第7話 桜の妖
園内の隅にある赤い桜の木までやって来ると、地面で腰を抜かしている若い女を発見した。
「何があった?」
恭一郎が声をかけると、若い女は真っ青な顔をしながら桜の木を指さした。
「あのご令嬢が突然……」
咄嗟に女の指さす方向に視線を向けると、一同は息を飲んだ。
藍色の着物を着た女が、真っ赤な桜の木の下で首を吊っていた。
女の身体は風に靡くようにユラユラと揺れている。苦しさから藻掻いている様子もなかった。
「なんだよ、あれ……」
恭一郎は真っ青な顔をしながら呟く。すると若い女が当時の状況を語った。
「桜の木の下で虚ろな目をしたご令嬢がいたので、気になって様子を伺っていたら、突然縄を取り出して、それで……」
女はわなわなと震えながら説明する。こんな現場に居合わせたら錯乱するのも無理はないだろう。
青ざめた顔をする二人を横目に、伊織は首を吊った女のもとへ急ぐ。懐に忍ばせていた短刀を取り出し、枝から下がる縄に向かって振り下ろした。
縄を断ち切ると、女の身体が地面に落下する。すぐさま女の首の付け根に触れて脈を確認した。
トクン、トクンと脈拍を感じる。
「大丈夫です。まだ生きています」
女の生存を知らせると、恭一郎は安堵したように息をついた。
「さすが伊織さん、冷静だね」
感心したように邦光が声をかけるも、伊織は表情ひとつ変えずに次の指示をした。
「悠長にお喋りしている時間はありません。邦光様はこちらのご令嬢を医師のもとへ。桃華様は人払いをお願いします」
「うん。彼女のことは任せて」
「記念公園に一般人が立ち入らないように呼びかけますわ」
瞬時に役割を理解した二人は、各々動き出した。
一方、恭一郎はいまだに青い顔をしながら赤く染まった桜の木を見上げている。その様子を見て、伊織は呆れたように溜息をついた。
「旦那様、いつまで呆けているつもりですか? じきに妖が現れますよ」
伊織の声で恭一郎はハッと我に返る。
「分かってる」
「本調子でないのなら、下がっていてもいいのですよ」
「そういうわけにはいかねーだろ。相手の力量が分からないんだ。お前ひとりに任せるわけにはいかない」
はっきりと宣言する恭一郎を見て、伊織はフッと口元を緩めた。
「では、共闘しましょうか」
伊織は目を伏せながら玉藻前を呼ぶ。
「出てきなさい、玉藻前」
その直後、狐の面を被った女が九つの尾を揺らめかせながら姿を現した。
――最恐の妖狐、玉藻前。
玉藻前は赤い桜の木の周りで浮遊しながら、嘲笑うように言葉を発した。
「桜と死体を同時に眺めるなんて、酔狂な妖がいたものだ。どーれ、ちょっとばかし遊んでやろう」
玉藻前は桜の木の下でクルクルと舞う。その傍らでは伊織が念じるように両手を組んでいた。
「妖力を送ります。じきに全開で動けるでしょう」
その直後、玉藻前の身体が金色の光に包まれる。光の粒が増すたびに、玉藻前の動く速度が増していった。
玉藻前が戦闘態勢を整えている傍らで、恭一郎も酒呑童子を呼び寄せる。
「出てこい、酒呑童子」
その言葉と共に、額に二本の角を携えた筋肉質の男が姿を現す。
――最強の鬼、酒呑童子。
酒呑童子は不機嫌そうに眉を顰めながら気だるげな声で抗議した。
「二日連続でこき使うとは良い度胸している。今夜は酒の準備をしておけ」
「酒は準備してやるから、文句言わずに働け」
命令口調で告げてから、恭一郎も両手を組んで念じた。
妖力を送り込むと、酒呑童子の周囲に紅蓮の炎が現れる。激しく燃え上がる炎を見て、酒呑童子はフッと笑みを浮かべた。
「相変わらずとんでもない妖力だ。現役の頃、いや、むしろそれ以上の力が漲ってくる」
酒呑童子は手に持った金棒を素振りしながら、肩慣らしをしていた。
その様子を見ていた玉藻前が、揶揄うように酒呑童子に声をかける。
「久しいのう、酒呑童子。こうして顔を合わせるのは千年ぶりか? 相変わらずいい身体付きをしておる。どーれ、触らせてみろ」
玉藻前は手をわきわきしながら酒呑童子に忍び寄る。すると酒呑童子はギョッとしたような顔で飛び退いた。
「やめろっ! 触るな! お前に弄ばれるのはもう懲り懲りだ」
「なあに、悪いようにはしない。ちょっと昔の男の感触を確かめるだけだ」
玉藻前は瞬時に酒呑童子の背後に回ると、白い指先で鍛え抜かれた上腕二頭筋に触れようとした。……が触れる直前で伊織が静止する。
「やめなさい、玉藻前。いまはそんなことをしている場合ではありません」
伊織に注意されたことで、玉藻前は渋々伊織のもとに戻る。
「まあよい。酒呑童子で遊ぶのは桜の妖を祓った後にしよう」
「おい、いま遊ぶって言ったな! 遊ぶって! 本当にお前は昔から性格が悪い!」
酒呑童子が抗議するも、玉藻前はまったく動じていない。むしろ揶揄って楽しんでいるように見えた。
その最中、突風が吹いて赤い桜の花びらが一斉に宙に舞い上がる。視界が赤い花びらで覆われると、先ほどまでとは比べ物にならないほどの禍々しいオーラを感じた。
「姿を現したようですね」
風がやんで視界がクリアになると、赤い桜の木の下に薄紅色の長い髪を携えた少女が現れた。瞳の色は若葉のような緑色。枯れ木のように細い腕は、ひらりひらりと真っ白な着物の袖を翻していた。
桜の妖は、子供のようにケラケラと笑う。
「騒がしいと思って出てきたら、鬼と狐がおる。おぬしらも花見に来たのか?」
桜の妖が言葉を発すると、恭一郎は眉を顰める。
「意思疎通ができるってことは中級以上か?」
「そのようですね」
すると玉藻前が桜の妖をまじまじと見ながら解説した。
「あれは
玉藻前は大した妖ではないと評価していた。
一般的には中級は簡単に討伐できるようなレベルではない。通常は三名以上の妖使いが編成を組んで討伐するほどの案件だ。
ただ、恭一郎と伊織に限っては例外だった。
「中級なら早々に片付きそうだな」
「ええ、一刻も早く祓いましょう」
最強の鬼使いと最恐の妖狐使いの前では、中級の妖など敵ではなかった。
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