巻の九 凪
『……暗闇の中でしか見えないうつくしいものを、君は確かに見たのだ』
画面の向こうのプロフェッサーが珍しく、謹厳実直な顔を崩して微笑んだ。何と興味深いレポートだろう。異星の地の王宮の、夜開かれるうつくしい宴とは。数々の風変わりな料理や、色とりどりの衣をまとった参列客。仮面と衣装を纏って音楽と共に舞う人々。金の望遠鏡を手にした女王陛下、アレックス達が贈ったというオルゴールや焼き菓子も微笑ましい。返礼品の布もまた、得も言われぬうつくしさだという。
そして、『ペンフレンド』であるというひとりの女性との、夜の帳が降りる中での邂逅。
「暗闇でしか、見えないもの………」
宴の詳細を音声入力を駆使して、彼の持つ語彙と表現力の全てを駆使してレポートを送ってくるまでに、二晩もかかったという。
アレックス・アレキサンダー。若き帝国のパイロット。辺境任務の青年。今まさに心に一輪の花を咲かせたばかりの、聴講生一覧の中では最も遠い場所にいる受講者。
講義の初日にはどこか寄る辺なかった茶色の瞳が、今はすっかり、何かに見せられた者特有の熱っぽい瞳になっている。
『惑星研究プログラムの言語研究部門には文化研究枠がある。レポートはそちらに送ろう。とても稀有なものだ。それに……』
帝国も手段選ばず収奪するよりは、別の方法を模索する方向に傾いてきている。そうなった時に駆り出されるのは、言語に長けている者達になるだろう。
『………いつか「誰かの」役に立つかもしれない』
「役に立つ、ですか。……それならもっと、そういうレポートを出せば良かったでしょうか」
『いいや。大昔から個人の記録こそが大衆の役に立ってきたとも言える。日記などがその典型例だな。今はデジタルでしか書かれないゆえに、少しばかり信憑性が落ちてしまったが、昔の日記は全て手書きだったからね。日記とは、日々のあれこれを率直に綴るものだ。生活や、出来事、いろんなことがわかるものだ』
「日記、ですか」
『君も付けてみると良い。言葉も、それを表現する方法も、日記を書き続けることで伸びるというよ』
「かしこまりました」
このアレックスの日記は、それは読み応えある楽しいものになるだろう。しかし、
『最もそれは、平和な平時であれば、の話だが……』
プロフェッサーが思わず溜息をこぼす。
「………何か、あったのですか」
『少しばかり、情勢が変わってきている。まだ帝国ではニュースにならないが』
「情勢が、ですか」
アレックスの瞳が、夢みる男のそれから、帝国のパイロットの瞳になる。
『その通り。しかも最近は帝国よりもレジスタンスのほうが荒々しくもある。特に傭兵。あれは良くないものだ』
「傭兵、ですか……」
『……西域が最近はレジスタンス優勢になっているらしい。投入されていた傭兵の一部を辺境の他の地域に回す余裕ができたという噂だ。君も気をつけておきなさい。辺境任務なのだろう? 私の講義も残り1回だ。優秀な生徒には最後まで顔を出して貰いたい』
「お言葉と、お心遣いありがとうございます、プロフェッサー」
『ペンフレンドまでいる大事な星だ。よくやりたまえ』
*
『この宮にとってのかささぎは
荒草の君、あなたそのものなのです
あなたはまさに この地上と星を繋ぐ
尊い鳥なのですから』
コクピットの中で、實奈子からあの晩に貰った手紙を何度も何度も読み返す。もう何度読み返したことだろう。詩文のように短く、それでいて心なしか熱さまで込められているような、不思議な文章。
今まで生きてきた中で、誰かから『自分は尊い存在なのだ』とこんなにも真摯に告げられたことはなかった。魂が熱くなる。
「かささぎ、か」
本当に自分に鳥のように羽があれば、ヘレネ副艦長がくれた物語の数々のように、きっと自分は彼女の元へ今すぐ飛んでいくのだろう。
そんなことを考えて思わず一人、補給船シュトルムのコクピットで笑いをこぼす。
「………それで、レジスタンスの傭兵か」
