第3話 弟夫婦の来訪
恭一郎と伊織が住まう榊家の別邸に、一台の馬車が到着した。馬車の中からは一組の夫婦が降りてくる。
一人は黒髪短髪の爽やかな風貌の男。恭一郎と同じく紅玉を思わせる赤い瞳を宿している。しかし恭一郎とは異なり穏やかな微笑みを浮かべていることから、柔和な雰囲気を漂わせていた。
彼は恭一郎の2つ年下の弟、
「面倒なことに付き合わせちゃってごめんね、
邦光は馬車から降りようとする少女の手を取りながら、どこか気まずそうに微笑む。
すると栗色のまとめ髪をした少女は、桃色の小紋の袖を揺らしながら、ふわりと笑いかけた。
「面倒なんてとんでもない。邦光様に頼っていただけて光栄ですわ」
彼女は邦光の妻、榊桃華。邦光の1つ年下で、伊織と同い年にあたる。
桃華は御三家出身ではないことから妖は使役していない。しかし妖を視認できる妖力は持ち合わせていた。
桃華の健気な言葉を聞いた邦光は頬を緩める。そのまま桃華の耳元に顔を寄せた。
「桃華」
「はい、なんでしょう?」
「大好き」
「まっ……」
愛の言葉を囁かれた桃華は、赤くなった頬を両手で押さえた。それからお返しと言わんばかりに桃華も邦光の耳元で囁く。
「私も大好きですよ、邦光様」
その言葉で邦光も赤面しながら顔を覆った。
「あのー、お客さん。お迎えは何時ごろ上がれば……」
馬車を操縦していた御者の男が、気まずそうな顔をしながら問いかける。
すると邦光はハッと我に返りながら、男に指示をした。
「えーっと、16時にお願いします」
「へい」
端的に返事をすると御者の男は去っていった。
馬車が去っていくのを見届けてから、邦光は屋敷の表門を見上げる。
「今日こそ二人の関係を取り成さないと」
邦光はそう決意しながら屋敷の門をくぐった。
◇◆◇◆
「邦光様、桃華様、いらっしゃいませ」
伊織が玄関先で丁寧にお辞儀をすると、邦光は恐縮したように両手を振った。
「伊織さん、そんなに恐縮しないでください。僕たちはもう身内なんですから、気楽に接していただいて構わないんですよ」
「そういうわけにはいきません。旦那様の
折り目正しく挨拶をする伊織に、邦光の方が恐縮していた。すると邦光の隣にいた桃華が伊織の手を取る。
「伊織様、お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」
「お久ぶりです、桃華様。こうしてお話するのは女学校以来ですね」
「ええ、そうですわね。こうしてまた伊織様とお話できて光栄ですわ」
桃華はふわりと微笑みながら喜びを露わにした。
「そっか。二人は女学校からの知り合いだったんだね」
邦光の言葉に桃華が頷く。
「伊織様は女学校でも大変人気だったんですよ。天女を思わせる美しい風貌に、気高い精神、さらには学力優秀の賢女だったのですから憧れの的でした。ご令嬢の中には想いを寄せている方もいらしたくらいでしたし」
当時に想いを馳せるようにうっとりした表情で語る桃華を見て、邦光の表情に焦りが浮かぶ。
「想いを寄せているって、まさか桃華も……」
「何を仰いますか。私は邦光様一筋ですわ」
「桃華!」
「邦光様」
「お部屋にご案内します」
二人の会話を中断するように伊織が声をかける。このまま野放しにしていたら二人の世界が形成されてしまいそうな気がしたからだ。
伊織の存在に気付いた二人は、ハッと恥じらったように赤面する。それから大人しく伊織の後に続いた。
◇◆◇◆
「おう、よく来たな、邦光」
恭一郎は畳の上で胡坐をかきながら弟夫婦を出迎えた。横柄とも取れる恭一郎の態度を見て、邦光は残念そうに目を細めながら溜息をついた。
「兄さんは相変わらずだね」
「相変わらずって、どういう意味だよ?」
「そのままの意味だよ。相変わらず態度がでかい」
恭一郎は「喧嘩売ってんのか?」と突っかかったが、邦光は首を振りながら軽く受け流した。
邦光と桃華が並んで座敷机の前に座ると、伊織がタイミングを見計らったかのようにお茶と菓子を出した。
「どうぞ」
「ああ、伊織さんありがとうございます」
邦光が恐縮しながら礼を告げると、伊織は軽く会釈をしてから居間から去ろうとする。そこで邦光が慌てて呼び止めた。
「あー、待って、待って。今日は伊織さんにも話があるんだ」
「私にですか?」
伊織は怪訝そうな顔をしながら邦光を見つめる。戸惑いつつも、この場に留まることにした。
席についたはいいものの、座る位置がどうにもおかしい。伊織は恭一郎の隣に座っているはずなのに、二人の間は非常に遠い。お互いが机の端と端に座っていて、間には二席分の空間があった。
「いや、距離感おかしいでしょ!」
邦光が指摘をするも、二人は一向に距離を詰める気配は見せなかった。
状況が思った以上に芳しくないと知り、邦光は頭を抱える。隣に座る桃華も苦笑いを浮かべていた。
邦光は気を取り直すようにこほんと咳払いをしてから、本題に入る。
「今日ここに来たのは他でもない。二人の関係について話がある」
「俺たちの関係? どういうことだ?」
「心当たりがないとは言わせないよ、兄さん。二人の夫婦仲が冷え切っているっていうのは、親族の間で大問題になっているんだから」
恭一郎は不服そうに顔をしかめる。一方で、二席分空いた隣の席では伊織が何食わぬ顔で茶を啜っていた。
「大問題って大袈裟な」
恭一郎の煙たがる態度を見て、邦光はカチンときたように口の端を持ち上げる。それからやや荒々しい口調で指摘した。
「兄さんは自分の立場が分かってるの? 二人の結婚が榊家と安隅家の和平につながっているんだよ? 二人の夫婦仲が悪ければ両家の関係にも影響が出る」
「それは分かってるけどさ」
「分かってんだったら、お互い歩み寄る努力をしろよ」
相手が実の兄ということもあり、邦光は無遠慮で恭一郎を詰める。正論を突きつけられた恭一郎は気まずそうに視線を逸らした。
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