第4話 とある筋から聞いた話

 弟の邦光から夫婦仲が冷え切っていることを指摘された恭一郎。気まずさから黙り込んでいると、邦光は深々と溜息をついた。


 それからやや言いにくそうに視線を逸らしながら話を続ける。


「これはその……とある筋から聞いたんだけど、二人は夫婦であるにも関わらず同衾していないとか……」

「とある筋って、どの筋だよっ!」


 思いがけない指摘をされたことで、恭一郎は赤面しながら叫ぶ。その問いに邦光は、「詳しくはちょっと」と言葉を濁した。


「こんなこと弟の僕が訊くのはどうかと思うけど……実際のところはどうなの?」

「なんでお前にそんなことまで話さないといけないんだよ!」


 反発する恭一郎。その一方で、伊織は躊躇う素振りを見せずに真実を明かした。


「ええ、致していませんよ。私では旦那様のお相手は務まりませんので」

「おいっ、お前、何を言って……」

「兄さん……」


 伊織の言葉を聞いた邦光は、俯きながらスッとその場で立ち上がる。そのまま恭一郎のもとに近付き、着物の胸ぐらを掴んだ。


「女の子に何言わせてるんだ! というか何を言ったんだよ、兄さんは!」

「いやっ、俺は何も……」


 いまにも首を絞められそうな勢いで詰め寄られる恭一郎。邦光に揺さぶられながら、恭一郎は恨めし気に伊織を睨んだ。


「伊織! 誤解を招くようなことを言うな!」

「誤解も何も、事実を述べたまでです」


 荒々しく叫ぶ恭一郎と、冷静に対応する伊織。二人の間には温度差があった。

 それから伊織は、邦光に視線を向けながら淡々と告げる。


「察するに、邦光様が心配されているのはお世継ぎのことですよね?」

「いや、そういうわけじゃ……。まあ、そんな事情もちょっとはあるけど……」

「正直な話、いますぐお世継ぎを望むなら側室を迎えるのがいいかと」


 身も蓋もない伊織の言葉に、一同は騒然とする。


「側室ってお前、本気で言ってるのか?」


 戸惑いを露わにする恭一郎を横目に、伊織は淡々と答えた。


「ええ、私は本気です。旦那様だって、嫌いな女を抱くよりも、好みの女を抱く方がよいでしょう?」


「なんでそうなるんだよ!」


「以前、酒呑童子様とお話しているのを聞きましたよ。旦那様は胸の大きな女性が好みだとか」


「そ、それはあのエロジジイと話を合わせていただけで……」


「でも本心なのでしょう? 私は旦那様の好みとはかけ離れているので、胸の大きな女性を側室に迎えた方がよろしいかと」


 伊織の言葉を聞いた恭一郎は、大きく溜息をつきながら頭を抱えた。


「お前はどうしてそう……」


 恭一郎が嘆いている理由を伊織は知る由もない。伊織はただ、家を存続させるための手段のひとつを提示したに過ぎなかった。だけどその提案はあっさりと却下される。


「側室を迎えるつもりはない」


 はっきりと言い切る恭一郎に、邦光も同意する。


「そうだよ。結婚して三ヶ月で側室を迎えるなんてあんまりだよ。そんなの夫婦仲が良くないことを認めたようなものだし」


 邦光が懸念している事を察した伊織は、目を伏せながら小さく溜息をついた。


「そういう事情なら仕方ありませんね。側室を迎えないというのであれば、私が役目を果たすしかありません」

「役目を果たすって……」


 嫌な予感がしつつも、邦光は伊織の言葉を繰り返す。すると伊織は淡々とした口調で告げた。


「お世継ぎを望むというなら旦那様とまぐわうと言ってるのです。幸い、愛がなくてもそういう行為はできますから」


 恭一郎と邦光は一斉に頭を抱える。これはもう手の施しようがないと言わんばかりだ。


「ねえ、どうしてこうなっちゃったの、兄さん」

「知らん。俺が聞きたい」


 兄弟は意気消沈しながら、いまの状況を嘆いていた。

 そんな時、沈黙を貫いていた桃華がスッと手を挙げる。


「邦光様、僭越ながら私も意見してもよろしいでしょうか?」

「うん、桃華からも何とか言ってやって」


 桃華はこほんと咳払いをしたかと思うと、バンっと勢いよく机を叩いた。


「伊織様、それは間違っていますわ! 愛のない行為に何の意味があるというのです!」


 前のめりになりながら真剣な眼差しで訴える桃華。その気迫に伊織は圧倒されていた。


「桃華様……急に何を仰って……」


「伊織様がぜんっぜん分かってらっしゃらないからですわ! 愛がなくてもできる? ちゃんちゃらおかしいですわ! そういう行為は愛があってこそでしょう! 現に私を溺愛してくださっている邦光様なんて凄いんですよ? 耳元で甘い言葉を囁きながら全身を愛でてくれてそりゃあもう」


「ストップ、ストーップ! 桃華! 実の兄の前で夫婦生活をつまびらかにするのはやめて!」


 邦光が真っ赤になりながら止めに入る。全力で阻止されたことで、桃華はそれ以上語るのはやめた。


「とにかく、いまのお二人がよろしくない関係であることは分かりましたわ。これはお世継ぎ以前の問題です」


 冷静さを取り戻した桃華の言葉には、邦光も同意した。


「そうだね。まずは二人が信頼関係を築くところから始めないと」


 弟夫婦から指摘されたことで、恭一郎は口の端を引き攣らせながら尋ねる。


「信頼関係を築くったって、どうやって……」


 チラッと伊織に視線を向けるも、彼女は表情ひとつ変えず、湯飲みの柄を眺めるばかり。歩み寄ろうという姿勢は一切見られなかった。


 すでに心を砕かれつつある恭一郎を鼓舞するように、桃華は胸の前でギュッと拳を握る。


「微力ながら、お二人が仲良くなれるようお手伝いさせていただきますわ。ね、邦光様」

「そうだね。僕たちも協力するから、一緒に頑張ろう」


 二人は手伝いを買って出る。そのタイミングになって、伊織と恭一郎はようやく視線があった。だけどそれはほんの一瞬で、すぐにお互い視線を逸らす。


「まあ、和平のためにもこの結婚生活を破綻させるわけにはいかねえからな」

「そうですね。平和な新時代を築くためには夫婦円満が絶対条件ですから」


 あくまで義務感で夫婦関係を継続させようとする二人。その様子を見て、邦光は先が思いやられると言わんばかりに目を細めた。


「大丈夫かな、この二人……」

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