得た情報は速やかに艦長に伝えた方が良い。恋する男の顔から一兵卒の顔に戻り、アレックスは手紙をダッシュボードにそっとしまってから、コクピットから出て艦の格納庫を後にする。
(……何事も、起きて欲しくはないな)
互いに、燃えるような魂を灯火に、想いを秘めた暖かい手紙を書き綴る時間があれば、他には何もいらない。そんな気さえしてしまうのは、戦闘訓練プログラムまで受けた一兵士として失格なのかもしれない。
(まさか自分がこんなことを考える立場になるなんて、思ってもみなかったな………)
そして、廊下を抜けて艦長室の扉をノックすると
「開いているよ」
いつも通りの艦長の声が返ってくる。
「失礼します、サー。少し気になる情報を得まして」
敬礼して入るアレックスの様子を見て、艦長が手にしていたカップをテーブルに置いて、片目を細める。
「………何かあったかね」
「プロフェッサー……首都にいる言語学の教授が教えてくれました。西域に動きがあったとのこと。まだニュースにはなっていませんが……その、少し気になりまして」
「ほう。話してみなさい」
先程聞いたばかりのことを、アレックスは静かに話し出す。
「成る程。傭兵か。そいつはいかんな。………わしも首都の友人達にそれとなく聞いてみよう。退役したものも、現役のものもいるがね」
「ありがとうございます」
「ここは帝国領でも最果てに近いが、それゆえにレジスタンスを送り込むなら正規軍より傭兵部隊になるだろう。確かに、見過ごせぬ情報じゃな」
艦長室のコンソールを指でコツコツと叩いて、空中にメインモニタを呼び出す。
「アナベル・リー号は古い艦。古い艦、ということは、往年の、つまり今のわしくらいの歳の年季が入ったレジスタンスの軍人達にも名前だけはよく知られているからのう。だがこの度の任務には戦闘員が不要とされた。最新の戦闘プログラムを受けているのはおぬしくらいでな」
艦長が珍しく、深々と溜息をつく。
「だが、おぬしは今やこの星とこの艦を結ぶ重要な役割を担っておる。正直な話、最前線に出したくはない、というのが本音だが、もしもの場合はそうも言ってられぬ」
「サー、自分は、大丈夫です」
「頼もしい。副艦長と整備班に伝えておかねばのう。首都にいる知己に話を聞き出してデータ収集に務めるとするよ」
そして、アレックスが退出していくのと入れ替わりにヘレネ副艦長が入ってくる。
「………浮かない顔ですが、どうかされましたか」
艦長が呟く。
「わしも老いたな、と自覚しただけよ。孫ほどの年の差がある部下を、戦場に送り出す日などこなければ、と願うような歳になってしまった」
ヘレネ副艦長が柔らかく微笑み、空になっていた艦長のカップに飲み物を注ぐ。
「誰にとっても、彼はかけがえのない部下であり、人です。何かがあってはこの星と築きあげた友誼も消え去ってしまう。私達とて、彼が来なければただこの辺境の星で無為に過ごすだけだったはず」
「そうじゃなあ。早めに、情報を集めねば」
「航空レーダーの範囲を広げておきましょう、念の為。整備班長に連絡しておきます。士官学校の同期には情報部所属の者もいます。問い合わせてみましょう」
「頼んだよ。困った時はわしとこの艦の名前を出しても良い。軍歴だけは長い故、何とかなるかもしれない」
ヘレネ副艦長が立ち去り、注がれたカップから漂う優しい香りだけが部屋を静かに満たす。
(友誼、か)
帝国も、レジスタンスも、どちらもそれを認めはしないだろう。自分達は『収奪する者』であり『占領者』なのだ。それを由としなかったのは他ならぬ自分であり、たまたまここに配属されたアレックスを巻き込み、今や艦全体が、星との友好関係を快く思う者ばかりになっている。
「厄介なことにならねばいいが」
思わず口に出してそう独りごちてから、艦長は再びモニターに視線を投げてコンソールへ指を伸ばすと、古い軍歴リストを呼び出して、もう一度溜息をついてから、メッセージモニターを静かに立ち上げた。
*
