第6話 赤く染まった花びら

 皇居の濠に沿って桜並木が連なっている。枝には薄紅色の花が咲き誇っていて、どの樹も満開を迎えていた。


 美しい桜の前で足を止め、花を愛でている人がちらほら。敷物の上で重箱と酒を広げて、宴をしている集団も見られた。


「呑気なものだな。人死が出たというのに」


 恭一郎は花見客を一瞥しながら眉を顰める。


「仕方ありませんよ。町の人には事件のことは明かされていないようですから。知らぬが仏というやつです」


「なんだ。事件はまだ公になっていないのか?」


「ええ、混乱を避けるためにあえて伏せていると桃華さんから伺っています」


「そういえば、あいつは警察長の娘だったな。おおかた邦光も、あいつから事件の全貌を聞かされたんだろう」


「そのようですね。身内とはいえ、公には伏せている事件を簡単に明かすなんて、あそこの家は親子揃って口が軽いんですね」


「まったくだ」


 淡々とした口調で棘を刺す伊織を見て、恭一郎は苦笑した。


「町の人も呑気ですが、あちらのご夫婦も随分呑気なことで」


 伊織が視線を向ける先には、邦光と桃華がいる。二人は仲睦まじそうに手を繋ぎながら、桜並木を歩いていた。


 片や恭一郎と伊織は、夫婦と呼ぶには遠すぎる距離感で並んで歩いている。片手を優に伸ばせるほどには間が空いていた。


 恭一郎は弟夫婦の背中を睨みつける。


「あいつらは俺達がいれば、事件なんてサクッと解決できると思ってんだよ」

「それは否めませんね」


 涼し気な顔で話す伊織を、恭一郎がチラッと一瞥する。それからどこか落ち着かない様子で指摘した。


「お前は任務となれば普通に喋るんだな。屋敷にいる時はほとんど喋らないのに」


 普段との落差に驚いている恭一郎に、伊織は淡々とした口調で答える。


「当然です。情報伝達が上手く行かずに失敗した例をいくつも見てきましたから」


「そうか」


 任務においては仲間同士の情報伝達が欠かせない。討伐対象の情報が仲間内で共有できていなかったばかりに、死んでいった例をいくつも見てきた。


 だからこそ、いくら嫌われようが任務に関する話はしないわけにはいかなかった。


「それにしても、旦那様と任務にあたるのは、これで二度目ですね」


 伊織の言葉を聞いた恭一郎は、驚いたように目を丸くする。


「覚えていたのか?」

「ええ。あの時は生意気な発言をしてしまい、申し訳ございません」


 恭一郎とは過去に一度、共に任務に当たっていた。伊織が10歳の頃の話だ。


 当時の伊織は、未熟さゆえに恭一郎に無礼な発言をしてしまった。彼のプライドを傷つけるのに値する言葉だ。その出来事も相まって、いまも嫌われているのだろうと判断していた。


 恭一郎は口元を緩めながら、悪態を吐く。


「確かにあの時は、クソ生意気なガキだと思ったよ」

「でしょうね」


 伊織はそっと目を伏せた。


 いくら悔やんでも過去を変えることはできない。それならせめて、これ以上嫌われないように尽力すべきだろう。


 伊織は視線を落としながら、地面に散らばった桜の花びらを見つめた。


 すると、違和感に気付いて足を止める。そのまま地面に落ちた一枚の花びらを凝視した。


「どうした?」


 恭一郎が問いかけると、伊織はその場にしゃがんで花びらを手に取った。


「この花びら、他の花よりも色が濃いです」

「どういうことだ?」


 恭一郎が伊織の手もとを覗き込む。手のひらに置かれた花は、頭上に咲き誇る桜の色とは明らかに色が異なっていた。


 頭上の桜の花びらは薄紅色をしているのに対し、伊織の手元の花びらは赤く染まっている。それはまるで、鮮血が滲んだような……。


 その直後、空気を引き割くような女の悲鳴が聞こえた。


「なんだっ?」


 二人は一瞬で臨戦態勢に入る。前を歩いていた邦光もこちらに視線を送った。


「悲鳴が聞こえたのは、この先の記念公園のほうだよ。急ごう!」


 二人は頷いてから、悲鳴が聞こえた方向へ駆け出した。


 記念公園は「明安」から「大成」に元号を変えた年に作られた国営公園だ。園内では千本以上のソメイヨシノが植えられており、桜の名所としても知られている。


 園内に植えられたソメイヨシノは今まさに満開を迎えている。風がそよぐと薄紅色の花びらが宙に舞い上がり、一面が花吹雪に包まれた。


 その中には、先ほど伊織が見た真っ赤な花びらも入り混じっている。


 園内を見渡すと、薄紅色の桜の木に交じって、真っ赤な花を咲かせた桜の木が植わっていた。真っ赤な桜の木からは禍々しいオーラが漂っている。


「恐らくあの木が元凶かと」


 伊織は赤い桜の木を指さしながら走った。

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