはいかねーよ! 俺はお前が傷つく姿は見たくない!」
伊織は分からなかった。恭一郎が身を挺して自分を庇ってくれている理由が。
わざわざ嫌いな女を守るなんてどうかしている。
それに伊織は守られるような立場ではない。玉藻前を使役した日から、最恐の妖使いと言われ続けてきた。人から守られた経験なんてほとんどない。
いつだって伊織は守る側だった。だからこそ、こうして守ってもらっていることが不思議でならなかった。
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