「あれが惑星番号909985か。AL-3は」
「レーダーに引っかからない超小型偵察ドローンを飛ばしました。どうやら、首都の王宮の斜め上にいるようで」
「斜め上? 珍しいな。きちんとした座標も保てないボロ船なのか。あいつらは大概どの星でも首都の行政府の真上にいるものだが……」
「装甲だけはやたら分厚いように見えますがね。さすが長生きしてるだけある」
「内部に侵入して破壊するのがセオリーですかね」
「まあ、そうなるな。もしも帝国からの交渉役が来たら撃ち落とさず、捕らえておくように」
「しかし、真上にいない、ということはもうあの王宮は接収済みなんでしょうかね。争った形跡はないようですが」
「ずいぶんといい感じの王宮じゃないか。金銀砂子と綺麗な女がいりゃあやる気もでるってもんだが」
「そこまでは見れませんが、共通言語も通じない辺境の割には綺麗ですな。連中を始末しさえすれば、それなりに補給も可能かも知れない」
シャーガン・リングラムドがモニターに浮かぶ青緑色の星と、真っ黒に塗られた巨大な艦、そして王宮の映像の三つが映されたモニターを見比べる。
「艦長は誰だかわかるか」
「フレドリック・ガードナー。これまたカビが生えてそうな老軍人ですな。軍歴は長いんですが、どうやら中央とは仲がよろしくないようで、いわゆる左遷かと。つまりここが墓場ですかな」
シャーガンが笑って答える。
「ご苦労なことだ。墓石だけはでかくしてやろう。アナベル・リーなどという女の名の掘られた墓で眠れるのを感謝されて然るべきだな。明日の朝、総攻撃をかける。総員、用意をしておくように」
*
もうすぐ終わる講義に向けて、最初よりは読めるようになってきた数々の著作物や何度も目を通した言語学の資料、提出した音声レポートのファイルなどを夜もすがら整理しながら、アレックスは手紙の最後の部分に何としたためるべきかを考える。
(招いてもらったお礼を、書くだけで良いのに)
気がついたら夜が明けていた。片手にペンを持ったまま、白々と明ける光が格納庫の隙間から漏れてくるのを眺めて大きく息を吐く。
『うたげに まねいていただいたことを
かんしゃ しています
どれもこれもが うつくしい
こころが もえるようだった』
『田の米というのは しろい ものだった
おどろきです
きんいろ かと おもっていたのです』
『焼き菓子 は くちに あったでしょうか
うたげの りょうり は
とても どれも おいしかった』
『オルゴール は 主上 に
きにいって いただけたでしょうか
あの おとのなる はこの ことです』
いつになく長い手紙を、何度も何度も書き直しているのは何故だろう。どうしても伝えたいことがあまりにもありすぎるせいだろうか。レポート用紙を一枚めくって、二枚目を前に、アレックスは、しばしそのままの姿勢で考え込んだ後に、そっと綴る。
『あなたに 逢えた それだけで うれしい』
まるで本物の恋文のような一文に、何度も気恥ずかしくなり、ひとりコクピットの中で頭を振って呻き声を上げる。これ以上の言葉を書き綴るのは、今の自分では無理なのではないか、いっそ、何も書かない方が良いのではないか、などと2枚のレポート用紙を前に逡巡する。
(難しいものなんだな………)
また海へ向かって、手紙に添える花を摘んでこなければならないが、それよりも、アナベル・リー号を取り巻く状況が不安定にならないことを祈らなければならない。
レジスタンス。それも傭兵部隊。戦う、ということに対する恐怖がないのは仮にも戦闘訓練プログラムのおかげだろうか。しかし、
「王宮を、巻き込みたくはないな………」
思わずそう呟いた途端、格納庫の中に非常警戒アラームが響き渡る。反射的にレポート用紙を胸ポケットに突っ込んで、アレックスはヘルメットとゴーグルを手にコクピットを飛び出すと、船長室へと駆けだした。
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